2019年11月13日

◆雀庵の「台湾ゲリラ掃討:戦場で英雄は育つ」

           “シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/49(2019/11/11】右下奥歯が虫歯菌にやられて
貫通した。そのうちグラグラして抜けるだろうが、痛みで涙がポロポロ出
る。子供の頃を思い出して♪お久しぶりね、あなたに会うなんて、と可笑
しくも思うが、穴に正露丸を詰めたり、こめかみと、頬、下あごにバンテ
リン(皮膚浸透性)を塗っておいたらオツムが安定してきた。

イザベラ・L・バードの「朝鮮紀行」を読み終え、長ーい長ーい絶叫マシ
ンのような驚きと感動、美醜を味わった。氏の「日本奥地紀行」は昨年読
んだから、次は「カナダ・アメリカ紀行」「ハワイ紀行」「ロッキー山脈
踏破行」「チベット人の中で」、さらに「宮本常一著 イザベラ・バード
の旅『日本奥地紀行』を読む」を読むつもりだ。

「赤毛のアン」のLMモンゴメリも大好きだが、優秀な女は「感情、気
分」に加えて男的な「理性、知性」を併せ持っているから凄い作家が多そ
うだ。

「英国 作家 女」で検索したら、

ジェーン・オースティン (「高慢と偏見」1775-1817)、アガサ・クリス
ティ (「そして誰もいなくなった」1890-1976)、シャーロット・ブロンテ
(「ジェーン・エア」1816-1855)、メアリー・シェリー (「フランケン
シュタイン」1797-1851)、ヴァージニア・ウルフ (「ダロウェイ夫人」
1882-1941)、ジョージ・エリオット (「サイラス・マーナー」
1819-1890)、エミリー・ブロンテ (「嵐が丘」1818-1848)・・・

英国はシェイクスピアの時代(1600年前後)から文学でも世界をリード
してきたが、女性作家が増えていったのは1800年代からリベラル≒アカモ
ドキ風の「女権拡張運動」(一夫一婦制批判、自由恋愛など)が盛んに
なっていたことが影響しているだろう。

日本では「元始、女性は太陽であった」と時の声を上げた平塚雷鳥らの
仕事が1900年代に始まったが、自らの醜聞とアカ狩りで、戦前は「女性に
よる文学」についてはあまりぱっとしなかったと思う。近・現代の日本で
は世界的な女性作家はいないのではないか。

孤高の一葉女史の作品は万葉文学の味わいがあって「いいなあ」と思う
が、英語にさえ翻訳されていないようで、残念なことだ。

イザベラ・L・バードとLMモンゴメリ、「L」は二人とも「ルーシー」の
略だ。モンゴメリの場合は、2歳に満たない前に母が死んで、母の母親、
モンゴメリにとっては祖母の名にちなんだものだろう。祖母はかなり強
情、厳格、非寛容で、宗教や伝統に基づく自分の価値観以外を許さないタ
イプだった。モンゴメリはこのルーシー婆さんが母親代わりになって育て
られたのだから、個室で自然や鏡の中の自分を相手におしゃべりしたり、
創作するしかない。

モンゴメリは「私はルーシーと名乗ったことはありません!」と強く
言っているが、ルーシー婆さんがいなかったら作品もなかったろう。

一方のバードは、生まれながらの虚弱体質、ベッドの中で読書したり、
窓から眺めたり、あれこれ考えて過ごすしかない。

この二人の幼少期には普通と違って大きな「陰」があったこと、孤独が
思考力や観察眼を強めたこと、という点で似通っている感じがする。「心
も体も健康で元気な奴は作家なんかにならないよ」と夏彦翁は言っていた
が、二人の環境が女性的な「感情、気分」に加えて男性的な「理性、知
性」を育んだと思う。「艱難汝を玉にす」だな。

モンゴメリの父母は名門、夫は牧師、バードの父はインドでの弁護士を
経て後に牧師、ともに上流階級に近い中流階級だったことも幸いした。良
き土の上に蒔かれたから大輪の花が咲いたという、運もあったろう。努力
したからこそ運を生かせたとも言える。

台湾清軍討伐の石光真清らの悪戦苦闘の中で、臆病だった兵士が勇者に
育っていく。J・マケインは「戦争の中には栄光から悲惨まで人生のすべ
てある」と言っていたが・・・ちょっと感動的だ。石光の手記「城下の
人」から。

