2019年09月21日

◆世界から見た皇室

加瀬 英明

世界から見た皇室――令和の御大典を寿ぎて

私は昭和天皇が崩御されて、殯宮伺候(ひんきゅうしこう)の1人としてお
招きをうけたほかに、何回か新宮殿にあがったことがある。

私はそのたびに、ヨーロッパの絢襴豪華な宮殿や、歴代の中国の皇帝が住
んだ北京の故宮と較べて、日本の皇居は何と違うのかと痛感する。

新宮殿のなかには金銀に輝く装飾や、人々を威圧する財宝が一つもない。
神社の雰囲気が漂っている。

皇居の杜に囲まれた宮殿の建築様式は、日本に上代から伝わる高床式で、
屋根に千木が組まれている。

天皇陛下がおわされるところに、まことにふさわしい。日本の国柄が表れ
ている。天皇が権力者ではなく、千古を通じて日本を精神的に束ねてこら
れたことを、感じさせられる。

私が親しくしてきた外国の元首も大使たちも皇居を訪れると、異口同音に
諸外国の宮殿とまったく異った空間であることに驚いたと、語っている。

天皇に拝謁した外国人は口を揃えたように、陛下が世界でもっとも謙虚な
人であられると述べている。歴代の天皇は「私」をお持ちになることがな
く、日本だけでなく、全世界の平和を真撃に祈ってこられたからだ。

私はアメリカの未来予測の大御所といわれた、ハーマン・カーン博士
(1922年〜83年)と親しかった。ハドソン研究所の創設者だった
が、著書『超大国日本の挑戦』によって知られていた。博士が来日した時
に、高松宮宣仁親王殿下の高輪の御殿にお連れして、御紹介したことが
あった。

その時に、殿下が兄宮に当たられる昭和天皇について、「私たちはせいぜ
い百年前後しか考えないが、(昭和天皇は)つねに、これまでの2000
年と、これからの2000年の時間によって、お考えになられている」と
仰言ったので、饒舌な博士がしばらく黙ってしまった。

外国人識者による日本論といえば、イギリスの大記者だったヘッセル・
ティルトマン氏(1897年〜1976年)を忘れることができない。戦
前、イギリスの名門日刊紙『ザ・ガーディアン』東京特派員として来日
し、戦後、日本に戻って吉田茂首相の親友として知られたが、在京の外国
特派員協会会長もつとめた。

私は当時からアメリカの新聞に寄稿していたが、26歳の時にティルトマ
ン記者の知遇をえて、戦前と占領下の日本における体験をきくうちに、目
を開かれることが多かったので、新潮社に話して同氏の回想録を『週刊新
潮』に、昭和40年に36週にわたって連載した。

このなかで、ティルトマン氏は満州国を絶賛するなど、日本の行動を擁護
している。 

そして、日本が建国以来国柄を変えることなく守ってきたことを、「日本
は2600年古い国ではない。2600年も新しい国だ」(『日本報道三
十年』、平成28年に 祥伝社が復刊)と述べている。

ティルトマン氏は私に「日本は古い、古い国であるのに、外国と違って廃
墟となった遺跡が一つもないのは珍しい。皇室が万世一系で続いているの
を説明しています」といって、伊勢神宮など多くの神宮や神社が20年あ
まりの周期で、式年遷宮―昔の姿のまま忠実に造営されていることをあげた。

私はギリシアのアテネで古代アクロポリスの丘にたつパルテノン神殿を訪
れたことがあるが、今日のギリシアのありかたとまったく無縁である。

私は『源氏物語』や、川端康成文学の名訳者として知られた、エドワー
ド・サイデンステッカー教授(1921年〜2007年)とも親しく、上
野池の端で催されたお別れの会で献杯の言葉をのべたが、口癖のように
「わたしは明治翻訳語の『指導者』という言葉が、大嫌いです。日本は和
の国です。最高神の天照御大神も権威であっても、権力はなかった」と嘆
いていた。

日本では、神代のころから合議制の「和」の国だったから、英語のリー
ダー、ドイツ語のフューラーに当たる言葉が存在しなかった。

日本の浮世絵を中心としたジャポニズムが、幕末から明治にかけて、西洋
の絵画、庭園、建築、服飾などに深奥な影響を及ぼしたが、視覚的なもの
にとどまった。

いま、日本の万物に霊(アニマ)が宿っているアニメや、日本発のエモジ、
自然と一体の和食から、人と自然が平等だというエコロジーまで、かつて
のジャポニズムをはるかに大きく超える、日本の心の高波が世界を洗って
いる。

ヨーロッパ、アメリカでは、エコロジーが新しい信仰となって、一神教を
置き換えつつある。日本の和の心がひろまることによって、抗争に明け暮
れる人類を救うこととなろう。

