2019年08月24日

◆雀庵の「良い体罰、悪い折檻・・・難問だ」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/15】小生が先生から体罰を受けたのは中2(昭
和40/1965年)までだった。国語の大沢先生は輪ゴムで頬をパッチンとや
るので有名だった。しょっちゅうやるし、大して痛くないから効き目はあ
まりなかったと思う。

エンジニア上がりの技術科の神藤先生からはビンタを貰った。工作室の針
金製フェンスの下部がグチャグチャになっているので、チリトリ製作の
際、友達が針金をなくしたと言うので、グチャグチャの部分から30センチ
ほど切って「これ使えばいいよ」と渡したのだ。備品を故意に傷つけたの
は悪いが、まあ、ビンタは仕方がないけれど、ちょっと悲しかった。

神藤先生も何となく辛そうだった。

今から思えば「お前の責任で、あそこをきれいに直しておけ」と言われた
ら、小生はみんなに声をかけてきれいに修理しただろう。

中1の時、大学出たての石井先生は女子をぶった。ぶたれた女子が泣くの
は当然として、先生は「生徒をぶつなんて、それも女の子をぶつなんて、
初めてだ・・・」と言って、顔をまっ赤にしながら大泣きした。

小学校まで年に1回ほど家庭訪問や学校での個別父兄会があった。母は先
生に「悪さをしたらどんどんぶって下さい」と頼んでいた。他の母親もそ
んな感じだったろう。「子供に一度も手を上げたことがない」なんて自慢
気に言う父親はバカにされていた。「親の躾がなってないから兄弟そろっ
てクズだ」なんて非難されたものだ。

1920〜30年、明治末から昭和初期あたりの欧米小説(L.M.モンゴメリ、サ
キ、O.ヘンリ、ステインベックなど)には、先生(住民もクリスチャン)
がムチで生徒に体罰を与えたり、親が子を物置に閉じ込める、食事を与え
ないといった場面が結構ある。子供の教育には洋の東西を問わず、体罰は
当たり前だったのだろう。

軍隊は体罰というか、鉄拳制裁の世界でもあった。職業軍人を目指してい
た父の遺品になった手帳にはこんなことが書かれていた。

<やたらと殴りつける上等兵が満期除隊して数年後、俺の部下として応召
してきた。思い切って殴ってやった>

戦友会などでも理不尽な鉄拳制裁を繰り返したような輩は嫌われ、やがて
姿を見せなくなるとか。

「日本軍は悪逆非道した」とか“告白”する輩は、戦友会でも嫌われた奴が
多かったようだ。一種の意趣返し、下郎の逆恨み。捕虜になると敵の「露
助やチャンコロ、アメ公」(父の言葉)に寝返り、敵の歓心を呼ぶ嘘八百
を言い、喜んで戦友を虐待したりする。洗脳されて帰国するや日共に入党
するような人も多かった。

軍隊は「真空地帯」だからずいぶん理不尽なことが多かった、今でも、ど
この軍隊でも陰湿ないじめや暴力はあるだろう。小生は高校の時に体育会
系の応援団に入部したが、根性を鍛えるとかで1時間の正座、柱によじ
登って30分ほどミンミン鳴く「セミナー」、「修一、声が小さい!」など
と尻を叩かれて大音響で「ミーン、ミーン!」、毎週土曜日の5キロマラ
ソンではどん尻の数人はプラス1キロとか、伝統のしごきで鍛えられた。

周囲を見れば野球部では「ケツバット」「グランド5周」は当たり前だっ
た。卓球部とバスケ部は陸上部並みに走り回っていた。体育会系は多かれ
少なかれそんなものだったのではないか。年に1回の全校(1200人)8キロ
マラソンでは1位陸上、3位卓球、4位バスケ、6位野球とかで、応援団の小
生は20位以内だった。

中間、期末テストの上位50人は掲示板に掲載されたが、運動部の奴らが多
かった。バスケの大津君は東大教授になったが、結構皆いい職業につい
た。小生は入学時はドンケツで青ざめ、「帰宅部の連中はモーレツに勉強
している、余程頑張らないと脱落する」と帰宅するや11時ごろまで勉強し
ていた。

ところが2年生になってから50人リスト入りし、やがて5位以内になった。
「なぜだろう」と思い続けていたが、帰宅部の連中の多くは遊んでいたの
だ。どう遊んでいたかは知らないが、TV、音楽、趣味、デート、ファッ
ション、ショッピング、おしゃべりなどか。試験前の他は家で勉強はあま
りしなかったろう。

