2020年02月17日

◆雀庵の「今一度 アジアを洗濯いたし候」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/71(2020/2/16】冬場になると屋上庭園に来る鳥が増える。くちばしと足がオレンジ色のムクドリ、灰色のおしゃれなベストを着たようなヒヨドリ、文字通り胸から腹が赤いアカハラ。


強力な戦闘機みたいに気性の激しい大きなトビ(トンビ)がすごいスピードで来襲するとスズメは大慌てで隠れるが、トビはめったに来ない。

今期の襲撃は2回目だが、トビは脅すのが好きなのだろう、「どけどけ、ここはおれのシマだ、逆らう奴はあの世行きだ!」という感じ。いささかお騒がせだが、迫力満点、小生の狂気心が共鳴するぜ。

あとは毎度お馴染みのハト。

多いときはスズメ60羽(動くから勘定しきれない)、ムクドリ8羽、ハト7羽、ヒヨドリ4羽、アカハラ2羽。ハトは爆食(1秒あたりスズメの5倍食べる)なので、餌場はハトがあまり入れないようにしてある。

(用水路沿いでカモ、コイ、ハトに餌やりする人が多いので問題なし。生活保護みたいなオッサンが食パンを惜しげもなくどっさりやっているのを見ると複雑な気持ちになる。日本は病気じゃね?)

ヒヨドリは気品があり強そうだが意地悪で攻撃的なためにスズメは接触を避ける。ところが、ヒヨドリは小さなスズメ以外は苦手で、すぐにえさ場を明け渡す。なんとまあ「弱い者いじめの根性なし」という感じ。人間でもいるよなー、反撃されると掌返しで媚びる奴。セコっ!

頭がいいのはムクドリで、「スズメがいてこそ餌にありつける」と仲良く食べている。ハトに威嚇されても「何だよ、お前やる気か」と睨みつけるが、やがて「ウッタク、嫌な野郎だぜ」と離れる。まあ、君子危うきに近寄らず・・・何かわが身を見る思いでもあるなあ。

昆虫や木の実が餌のアカハラは「あいつら変なものを食ってる」と眺めるだけだ。アカハラは観客、観戦者。距離を置くというか、斜に構えて「私が正義」とお高くとまっているフランス人、ドイツ人のようで、小生はどうも親近感がわかない。

一番生存能力が高いのはスズメではないか。まず危険を察知すると専守防衛どころか藪の中に一瞬で逃げ込む。他の鳥は藪の中には入らない。大きいから身動きがままならないからだろう。スズメは決して反撃しない、攻撃しない。とにかく逃げるが勝ち、そのうち敵は去るだろうという戦略だ。

スズメが人の生活圏にいるのは、そこなら何かしら米粒など穀類、畑の野菜に着く青虫など餌はあるし、危険な鳥や蛇から殺される心配も少ないという数千年、数万年の経験によるのだろう。



争わない、とにかく逃げる、ひたすら逃げる、敗走三千里も辞さず、というそれなりの処世術だ。が、残念なことながら、野生の鳥でまず人間に食われるのはスズメである。通販で売っている。

<ベトナム産のスズメ中抜き。肉厚でしっかりした肉質が特徴です。スズメは頭、脳みその部分が一番美味しいと言われていて鶏レバーのような感じ、胴体もパリパリした食感と程よい身付きになっております。是非直火で焼いてみてください

串焼きで焼き鳥にして軽く山椒をかけてもよし! 1羽75円(税別)×24羽入=1800円(税別)>

ベトナムスズメ・・・サンケイ新聞のサイゴン特派員などを務め若くして“戦死”した近藤紘一の「目撃者 全軌跡 1971〜1986」にスズメの話がある。氏は今は在米の最高の論客、小生が尊敬する古森義久氏の友でありライバルだったから、相当「デキル奴」だったに違いない(が、優しすぎたのだろう)。以下、ざっくりと引用する。

<サイゴン(現ホーチミン市)で、最も大量、かつ生の姿のスズメにお目にかかれるのは、市場である。毎朝、婆さんたちが背負い籠にギュウ詰めになったのを持ち込む。婆さんらが、これでもかこれでもかと押し込み、やけくそになって詰め込んだ挙句、自らの全体重をかけて内部のスズメたちを圧縮させ、痛烈に罵りながら、大汗をかいてようやくフタのひもをからげた――そんな感じの充実ぶりである。

当然、スズメは息も絶え絶えである。目を白黒させて憐れに呻吟している。底の方のは仲間の重みで圧死して然るべきだが、案外しぶといもので、市場に持ち込まれても全員がちゃんと生きている。

