2019年12月03日

◆雀庵の「習近平来日阻止! 中共殲滅へ」

シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/58(2019/11/30】旧暦の11月4日、庭の池に薄氷
が張った。霜月だなあと何となく感慨を覚えるが、現役時代は目の前に積
み重なった仕事、ほとんど屹立している氷河の絶壁を必死で突き崩すよう
な日々だったから、季節の移り変わりをしみじみ思うようなことはなかった。

せいぜい「寒くなったなあ、今夜は『竿灯』でショッツル鍋にするか、
『お多幸』でオデンというのもいいなあ・・・最初はやはり熱燗だな」な
んて人参をぶら下げて、己を鞭打ちながらシコシコ、時々絶叫しながら奮
闘していたものである。

いい思い出だが、よく倒れなかったものだ、やはり核燃料が燃え盛って
いたのだろう。2003年、52歳で胃癌摘出、会社を畳んで以降はパッとした
仕事はせず、58歳でリタイア、母の介護を終えた63歳以降は「自分で自分
を介護する」ような・・・「酒とバカの日々」・・・落ちたところが精神
科急性期閉鎖病棟だから「落ちるところまで落ちた」わけ。

それからは・・・ここが人生の面白みだが、谷底で眼が覚めると「上り
坂」しかない。登っていくと視野が開けてくる、眺めも良くなる、やがて
尾根に立つと、さらに高い山が見える、「よし、あの山に登ろう、どうせ
暇だし」、マシラのごとくワクワクするのだ。なんせ多動児だで、我慢が
よーできんへん。

<自閉症などの発達障害や注意欠陥多動性障害(ADHD)の子供は時折高い
場所に上ってしまう事があります。発達障害の子供は日常的に外部から受
け取る刺激が少ないとされ、しばしば自分で刺激を得て楽しむ事があります。

また、感覚が過敏であったり逆に鈍感であったりするため、感覚の感じ
方も通常の人とは違う受け取り方をしています。

高いところへ登るということは「体を動かす感覚」「高い場所から見る景
色の感覚」「高さ自体の刺激」などを受け取ることができるため、高い場
所を見つけると刺激を得ようと登ってしまいます>(発達障害-自閉症.net)

まあ、そういうことかもしれない。温かくて、柔らかくて、いい匂いが
して、すべすべして、草むらにかわいい洞窟がある山なんて見つけると刺
激を得ようと無我夢中で登ってしまうなあ。ま、昔の話だけど。

精神科の先生に「フロイト派とユング派の現況はどうですか、エジソンは
ADHDみたいですが、世界を動かすのはキチガイですね。僕はどうも自分は
自閉スペクトラムの気があるんじゃないかと。〇〇先生はマザコンです
ね。聖マリアンナ出身の精神科医はクズです」なんて言うと皆「アハ
ハ!」と楽しそうだった。

振り返れば小生の人生は穏やかな方だったろう。心身共に耐えがたいよ
うな切羽詰まった逆境には遭わなかった。このところ北条民雄の「いのち
の初夜」を何度も読み直しているが、考えさせられることが多い。

<1914年9月22日 - 1937年12月5日。ハンセン病(らい病)となり隔離
生活を余儀なくされながら、自身の体験に基づく作品「いのちの初夜」な
どを遺した。本名:七條晃司(しちじょう てるじ)。

日本統治時代の朝鮮の首都京城(現・ソウル)に生まれる。生後間もな
く母親と死別し、徳島県阿南市下大野町に育つ。

1932年に結婚。1933年にハンセン病を発病し破婚。翌1934年、東京府北多
摩郡東村山村の全生園に入院。入院後、創作を開始した。1937年に腸結核
のため23歳没。

ハンセン病に対する偏見や差別により、長らく本名は公表されていな
かったが、出身地の阿南市が親族に2年間にわたり本名を公開するように
説得した結果、2014年6月に親族の了承を得て、没後77年経って本名が公
開された>(WIKI)

