2019年09月22日

◆紫式部と「和紙」の縁

  毛馬 一三


「源氏物語」の作者紫式部が、どうしてあのような長編小説「物語」を書くことができたのか。

実は、父親の藤原為時が、都から遥か離れた「和紙」の里・福井県越前の武生に、国司として転任したの伴いに一緒に移住してきたことに、深い縁がある。そのことは追々。

福井県越前市には「和紙の里」がある。その越前市新在家町には「越前和紙の里・紙の文化会館」と隣接する「卯立の工芸館」、「パピルス館」があり、越前和紙の歴史を物語る種々の文献や和紙漉き道具、越前和紙歴史を現す模型や実物パネルなどが展示されている。

「パピルス館」を訪ねて、紙漉きを約20分掛けて自分の手で作くる作業の体験が出来たのは、圧巻だった。

流し漉きといって、漉舟(水槽)に、水・紙料(原料)・ネリ(トロロアオイ)を入れてよくかき回したあと、漉簀ですくい上げ、両手で上下左右に巧みに動かしていくと、B5くらいの「和紙」が出来上がる。まさにマジックの世界だった。

ところで、この「越前和紙」の由来だが、今から約1500年前、越前の岡太川の上流に美しい姫が現れ、村人に紙の漉き方を伝授したからだという伝説がある。

山間での田畑だけに頼り切って乏し過ぎた集落の村人にとっては、この紙漉きの伝授で村の営みは豊かになり、以後村人は、この姫を「川上御前」と崇め、岡太神社(大瀧神社)の祭神として祀っている。

<その後大化の改新で、徴税のため全国の戸籍簿が作られはじめたことから、この越前「和紙」が、戸籍や税を記入するために欠かせない資材となった。

この思いがけない制度発足で、越前で大量の和紙が漉かれ出した。加えて仏教の伝来で写経用として和紙の需要は急増。「紙漉き」は、越前の地に根ざした地場業として大きな発展と村の利益増大を遂げている>。

さて本題。

長編小説「源氏物語」の作者紫式部は、執筆に取り掛かる6年前の24歳の時(996年)、都から遥か離れた「和紙」の里・越前武生に移住してきた。

何故かというと、冒頭記述のようにご当地の国司に“転勤”となった父・藤原為時に連れだってきたのだ。

「和紙」の里・越前武生に居住することなったことで、山ほどの「和紙」に囲まれて、存分に文筆活動に励めた。当時、都で如何ほど「和紙」が手に入ったのかは、専門家も把握していないが、当時の物書きには、喉から手が出る程の貴重な「和紙」だったことは、間違いない。

藤原為時は、中級の貴族で、国司の中で実際に任地へ赴く“転勤族”だったそうで、996年一旦淡路の国(下国)の国司に任命されるが、当時の権力者・藤原道長に賄賂などの手を使って、転勤先を越前の国(上国)の国守に変更してもらっている。はっきり言えば為時は、淡路の国(下国)には赴任したくなかったのだ。何故か。

当時、中国や高麗からの貿易船が日本にやってくる場合、海が荒れた時や海流の関係で、同船団が越前や若狭の国を母港とすることが多く、このため海外の貴重な特産品が国司のもとに届けられ、実入りは最高のものだったからだという。

ところで、藤原為時一族は、中級の貴族ながら文才をもって宮中に名を覇せ、娘紫式部も為時の薫陶を受けて、幼少の頃から優れた才能で漢文を読みこなす程の才女に育てられたといわれる。

父親の愛情で物書き娘に育ててもらい、書き損じても幾らでも対処できる「和紙」を与えてもらえたことは、紫式部にとって最高の「父のご恩」であり、「幸運」だった。

この為時の思いは、式部が後に書き始める「源氏物語」の中に、武生での生き様が生かされている。平安時代の歌集で、紫式部の和歌128 首を集めた「紫式部集」の中に、武生の地で詠んだ「雪の歌」が4 首ある。

越前武生での経験が、紫式部に将来の行き方に威力になったことはまちがいない。と同時に式部は、国司の父親のお陰で、結婚資金をたっぷり貯め込むことも成し遂げ、約2年の滞在の後、京都に戻り、27歳になった998年に藤原宣孝と結婚している。

越前武生の生き方の中で、紫式部にとって「和紙」との出会いが、世界最古の長編小説書きへの道を拓くことに繋げられた事は、紛れもない事実であろう。

紫式部の書いた「源氏物語」の原本は現存していない。作者の手元にあった草稿本が、藤原道長によって勝手に持ち出されて外部に流出するなどしているため、「源氏物語」の原本は、当初から非常に複雑な伝幡経路を辿っていたという。

確実に平安時代に作成されたと判断できる写本は現在のところ一つも見つかっておらず、この時期の写本を元に作成されたと見られる更なる「写本」すら、非常に数が限られているという。
 
ところで、中国は、古代4大自国発明の一つとして、「紙」を絵画の絵巻をCGで描き、国威を誇っている。

しかしその紙が、7〜800年後に日本に渡って「和紙」となり、その後、その「和紙」によって、世界最古の長編小説が日本の女性によって書かれたことを、中国では知られていない。      (了)       (修正再掲)

参考:ウィキペディア、: 青表紙証本「夕顔」 宮内庁書陵部蔵  

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