2019年09月12日

◆ボルトン補佐官、トランプ政権を去る

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月11日(水曜日)通算第6190号  

(速報)
 ジョン・ボルトン補佐官、トランプ政権を去る
   ホワイトハウスで唯一人の日本理解者が居なくなる


 トランプ大統領は、10日、突然ジョン・ボルトン補佐官を解雇した。
「多くのイッシューで意見の対立があったが、ボルトンからの申し出を熟
慮し、政権から去って貰うことにした。かれの貢献度は大きかった」とト
ランプはツィッターした。

 とくにイランを巡る対立が政権内で表面化、ポンペオ国務長官と対立す
ることが多く、板門店における金正恩との会談ではボルトンは同席しな
かった。

 日本にとっては拉致問題で、日本の立場を大きく理解していた人物だけ
に、ホワイトハウスでは珍しい知日派が居なくなることに、トランプ政権
内部のごたごた、整合性のなさが気になるところである。

 まさにワシントン政界で、保守の居場所がなくなった。
批評家のジョージ・ウィルは「CONSERVATIVE 
HOMELESSNESS」と比喩したように。

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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1952回】                 
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――徳田(7)
徳田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

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 凍結した糞尿を車内販売用のお茶を沸かす装置で解凍し、外部に垂れ流
そうというのだ。「目に染みる」ほどの悪臭に苦闘しただろう徳田は、
「(悪臭が)お茶と一緒になつているという所に中國人のニオイや食物に
たいする無關心さがあるのだろう。習慣というものはおそろしい」と苦虫
を潰す。
悪臭は、極東民族大会に参加すべくモスクワに向かう未来の日本共産党
トップを襲う。だが、後には長期に亘って臭い『もっそうメシ』にお世話
になることを考えると、?田の人生は臭いモノと切っても切れなかったと
いうことか。

 列車が中国と満洲とを限る山海関駅に到着するや、プラットホームで
「一連隊ほどの軍隊がずらりとならんでいた」。「まつたくだらしないさ
さげ銃」の兵士に迎えられて列車から降り立ったのは「中肥りの顔のだら
りとした男」。満洲の実力者で知られた「黒龍江省督軍張某」だった。

 ?田は食堂車での「いやまつたく驚くべき」風景を綴る。
 食堂車の半分を占めた一団の中央に「例の將軍がゆうゆうと坐つてい
て長いキセルで煙草をふかしている。その周りには二十歳から四十歳位の
女が五、六人も並んでいる。第一夫人から第五、六夫人までだということ
だつた。その反對側に彼の幕僚であろう十四、五人が二列三列にだらしな
い恰好でテーブルを圍んでいる」。「ガチャガチャとマージャンをやつて
いるのだ」。そのうえ「これらの夫人や幕僚のそばには札の束がおいてあ
る」。つまり、そこは「全くのバクチ場だ」った。しかも「外國人の客が
食事をしているその隣で公々然とやつているのだ」から、やはり「ここに
妙味があるのではないか」。

 「その當時の中國の軍閥の首領の生活がこれである」。であればこそ
「戰爭のできないのも當然であつた」。しかも「妾連中のドロンとした恰
好はすべて阿片飲みの特徴」を表している。かくて?田は、「結局軍隊は
りゃく奪のための、そしてまた戰爭ごつこの示威運動の道具以外には役立
たないことが明かではないか」と。

 列車を離れた?田は、子供の時から気になっていた山海関に足を向け
た。「どんなに素晴らしい大きな關所だろうか、どんな大きな城と連なつ
ているのだろうかと想像していた」が、実際に目にして「貧弱なので呆れ
てしまった」。「かくべつ城らしいものはなくて、(中略)山海關の大き
な石垣の壁がぶち抜かれてトンネルになつているだけだつた」と落胆の色
を隠さない。

 じつは?田だけではないのだが、多くの日本人は中国の「城」を、天守
閣を構えて豪壮・華麗な日本の城と勘違いしている。彼らの指す「城」は
城壁であって、日本式の城郭ではない。北京城、南京城・・・鳳凰城など
など。中国では都市を「城市」の2文字で表すが、それは「城壁」に囲ま
れた内部で人が「市(あきない)」をするからである。

 ところで改めて?田は豪壮で長大な万里の長城を作り上げた始皇帝時代
の力と共に、「これほど古代の實力のあつた大帝國のすべてが今は世界を
通じての最も發達していない國におちていること」、さらには「中國はた
いへんなどろ沼の中にいつまでも停滯していたという事實」にも驚嘆する。

