2019年07月17日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第29章

“シーチン”修一 2.0


駒光なんぞ馳するが如き。遊んだり、学んだり、寝込んだり、入院した
り、手術してもらったり、ボーっと過ごしたりしていたら、いつの間にか
令和の御代になっていた。

全国3500万の諸兄姉、ヂヂババの皆さま、お元気ですか? ようやく書く
元気が湧いてきた。以下は昭和の最後の3月の記事。廃車寸前の頃のこと。

・・・・

<ああ、春だなあ、と心が緩む、水温む。水辺の桜並木は八分咲き、屋上
庭園、その先の多摩丘陵も枯れた薄茶色から薄緑や白に変わってきた。6
時前にはお日様も拝める。噛みつくような寒さもなくなった。

1F床のタイル張りも済ませ、やるべき仕事≒趣味≒暇つぶし≒ゲージツのほ
とんどは終わった。今はどうでもいいが“兎に角ユニークな”木製花活け造
り、1Fの隅っこに“兎に角ユニークな”小さな花壇造りなどを楽しんでい
る。老後の手慰み、遊びみたい。

今朝は新しいガールフレンドに素敵なマーガレットを届けた。「私、お花
が大好きなの!」と大喜びしてくれたが、そうなると1週間に1度は届けた
くなる。次回は色とりどりで10鉢くらいは届けよう。

久し振りに夕食の天ぷらも作った。娘2人が持ち帰る分を含めると10人前
ほどになるが、材料を切って、すべて揚げ終え、キッチンをきれいにする
まで3時間立ちっぱなしで、もうエネルギーが切れてベッドに倒れ込んだ。

揚げ物をすると「油の臭いに当たる」ということなのだろう、ゲンナリす
る。近所の鶏の唐揚げ屋の人は朝10時から晩の9時までひたすら油鍋で揚
げまくるから、さぞやウンザリするだろうな。絶対に揚げ物は食べないだ
ろう。

帝国ホテルの村上シェフの大好物は奥様の作った秋刀魚の塩焼きだったと
いう。奥様が「舌平目のムニエル」を出したら、氏は「・・・ま、家庭料
理ではあるけれど・・・、それにしても俺の仕事を知らないんじゃない
か?」と諦観を新たにしたのではないか。あるいは「女はこういう味が好
みなのか」と興味を示したのかもしれない。


♪男と女の間には 深くて暗い川がある 誰も渡れぬ川なれど エンヤコ
ラ今夜も舟を出す


野坂昭如が唱っていたが、老人になっても女を理解できない。「男は永遠
に女を理解できない」ということは少しばかり分かってきたが・・・

出産は命懸けの仕事で、子を儲けてヒーヒー踏ん張りながら育て上げたと
ころで、子が老いた親の面倒を見るわけではない・・・それなのに子供を
産むというリスクを幸せそうに引き受ける女。損得を含めて理性的に考え
がちな男にとっては、たとえ出産機能があったとしても「ハイリスク、
ノーリターン or ローリターン」の出産なんてまず挑戦はしないが・・・
男にとって女は永遠の謎、理解不能ということが分かり始めただけという
感じだ。

アインシュタイン曰く「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思
い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる」。

名人とは「もっともっと高みへ上りたい!」と挑戦する人なのだろう。王
貞治は深夜に素振りをし、ブンブンという音を立てていたという。夢の中
でも思考を重ね、起き上がって素振りをする。「一番できる奴が一番練習
している!」、チームメートはおおいに感銘を受けたという。


「赤毛のアン」でお馴染みのモード・モンゴメリは今でもカナダの事実上
の「観光省大臣、観光親善大使、インバウンド振興協会会長」で、世界中
からアンの故郷プリンス・エドワード島を訪れる人々が引きも切らない。
モードも実に「学ぶ人」だったが、文系から理系まで幅広いジャンルにわ
たる知性と感性により、100年後の世界を的確に予測しているのには度肝
を抜かれた。モリー・ギレン著「運命の紡ぎ車」から。

<1924年には、モードは、きっと訪れるに違いないと確信していた新しい
啓示の源泉としての科学を、熱烈に支持している。

「これまでになされた啓示の数々は、すでにその使命を終えています。次
の啓示は科学の分野からもたらされるものと私は信じているのです。それ
がどのような形態をとるかは分かりませんが・・・」

5年後もなおモードはこの考えをまったく変えてはいない。

「人類は、成長し、賢くなり、何一つ不自由のない豊かさを手に入れるた
めには、何らかの代償を支払わねばなりません・・・

わたしたちは科学の素晴らしい発達の時代に足を踏み入れつつあるのだと
信じています。これまでに夢にも考えられなかったことが実現するでしょ
うが、偉大な文学や名画は生まれないでしょう。一度に何もかも手に入れ
ることはできないのです。

飛行機で世界を一周することが可能になるでしょう。また原子の秘密を解
くこともできるでしょう。でも、シェイクスピアやホメロスのような偉人
は生まれないことでしょう。彼らは神々とともに退場したのです」

1927年の初め頃、モードは原子力の未来を懸念していた。

「それは素晴らしく、また、啓示的なものでしょう。でも、美しいかし
ら? 原子からエネルギーを放出させる方法を発見すれば、動力というこ
とでは、イエスキリスト以来の画期的なものとなるでしょう。でも、私の
生きているうちは、いえ、私の子供たちが生きている間も、その発見がな
されなければいいと思っています。

