2019年11月10日

◆蕪村・望郷のミステリー

毛馬一三

 
大阪市毛馬桜ノ宮公園の北端、毛馬閘門近くの大川沿いに「蕪村公園」がある。

与謝蕪村は、松尾芭蕉、小林一茶と並んで江戸時代俳諧を代表する俳人で、その名は有名だが、いざ蕪村生誕地がどこかということになると、残念ながら知る人は少ない。

蕪村の生誕地は、紛れも無く大阪市都島区の毛馬橋東詰(摂津東成郡毛馬村)の辺りである。それを顕彰する「蕪村生誕地碑」が、淀川毛馬閘門側の堤防に立っている。かの有名な蕪村の代表作「春風や堤長うして家遠し」の句が、この記念碑だ。

もう一つの顕彰物は、「毛馬閘門」から流れる大川を南へ500mほど下がった所に小さな「春風橋」がある。橋の欄干には蕪村直筆で「春風」橋と刻まれているが、これも見過されている。

なぜ、蕪村生誕地が、それほど知られていないのか。

それには蕪村自身の幼少時代の生き方に関わりがあると言っていいだろう。

蕪村は、享保元年(1716)に毛馬村の裕福な村長と奉公人として京都丹後からやって来た母との間に生まれた。いわば家督の引き継ぎが出来ない私生児だったのだ。

更に不幸にも、蕪村が13歳の時、母が亡くなり、相次いで父村長も逝去した。家系を引き継ぐ身分でない蕪村は、それをきっかけに家人から総いじめを喰らったという。その結果、その辛苦に耐えられず、20歳の頃(18歳の説も)毛馬村を出奔して、江戸に上ることを決意。家出して京都に向かった。

どうして江戸を目指したのか、その訳も未だ不明だ。

ところが京都で人生を一変させる超有名俳人と出会った。早野巴人である。これが蕪村の運命を定めることになる。二人は暫く一緒に暮らしていたが、蕪村が俳句に志を抱くようになり、巴人を師匠と崇め、二人で江戸に旅立った。

江戸では早野巴人の弟子となり、本格的に俳諧を学ぶようになった。ところが間もなくして頼りにしていた師も没してしまった。26歳の時である。蕪村は師の死を悼みつつ、これからの生き方を思考した結果、師から教わった芭蕉の俳句追求の道を歩もうと決意する。そこで芭蕉を慕って奧羽地方を放浪して回ることになる。

宝暦元年(1751)になって、一人で京に戻った。俳諧に勤しむ一方、南宋画を学び、南宋画家として池大雅と並ぶ名声を得るようになる。蕪村の俳句は生活の足しには中々ならなかったが、絵は人気を集め、大いに稼げた。

蕪村は京で68歳で生涯を閉じたが、終生故郷の毛馬村には一度も帰っていない。

この毛馬村の情景を詠った「春風馬堤曲」という作品がある。これは生まれ故郷を懐かしく想う「望郷」を念に、脳裡の中で故郷を想像しながら、帰省する奉公人の少女に気持ちを託す形で「望郷物語」を書き、俳句を添えて思いを募らせている。

母が亡くなった毛馬村への望郷の念がありながら、京都から大阪弟子の処へ幾度も吟行に往復しながらも、その途中、渡し船から降りて歩けば、母と暮らした毛馬村に簡単に行けた筈なのに、何故か一歩も足を踏みいれてない。全くの「ミステリー」だ。

京都からは俳句の弟子がいる大阪に幾度となく来ている。なのに、実家毛馬村に立ち寄らなかったのは、恐らく母の死後、終始苛められて追い出された家人たちへの「怨念」と「失意」の執念が、終生心から消えなかったことが主因だと思われる。(文献・学説はない:これもミステリーの一つ)。

このように大阪とはすっかり縁遠くなった蕪村だったから、いまだに大阪には蕪村に関する伝承の文献も無く、生誕地が明治23年に淀川改装によって完全に埋め立てられて仕舞い。生誕地の痕跡はすっかり消えた。今淀川堤防にある「蕪村生誕地碑」は、蕪村が居住していた真の生誕地ではない。

これが長い間、蕪村生誕地を顕彰する機運や「お祭り」がなかった最大の理由だ。


20年位前に、私と大阪市議会筋と協力して都島区毛馬町に「顕彰公園」を作ろうと、当時の大阪市長に働きかけた。地元にも呼びかけたこの顕彰運動は、次第に活発になりだした。

そこで、大阪市「ゆとりとみどり振興局」が18年度から2年計画で、前述の「記念碑」と「春風橋」の間にある、市有地1.1hrの土地に、約3億5千万円をかけて「蕪村公園」を整備する計画がまとめた。

同「蕪村公園」には、蕪村の俳句や絵画を展示し、句会もやれる「東屋」を建てるほか、公園内には大きな広場、その周辺には蕪村の俳句碑や絵画に因んだ樹木の植栽をする計画。そして大阪が輩出した蕪村に親しみ、また俳句愛好家が集まる文化集客地にしたいと大阪市は方針を決めて、創設した。(結果的には、管理上の問題から「東屋」は見送られた。)

蕪村公園は、全国的に知られた大阪桜の名所「毛馬桜の宮公園」の北端に位置し、国の重要文化財「毛馬閘門」の側にあり、市の中心地中之島へと通じる「大川沿いの桜回廊」の出発点となった。まさに文化情緒の端緒となる集客観光名所が出来上がった。

大阪市が、蕪村公園の名をあげて蕪村を顕彰し、俳句文化振興に貢献していけば、俳句に惹かれている国内外の人たちの集客にも結びつき、華やかな大阪を取り戻せるだろう。顕彰される蕪村本人もご満足ではないだろうか。(了)

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