2019年07月26日

◆キザ龍も逝ッテしまった

渡部 亮次郎


橋本龍太郎さんが初入閣したポストは厚生大臣。お父上龍伍さんも
勤められたポストだったから、実に熱心に仕事をされた。特に阿波
丸遺骨収集では,園田直外相と連携する場面も多かった。

そんな関係で、外相秘書官だった私は、橋本さんの回顧録の宣伝文
を書かされた。私はためらい無く「若き実力者・・・」と書いた。

私より2つ年下。腹違いの弟さん(橋本大二郎高知県知事)はNHKの後輩
だが、年が違いすぎて、一緒に仕事をする場面は無かった。

それはともかく、園田外相が自民党国会対策委員長時代、メンバーの
一員でもあって親しかった橋本龍太郎さんが若くして亡くなってし
まった。

<橋本元首相が死去、68歳=省庁再編・沖縄問題に尽力

央省庁再編や沖縄の基地負担軽減などに取り組んだ橋本龍太郎(はしも
と・りゅうたろう)元首相が1日午後2時、多臓器不全などのため東京
都内の病院で死去した。68歳だった。東京都出身。

昨年8月の衆院解散を機に政界を引退した橋本氏は、環境などの分
野で活動を続けていたが、6月4日に腹痛を訴え緊急入院。腸管虚血
と診断され、大腸のほとんどと小腸の一部を切除する手術を受けた。

橋本氏は、厚相などを務めた父龍伍氏の死去に伴い、1963(昭和38)
年衆院旧岡山2区から出馬。26歳で初当選し、14回当選した。自民
党内で政策通として頭角を現し、78年の第1次大平内閣で厚相とし
て初入閣。

竹下登元首相(故人)が結成した創政会に参加し、竹下派では梶山
静六元官房長官(同)や小沢一郎氏(現民主党)らとともに「7奉行」
と称された。

その後、党幹事長、蔵相、通産相などを歴任。95年の自民党総裁選
で小泉純一郎氏(現首相)を破り第17代総裁に選出。96年1月、自民、社
会、さきがけ3党連立の村山富市首相に禅譲される形で第82代首相に就任
した。

行政改革や財政改革など「6大改革」を掲げ、中央省庁を現行の1府12省庁
に再編する案をまとめた。クリントン米政権との間で米軍普天間飛行場の
返還で合意し、ロシアのエリツィン大統領とは、2000年までの平和条約締
結に全力を尽くすとした「クラスノヤルスク合意」を結んだ。>  (時
事通信) - 7月1日17時0分更新

大のタバコ好きは有名だったが、大をつければ、風呂好きだった。
総理官邸に棟続きの公邸に住んだとき、24時間沸いている風呂をつ
けさせた。剣道の稽古にも熱心だったから、そうなったのかもしれ
ない。

それはそうと、総理大臣経験者でありながら、週刊誌でこれほど女
性がらみのスキャンダル記事を書かれた人は戦後初めてではないか。

宇野宗佑さんは神楽坂の芸者とのことをストレートに暴露されて有
名になったが、1回だけ。

ところが橋本さんは、ハンサム、イケメンのせいで東京での中国女性工作
員との交際に始まって、赤坂、新橋、柳橋、神楽坂花柳界に浮名流したこ
との数々。最もにぎわせたのは赤坂の天婦羅屋のマダムに富士銀行赤坂支
店から16億円を不正融資させた一件だろう。

女性がらみでなくても、日本歯科医師会から政治資金1億円を受領
しながら「記憶にありません」ととぼけて、元官房長官村岡兼造氏
に責任をなすりつけたのも記憶に新しい。

とくに天婦羅ママに16億円を融資させた事件については、不正融資
の罪を背負って懲役12年の刑に服した元課長が、2006年6月22日号の「週
刊新潮」に暴露記事を寄稿し、再び注目を集めたばかりだった。どうする
のだろうと心配した矢先に逝ってしまった。

厚生省のドンと呼ばれた人は時代の変遷と共に何人もいた。しかし、
橋本氏こそは死ぬまでドンだった。医療、薬品業界の利権の配分を
差配するだけでなく、厚生労働省の次官人事まで左右した。それに
よって泣きながら死んでいった何人かを私(元厚生大臣秘書官)は
知っている。

幼くして実母を失い、継母に育てられた。継母はいわゆるできた人
で、橋本氏も表面的には温和に育ったようだ。腹違いの弟さんとも
仲がよかった。だから大二郎さんも死の枕元にかけ付けたのだろう。

これほど役人に嫌われた政治家も珍しい。初入閣した時、厚生省の
与かる薬価基準を暗記して役人を厭がらせたなんていう話は、大臣
を務めた厚生,大蔵,通産の各省に山となっているはずだ。

キザで、すねる、ゴネるなど、いろいろいわれたが、これらのすべ
てが役人の分析。マスコミも彼を好きではなかったようで、週刊誌
に流して定着させた。

ただ、こうして68歳と言う若さで亡くなったことと考え合わせると
総理在任中、東京都新宿区の国立国際医療センターに長期入院中の
母親をひっきりなしに見舞うのは、自分の治療をカモフラージュす
る手段ではないかと疑って取材に来た記者は優れた記者だったと思
う。

橋本さんはどうも蒲柳の質だったようだ。両親ともに若死にだし、
ご自分も68とは今では若死にの部類だ。短い人生の中で、橋本さん、
たくさんの足し算とか掛け算とか割り算を強いられましたが、棺を
覆われて、何を思われたのでしょうか。合掌。2006・07・01

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