2019年09月01日

◆雀庵の「井上円了と日本の仏教」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/20(2019/8/31)】哲学者で哲学堂(後の東洋 大
学)を創立した井上円了は幕末の1858/安政5年、浄土真宗東本願寺派の
末寺の子として生まれた。「安政」、政治の安泰を期した元号で、1853年
の黒船来航で火がついた幕末の激動期の真っ最中だ。この年に日米修好通
商条約が締結されている。

円了は1919年、61歳で亡くなったので今年は没後100年。いろいろなイ ベ
ントが催されている。彼はとにかく凄まじい勉強家で、なおかつ凄まじ
い行動家だった。各地で記録が残っているだけでも5000回以上、講演を
行っている。著書は180冊、論文を含めれば軽く1000、2000に達するので
はないか。

円了の名はあまり知られていない。狭い、因循姑息、徒弟制度的になり
がちな学窓の博士、研究者ではなく、その世界を離れた独立自尊、孤峰孤
高の啓蒙家、新思想のアジテーターだった。福翁に似ているが、福翁は文
明開化を急ぐインテリレベルに説き、円了は狐狸妖怪に慄く民衆レベルに
説いた、という印象だ。

浄土真宗の寺に生まれたのなら「門前小僧」以上に仏教徒だろうが、そ
うならなかったのは子供の頃から「何でも見てやろう、解剖、分析、研究
してみよう」という好奇心、批評精神が横溢していたからだろう。

仏教を身近に見れば「ま、癒し系ビジネスね」と小生は思っている。
日本の仏教は基本的に十三派だ。WIKIから。

<日本の仏教は、日本書紀によれば西暦552年に百済よりもたらされ た。
約8470万人が仏教徒であるとされる(2013年統計)。現代では、仏教 と
神道は区別されることが多いが、幕末までは仏と神を一体で不可分とす
る神仏習合の時代であった。

伝統的な仏教の宗派としては、華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台
宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄
檗宗の13宗がある。

文化庁の宗教年鑑の統計によると、現在の日本の仏教徒の大半はいわゆる
鎌倉仏教に属している。浄土宗系(浄土真宗)の宗派と、日蓮宗系の宗派
が特に大きな割合を占めている>

浄土真宗(一向宗、門徒宗、真宗、浄土宗とも)の宗祖は親鸞で、法然
上人の念仏の教えに感化され、『教行信証』を著して浄土真宗の開祖に
なった(1224年)。真宗10派のうち本願寺派が「浄土真宗」、他9派が
「真宗」だという。

(合従連衡は世の常。昨日の敵は今日の友、その逆もあり。キリスト教
や自動車業界は混血ばかりで訳が分からん。日本の野党は今や野合党、カ
ネと議席のためには平気でパンツを脱ぐ。あ、ゴメンね、最初からパンツ
はいてなかったのね)

円了は遠慮会釈なく仏教諸派を叱咤する。

「真宗識無く、禅宗銭無く、浄土情無く、法華骨無し」とわざわざ韻を
踏み挑発し、「念仏は物知らず、禅は頓馬、真言は盆鎗(ぼんやり)、律
は間抜け、天台は阿房、日蓮は馬鹿」

ほとんど挑発だ、「怒ったか、かかってこいよ、怖いか・・・ちっ、イ
ンポ野郎め!」てな感じ。著書「奮闘哲学」にこうも記している。

<世人みな仏教を目して厭世教となすから、仏教は果たして人生を悲観
したる教えなるか否かを一言しておきたい。

外面よりこれを見れば、仏教は全部厭世、悲観の如くなれども、内容に
入りてうかがわば、人生を悲観するものをして、楽観せしめたいという教
えであることが分かる。

釈迦仏が家を出でて山に入られたのは悲観の境涯であるも、菩提樹下に
おいて正覚の悟りを開かれたるは楽観の境涯である。

最初説かれた小乗教(出家して修行した人しか救われない)は厭世を免
れぬけれども、大乗経(すべての人が救われる)に至りては此土寂光(修
一:この世は安らかで、静かな光。理・智の世界)とまで説きたりて、万
法(修一:ばんぽう。物質的、精神的なすべての存在)は有(実在)にし
て空(虚無)にあらざるゆえんを示している。

しかるにその教えがインド、シナなどに行わるるにあたりて、社会の事
情のために厭世の方面にのみ重きを置くようになり、今日にてもわが日本
の仏教家が依然としてその厭世を継続するは、まったく釈迦の本意に背く
ものと思う。仏教は厭世主義にあらずして、活動主義、奮闘主義たれ>

人民が「厭離穢土、欣求浄土」で不平不満を言わずに「あの世で幸せに
なるんだ」と羊のごとく大人しくしている・・・これは為政者にとってと
ても便利、具合がいい。だから仏教は厭世的なのだろう。

洋の東西、宗教を問わず昔から宗教の大スポンサーは為政者だから、ス
ポンサーに逆らう坊主はいない。坊主に逆らう為政者もいない(カノッサ
の屈辱で懲りたらしい。ボリシェベキは宗教を抱き込んだ)。マスコミ、
特にTVは花王、味の素、QP、パナソニック、トヨタには絶対噛みつかな
い。祟りが恐ろしい、「報道しない自由だ、文句あっか!」てな印象。