良いにしろ悪いにしろ、、人間の生存の諸条件がすべてひっくり返され、
滅ぼされてしまうでしょうから。ありとあらゆるものが消滅するでしょ
う。私たちが今持っている金融機構も、価値基準も、生活様式も。まった
く新しい世界が生まれるのです。それに慣れた人々にはとても素晴らしい
世界かも知れません。彼らは、私たちの時代を振り返る時、暗黒と無知の
中をさ迷った時代とみなすことでしょう」>

核兵器、原発、レントゲン・・・1945年の米国によるヒロシマ、ナガサキ
の“原爆お試し爆撃”以来、あまりの凄まじい破壊力により、それ以後に核
兵器が戦争で使われたことはない。相手国の攻撃を抑止するための“脅し”
としての「伝家の宝刀」になっているが、偶然か故意を問わず、一旦、核
戦争(無差別大量殺戮)が起きれば双方の主要都市は恐らく潰滅するだろう。

「今のところは」米ロ、米中、米朝、印パ、イスラエル・中近東で核戦争
が起きることはなさそうだが、永年の憎悪や疑心暗鬼というマグマがある
のだから、明日にでも核戦争が始まる危険性が消えることはない。危い世
界なのだ。

原発は低コストのエネルギーを世界にもたらし、これからも普及していく
だろう。それにより生産性はたかまり、放射能の活用で医療も向上、普及
し、地球の人口は増え続け、やがて100億の大台を突破するだろう。しか
し、地球にとって人間は悪性腫瘍である。衣食住の発展とは森林が破壊さ
れ、河川や海が汚れ、都市化による温暖化が進むことで、その人間という
癌細胞がひたすらに増殖するのである。地球は耐えられるのだろうか・・・>

ま、永遠の成長はないし、宇宙自体の寿命が50兆年とか100兆年とか言わ
れているから、豆粒のような地球が100年後、1000年後にあるかどうかは
分からない。2億年続いた恐竜時代は一瞬で亡びた。

さてさて相も変わらず「全然進展しない拉致問題」。政治家や官僚は「臭
いものには蓋をして」被害者、被害者の可能性大という人々や家族が「死
に絶えるのを待っている」ようである。拉致の日本における司令塔は朝鮮
総連だ。その総連を叩き潰すどころか手厚く保護している、そのように見
えるのが日本の統治者の主流ではないのか。半島利権でもあるのか。

小生でさえ歯がゆいのだから拉致被害者やその可能性大の失踪者の家族は
辛くて辛くてたまらないだろう。同胞が悲しみ、苦しんでいるのを放置し
ていては、とても自立した一流国家とは言えまい。自前の憲法も作れな
い、米国の51番目のヘタレ州、State of Japan のままでいいのか。恥を
知れ、恥を!

綺麗なべべ着て、美味いものを食って、テレビ見てゲラゲラ笑って・・・
ご先祖様は泣いているぞ! ふにゃれの国を子に引き渡すのか。「“売り
家”と唐様で書く三代目」を繰り返すのか。このままではThe End だ。そ
れでいいのか、ということ。上がアホなら下もアホ、か。

古人曰く「戦時あっては敵、平時にあっては友」が普通の外交関係であ
り、戦時も平時もいつまでも続くわけではない。志那人は「治に居て乱を
忘れず」「外交は血を流さない戦争、戦争は血を流す外交」と言った。西
郷先生は「外交で侮られるな。常に“戦”の一字を忘れてはならない」と教
えた。

戦後の日本人は“戦”の一字を忘れ続けた。三島が諌死した思いがよく分かる。

「特定失踪者問題調査会」のHPを見て欲しい。小生の小論「全然進展しな
い拉致問題」はとりあえず今回で休筆とします。

発狂亭“癇癪ヂイヂ”雀庵の病棟日記から。

【「措置入院」精神病棟の日々(119)】【2016/12/27】【産経】「大晦
日 攻める出版 雑誌や新刊170点発売 正月需要狙う」。


書籍は売れない、雑誌も売れない。知りたいことのおおよそはネットで分
かるし、常識的に考えればニュースソースの信頼性はそこそこ判断でき
る。アナログ文字はやがてデジタル文字に代わるのだろう。時代の流れに
は逆らえない。

それにしても正月に本屋は開いているのか。客はいるのか。みんな遊びに
出かけているのではないか。

「温暖化問題の研究者が警鐘 トランプ流 新たな懸念 観測データ消さ
れる?」。1970年頃は「寒冷化」で、ここ20年は「温暖化」で研究費を
稼ぐのが理系学者のやり方だ。狼少年はまだ多い。

「過去データ長期流用 繊維流通統計、経産省廃止へ」。この世のデータ
は公的なものでもピンキリだということ。鵜呑みにすると方向を誤る。

「話の肖像画 山本寛斎(72)暗く辛かった初めての旅」は、戦後の1951
年、日本が貧しかった頃の回想。両親の離婚、そして京急上大岡から7歳
児が5歳と3歳の弟を連れて高知へ。ところが迎えの父はいず、児童相談所
へ。ひもじい日々が続く。数年後、父と義理の母親になる女が現れ、ばら
ばらになっていた弟2人も一緒に大阪へと住まいを移す・・・1951年は小
生が生まれた年で、まだ食糧不足が続き、国民は食べるのがやっとという
頃だった。

「兜町の風雲児 加藤あきら被告(75)が病死」。バブルの頃はおおいに
世間を騒がせたものだが、晩年はどうだったのだろう。奢れるもの久しか
らず、生者必滅、諸行無常・・・か。(つづく)2019/7/16



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