「いのちの初夜」は、原題は「最初の一夜」だったが、彼が師事した川端
康成が原稿を読んでそう命名した。川端は単なる女好きの作家ではなかっ
た! 本名が公開されたのが没後77年というのも、ハンセン病への世間の
「忌避感の激しさ」に驚かされる。

千葉俊二・早稲田大学教授/近代文学はこう評している(要約)。

<小林秀雄は「優れた作品は作者の血液をもって染色されている」と書
いたが、当時大きく盛り上がった宮本顕治(修一:日共のボス、リンチに
よる傷害致死罪などで服役中にGHQが“間違って”釈放)らのプロレタリア
文学は概ね不毛だった。

自己の全存在にかかわるハンセン病という「宿命」を綴った「いのちの
初夜」は圧倒的な存在感である。救いようもない惨めさと絶望感は、宮本
顕治の言うような「史的な必然として到来する新社会」と言いったものへ
の希望のひとかけらもない。

青白いインテリの自意識や階級意識といったものは、まさにここでは
吹っ飛んでしまっている。これは文学の極北に描かれた奇蹟の一篇といえる>

ソルジェニーツィンの「イワンデニーソビチの一日」が、諦観を飲み込ん
だ上で明日を信じ、今日を思い切って生きていこうという休火山の静寂が
あるとすれば、「いのちの初夜」は今大爆発をした活火山であり、死と生
の血だらけの修羅場が描かれている。

作者の「生きよう、生きるんだ!」という人間復活の物語といっていいだ
ろう。そこには真剣な命のやり取りがある。軽佻浮薄なベストセラー本
が、朝に生まれて夕に死ぬ水の泡、陽炎のように思えてくる。

小生は特に以下の話に感動した。

主人公の尾田はハンセン病患者の隔離施設であり、一方で病気の進行で
崩れていく体を見られ嫌悪されることから患者を守る保護施設でもある
「多摩全生園」入所の当日、早々と自殺を試みたが死にきれず、患者の面
倒を見る先輩患者(義眼)の左柄木にその場を見られていた。入所間もな
いと多くの患者が自殺を試みることは定番になっていたのだ。

<「あなたと初めてお会いした今日、こんなことを言って大変失礼です
けれど」と左柄木は優しみを含めた声で前置きすると、

「尾田さん、僕には、あなたの気持ちがよく解る気がします。僕がここ
へ来た五年前のその時の僕の気持ちを、いや、それ以上の苦悩を、あなた
は今味わっていられるのです。ほんとにあなたの気持ち、よく解ります。

でも、尾田さん、きっと生きられますよ。きっと生きる道はあります
よ。どこまで行っても人生にはきっと抜け道があると思うのです。もっと
もっと自己に対して、自らの生命に対して謙虚になりましょう。

とにかく、らい病になりきることが何より大切だと思います」

不敵な面魂が言葉の内部に覗かれた。

「入院されたばかりのあなたに大変無慈悲な言葉かも知れません、今の
言葉。でも同情するよりは、同情のある慰めよりは、あなたにとっても良
いと思うのです。実際、同情ほど愛情から遠いものはありませんからね。

それに、こんな潰れかけた同病者の僕が一体どう慰めたらいいのです。
慰めのすぐそばから嘘がばれていくに決まっているじゃありませんか」

患者が当直の左柄木を呼び、彼は慣れ切った調子で男を背負い、廊下へ
出ていった。男は二本とも足がなく、膝小僧の辺りに包帯らしいものが覗
いていた。

「なんというものすごい世界だろう。この中で左柄木は生きると言うの
だ。だが、自分はどう生きる態度を定めたらいいのだろう」

発病以来、初めて尾田の心に来た疑問だった。尾田はしみじみと自分の
掌を見、足を見、そして胸に掌をあててまさぐって見るのだった。何もか
も奪われてしまって、ただ一つ、生命だけが取り残されたのだった。

今さらのようにあたりを眺めて見た。

膿汁に煙った空間があり、ずらりと並んだベッドがある。死にかかった
重症者がその上に横たわって、他は繃帯であり、ガーゼであり、義足であ
り松葉杖であった・・・

真夜中に尾田は悪夢で目を覚ますと、左柄木は書き物をしていた。病室
を眺めていると、うめき声やすすり泣き、念仏、「ああ、ああ、なんとか
して死ねんものかなあー」という、この世の人とは思えない嗄れ声が聞こ
えてくる。

