2020年01月27日

◆ 瀕死の日本水産業を甦らせる道

伊勢雅臣


■1.「瀕死状態」の日本水産業界

 本年10月から開催されるドバイ万博の日本館のレストランとしてスシローが選ばれた。世界的な和食ブームの中でも特に寿司は大人気で、先年訪問したパリでは5分も歩けば寿司レストランにあたったほどだった。

 国内で激戦の続く回転寿司業界でも、スシローは売り上げ2千億円近くとナンバー1、安価な割に味がおいしいと評判で、しかも、メニューもよく工夫されており、多くのレストランが入る万博会場の中でも大人気となるだろう。

 このように世界での寿司の普及ぶりは目覚ましいが、その陰で日本の水産業は「瀕死状態」である。たとえば、次のような指摘がなされている。

・水産白書によれば、我が国の漁業・養殖業生産量は、昭和59(1984)年をピーク(1,282万トン)に、平成29(2017)年は431万トンと1/3に激減している。[水産庁]

・ピーク時には200万人とも言われていた漁業者は、今や17万人を切っている。跡継ぎのいない60歳以上が大半で、平均年齢は60.1歳(自営漁業者、平成20年)。[勝川H28, 89]

・個人経営の漁労所得は年間225万円。年金を貰うお年寄りの生活の一助にはなっても、一家の柱が家族を養える金額ではない。漁業をしたい若者は少なくないが、これでは漁業に就けない。[勝川H28、698]

 世界銀行が2013年に公開したレポート「2030年までの漁業と養殖業の見通し」では、今後の世界全体での漁業生産は23.6%の増加となっており、マイナス成長は日本の9.0%減だけ[勝川H28、784]。世界中の水産業が成長しているのに、なぜ日本だけが衰退し、瀕死の状態になっているのか?


■2.ニシン漁は100万トンから数千トンに壊滅

 日本水産業の衰退の「病名は明らかで特効薬も存在する」とは、水産学者・勝川俊雄氏の言である[勝川H24、p70]。日本水産業は瀕死の重症だが、病因も分かっているし、効果の明らかな特効薬もある。しかし患者は薬が苦いからと飲まずに、ただ死を待っている状態なのである。

 病名は「乱獲」。漁場での獲り過ぎによって、魚がいなくなってしまった、という単純な話だ。

 たとえば、ニシンは明治時代には年間100万トン近く獲れ、当時の日本の漁獲量の3分の1を占めていた。特に北海道の留萌(るもい)や小樽などニシン漁の拠点には大勢の出稼ぎ労働者も集まり、町が賑わっていた。しかし、漁獲量は明治30年をピークとして、一本調子に下がり続け、1950年代後半からは数千トンレベルと壊滅状態になってしまった。

 ニシンの漁獲高の激減の要因には、地球温暖化による海水温の変化もあげられるが、ニシン漁の歴史に詳しい小樽市総合博物館の石川直章館長によると、「ニシンが減少し始めた時期は、海水温の変化はまだ大きくなかった」として、乱獲の影響が大きいと考えている。

 幕末期に「建て網」という2隻の船で魚群を取り込む効率的な漁法が開発され、乱獲が一気に進んだ。しかも、当時のニシンの9割以上は肥料として安価に売られ、量をとればよい、と考えられていた。[寺岡]

 お正月料理には欠かせない数の子はニシンの卵だが、今やカナダ、アラスカ、欧州、ロシアなどからの輸入に頼っている。


■3.乱獲により絶滅危惧種となったクロマグロ

 もう一つ、マグロの例を見ておこう。マグロの中でも王様と言われるのがクロマグロ。江戸時代には定置網や、湾に追い込んでの地引き網でとっていた。沿岸近くまでクロマグロの群れが押し寄せていたのである。明治時代には沿岸の漁獲量が減少したが、沖合の延縄漁業(一本の幹枝に、釣り針をつけた枝縄を多数ぶらさげる)などの新漁法によって、漁獲量は再び増加に転じた。

 戦後は魚群探知機で居場所を探知し、網に囲い込んで獲る巻き網漁が三陸沖などで主流になるが、1980年代中頃には、また激減した。その後は、さらに高性能の魚群探知機を使って、東シナ海での未成魚の漁獲が急増。1990年代後半からは、沖縄の産卵場での産卵群(卵を産むために移動している群れ)を対象とした延縄漁業、2004年からの日本海産卵場での巻き網漁業が活発化した。

 この結果、未成魚や産卵群ばかり水揚げされるという末期的な状況になってしまった。このように一つの漁場が取り尽くされると、新しい漁法、漁場を開発して漁獲高を維持する、という事がくり返された。この結局、2014年にはクロマグロは絶滅危惧種になってしまった。[勝川H28、174]

