櫻井よしこ
週末、東京・千代田区の東京国際フォーラムで福島の原発事故を描いた映 画「Fukushima50」のワールドプレミアがあった。
1000年に一度と言われたマグニチュード9の大地震とそれに続く大津波に
襲われた東京電力福島第一原発(イチエフ)を守ろうと、現場がどのよう
に戦ったかを描いた作品だ。東電本社のエリート社員と現地採用の職員が 心をひとつにし、原発を守るという使命を果たし、古里と日本を守ろう
と、命を賭けて挑んだ戦いの記録である。
広い会場には多くのメディアが詰めかけ、200倍の応募で客席も満杯だっ
た。上映に先立ち、バイオリニストの五嶋龍氏らがフルオーケストラを バックにテーマ曲を演奏した。世界に名を馳せる五嶋氏を招いた映画製作
の主、角川歴彦氏の思い入れの深さを感じとった。原作者の門田隆将氏が
ポツンとつぶやいた。
「すごいことになっている……」
門田氏は『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)でイ
チエフの男たち、女たち、その家族の思いと行動を忠実に再現した。巨大
原発が人間のコントロールの枠を突き抜けて暴走しようとする。その暴走
を止めるために、現場は一体となった。究極の場面でイチエフの所長、吉
田昌郎も中央制御室の長、伊崎利夫も、共に死んでくれる人々の顔を思い 浮かべた。彼らは他者のために自分を犠牲にすることを誇り高く選び取
り、そのとおり行動した。
だからこそ世界は最後の最後まで現場に踏みとどまった50人を「フクシマ
フィフティ」と呼んで敬意を払った。門田氏が描いたのはそうした日本人
の精神だ。
五嶋氏の演奏、主演の佐藤浩市、渡辺謙両氏ら俳優の挨拶に続いて映画が
始まったとき、私の中に思いがけない身体反応が起きた。それは冒頭でい
きなり地震の場面が登場したときだ。物理的に体が動いてしまったのだ。
胸が苦しい。私は知らず知らず、拳をギュッと握りしめていた。あのとき
東京で大変な揺れを感じたのは確かだが、福島や宮城や岩手や震源地に近
い所にいた人たちの受けた衝撃とは似ても似つかぬものだったはずだ。な
のにこの身体反応だ。ならば現地の人たちはこの映画をどのように受けと
めるのだろうか。
「誠実で立派な日本人」
3.11以来、ずっと交流を続けている福島県広野町の西本由美子さんが語っ
た。彼女は身ひとつで避難させられたが、その後、いち早く自宅に戻り古
里再建に取り組んだ。
「震災から今年で10年目に入りますが、いまだに3月11日午後になると、
2011年の3月11日に戻ってしまう。100インチのテレビが倒れ、小皿が飛び
交い、慌てて外に出ると隣家の瓦が飛んできた。砂が強風に巻き上げられ
て灰色の嵐が吹きすさんでいた。私はただ地べたに這いつくばった。その
光景がよみがえってくる。だからあれ以来私はずっと、3月11日はどこに
もいかずに自宅にいます。この映画もまだ恐くて見ていません」
それでも西本さんは映画が事実を忠実に見せてくれるのを期待する。
「一人一人の知っていること、体験は限られています。そうした体験と証
言、思いをまとめて、私たちがしたことは何だったのか、良いことも悪い
ことも含めて記録に残す作品であってほしいと思います」
そうした視点に立つと今更ながら当時の民主党政権、菅直人首相、枝野幸
男官房長官らの「罪」が際立つ。他方、門田氏は語る。
「映画は原発への賛否、政治的立場から離れて作っています。私が本当に
知ってほしいのは現場の人々がどれ程誠実で立派な日本人だったかという
ことです。家族への愛情、古里への愛と共に、自分の仕事への使命感と誇
りゆえです。地元採用のいわば名もなき人々が、東電本社からの所長と一
緒にいかに勇敢に責任を果たしたか。そのことを知らずして、この事故を
語ることは許されません」
勇敢に戦ったフクシマフィフティを、世界は英雄として讃えた。それをし
かし、朝日新聞は「命令に違反して逃げた」と非難した。その非難が全く
の虚偽だったのは周知のとおりだ。
だがもっと悪いのは首相の菅氏だった。映画では佐野史郎氏が首相の役を
演じたが、未曾有の大危機の中で現場の事情に全く配慮せず、自身の能力
を過信して次々と無理難題を突きつけた愚かな人物だ。彼が現場を視察し
たタイミングが原発の制御に如何に大事な時間帯であったか。その前後の
様子は何時何分まで正確に刻まれて描かれており、これは永遠に記録とし
て、また人々の心の中に記憶として残るだろう。
大震災から10年目
門田氏らは作品作りで原発の賛否、政治への批判を焦点にしないように注
意を払ったが、事実が菅氏や枝野氏まで含めてその罪を雄弁に語っている
のだ。西本さんが強調した。
「福島県人として実感するのは菅さん、枝野さんたちの政策がどれ程私た
�ちの生活を、今も路頭に迷わせているかということです。民主党政権は
原発のことも、事故への対応も、その後の復興策もわかっていない人たち です。ならば学ばなければならない。にも拘わらず、彼らは学びもしな
かった」
西本さんの厳しい批判は自民党にも向けられる。自民党は民主党政権の後
始末の一端として、これからの日本の原発政策をどうしたいのか、はっき
り説明し方針を示すべき立場であるにも拘わらず、それをしていないから
である。
「Fukushima50」の試写は福島から始まった。多くの地元の人が見た。映
画に登場する「福島民友」の記者はいま、県会議員になっている。西本さ
んは県議となった元記者や、その家族の皆さん、試写会場に出向いた友人
たちと語り合った。
「皆、言っていました。自分たちの知る限り、事実は正確だ、と」
西本さんは大震災から10年目に入る今年、もう少し強くなりたいと願って
いる。これまで3月11日は家に閉じこもってきたが、今年からその日の午
後を普通に暮らせるようになりたいという。そしてようやく映画を見に行
く気になった。
私は映画を見ながら泣いた。左隣の男の人も右隣の男の人も泣いていた。
立派な日本人の精神に触れさせてもらったからだ。フクシマフィフティは
朝日が言うように逃げたのではない。菅氏がなじったように逃げようとし
たわけではない。立派に戦った人々である。そのことを世界にわかっても
らうためにこの映画はある。角川氏が嬉しそうに語った。
「世界73か国の上映が決まりました」
世界の多くの人々に見てほしい。その前に多くの日本人に見てほしい映画
だった。もうひとつ言えば、原作『死の淵を見た男』を一読するのもよい。
『週刊新潮』 2020年2月6日号
日本ルネッサンス 第887回
2020年02月07日
◆皆で映画「Fukushima50」を観よう
at 08:11
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| 櫻井よしこ
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