2019年09月04日

◆20億HKドル相当の金塊が香港から

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月3日(火曜日)弐 通算第6183号  

 20億HKドル相当の金塊が香港から逃げ出していた
  香港の経済危機は、富裕層の海外脱出に拍車をかけている

 香港の反中国抗議行動は四ケ月目に突入した。
 第一に刮目するべきは、すでに逮捕者が900名を超えているというの
に、自分の将来を犠牲にしても、香港の自由。というより人間の自由と尊
厳のためには就活も人生も擲つことになるかも知れない行為に、香港の若
者が疾走していることである。

9月2日から再開された新学期。大学ばかりか、高校の授業ボイコットの
呼びかけに1万2000人が応じた。

第二に警察隊のガス弾に対抗して、学生らは火炎瓶、また暴力的衝突に関
しても、戦闘の技量をあげて、まるでゲリラ戦法のように戦術を格段に向
上させていること。往時の全共闘を彷彿させる。ただし火炎瓶は学生を偽
装した警官隊の仕業とする説が香港では有力である。

第三に香港財界を主流とした北京支持派が急速に力を失い、まだ共産党を
礼賛し「愛国」を叫ぶジャッキー・チェンらが香港市民からはまったく相
手にされず、彼のツィッターへの反論は、香港にみならず世界中から数百
万もの反対意見が寄せられて、完全に北京擁護派が浮き上がっているとい
う報道されない事実があげられる。

第四に繁華街の一つで下町の旺角(モンコック)あたりで、先週まで繰り
広げられた中国支持派の愚連隊、マフィアらの抗議集会やデモ隊への襲撃
に対抗して、その拠点に、学生らの戦闘部隊が報復戦に挑んだ。マフィア
も驚くという事態が生じている。

第五にしかしながら、意外な得点をあげたのは、じつは習近平なのだ。
北戴河会議で長老達からつるし上げられたが、香港危機を前にして、むし
ろ習解任とか習失脚ではなく、共産党が一丸となって対応しなければ克服
できないという切羽詰まった危機意識が醸成され、なんと習近平が回避し
てきた中央委員会総会(4中全会)が2年ぶりに10月に開催されることに
なったことだ。

習近平のカリスマも指導力も地に落ちたが、香港危機がバネとなって、彼
の政治生命を延命させた。これこそ、意外な展開である。つまり中国共産
党指導部は香港での抗議集会、デモがかつての東欧を襲った「カラー革
命」の再来となる事態を真剣に懼れ始めたのだ。

まして香港経済の落ち込みが激しく、株式市場は4・8%の下落(2016年
の「雨傘革命」時は2・75%だった。以下括弧内同じ)。

上場数は42%の減(37%)。そして新規公開における資金調達は
87%の落ち込み(29%)と惨憺たる数字が並びだした。

すでに過去3ヶ月のあいだに香港から持ち出されたゴールド(金塊、コイ
ンを含む)は香港ドルで20億ドルに達している。
 香港の経済危機は、富裕層の海外脱出に拍車をかけている 
      
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1950回】         
――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――?田(5)
 ?田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

              △
やがて南京へ。先ず長江河岸の下關に着き、それから対岸の浦口に向かった。

下關で長江の大きさと共に、「下關は小さな港なのに日本、イギリス、ア
メリカ等の河用砲艦、さらに驅逐艦、小さな巡洋艦までが數せきもならん
でいたこと」に驚き、「各國の軍艦の展覧會みたようなものだが、この各
國の軍艦が南京を壓倒しているさまをみて、中國青年が血をわかしたのも
無理はない」と中国青年の心情に思いを馳せた後、「この異樣な威嚇感は
まつたく不愉快そのものであつた」と苦々しく綴る。

長江を渡った先の「浦口は非常に汚い中國人の街だ。街ともいえない暗?
さを感じさせる」。些か揚げ足を取るようだが、さて「非常に汚い」が形
容するのは「中國人」か、それとも「街」なのか。それとも「人」と
「街」の双方なのか。