 こうした乱獲がくり返され魚が獲り尽くされて、漁獲高は激減。漁民の収入も減って、若手が水産業に入らなくなり、ひたすら高齢化を続けている、というのが実態だ。不足分は輸入に頼っているが世界的な需要増加により魚の値段は上がりつつあるから、輸入も先細りである。

 ウナギも同様に絶滅危惧種となった。「未来の世代も、私たちと同じようにウナギやマグロを食べられるだろうか」と自問しなければならない時代になってしまった。[勝川H28、1779]


■4.世界中の沿岸国から締め出された収奪型漁業

 1973年の「第3次国連海洋会議」では各国が沿岸200海里(約370キロ)の経済排他水域を持つ、という国際的枠組みが確立された。当時は日本を代表とする遠洋水産国が世界中で魚を獲っており、特に日本は魚群探知機などを活用した早く多く獲る競争においては世界屈指の技術を持っていた。

 発展途上国から見れば、外国の大型漁船がやって来て自国の沿岸の資源を根こそぎ持って行ってしまう、という不満がこの動きにつながった。これによって、世界の好漁場はほとんどどこかの国の排他的経済水域に含まれることになった。1975年の日本の水揚げの39%は他国の経済水域から獲っていたから、影響は甚大だ。

 200海里体制に移行した後も、沿岸国はしばらくは日本船から入漁料を取ることで操業を許していたが、やがて自国で獲ったほうが儲かることに気がついて、入漁料が高騰し、日本漁船はじわじわと締め出されていった。こうして収奪型漁業を世界中に展開していた日本の水産業は行き場を失っていったのである。


■5.ノルウェー漁業を再生させた「特効薬」

「乱獲」という病気に対する「特効薬」もすでに見つかっている。その効き具合をノルウェーの事例で見てみよう。

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一九七○年代中頃までのノルウェー漁業は「補助金漬け→過剰な漁獲努力→資源枯渇→漁獲量減少」という現在の日本と同じ状況にありました。乱獲スパイラルに巻き込まれて、多くの漁業・資源が瀕死の状態だったのです。そこから、ノルウェーは漁業政策を転換して、二○年がかりで漁業を立て直しました。減少した資源を回復させて、漁業生産金額を着実に伸ばしています。[勝川H24、p110]
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 この経緯をノルウェーの伝統的な北海ニシン漁で見てみよう。ピークの1965年には120万トンもの水揚げがあった。60年代後半から、漁獲高が減り始めると、漁業者は必死に獲るので、ますます減っていくという悪循環に陥る。70年代には生息している成魚の6〜8割も獲っても、漁獲高は10万トン以下という危機的な状況になった。

 そこでノルウェー政府は、ほぼ禁漁にするという思い切った措置をとった。漁業者は大混乱に陥ったが、禁漁の効果は徐々に現れて、1980年代には北海ニシンは目に見えて回復した。それにあわせて、漁獲量も徐々に増やしていったが、取り過ぎないように厳しい漁獲規制を敷いた。

 その効果が出て、たとえば2005年には産卵親魚の生息量は150万トンとピーク時の水準に近づき、そのうちの60万トン強を水揚げした。漁獲高は以前ほどでないにしろ、生息量に見合った水準にすることで、将来的にも安心して漁業を続けられるし、また世界的な魚価上昇で売上げ金額は増加している。

 一人当たり漁獲量を比較してみると、日本の26トンに対して、ノルウェーでは147トンと5倍以上。日本では先行きの見通しの立たない水産業に3千億円もの補助金を出して延命処置をとっているが、ノルウェーの補助金はほぼゼロである。


■6.「オリンピック方式」か、「個別漁獲枠方式」か

 日本で漁獲規制をしていない、ということではない。そのやり方がノルウェーとは全く異なるのである。日本の中心的なやり方は「オリンピック方式」と呼ばれる。全体の漁獲量を設定しておいて、ヨーイドンで漁業を開始し、漁獲枠に達したら「はい、おしまい」とする。

 ノルウェーを初め、世界の主流は漁船毎、あるいは漁業者毎に枠を決め、その枠内で漁獲を許す、という「個別漁獲枠方式」である。

 どちらが優れているか、カナダの事例で見てみよう。カナダの銀ダラは1981年から89年まで、オリンピック方式で管理されていた。全体の枠だけが決まっているから、個々の漁業者は一刻も早く海に出て、少しでも多く獲ろうと競争になる。その結果、1981年には245日あった漁期が、89年には14日まで短くなってしまった。

