2019年09月09日

◆「2049 香港」は「CHINAZI」か?

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月6日(金曜日)弐通算第6189号  

英国、豪州、カナダの中華社会が鮮明に分裂した

英国ロンドンの「中華街華人総会」の会場風景を新華社が中継した。会長
が挨拶にあって「香港の生活は破壊されている。学生達の暴力はいけな
い。『暴民』を排除する香港警察をわれわれは断固として支持する」と発
言した。

驚くべき時代錯誤ととるべきか、いやこれが外国で暮らす中国人の生き延
びる知恵なのか?

かつて香港は英国領だった。

香港返還に際しての条件は「一国両制度」を50年間保証することだったの
である。

また英国は返還前後から積極的に移民受け入れ政策を採ってきた。チャイ
ナタウンはロンドンに宏大に拡がるばかりか、マンチェスターにもグラス
ゴーにもある。

中国支配を嫌って英国へ来たのに、英国の華僑らは、中国共産党が支配し
ようとしている香港の繁栄と安定ばかりを望み、自由や民主を等閑視する
のは何故か?

世代間ギャップが著しいからだと情報通は言うが、むしろ若い世代が香港
警察を支持しているのは、どうやって説明するのだろう。香港では中学生
までもが民主、自由を求めて抗議活動に参加しているというのに?

謎解きは簡単である。香港からの移民枠は終わり、いま英国が受け入れて
いるのは中国本土からの留学生と投資移民である。夥しい留学生は香港か
らではなく、中国大陸からである。かれらはロンドンにある中国大使館に
登録を義務づけられ、その指示に従って五星紅旗を振るために指定された
場所に集まるのだ。

だから英国の中華街が香港政庁を支持しているかのような錯覚の印象が造
られるわけだ。

「一国両制度」は2047年に終わる。あと28年!

そのとき香港もチャイナチ(CHINAZI)の属国になっているのか、
自由社会の一員として高度の自治を拡大しているのか。

若者がいう「生きるか、死ぬかの戦い」は、民主化抗議行動は香港で、ま
だまだ納まりそうになり。

逃亡犯条例を撤回する前、キャリー・ラム(林鄭月峨。広東語で「林」は
ラムと発音)行政長官は、中国国務院の香港マカオ弁事処主任の張暁明と
深センの近くで会合を持っており、条例撤回に関して、中国側の返答がな
かったことから、撤廃黙認と読んだらしい。


 ▲暴動鎮圧の教訓を間違った二つの外国事例に求めた

 ¥この間、キャリー・ラムが部下に命じたのは二つの暴動の収拾方法を
教訓に出来るかという調査だった(サウスチャイナ・モーニングポスト、
9月5日)

第一は、2011年にロンドンのトッテナム地区で発生した暴動。これは
警察官が黒人の容疑者射殺に端を発して暴動となり、商店への略奪がひろ
がり、失業中の若者多数が参加し、合計五名が死亡、多数が負傷した。人
種差別型暴動としてはロスアンジェルス暴動に似ている。

キャメロン政権(当時)は、徹底した厳罰で臨み、SNSで暴動を煽った
若者にも禁固四年という厳罰で臨んで力で封じ込めた。

第二は昨秋から毎週土曜に行われたフランスの「黄色ベスト」「黄色ジャ
ンパー」デモ、スタイルは香港の抗議方式に似通っている点もあるが、物
価高のための賃上げと、マクロン大統領の辞任を要求していた。
フランス政府は譲歩せず、自然消滅を待った。

しかし、香港政庁が教訓として参考にした事例は間違いであり、本来なら
台湾の向日葵運動に学ぶべきだったのである。

台湾政府はいかにして、あの向日葵学生運動を沈静化させたのか?
国民党は学生らの立法院議事堂という未曽有の事態に、徒らに警官隊を導
入して力による弾圧を避け、学生に妥協ポーズを示しながら、次第に軟化
させて学生らが退去するのを辛抱強くまった。

というのも、台湾の民衆は向日葵学生運動を強固に支援し、医療チームな
どを組織し外国語に堪能な人は翻訳チームも組織し、外国メディアに忽ち
にして翻訳文を交付、義援金は遠く海外からも集まっていた。

支援集会には50万人があつまるという民衆のうねりを目にして、馬英九
政権は平穏な解決を目指した。

このスタイルが、2年後の2016年に香港に伝播し、あの「雨傘革命」
に繋がったのだった。
     
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

昭和30年代までの日本は波瀾万丈、人情が溢れた時代だった
 奇遇が奇遇を呼び、不思議な奇縁が取り持って、多彩な人生が展開した

  ♪
桜井修、小河原あや『霧に消えゆく昭和と戦中派』(春吉書房)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 評者(宮崎)は、この本の推薦の辞として以下を書いた。