<(西村二等兵は分隊中一番の臆病者で、逃げ隠れして一度も戦闘に加
わらない。山本上等兵が西村を遠くへ連れ出して説教している)

私は二人に近づき、その間に入った。

「おい西村、話は聞いた」

「申し訳ありません・・・」

「黄塵の中を行軍した時にお前は落伍したが、運が良くて助かった。あ
れから今日まで、お前は逃げ隠れしていたそうだが、他の者は皆戦った。
それでも誰一人死傷しておらん。戦というものの生き死には、これは運だ
よ。生きよう生きようと思っとるような奴の方が戸惑って撃たれるものだ。

次の戦闘からは、必ず僕の傍におれ、いいか、離れるんじゃないぞ、も
し、こそこそ逃げ出したら、その時は従卒の井手口にお前を撃ち殺す権限
を与えておく。いいか、容赦はせんぞ」

と私は彼に申し訳をさせずに叱ってから、大声で井手口を呼んで言った。

「これからの戦闘には、お前は必ずこの西村を傍に置け。離れるような
ことがあったら、撃ち殺しても、斬り殺しても、お前の勝手にしてよろしい」

井手口は不動の姿勢をして真面目な顔で、


「はっ、必ず、そう致します」

と言った。すると西村の顔色が土色になってブルブル震えだし、とうと
うしゃがみこんで動けなくなってしまった。


私は井手口と山本を促して、西村をそこに残したままさっさと引揚げた。

それから間もなくの(明治28/1895年)7月10日、敵の大部隊が来襲し
た。早速、井手口は西村二等兵を小脇にかかえるように引っ張って、私に
ついて来た。初めのうちは夢遊病者のようにふらふらしていたが、どうし
たことか、途中から急に私の前に飛び出し、地物にも拠らず立ち姿のまま
で敵に向かって突撃を始めた。

この日の戦いで、敵は百五十ほどの死体を遺棄して退却したのであるか
ら、相当に激しい戦闘だったと言える。この日から西村は生まれ変わった
ように勇敢になり、無事に凱旋して「金鵄勲章」*を受けたのであった。

初めての戦闘で眼がくらみ、腰の浮いた私を始めとして、部下たちもこ
のようにして一戦闘ごとに勇敢になり、生死を超越した暮らしを送るよう
になると、なぜか母のことも、急死した兄のことも、思い出すことが稀に
なった。兵士たちの心境も、おそらく同じようなものであったと思う。

国からの手紙などが届くどころか、敵の来襲が引続いて、糧道さえが断
たれ、無暗にバナナを食わされていたのである>

*「金鵄勲章」(きんしくんしょう)は、かつて制定されていた日本の
勲章の一つ。日本唯一の武人勲章とされ、武功のあった陸海軍の軍人およ
び軍属に与えられた。金鵄章ともいう。「金鵄」は、日本神話において、
神武東征の際に、神武天皇の弓の弭にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り
輝き、長髄彦の軍兵の目を眩ませたという伝説に基づく。(WIKI)

発狂亭“近衛兵の父は「暑い寒い、辛い苦しい、旨い不味い」と言ったこ
とはなかった。その息子は「歯が痛い」と泣いている。戦がないと男は軟
弱になるばかりか”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(166)2017/1/20】産経、青木伸行「お別
れ会見 オバマ氏(トランプの)取引外交を警告『米国は大丈夫だ』エー
ル」「高い理想と現実、せめぎ合い、米と世界が漂流した8年間」。

ようやくオバマと民主党の政治が終わった。歴代唯一の反米大統領で、
米国にとっていいことを一つでもやったのか? 彼にとっては不本意だろ
うが、リベラルのどうしようもない愚かさを明らかにしたのは、愛国保守
派、サイレントマジョリティにとっては大きなプラスになった。

デタラメルケル、ダレモオランドを蹴飛ばせばEUは解体へ向かう。「通
貨、国境管理を含めて各国の主権(自由、独立)を抑制すれば戦争が起き
ない、平和が保たれる」というリベラル、EUの理念は、皮肉にも難民モド
キを手招き、加盟国のナショナリズムを煽ってしまい、「俺は俺の道を行
く」という風潮を生んでいる、というか先祖返りを促進している。


EU、米国、世界がどうなるのか、今年で方向が分かるだろう。(つづ
く)2019/11/11


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。