 各漁船は、少しでも漁場に早く着こうと、フルスピードを出すために燃料代はかさむ。悪天候でも漁を続けなければならないので遭難事故も多い。皆が高速の大型船を持とうと設備投資が過大になり、それもごく短期間しか稼働しないでの効率が悪い。

 市場の方も短期間に大量の漁獲を持ち込まれて、冷凍施設など増やさなければならない。新鮮な魚を食べられるのは、一時期に限られてしまう。

 そこで、カナダ政府は1990年から漁船毎に漁獲枠を配分する個別漁獲枠方式を導入した。漁業者はライバルの動きを気にすることなく、需要に応じた漁ができるようになった。

 魚が成長して十分脂の乗ったおいしい時期、すなわち魚価も高い時期を狙って、漁ができる。天候が悪ければ休漁できる。漁船も経済的なスピードで航行すれば良いから、燃料費も節約できる。漁船や冷凍施設も平準化して稼働できるから、無駄な能力を持つ必要は無い。消費者も新鮮な魚を食べられる期間が長くなった。

 現在、個別漁獲枠方式を採用しているのは、アイスランド、ノルウェー、韓国、デンマーク、ニュージーランド、オーストラリア、アメリカなど。主要国でまだオリンピック方式を採用しているのは、日本だけである。しかもその規制が緩く、上限も甘い。[勝川H24、p54]

 この個別漁獲枠方式こそ、水産業を再生させる「特効薬」である。なぜ、この「特効薬」を飲まないのか、不思議な話だが、水産業界と水産官僚による情報や研究の統制など、深刻な問題が[勝川H24][勝川28]などで論じられている。


■7.日本水産業の恵まれた環境

 こうした特効薬さえ飲めば、日本の水産業は再生をすることができる。我が国にはそれだけの有利な条件が揃っているからである。

 まず、排他的経済水域によって、世界の好漁場から締め出されたのだが、そのお陰で我が国は世界第6位の広大な排他的水域を得た。その中には三陸沖などの世界でも屈指の好漁場が含まれている。そして、そもそも寿司など魚の価値を最大限に評価する魚食文化を持った巨大な国内市場が存在する。水産業が生きて行くのに、これほど恵まれた環境を持った国は他にはない。

 これほどの条件に恵まれながらも、日本の水産業は瀕死に追い込まれているのだから、今までよほど間違った方向を歩んでいたのだ。

 大自然は循環している。その中で魚も生まれ、育ち、産卵する。その循環のごく一部をいただいて、ともに生かされているのが人間である、という「和の生命観」を縄文時代以来の我が先人たちは抱いていた。

 縄文時代には、春はアサリやハマグリなどの貝類、夏はカツオやマグロなどの魚類、秋はクリやブドウ、冬はシカやイノシシなど、四季折々の旬の時期にいただいていた。貝にしてもそれぞれのもっとも成長した時期を選んで食べていたという。

 食べた後の貝殻は貝塚に置かれたが、これはゴミ捨て場ではなく、貝のお墓だったという説がある。そこには動物の骨や人骨までも含まれていた。それぞれの遺骸を葬って、また新しい命を得て、帰ってきて欲しい、と祈ったのだろう。近世でも、クジラはヒゲまでもすべてを無駄なく使い、戒名を与えてお墓まで建てていた。

 そういう和の生命観がいつしか失われて、人間は自然を好きなように利用すれば良い、とい収奪型の近代文明に走った結果が、日本水産業の衰退と瀕死だった、と言えよう。そういう思想からいち早く脱したノルウェーなどの国に学ぶべき時だろう。


■8.健全な漁村の復活

 世界第6位の広さを持つ排他的経済水域と世界屈指の好漁場、そして優れた漁食文化を持つ日本水産業が、正しい特効薬を飲めば、健全な漁村を復活させることができよう。そこでは若い人々も加わって、お年寄りとともに安定した生活を営むことができる。

 勝川氏は「もし漁業で地方公務員並みの安定した収入が得られるなら、地元に戻って漁業をしたい若者はいくらでもいるというのが漁業の現場を見て回った私の実感です」と述べている。[勝川H28、744]

 健全な漁村は、植樹や海岸清掃など、環境保全にも欠かせない。さらに離島にも漁民が住むことは、領土・領海防衛上にも不可欠だ。そういう漁民たちが日本の豊かな近海で獲った魚を地産地消で我々消費者がいただく事で、我々も豊かな海づくりに参加していることになる。そう思いながら、食べる魚はさぞや美味しいことだろう。
(文責 伊勢雅臣)
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