一流のアジテーターである円了が「葬式仏教でいいんですか」と問う、
あざ笑う、挑発する。しかし、ここまで言われても仏教界は反発しなかっ
た、できなかった。その代わりに徹底的に無視したのだと思う。既得権
益、利権を優先し、社会に貢献する道を拒んだのだ。

第一、反論しようもない。明治18年の東大全学部卒業生の総代で、まる
で知の巨人(ゴジラ)みたいな博学、行動家に論争を挑んでも勝てるわけ
がない、それなら無視、君子危うきに近寄らず、と大人(俗塵界)の保身
でやり過ごしたのだ。

都合が悪いと無視、それを非難されると「誤解を招いたのは遺憾」と引
き籠る。まるで処世訓みたい。

現在の仏教界が家制度、檀家制度の崩壊、少子化などで衰退しつつある
ことはずいぶん前から話題になっている。廃仏毀釈でひどい目に遭ったか
ら、普遍性のない政治と距離を置くのは分かるが、人間としてこの世でど
う生きるべきかを人々にアピールする必要はないか(十七条の憲法、五カ
条のご誓文、教育勅語、軍人勅諭などのように)。

まずはナンジャモンジャのお経を分かりやすく「日本語で」と説くこと
から始めてほしい。キリスト教聖書は結構な頻度で改訂している。かなり
以前から文語体を口語体にしたし、今では「らい病」は「重い皮膚病」
「ハンセン氏病」などと表記を変えつつある。

WHOハンセン病制圧特別大使でもある笹川陽平氏がバチカンを「このバ カ
チン!」と叩きまくっていたからカトリックも同病の意味付け(この世
で最も不浄な汚物)、表記を改めたのかもしれない。泣く子と大旦那の苦
情には逆らえない。

廃寺や墓仕舞いが話題になっている、大旦那、大檀家は死に絶えつつあ
る、これからは中檀家、小檀家、個人がスポンサーになっていく。「お経
は分からないから有難みがある」なんていう時代ではない。自らが変わら
なければ淘汰されるだけだ。

発狂亭“釈迦に説法”雀庵の病棟日記から。昨日は緑色、今日はピンク、
明日はアカ?・・・数年後に日本の野党は限りなく透明に近いブルーに
なっているだろう。「明治〜令和 負の遺産展」なんて絶対当たると思がの。

【措置入院 精神病棟の日々(136)2017/1/9】承前【産経】青木伸行
「読めないトランプ方程式」。

<今年、世界はリベラルなグローバリゼーションへの反動として、ナ
ショナリズムと保守主義が一層台頭し、さらには国際秩序が多極化するこ
とも予想される。その行方にトランプ政権が大きく影響することはない>

新味がない話。

「環球異見 トランプ時代到来」。ワシントンポストやWSJは相変わら ず
困惑しつつも「米国の成功、繁栄を応援しよう」「政治に騒乱はつきも
の」と少しずつ現実を理解し始めたようだ。独アルゲマイネ紙は「仏独選
挙次第でEUは危機にさらされるが、国民は破局を望まない」と一縷の望み
を託している。

小堀桂一郎「正論 国家理性に基づく力の発揮を」。

<現在の日本国が直面している運命に、国民はいかなる覚悟をもって臨
むべきか。我々は言葉の正しい意味での「国家理性」の統御のもとに、国
際関係において存分に力を蓄え且つ、揮うことを躊躇せぬ気概を持たなけ
ればならない>

先生、甘い、甘すぎる。

そもそも米国に防衛を頼んでいるのだから「力」がない。これが現実で、
理性的に考えれば力を発揮することはできない。米国の協力がなければ、
他国からの恫喝、攻撃には降参、尻尾を巻いて屈服するしかない。マキャ
ベリ曰く――

「自国の防衛を傭兵に頼って防御できた国は一つもない」

「おきれいごと」は沢山だ! 現実を語れ! リアルを見よ! 戦力、
戦法を論じよ! 必殺クロスカウンターを教えてくれ! 戦争は理性の沙
汰ではなく、狂気の沙汰だ、「狂」だから討幕でき、対米英蘭の大東亜解
放も成し遂げられたのである、違うか?

天野健作「電通『鬼十則』ルーツは昭和26年の第4代吉田秀雄社長訓示  
半生記残る」。鬼十則と24歳社員の“過労自殺”は関係あるのか? こ
れって創業社長なら皆実践していることだぜ。「才能とは努力する能力
だ」と小生は思っている。社員には言ったことはないが「死ぬ気で頑張
る、鬼になる、吶喊する」は当たり前だった。

仕事はゲーム、スポーツ、喧嘩、戦争であり、「おきれいごと」では済
まない。

騒動屋の多くは嘘八百で銭を稼ぐ、被害者面をする。櫻井よしこ「和解
は追及の始まり」は日本に巣食う売国奴をあぶり出した。嘘八百に対して
「真実を力に、正攻法の戦いをすべきだ」と氏は結ぶが、カツアゲにすぐ
に応じる政府、外(害)務省にそれを求めるのは無理筋。

おきれいごとではなく、報復、制裁、脅迫、恫喝、プロパガンダ、謀
略・・・を総動員して「狂」を発揮しないと、敵の「狂」に負けるのだ。

古人曰く「勝てば官軍、負ければ賊軍」。(つづく)2019/8/31

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