2019年09月18日

◆「香港は燃えているか?」

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月16日(月曜日)弐 通算第6198号 

「香港は燃えているか?」。「ええ、本日(9月16日)で百日目になり
ます」
  またも香港の中心街は火炎瓶、ショットガン。乱戦、混沌。駅が燃や
された

 9月16日の日曜日。前夜のランタン祭り、中秋の名月が政治色濃厚な
集会や抗議活動になったが、ひきつづき香港の随所で抗議活動が行われ
た。夕暮れとともに「ブレーブス」と呼ばれる武装集団が登場、金鐘駅周
辺から政府庁舎へ火炎瓶と投石を始めた。

 「ブレーブス」(勇敢)と呼ばれるようになった「民主派」側の武装集
団の実態は謎のベールに包まれている。
毎回、黒服、ヘルメット、特殊ゴーグル、手袋、ガスマスクで顔を隠す一
方、火炎瓶などが周到に用意されている。きっとアジトがあり、軍資金も
必要だろう。行動も統率がとれており、動作がきびきびしている。だから
軍人が民主行動の波に混入しているのではないか、中国の工作隊ではない
か、という疑念が以前から囁かれてきた。

デモ行進や集会の一般参加者は香港市民であり、穏健派である。ただし多
くが放水を避けるため傘を持参している。乱闘がときおり発生するのは警
官の乱暴な遣り方にいきり立つ付和雷同組、行きがかり上、乱戦に加わる
地元のチンピラ、失業者など、逃げ遅れて巻き添えとなり、あげくに拘束
されるのは一般市民のハプニング組が多い。

当局によって穏健派の「民戦」が申請した集会が禁止されたため、9月
15日の行動は、SNSによる呼びかけに自発的集まった参加者だ。みる
みるうちに数万人。日頃の逆コース、解散予定地だった銅鑼湾から湾仔、
金鐘、中環へと行進をはじめ、平和的な行動で、メインストリートは参加
者で埋め尽くされた。「リンゴ日報」は参加者が十万と報じた。

英国領事館前にはおよそ千名が結集し、「英国は何をしているのか、香港
の自由のために協力せよ」とユニオンジャックの旗をなびかせながら訴えた。
 
 午後五時ころから武装集団が火炎瓶を投げ始め、警官隊は催涙ガス、放
水車で応戦、乱闘現場では警官隊がショットガンを構えた。

 地下鉄の金鐘(アドミラリティ)駅は先週と同様に入り口にバリケー
ド、道路工事用のプラスチック標識や段ボールが摘まれ、放火された。
火は燃え広がり、付近を明るくした。火傷による重傷者がでた。駅に設置
された監視カメラは殆どが破壊された。
またこの日予定されていたテニスのトーナメント予選会、音楽会などは中
止を余儀なくされ、この夜の逮捕者は49名と発表された。英紙ガーディ
アンは「逮捕者は千名」と報じたが、これは累計数字だろう。

 穏健派の別グループ「香港人権擁護」(CIVIL RIGHT 
ADVOCATES=香港では「香港民権抗争」と名乗る)は、台湾へ活
動家を派遣し、連帯を呼びかける署名運動。台湾各地にもレオンの壁があ
らわれた。

「香港は燃えているか?」。
15日で連続99日、本日でちょうど百日目。
香港は燃え続けている。
      

  ♪
樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1956回】               
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――?田(11)
!)田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

      △
 ここで徳田の目は日本に転ずる。「日本でも古くから三井、大倉、高田
という財閥が、この古武器商賣をやつていた。むろん中國えの輸出であ
る」。こういう商売は「各國の條約で禁止されている」が、「平氣で政府
の援護の下にこのボロい商賣が行われた」。「これらの財閥がとくに陸海
軍御用商人であつたことを忘れてはならない」。
「こういうやり方が日本軍閥の本性なのである。天皇の支配の下に世界平
和をめざすという、あの八紘一宇を讀者は思い出すであろう」。

