2019年05月28日

◆米国、こんどは中国企業を

宮崎 正弘


令和元年(2019)5月27日(月曜日)通巻第6089号 

米国、こんどは中国企業をNY株式市場の上場リストから外し始めた
   中国SMIC社、ニューヨーク株式市場から退場へ

NY株式市場にADR市場があり、SONYなどが預託証券というかた
ちで株式を上場している。中国企業も、世界のウォール街で上場を果たす
ことが夢だった。オバマ政権下における「アリババ」の上場時は、史上空
前の人気だった。

なにしろ賭け事に熱中する性格が強い中国人は、いったん仕込んだゲーム
のルールを、たちまち自家薬籠中のものとし、熾烈な株式ゲーム戦争でも
勝ち組に残る。

ファーウェイ排斥に急カーブを切ったトランプ政権は、次々と手を打って
きた。

第一に安全保障に脅威となる技術をもつ米国企業への、外国資本の買収を
許可しない。この案件はクアルコム買収を仕掛けていたブロードコムの野
心を退けた。ブロードコムは米国企業を装ったシンガポール国籍企業だ
が、背後に蠢めいていたのは中国だったからである。

第二に技術スパイの摘発で、ハイテク企業のラボなどから不正にデータを
盗み、中国に渡していた中国人(多くが軍人だった)、それに協力したア
メリカ人らをつぎつぎと逮捕し、起訴してきた。この流れのなかにファー
ウェイの副社長、孟晩舟の拘束がある。

第三に「国防権限法」を法の淵源として政治的活用を強化した。インテル
の半導体をZTEに供給することを禁じたことを皮切りに、半導体製造装
置、化学材料、化学液など半導体基板の製造に欠かせない製品、物資の輸
出禁止、つまり対中国ココムの発動である。

第四にトランプ政権は、ファーウェイ排斥を同盟国にも呼びかけた。
日本も「ファイブ・アイズ」(5EYES)のメンバーではないが、英、
豪、カナダ、NZにつづきフォーウェイ地上局などの政府調達を事実上取
りやめた。
 
第五に留学生へのヴィザ制限である。すでに2018年に4000人の高官や学
者、奨学金による研修生などが帰国した。米国の大学へ留学する中国人
のヴィザも五年間有効だったものが1年ごとの更新となり、中国人の
米国留学は突然さめた。替わりに狙われているのがNZ、豪、そして英国
の大学である。

第六にNY株式企業から中国企業を締め出す動きが出た。

つまり資金調達も米国内ではさせないという決意が、ここまで飛び火した
ということであり、すでに債券市場での中国企業の社債に関しては、2%
以上のチャイナプレミアムが上乗せされている。

焦点のSMIC(半導体製造國際集団)は6月13日をもってNY株式市
場から撤退を表明し、同社は香港でも上場しているため、株価は5%の急
落をみせた。

日本にやってきたトランプは笑顔で大相撲を観戦し、米国大統領杯を優勝
力士に渡すなど日米友好のパフォーマンスに熱心だった。

驚いたのは日本のメディアの対応ぶり。あれだけぼろくそにトランプを攻
撃非難してきた同じメディアなのかと訝るほどに、大スター並みの扱いを
繰り返し、トランプの行く先々には日本人の見物客、スマホによるカメラ
の列があった。安倍首相は「米国のポチ」に見えた。
         
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評BOOKREVIEW 
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『諸君!』がモデルとしたのは老舗月刊誌『自由』だった
   保守論壇の変遷を一編集者の眼からみる、詳細なマスコミ現代史

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仙頭寿顕『「諸君!」のための弁明』(草思社)
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元『諸君!』編集長の克明な回想録。というより論壇の人事録とも言え
る膨大なメモ、この業界の闊達でリベラルな特質が背景にあり、頑固者や
詭弁や偽善者を嫌い、また時代の変遷と高度成長とともに、保守論壇の目
まぐるしい人の出入り、その変遷ぶりもパノラマのような絵巻となってい
て、読み応え十分である。

著者の仙頭氏が編集長時代、『諸君!』は過去最高の部数を誇った。
本書を通読しながら、個人的に様々な想い出が蘇った。あれは昭和43
年だったと記憶する。

評者(宮崎)がまだ『日本学生新聞』の編集をしていた頃、当時「財界の
政治部長」と言われた藤井丙午氏(当時は富士製鉄副社長だったと記憶す
る。その後、参議院議員に転出したが)に会いに行ったことがある。