 長城建設には「ばく大な人間勞働力を無茶苦茶に使つた」。「つまり奴
隷制度によつて人間勞働力を驅仕した」。
「その奴隷的な状態がいつまでも農村に停滯して、それを基礎に軍事的彈
壓が重ねられていつたためすべての成長が停滯した」。それゆえ「被支配
階級に蓄積された力が、つねに革命によつて高進し、しだいしだいに下か
ら上までのしあがつて行く――換言すれば革命が階級の解放をもたらし、つ
ぎつぎに發展して行く」。「私がこの長城をみて人類解放のための革命の
必要を一層深く痛感した」。流石にトッキュウだ。
《QED》

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知道中国 1953回】                  
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――徳田(8)
徳田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

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 徳田は満鉄で長春に向かう。「汽車の内部は中國の列車よりもずつと小
ぎれいにできていた。だが何となはしに日本流の小じんまりしたところが
あり、いかにも日本官僚の支配らしいニオイがした」。

 長春で投宿した旅館は「全然日本風でこの寒い北滿にどうしてこうい
う馬鹿げたことをするのか何としても理解することができなかつた」。旅
館の構造に象徴されているように、「日本人は氣候や風土に適應して生活
をたてることを欲しないように思える」。気候・風土の違いを無視するか
のように、何処に行っても「日本風の生活をやるのである。これでは生活
に適應性がなく根強く腰をすえることができないのが當然であろう」。か
くして「だかう(ら?)早く日本え歸りたくなるのだ」。

ここからは、徳田による在満日本人論である。
「滿州などに行つている者は結局早くもうかる山師になりたがる」。だ
から「中國人をだますか日本から入つて來る者をだましてかすめ取るかそ
んなことばかりに血をわかすことにな」り、「全體としてきわめて質の惡
い商賣に引きずられて行」き、「中國本土はもちろんのこと滿州でも非常
に日本人はきらわれている」。
そこで「同じ植民地であつても、外國帝國主義の植民地よりは日本の植民
地の方がはるかに惡政をしき猛烈な排斥が起こるのは無理のないこと」と
か。どうやら同じ「帝国主義の植民地」でも優劣があるらしい。

!)田は「滿州でたびたび排日ボイコットが起」る要因の1つに「中國國 民
政府の勢力が滿州にはびこつて來た」ことが挙げるが、「他の大きな原
因」として日本が主とする軽工業と満洲土着資本との激しい対立を指摘す
る。つまり「全體として鋭く滿州の中國民族と對立することになったか
ら」、「全面的に排日鬪爭が起つたのも無理はない」というのだ。

かくして「日本人が氣候や風土に適應しないでおこなつた惡らつなりやく
奪政策は中国國人の反抗をたかめる基本要因の一つであつたろうことを痛
感するのであ」った。

 長春からハルピンへの旅で乗ったロシア側の列車に「入つてみるとと
ても汚い」。
それというのも「(ロシア)革命後はほとんど修繕もせず放たらかしのま
まなのだろら(う?)」。

地図を片手に、好奇心に任せてハルピンの街を歩く。
あちこち歩きまわっているうちに街外れの棺桶屋街に出る。「家という家
はいろいろな棺おけの製造屋」で、「嚴丈にこしらえた寝棺がもち菓子の
ようななだらかな曲線をえがいた六尺もあろうかというフタがかぶさつて
いる。そして表面は?色や赤や青やいろいろ色とりどりにぬつてある」。
「材料も丈夫なもので、板もなかなか厚いものを使つている。そしてフタ
をかぶせたところも密封されるようにできている。ロウを塗つたりして臭
氣の發しないような装置もしてある」。

これら棺は「中國人がこの土地に埋めるのではなくて山東や華北の故郷
に死體を送るためのもの」である。
「故郷に死體を送る」ビジネスを運棺(または運柩)業といい、中国人の
「入土為安(死後は故郷の土に還りたい)」という願望に応じたものだ。
「山東や華北の故郷に死體を送る」ということは、ハルピンとその近郊に
住む中国人の多くが山東や華北からの出稼ぎということを物語っているの
である。