日本文化への共感が増すなかで、天皇の御存在に対する理解が、いっそう
深まることとなってゆこう。



加瀬 英明

世界から見た皇室――令和の御大典を寿ぎて

私は昭和天皇が崩御されて、殯宮伺候(ひんきゅうしこう)の1人としてお
招きをうけたほかに、何回か新宮殿にあがったことがある。

私はそのたびに、ヨーロッパの絢襴豪華な宮殿や、歴代の中国の皇帝が住
んだ北京の故宮と較べて、日本の皇居は何と違うのかと痛感する。

新宮殿のなかには金銀に輝く装飾や、人々を威圧する財宝が一つもない。
神社の雰囲気が漂っている。

皇居の杜に囲まれた宮殿の建築様式は、日本に上代から伝わる高床式で、
屋根に千木が組まれている。

天皇陛下がおわされるところに、まことにふさわしい。日本の国柄が表れ
ている。天皇が権力者ではなく、千古を通じて日本を精神的に束ねてこら
れたことを、感じさせられる。

私が親しくしてきた外国の元首も大使たちも皇居を訪れると、異口同音に
諸外国の宮殿とまったく異った空間であることに驚いたと、語っている。

天皇に拝謁した外国人は口を揃えたように、陛下が世界でもっとも謙虚な
人であられると述べている。歴代の天皇は「私」をお持ちになることがな
く、日本だけでなく、全世界の平和を真撃に祈ってこられたからだ。

私はアメリカの未来予測の大御所といわれた、ハーマン・カーン博士
(1922年〜83年)と親しかった。ハドソン研究所の創設者だった
が、著書『超大国日本の挑戦』によって知られていた。博士が来日した時
に、高松宮宣仁親王殿下の高輪の御殿にお連れして、御紹介したことが
あった。

その時に、殿下が兄宮に当たられる昭和天皇について、「私たちはせいぜ
い百年前後しか考えないが、(昭和天皇は)つねに、これまでの2000
年と、これからの2000年の時間によって、お考えになられている」と
仰言ったので、饒舌な博士がしばらく黙ってしまった。

外国人識者による日本論といえば、イギリスの大記者だったヘッセル・
ティルトマン氏(1897年〜1976年)を忘れることができない。戦
前、イギリスの名門日刊紙『ザ・ガーディアン』東京特派員として来日
し、戦後、日本に戻って吉田茂首相の親友として知られたが、在京の外国
特派員協会会長もつとめた。

私は当時からアメリカの新聞に寄稿していたが、26歳の時にティルトマ
ン記者の知遇をえて、戦前と占領下の日本における体験をきくうちに、目
を開かれることが多かったので、新潮社に話して同氏の回想録を『週刊新
潮』に、昭和40年に36週にわたって連載した。

このなかで、ティルトマン氏は満州国を絶賛するなど、日本の行動を擁護
している。 

そして、日本が建国以来国柄を変えることなく守ってきたことを、「日本
は2600年古い国ではない。2600年も新しい国だ」(『日本報道三
十年』、平成28年に 祥伝社が復刊)と述べている。

ティルトマン氏は私に「日本は古い、古い国であるのに、外国と違って廃
墟となった遺跡が一つもないのは珍しい。皇室が万世一系で続いているの
を説明しています」といって、伊勢神宮など多くの神宮や神社が20年あ
まりの周期で、式年遷宮―昔の姿のまま忠実に造営されていることをあげた。

私はギリシアのアテネで古代アクロポリスの丘にたつパルテノン神殿を訪
れたことがあるが、今日のギリシアのありかたとまったく無縁である。

私は『源氏物語』や、川端康成文学の名訳者として知られた、エドワー
ド・サイデンステッカー教授(1921年〜2007年)とも親しく、上
野池の端で催されたお別れの会で献杯の言葉をのべたが、口癖のように
「わたしは明治翻訳語の『指導者』という言葉が、大嫌いです。日本は和
の国です。最高神の天照御大神も権威であっても、権力はなかった」と嘆
いていた。

日本では、神代のころから合議制の「和」の国だったから、英語のリー
ダー、ドイツ語のフューラーに当たる言葉が存在しなかった。

日本の浮世絵を中心としたジャポニズムが、幕末から明治にかけて、西洋
の絵画、庭園、建築、服飾などに深奥な影響を及ぼしたが、視覚的なもの
にとどまった。

いま、日本の万物に霊(アニマ)が宿っているアニメや、日本発のエモジ、
自然と一体の和食から、人と自然が平等だというエコロジーまで、かつて
のジャポニズムをはるかに大きく超える、日本の心の高波が世界を洗って
いる。

ヨーロッパ、アメリカでは、エコロジーが新しい信仰となって、一神教を
置き換えつつある。日本の和の心がひろまることによって、抗争に明け暮
れる人類を救うこととなろう。

日本文化への共感が増すなかで、天皇の御存在に対する理解が、いっそう
深まることとなってゆこう。


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