運動部の連中は小生同様に皆焦って勉強していたと思う。今思えば文武両
道だ。理系、芸術系の部活の連中でも読書をする奴は早稲だった、「修一
君、司馬遼の『竜馬がゆく』、とても面白いぜ」なんて言っていた。『竜
馬がゆく』を高校時代に読めば、明るい青年になるだろう。少なくともア
カ≒バカにはならない。閑話休題。

体罰・・・家庭でも体罰が過ぎると母親が丸くなって子を抱え込み、「気
が済むように替わりに私を殴って」と守り、父親はそれで正気に戻る、と
いうケースは多かったろう。子供を殺してしまう「折檻死」は多分珍しく
なく、「事故死」と処理されたに違いない。

子供を折檻死させた父親は「あのバカは子供を叩き殺しやがった、手加減
を知らない畜生だ」と相手にされなくなり、引っ越しせざるを得ないと
いった「社会的制裁」を受けたのである。奥さんを殴って顔に青あざを
作った亭主は井戸端会議で所払いの判決が出て消えていった。

(数年後に「奥さんの浮気が原因だった」と分かって、亭主は街に戻った
が、一人暮らしで晩年を終えた。ガチャガチャポンプ式井戸端会議は消え
ていたから舌禍の戦後補償もなし。気の毒だった)

スラブ民族の格言には「馬と女は殴って調教しろ」というのがある。日本
では「鉄は熱いうちに打て」「矯めるなら若木のうち」とかいう。

折檻死、児童虐待を非難するのは分かるが、「体罰=悪」と短絡するの
は、いささか浅知恵ではないか。父親は怒りに任せて行きすぎる傾向があ
るが、母親がブレーキを掛けることで「父は怖い、母は優しい」「それで
も父は家族のために一所懸命に働いた、母は父を大事にした」ということ
が子供心にも分かったのではないか。

モンテーニュは「怒りに駆られた時に下男下女(や敵、捕虜など)を罰す
るな、やり過ぎてしまう。しばし落ち着いてから罰を与えよ」と言う。そ
の通りだろう。「考えてみると自分だって潔白じゃない、人を非難した
り、叩くほど立派だなんてとても言えやしない。一言、諭して、二度とす
るなと注意しておこう」となったりする。それで下男が懲りればいいが、
旦那は甘い、バレなければいいや、となったりしかねないが。

叱ると伸びる子、萎縮する子、褒めると伸びる子、付け上がって怠ける
子・・・いろいろだで、とても難しい。一方で体罰、折檻、鉄拳制裁を受
けずに社会に出たら、そこは激烈な競争社会、理不尽なことも多い戦場、
やわな子は落伍しかねない。クソガキで親父や近所のオッサンからしょっ
ちゅう殴られ、叱られ「ちょっとイタズラしただけなのにゲンコツ3発。
ああ、この世は理不尽だ、弱肉強食、野生の王国だ、俺は絶対トップに
立ってやる」と発奮する子。

どちらが健全か。体罰を受けた方が「タフ」であることは明らかだ。タフ
であり、仕事ができて、弱者にも優しく、子育ても時に厳しく、時に優し
い男・・・理想的な人間は、まあいないわな。

立派な人の子孫には立派な人物はあまりいない。乳母日傘、大事に甘やか
されて育ち、攻撃性がないのは、名門の「守り」に傾くからだろうか。数
代後(せいぜい頑張っても玄孫)にはご先祖様の遺徳はほぼ消えるようだ。
鞭と愛 使いようで 子の禍福(修一)

発狂亭“無恥と哀、終わりなき煩悩”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(132)2017/1/7】【産経】「トランプリス
ク現実に トヨタのメキシコ工場批判」の記事の一方で、「平成29年度見
込み国・地方税収 初の100兆円超」。トランプの景気対策、円安効果も
今のところ日本にプラスになっている。

「子供の頃からプレゼン磨け ユニーク塾 大人気」「対話型授業で活発
議論、発言力伸ばす」

日本(企業)の風土に発言力は馴染むのか。雄弁は銀、沈黙は金の国柄
で、小生の経験だと会議の後の飲み会で、「ところでドーヨ、本音を聞か
してくれ」となって、大筋の方向が決まていたと思う。ペラペラ、アーダ
コーダと喋る奴はほとんど信用されていなかったのではないか。「男は
黙ってサッポロビール」「四の五の言わずに斬る」のが美学だったし・・・

記者で、記者会見の時に質問しまくる口舌の徒は、一時期敬意を集めてい
たが、彼は記者会見で納得するのだろう、記事を書かないのだ。お口は達
者で筆不精、やがて軽視されていった。

「中国、深海データ軍事利用 西太平洋に即時観察網 技術革新、原潜で
米に対抗」。中共が東シナ海でワイヤを垂らしてやっていたのは、やはり
観測機器の設置だった。つぶすべし。(つづく)2019/8/22



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