ハルピンはロシア革命後の混乱の渦中にあった。とはいえ「ツァール・
ロシアは亡びても明らかにロシア人の勢力下にあった」。
「中國人はまつたく奴隷的な状態におかれていた」。「正規のツァール軍
隊は壊滅し」、「ツァール軍隊の將軍連は自分の娘や妻を人肉の市の商品
に提供し、彼らが牛太郎をつとめているという話であ」り、「私もその片
りんを二、三見た」。ハルピンでは「ツァール・ロシアの殘物共」が最後
の足掻きを見せていた。
《QED》 
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読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS 
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(読者の声1) 「指の丸印が110番」
今進行中の香港の民主化運動ではメンバーは110番の意味で親指と一差し
指で○を作るという。
こうしたシグナル技術は支那で発達していた。それが復活し始めたのでは
ないか。
丁度手元の歴史読本誌の88年3月号を見ていたら、天地会、三合会など、
支那の秘密結社の会員のシグナルが出ていた。例えば胸に指三本をあてる
などして所属組織を示すものだ。
また青幇では、会員が旅先で金に困るとテーブルに帽子を上向きに置き合
図した。するとこれを見たメンバーはその人物の所属、地位、等を確認し
て支援したという。これは、乱世の続く支那における互助会であったのだ
ろう。
 1949年に支那共産党は政権をとるとこうした秘密組織をすべて摘発し滅
ぼした。しかし秘密結社の活動は今でも海外などで続いているという。法
輪講もその一つであろう。
共産党の暴政に苦しむ国民は自衛のためには互助組織を作るしか方法がな
いのだ。実際共産党も秘密結社の一つだった。なおこの本は宮崎正弘先生
も「亡命革命組織」中国之春を寄稿されている。
 また驚いたのは,あの有田ヨシフ氏がジャーナリストとして、支那事変
の日本の講和努力である桐工作の内幕について興味深い記事を書いていた
ことである。偽の宋子良の正体である。
蒋介石は内心では自分が損する対日戦を止めたかったが,1936.12.12の
西安事件でスターリンの指示を受けた共産側に捕らえられ降服していたの
で止めることが出来なかった。だから日本との講和交渉の目的はもっぱら
日本の情報を取るためであったから支那事変の収拾に苦しむ日本側の20回
以上に及ぶ講和交渉努力は初めから無駄だったのである。
 なお蒋介石が本気で和平を望んだのは1945.3のミョウヒン工作で、国共
内戦再開に備えて日本軍十万を貸して欲しいというものだったという。し
かし遅すぎた。
日本は蒋介石の盧溝橋事件に始まる計画的な挑発に激昂し支那の泥沼の国
共内戦に引きずり込まれ大損害を被った。ロシアの諺によれば、「神は滅
ぼそうとする者の理性を最初に奪う」と言う。
今の日本も危険な状況にある。国民は国際関係の冷厳な大原則を知って感
情論に巻き込まれない冷静な対応が必要である。
   (落合道夫)
     ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆  
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 訃報 
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安部譲二(あべじょうじ)氏
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 三島由紀夫『複雑な彼』のモデルといわれた安部譲二氏が亡くなった。
数年遇っていなかったので、風の便りにガンの悪化は聞いていたが、海外
から帰って不在時の新聞を通読していたら死亡記事に接した。享年82歳。
 新聞の記事は安部のダークサイドは伏せて、日航のパーサー、キックボ
クシングの解説者、麻布中学では橋本元首相の同級生だったなどと書かれ
ていた。
 思い返せば、安部氏との出会いは半世紀ほど前、当時まだ彼は小金井一
家の代貸しで、小型の車にいつも違う女を伴ってあらわれ、ふっと三週間
ほど顔を見せないと思えば、留置所で21日間の拘留だったり、ある時は
「飯を食いに行こう」と誘われ、青山学院大学の裏手の蕎麦屋で、食べる
は食べるは! どんぶりの大盛を三つ、とりあえず胃に収めてから、鴨南
蛮にざるそばに某某にと合計九品目、ときおりおなかをさすりながら、
「おっ、まだ入るわい」と言う。
こんな暴飲暴食をやっていれば胃ガンか大腸ガンになるだろうなぁと思っ
ていたが、発見時は大腸癌末期だった。新聞発表は肺炎になっているが。
 彼の言い分は「麻雀の徹夜が続いたりすると三日ほど食べないことがあ
るからだ」。
 三島由紀夫が彼をモデルの思いついたのも、その奇行ぶりからだろう。
 夜、ふらりと事務所にやってきては奇想天外な話、おなかを抱えて笑う
話など、話術も巧みで、そのうえ大袈裟な身振りだ。
彼がかえってから「いまの話を書留めておけば小説の題材になるぞ」と誰
かが言ったが、後年、安部自身がすべてを小説にした。
 『塀の中の懲りない面々』の上梓をしばらく筆者は知らず、(彼の本名
は安部直也なので、安部譲二は他人と思っていた)、ある日、地方のホテ
ルでテレビを観ていたら、特集をしていて、懐かしい彼の顔を出たときは
驚いた。数年刑務所に入っていた筈だから。
 それゆえ十年ほど空白があるが、再会したのは、週刊現代の某編集長の
出版記念会、ついで文春の雑誌編集長の再婚式でもばったり、すっか前田
正晶り堅 気、それも第一線の編集者と交流し、小説家が様になっている
ではないか。
合掌

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