じつは?田は浦口から汽車で山東省に向かい、その後、満洲を抜けて満
州里で蒙古入りしモスクワに向かっているが、長い車中でのことだった。

!)田の乗った寝台付き客車には「外國人と中國人のブルジョワ的なヨー
ロッパ化した連中だけが乘るらしい」。?田が入っていくと「五分間もた
たないうちに、彼らは荷物をまとめて部屋を出ていつた。どうやら私が日
本人だと知つて敬遠したものらしい」。彼らの振る舞いに「日本人への憎
惡感と壓迫感を感じ」取った?田は、「こうして中國の?養ある人々が日
本人との同席さえも心よく思わないことは私の胸に非常に強い印象をあた
えた」と記す。かくして「帝國主義にたいする憎しみは日常の生活にま
で、實に實に深刻に表現されることにおどろく」のであった。

無数のクリークが発達している「ほとんど平たんな田畑」が延々と続く
から、「まるで河の中を汽車が走つているような感じだつた」。

やがて孔子廟のある曲阜駅に。「プラットホームからおよそ三米も離れ
てたくさんの乞食がずらつと並んだものである」。「この乞食がまた人の
顔だかタドンだかわけがわからないほどまつ?に汚れている。顔の所々に
はでき物ができていて赤かつたり、紫がかつたりしているのだ。こういう
怪物にも等しい連中が老人、婦人、子供ありとあらゆる年ぱいの男女にま
じつてつずいているのはまつたく異樣なものだつた」。

外国人が彼らに小銭を投げ与える。「そうすると乞食の群はまるで戰爭で
も始つたように奪い合うのだ。その樣子をおもしろいと思うのか、さわぎ
がしずまるとまたザァーッとばらまくという風で、まつたく目もあてられ
ない有樣だつた」。

寝台車の中で「中國人のブルジョワ的なヨーロッパ化した連中」から向け
られ「日本人への憎惡感と壓迫感を感じ」たと綴るが、どうやら共産主義
者であるはずの?田だが、「こういう怪物にも等しい連中」が「こういう
怪物にも等しい」状態に陥らざるを得なくなった社会の矛盾は気にならな
かったのか。いや?田の基準からして、「こういう怪物にも等しい連中」
はヒトの部類に入らなかったということか。

ここで?田は「ここのステーションに群がる乞食たち」を「奴れいにもな
れない貧窮者」として、彼らを生みだす社会構造を分析する。

「孔子の生まれたこの地方は早くから發達したところ」だが、「長い長い
封建主義の彈壓の下に人口は増えても土地はなく、農民はまつたくひどい
零細農になつたものと考えられる」。

彼ら「貧農の中から落伍したものが上海、大連、天津その他の開港場に集
まるいわゆるクーリー(苦力)である」。「殊に滿州にはこのクーリーが
大々的に輸出され」、奥地でも工場労働者、農夫、鉄道工夫として「働か
され」、さらに「ウラジオから沿海州まで森林勞働者として流れていつて
いる」。
「おどろくべき人間勞働力の輸出」であった。《QED》
 

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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者
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(読者の声1) 今の人類が最も必要とするものは何か?

マルクスが人類に対して行った重大な犯罪は、ヘーゲルの学問を壊してし
まったこと、否、壊しただけでなく、そのヘーゲルの楽音の輝きを盗み
とって加工し、人類を騙すという詐欺をおこなって、人類を、はてしない
地獄への道へと彷徨い込ませてしまったことです。

そのマルクスの犯した人類への散財の中で、最も基本的かつ重要な罪は、
ヘーゲルが、論理学の歴史を踏まえて創り上げた、画期的な生きた論理学
を壊して、前の時代の論理学である死んだ論理学、すなわちあれかこれか
の形式論理学に戻して、人類の歩みを後退させてしまったことです。

ところが当の本人は、唯物弁証法はヘーゲルの弁証法を前進させたもので
あると思い込んで、いい気になっていたようです。

それが如何に嘘であったかは、その後の歴史が証明しています。事実から
出発する唯物論の立場に立つとしながら、実際には、事実を無視して未熟
な観念を現実に押しつけて、現実からしっぺ返しを受けて、大勢のマルク
スを信奉する人民を飢え死にさせたという、社会主義の輝かしい実績があ
るからです。