「美しい日本は昭和時代にあった。(この本は)昭和はるかなれど単なる
郷愁や回顧ではなく、立体的に『あの時代』を凝視した文化論になってい
る。日本人はやさしく清らかに精一杯生きた。昭和の栄枯盛衰、あの日本
の精神は濃霧に覆われ、やがて消えて行くのか?」。

この短文が本書の全体を顕すわけではないが、特徴をのべれば、そういう
ことになる。

 昭和が終わり、平成も終わり、いま令和の時代。つまり昭和は歴史教科
書に述べられる年表枠の「歴史」となって、30歳以下の人には古典的な時
代だという認識になる。

小唄、浄瑠璃、義太夫、浪曲は廃れ、任侠映画は作られなくなり、音楽は
意味不明で無国籍、腰を振るだけのニューミュージックが全盛。日本人の
心の琴線を揺らした情緒豊かな演歌はどこへ行ったのだろう? なにしろ
「歌うたい」のことを「アーティスト」と言うのだから。
 
飲み屋街から流しのギターは消え、赤提灯や縄のれんの居酒屋も少なく
なって、渋谷の恋文横丁はヒッピー風情が闊歩し、一歩横丁へ入ればラブ
ホばかりだ。

本書は「敗戦前後の映画的回想」と副題にあるように、映画が基軸にある
文化論、というより昭和の日常を描いている。やはり郷愁と回顧、懐メロ
の世界である。

インタビュー形式で桜井修氏から豊富な体験談を小河原女史が根掘り葉掘
り聞き出す仕掛けとなっているが、解説を書いている奥山篤信氏を含めて
3人の共通点は『映画』が大好きというポイントである。
だから話がまとまりやすく、回顧のスピードも早い。

主人公の桜井氏は昭和元年生まれ、なるほど三島由紀夫と同年齢であり、
共通の時代認識がきっとある。東大から朝日新聞に入ろうとするが、ひょ
んなことから住友信託銀行に入行、やがては社長、会長を務めた。

評者、そういえば住友銀行最高顧問だった伊部恭之助氏と親しくしていた
時代があり、木内信胤先生が主催した『経済計画会議』では毎月顔を合わ
せた。伊部氏は三島由紀夫の親戚でもあった。

かと言って本書には三島のミの字も出てこないのだが、かわって黒澤明が
登場する。桜井氏は、黒沢作品のなかでも『野良犬』が一番印象的だとい
うので、評者は強く納得した。三船敏郎が刑事役でピストルを盗まれたた
め必死の捜索をする、あの焦燥に満ちた、汗だらけの風貌。三船の熱演で
したね。

3人ほど映画好きではないけれども、評者も結構、ハリウッドの近作を見
ている。種明かしは単純。国際線機内である。欧州を往復すると、たぶん
五、六本。先週もインドネシア往復で四本ほど、日本公開前のハリウッド
映画も観た。

さて映画より、もっと個人的に面白かったのは、桜井氏が石動(いする
ぎ)に疎開していて、バスで40分くらいで行ける金澤に出かけた体験談だ。

戦災に遭わなかった古都に、敗戦弐週間目に着流しの婦人が街を闊歩して
いて驚いたこと。香林坊を歩けば書店が無数にあったことにひどく感心し
たとする箇所である。

金澤の古書街は評者が高校生の頃も自転車で市内全域の古本屋を歩いてい
るが、大宅壮一がきたときは、トラック一杯買っていったという逸話が残
るほど、戦災を逃れたので、重要な書籍があった。

なによりも京都と金沢は奇跡的に空襲を逃れたので戦前の日本文化が連続
していた。金澤に住んだことのある五木寛之の作品も金澤を舞台に選んだ
小説があるが、三島が金澤を描写したのは『美しい星』である。

ただし地付きの金澤人は戦災に遭わなかった所為で、頑迷なほど保守的な
姿勢があり、都市計画が進まず、ところが拙宅は引き揚げ組だったので、
昔の兵舎の馬小屋をベニヤ版で仕切っただけの応急住宅に十年を暮らし
た。旧家の人たちが引き揚げ者を白い目でみていたことを一種戦慄的に思
い出すのだ。

ともかく郷愁と悲哀と懐かしさ、こころが休まる本だった。
       

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。