「眠れませんか」と左柄木が声をかけてきた。

「尾田さん、あなたはあの人たちを人間だと思いますか・・・人間じゃ
ありませんよ。生命です。生命そのもの、『いのち』そのものなんです。
あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ生命だけ
がぴくぴくと生きているのです。なんという根強さでしょう。

誰でも癩(らい)になった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬ
のです。社会的人間として亡びるだけではありません。そんな浅はかな亡
び方では決してないのです。廃兵ではなく、廃人なんです。

けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ
時、まったく癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き返るのです。
復活、そう復活です。ぴくぴくと生きている生命が肉体を獲得するので
す。新しい人間生活はそれから始まるのです。

尾田さん、あなたは今死んでいるのです。死んでいますとも、あなたは
人間じゃないんです。あなたの苦悩や絶望、それがどこから来るか、考え
て見てください。ひとたび死んだ過去の人間を探し求めているからではな
いでしょうか」

尾田に向かって説きつめているようでありながら、左柄木自身が自分の
心内に突き出してくる何ものかと激しく戦って血みどろとなっているよう
に尾田には見えた。と果たして左柄木は急に弱々しく、

「僕にもう少し文学的な才能があったら、と歯ぎしりするんですよ。僕
に天才があったら、この新しい人間を、今までかつてなかった人間像を書
き上げるのですが――及びません。

せめて自由な時間と、満足な眼があったらと思うのです。いつ盲目にな
るか分からない、この苦しさはあなたにはお分かりにならないでしょ
う・・・」

「ああ、もう夜が明けかけましたね」

外を見ながら左柄木が言った。「ここ二、三日、調子が良くて、あの
(夜明けの)白さが見えますよ。珍しいことなんです」

「一緒に散歩でもしましょうか」

尾田が話題を変えて持ち出すと「そうしましょう」と左柄木は立ち上
がった。

冷たい外気に触れると、二人は生き返ったように自ずと気持ちが若やい
できた。並んで歩きながら尾田は時々背後を振り返って病棟を眺めずには
いられなかった。生涯忘れることのできない記憶となるであろう一夜を振
り返る思いであった。

「盲目になるのは分かり切っていても、尾田さん、やはり僕は書きます
よ。盲目になればなったで、またきっと生きる道はあるはずです。あなた
も新しい生活を始めてください。癩者になり切って、さらに進む道を発見
してください。僕は書けなくなるまで努力します」

その言葉には、初めて会った時の不敵な左柄木が戻っていた。

「苦悩、それは死ぬまでつきまとって来るでしょう。でも誰かが言った
ではありませんか、苦しむためには才能が要るって。苦しみ得ないものも
あるのです」

佐柄木は一つ大きく呼吸すると、足どりまでも一歩一歩大地を踏みしめて
行く、ゆるぎのない若々しさに満ちていた。

あたりの暗がりが徐々に大地にしみ込んで行くと、やがて燦然たる太陽
が林の彼方に現われ、縞目を作って梢を流れて行く光線が、強靭な樹幹へ
もさし込み始めた。

佐柄木の世界へ到達し得るかどうか、尾田にはまだ不安が色濃く残って
いたが、やはり生きて見ることだ、と強く思いながら、光の縞目を眺め続
けた>

ああ、俺も狂気、侠気、驚喜、凶器、強記を抱きながら倒れるまで人間と
して生きていこうと思う。60年前のハガチー事件を思い起こすと来春の
「習近平来日阻止」は首都高羽田線上下をダンプ2台で止めるだけで済
む。道路と滑走路に重油をばらまいておけばなおいい。

全国3500万のヂヂババ諸君、命惜しむな、名こそ惜しめ、中共殲滅、支
那解放へ! 団塊世代は汚名をそそぐ最後のチャンスだ、特攻の名誉を譲
ろう、歴史に名を刻め! 

興奮、公憤したので今回はここまで。(つづく)2019/11/30
          

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