2019年09月06日

◆「きりたんぽ」怖い

渡部 亮次郎


今やご存知のように秋田料理「きりたんぽ」は殆ど「全国区」になった
が、味は全く落ちてしまった。地元秋田では、空港や主要駅で「土産」と
して通年販売する都合上、潰した飯の中に「防腐剤」を入れ始めたので、
「コメの秋田」の美味しさは全く無くなった。

同じ秋田県でも、山形や宮城県に隣接する県南では、きりたんぽは食べな
い。あれは県北のもの。昔は南部藩だった鹿角郡が発祥の地。あの辺に暮
らした熊の狩猟師「またぎ」が作り出したもの、といわれている。だが、
私は秋田県人の癖に、県北に住むようになるまで全く知らなかった。

昭和33(1958)年6月、NHK秋田放送局大館市駐在通信員になって、大館
市内に下宿し、いろいろな取材を始めた。

大館警察署の取材は早朝4時に起きて行く。勿論、他社は誰も来ていな
い。管内の火事、交通事故の一報が沢山入っている。そのなかから適当な
ものを、それなりの文章にして、秋田放送局へ電話で送稿。

受けるのは、当直のアナウンサー。大体新人だ。だが、ローカル放送は午
前6時。その前の5時は仙台から東北地方全域向けの放送。そこでアナウン
サー殿に頼んで仙台に吹き込んでもらう。

仙台の報道課には記者が泊まっている。デスクが昨夜仕組んでいった
ニュースはすべて昨日までのもの。大館発の交通事故や火事は唯一の
「ニュース」だ。かくてNHK仙台発の午前5時の「管内ニュース」は、
毎朝「大館発」だらけ。面白かった。

そのうちに忘年会のシーズンになった。各社の記者は老人ばかり。出世は
止まっているから、官庁や商工会議所にたかって酒を呑むことばかり考え
ている。

こちらは「明日」に望みを賭けている身だから、「たかり」は避けたい。
だが、まだ民放記者の駐在の無い時代。宴席からNHKが欠けると目立つ
とかで、「そこは付き合い」と引っ張られる。

のだから、終いには「きりたんぽ怖い」になってしまった。あれから50年
以上過ぎたが「きりたんぽ怖い」は治らない。2020・1・5


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