そのとき余談で「近く保守系の学者、文化人、作家らを総結集した『日本
文化会議』が発足する。福田恒存、田中美知太郎、竹山道雄、三島由紀
夫、林房雄、小林秀雄らが参加する手筈で、そこから機関誌的な雑誌も生
まれる」と藤井が言ったのを、評者は一種衝撃をもって聞いたのだ。

なぜなら、それまで日本の論壇は左翼の跳梁跋扈激しく、保守のメディア
と言えば、『自由』しかなかったからだ。

『自由』の執筆陣には上記のほかにも猪木政道、西尾幹二、林健太郎、平
林たい子、村松剛、加瀬英明、中村菊男、武藤光郎の各氏ら匆匆たるメン
バーが執筆しており、保守とリベラルの呉越同舟とはいえ、その論文の引
用頻度は『中央公論』と並んでいた。

反共だがリベラル。『自由』は、もっとも権威ある媒体とされた。

『自由』の掲載論文を読んで、評者はたとえば神谷不二、高坂正堯、矢野
暢といったデビューしたばかりの論客に会いに行ったし、会田雄次、武藤
光郎、竹山道雄氏らには長々とインタビューをしに行ったこともあった。

翌年、所謂「藤井構想」から大きく逸脱して、日本文化会議は結成された
けれども、すぐに三島由紀夫、林房雄らが脱会し、紆余曲折の末に、文春
がオピニオン誌を創刊するというかたちに落ち着いた。『諸君』が華々し
く創刊された。初代編集長は田中健五氏だった。田中氏はのちに田中角栄
研究などで文春の名編集長と言われ、社長、会長になった。

当時の文春社長だった池島新平氏が「こんど創刊する『諸君』は『自由』
のライバル誌になれ」と言われたと田中健五氏の証言がでてくる。

以後、記憶しているだけでも安藤満、堤堯、竹内修司、齋藤禎、笹本弘
一、立林昭彦、白川浩司ら各氏にバトンがタッチされて行くのだが、昭和
45年11月に三島事件が起きるや、当時の田中編集長から評者は電話をいた
だき、「森田必勝との四年間」を徹夜して書き上げたことを昨日のように
思い出す。

さらに同時期に『正論』『ボイス』『新潮45』、『サンサーラ』などが
戦列に加わって、保守系雑誌が花盛りとなった。

反面、左翼のたまり場だった『世界』の売れ行きは激減した。『現代の
眼』とかの左翼雑誌も『朝日ジャーナル』も消えた。しかし、なんといっ
ても『諸君!』の創刊で煽りを食らうかたちとなったのが、老舗『自由』
だった。

その後、評者は4半世紀にわたって『自由』の巻頭エッセイを連載するこ
とになった。編集担当だった猪阪豊一氏が急逝し、往時マスコミ関係者を
あつめた自由社主催の忘年会も開かれなくなり、『諸君』の休刊と
おなじ2009年に、『自由』も幕を閉じた。

『自由』の灯を半世紀近く守った、石原萌記・主幹は、当時の雑誌の保守
主義のイメージとは大いに異なって、リベラルの思想を信念としていて、
天皇の戦争責任を言う人でもあったが、カラオケに出没して歌うのは鶴田
浩二ばかりだった(そういえば田中健五と石原萌記両氏の仲はたいそう良
かった)。

この石原人脈には右左のイデオロギーとは関係なく、労組幹部、社会党代
議士から女優、歌手、そして花田凱紀氏や元木昌彦氏(『週刊現代』編集
長)らが呉越同舟していた。

松下政経塾出身の仙頭氏は、アルバイトとして文春で働いていて、入社試
験を受けたのだ。仙頭寿顕氏が文春入社にあたっての「身元保証人」が、
木屋隆安氏だったと本書で知って、またまたびっくりである。

木屋さんは時事通信社会部長を歴任したシベリア抑留組だが、なぜか評者
とも馬が合い、命令調で「あそこにかけ、ここから本を出せ」などと謂わ
れもしたが、飲むときは常に午後3時から新宿だった。

なぜなら日が高いうちに帰路につくからで、その理由は某国のテロに狙わ
れていたからだ。実際に木屋さんは、駅から突き落とされて九死に一生を
得たことがあり、晩年も駅から自宅までは公安刑事が同道した。
トここまで書いてきたら紙幅がつきた。

ともかく、本書に登場する人たちは約250人くらいだろうが、そのうち150
人ほどを評者も知っており、この業界は広いようで狭いことを改めて実感
したのだった。
        
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