また習近平も、そうした歴史的に実証された誤った社会主義の独裁を性懲
りもなく実践しようとして、本来社会主義の主体であるはずの労働者を信
用せずに、弾圧の対象として監視する体制を社会主義と嘯いています。こ
れがマルクスの云う唯物弁証法の実態であり、独裁か民主かのあれかこれ
かの形而上学的でしかない実体なのです。

しかし、この発想は、習近平に限らず、現在の人類の共通してみられる、
今の人類の論理学の現実なのです。

つまり現在の人類には、ヘーゲルの生きた論理学は、残念ながら見あたら
ないという実態だということです。これは、偏にマルクスの罪であり、マ
ルクスが行ったことは、人類に対する重大な犯罪だったということです。
 このような人類の論理学の現状だから、ほとんどの者が、理念と現実と
を統合できず、理念を主張する者は、現実を無視する傾向が強く、現実を
主張するものは単視眼的になって、本質的な議論ができにくいという現実
となっているのです。

ところが、ヘーゲルは、彼の生きた論理学から、普遍性は現実性である、
と理念と現実を統合した見方を示しました。すると、すかさず、マルクス
は、これを根本的二元論だ、と批判しました。しかし実際は、あれかこれ
かの二元論は、マルクスの方で、ヘーゲルはその根本的論理を統合した結
果として、普遍性は現実性であると主張したのです。

先日、「これでいいのか文科省」という討論番組を見ました。

教育の現場で現実と真摯に取り組んでいる人が集まって、鋭い問題提起が
されていました。その中で、理念を現実に押しつけて現実を見ようとしな
いことに対する批判も出されておりました。その一方で、国家像の必要性
が指摘されてはいましたが、そもそも「教育は何のためにあるのか?」と
いう本質的な問題に対する正しい解答を出せずに、苦慮しているようにも
見えました。

こうした議論が、結局のところで行き詰ってしまうのは、民主主義と国家
主義・全体主義とを、あっれかこれかという形で相容れない対極のものと
固定化して捉える、死んだ論理学に囚われているからに他なりません。だ
から、国家主義的な観方をすることが、民主主義に反するものとして憚ら
れ、自主規制されて、本質的な議論をできなくしてしまっているように思
います。

ヘーゲルは、全体と部分、国家と国民とは、互いに否定的媒介を通じて一
体化して捉えることが、まともな学問的なとらえ方である、としていま
す。普遍性は現実性であり現実性は普遍性であるとは、国家は国民である
ということであり、国民は国家であるということです。

だから、この普遍性を現実性化するために、教育は存在するのです。つま
り、教育とは、その国家の普遍性・歴史性を、その国の子供たちにしっか
りと学ばせて、その国の国民として立派に育っていけるようにして、そう
いう国民に支えられて、その国が国家としてまともに発展していけるよう
にするためのものです。

決して、抽象的個人が、人権を盾として、それぞれ自分勝手に自分の好き
なことをして生きていけるようにするためのものではありません。日本の
国家が戦前に比べて劣化し、日本人もそれにもまして劣化している現実
は、そのような教育がずっと行われてきたからに他なりません。

また、その議論の中で、特に気になったことは、「国語の論理学」なる授
業が行われているそうで、そこでは、契約書等を正確に認識できるように
することが、論理学なのだそうです。

ここでいう論理学とは、まさにAはAであってBでない、という形式論理学
そのものであって、今の教育の実態は、それすらもままならないほどに、
論理的認識が育っていない現実があることが話されていました。したがっ
て、その必要性に異論はなさそうでした。しかし、本当に人類に必要な論
理学、今の子供たちが学ばなければならない論理学は、そんなものであっ
てはならないはずです。

なぜなら、それでは人類は、まともな発展を創り出すことはできないから
です。

本当に学ぶべきは、人類史・人類の学問の発展史における、論理学の発展
の歴史を学ぶとともに、かつて人類が到達した最高峰、すなわちヘーゲル
が成し遂げた、生きた論理学、つまり運動体の弁証法の論理学の内実を学
び、それがマルクスによって破壊された結果として、人類の発展は大きく
歪められてしまったこと、その中で、かつての日本は、そのヘーゲルの生
きた論理学を自然成長的に実践してきた世界で唯一の国であることを、
しっかりと教えるべきです(稲村 正治)

 
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