2019年09月01日

◆1万人の死んだ大気汚染

渡部亮次郎


霧のロンドンは日本の歌謡曲にもなっているほど有名だが、実際の霧はそ
んなのんびりしたものではない。秋だった。ロンドン郊外で貸切バスが霧
に包まれて動きが取れなくなった。

興味から、外に出て驚いた。まるで牛乳瓶に飛び込んだみたい。上も下も
右も左も見えない。急に殴られても相手を確認する事は不可能だ。歌謡曲
でロンドン霧を称えた作詞家はロンドンへ行ったことが無かったに違いない。

このように濃い霧だから、ヨーロッパには悪魔がやってくるのも霧に乗っ
て、凶悪犯も霧に紛れてやってくると考えられている。そんな話をフリー
百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で捜していたら「ロンドンス
モッグ事件(Great Smog of 1952、London Smog Disasters)」が出てき
て驚いた。

1952年にロンドンで発生し1万人以上が死亡した、史上最悪級の大気汚染
による公害事件だという。現代の公害運動や環境運動に大きな影響を与え
た。日本で言えば昭和27年。高校生のころだったから知らずに育った。

ロンドンは冬に濃い霧が発生する事で知られている(実はこの霧も大気汚
染の一つ)が、19世紀以降の産業革命と石炭燃料の利用により、石炭を燃
やした後の煙や煤が霧に混じって地表に滞留する。

それがスモッグと呼ばれる現象を起こして呼吸器疾患など多くの健康被害
を出していた。1950年代までの100年間にも10回ほどの大きなスモッグが
あったが、その中でもっとも健康被害が大きくなったのが1952年である。

1952年12月5日から10日の間、高気圧がイギリス上空を覆い、その結果冷
たい霧がロンドンを覆った。

あまりの寒さにロンドン市民は通常より多くの石炭を暖房に使った。同じ
頃、ロンドンの地上交通を路面電車からディーゼルバスに転換する事業が
完了したばかりだった。

こうして暖房器具や火力発電所、ディーゼル車などから発生した亜硫酸ガ
ス(二酸化硫黄)などの大気汚染物質は冷たい大気の層に閉じ込められ、
滞留し濃縮されてpH2ともいわれる強酸性の高濃度の硫酸の霧を形成した。

この濃いスモッグは、前方が見えず運転ができないほどのものだった。特
にロンドン東部の工業地帯・港湾地帯では自分の足元も見えないほどの濃
さだった。

建物内にまでスモッグが侵入し、コンサート会場や映画館では「舞台やス
クリーンが見えない」との理由で上演や上映が中止された。同様に多くの
家にもスモッグは侵入していた。

人々は目が痛み、のどや鼻を傷め咳が止まらなくなった。大スモッグの次
の週までに、病院では気管支炎、気管支肺炎、心臓病などの重い患者が
次々に運び込まれ、普段の冬より4,000人も多くの人が死んだことが明ら
かになった。

その多くは老人や子供、慢性の患者であった。その後の数週間でさらに
8,000人が死亡し、合計死者数は12,000人を超える大惨事となった。

この衝撃的な結末は大気汚染を真剣に考え直す契機になり、スモッグがす
ぐそこにある深刻な問題であることを全世界に知らしめた。

イギリスでは多くのすす(煤)を出す燃料の使用を規制し、工場などが煤
を含んだ排煙を出すことを禁じる新しい基準が打ち出され、1956年と1968
年の「大気浄化法(Clean Air Act)」と、1954年のロンドン市法(City
of London (Various Powers) Act 1954)の制定につながった。

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。