当然、徳田は非合法活動に従事しているわけだから、要らぬゴタゴタは
起こしたくない。南京では旅館のボーイが部屋に「いきなり十四、五くら
いの娘を二人つれてきた」。もちろん「うしろには、卅代の女がちやんと
ついている」。そこで?田は「ははア」と察した。「要するに娼婦なの
だ」。そこで「さて知らない國のことだし、重大な任務をおびているの
で、これが因でけんかを始めたりしてどんな災難が降つてかかるかしれな
いと思つたから」、幾許かの金を渡して「『かえれ』と手ぶりをした」そ
うだ。
はて「要するに娼婦」だったのか、それともハニートラップか。

ところが「金をもらつたからには、そう簡單にはかえれません」。脅迫
ではなく、「金をただもらつて追い拂われるのが心外だといつた樣子」。
だが「どうもこちらも相手にする氣はない」。さんざん手こずったが「よ
うやくのことで撃退できた」そうだ。

 じつは『わが思い出 第一部』は単行本として出版される以前に共産党
機関紙『アカハタ』に連載されたというが、この件を当時の生真面目な読
者はどのように受け取っただろうか。
「これでみると南京の町は一種の腐敗だらくした女郎屋の町といつてもい
いくらいで」、それというのも「地方の土ごう連中が地方では得られない
享樂を求め集るのと」、「地方の戰爭や殺人強盗の難をさけて南京によつ
て來るから」であり、要するに「他にする仕事はなく、享樂を追い求めて
暮らすばかりになつている」。

 徳田の南京に対する発言を今風に言い換えるなら、さながら徹底したヘ
イト・スピーチということになるだろう。それはそれとして首を傾げるの
が、徳田が南京大虐殺の一件に一切言及していないことである。

たしかに?田の南京滞在は1922(大正11)年であり、南京大虐殺が行わ
れたとされる1937(昭和12)年の15年前に当たる。『わが思い出 第一
部』が出版されたのは1948(昭和23)年であり、それ以前に『アカハタ』
に連載されているはず。
だが南京大虐殺が日本軍の「戦争犯罪」として告発された極東国際軍事裁
判が行われたのは1946(昭和21)年5月から1948(昭和23)年11月まで。
つまり同裁判と同時並行的に『アカハタ』連載が行われ、『わが思い出 
第一部』が出版されている。

にもかかわらず、「一種の腐敗だらくした女郎屋の町といつてもいいく
らい」の南京で起こったと言われる南京大虐殺についての言及が一切な
い。ということは徳田は南京大虐殺に興味を示さなかったのか。それとも
デッチ上げのヨタ話と考えていたのか。

 いずれにせよ、南京大虐殺に対する敗戦後数年間における日本共産党
幹部の「立ち位置」が浮かび上がってくる。『わが思い出 第一部』から
判断する限り、故意か偶然か、あるいは特別の理由があってかは不明だ
が、徳田が南京大虐殺に関心を示すことはなかった。

 南京を後に上海へ。日本式旅館で働く女性たちは「いずれも天草、島
原、長崎あたりの人々」で、「中國全體からシンガポールあたりまで賣ら
れて行く哀れな娘子軍である。女中とはいいながら、何かしら一種變つた
ふぜいを帶びている」。
村岡伊平次の世界か。
《QED》
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読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS 
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(読者の声1)経済評論家の言をみていて、違和感があるのはネオコンの
ボルトン補佐官がトランプによって解任されたので、政権に強硬派がいな
くなり、今後、米中貿易戦争は緩和されるという、明らかな基盤のない論
説です。
 米中戦争は貿易戦争の段階から、技術覇権争奪戦、そして金融戦争へ移
行するだろうと宮?さんは著作などで予測されていて、ボルトン解任の動
きとは無関係ではないかと思いますが、如何でしょう?
  (GH生、横浜)


(宮崎正弘のコメント)対中強硬派は議会とメディアです。とくに民主党
は人権がらみで中国制裁を言っていて、むしろ緩和を言ってきたのがトラ
ンプですから、分析はあべこべに近いですね。
 それからボルトンが「ネオコン」というのは明らかな間違いで、保守の
人です。ネオコンというのはアービン&ウィリアム・クリストル親子が代
表するように元トロツキストからの転向組で、ユダヤ系が多い特徴があ
り、その親玉がチェイニー元副大統領などと言われましたが、チェイニー
元副大統領も、ネオコンではなく、政策がときおり一致したにすぎません。


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