それから婆さんらによる大殺戮が始まる。ふたの隙間から巧みに一羽ずつ掴み出し、指先でヒョイと首をひねって引導を渡す。まだピクピク痙攣している身から構わず翼を引きちぎり、羽をむしり、傍らのゴザかビニールの上に投げ出す。

仲間と埒もないおしゃべりに興じ、時には例によって猛烈に罵り合いながら、手だけは機械のように動かし、15分もすると傍らには、両足を突っ張り、丸裸となった、やせこけた遺体のピラミッドである。

やせこけてはいるが、スズメは旨い。ピラミッドから10羽、20羽を一つかみに取り出し、二束三文を婆さんに払って、その場で大鍋で炒めてもらう。頭から骨ごとグシャグシャやるのがもっとも方法に叶った、かつ有効な食べ方で、独特のコクはちょっとした時間つぶしのおやつにもってこいである>


日本でも漁港では婆さんたちがナイフで貝のむき身をヒョイヒョイと取り出し、居酒屋ではアジの活き造りを楽しめる。ハマグリを生きたまま焼くとか、見慣れない人には「残酷・・・」という料理方は世界中に溢れているのではないか。

朝鮮では牛肉は血を抜くと味が落ちるから、血が出ないように鞭打ちして牛をジワジワ虐待し殺すのだとイザベラ・バードが書いていたが・・・まあ他民族のことは言えない、ということのようで・・・

小生は子供のころに投網でアユを獲るようにカスミ網でスズメを獲って炭火焼で食っちゃったから、どうもこれがトラウマになって贖罪のように餌やりヂヂイに励んでいるのだろう。毎日複雑な気分になる。

小生が中共殲滅を叫んでいるのは若き日にアカく染まってしくじって、己のバカさ加減にうんざりした反動なのだと思う。騙されるな、後悔するぞ、と余計な世話を焼いている。

現実に中共が大混乱して何億もの難民が日本海を越えてきたら・・・ヒョイヒョイとつまんで溺死させるわけにもいかず・・・本来はそこまで考えたうえで中共殲滅を説くべきだが・・・そういう「14億あるいは世界をいかにせん」というポスト・コミュニズム論がそろそろ出てもいい頃合いだと思う。

さて、ポスト・チャイナ/中共崩壊で台湾はどうなるか、どう生きるべきかは大きな喫緊の課題だが、昔から台湾は周辺をうごめく強国の都合や野望で揺れ動いてきた。


1895年6月5日、日本統治に反対する「台湾民主国軍」抵抗はあっという間に消え、日本軍は6月7日に台北を無血占領した。王育徳著「台湾」から。

<しかし壮烈な台湾人の抵抗が始まるのはこれからである。抵抗は1902(明治35)年5月まで、驚くなかれ7年間も継続するのである。

近衛師団が南下するにつれて激しさを増す義勇の抵抗に遭遇した。貧弱な小火器で、精鋭な日本軍にゲリラ戦を挑み、しばしば日本軍を危地に陥れた。

平均して一人の日本兵を殺すのに20人の台湾人が死ぬという割の合わない、絶望的な戦いではあった。

日本軍の損害は1895年5月26日から12月15日までの間に。戦死者164人、負傷者515人、戦病者(病院収容)2万6994人、戦病死者4642人であった。戦病(死)者はほとんどがマラリヤによる。


この間、台湾人は清軍敗残兵とも戦わねばならなかった。台北で日本軍からの武装解除、大陸送還を免れた一部の敗残兵は南に向かって潰走し、道々略奪を行ったので、それを阻止しようとする台湾人と各地で衝突した。


台南には黒旗軍の勇将・劉永福がまだ頑張っている。正規軍と義勇を合わせて約3万人で、補給は極度に悪く、劉はあらゆる種類の税を課し、避難船からは出国税を取った。

結局、部下の多くは意気阻喪して逃亡が続出、10月初めにイギリス人を通じて日本軍に休戦を申し入れたが、「匪徒として投降するなら一命を助ける」と冷たく応じられ、結局、10月19日、変装して英国船により厦門に脱出した。こうして台湾民主国はついえ去ったのである。

台湾人の抵抗は、原始的な自己防衛の本能の上に、中華的な反日感情から発したものであった。大陸に逃れる場のない台湾人は刀折れ矢尽きるまで抵抗を続けたし、また続けていくのである。

生まれて台湾の人となり、死して台湾の鬼となる以外に、立場はなかったのである>

台湾は今、中共の圧力に明確に「台湾は台湾、一つの台湾、一つの中国だ」と新しい時代方向に大きく舵を切った。日本は世界で最も親日的な台湾人を助けるのか、中共を恐れて見捨てるのか、大きな岐路に立っている。台湾の選択は、日本の選択でもある。「今一度 アジアを洗濯いたし候」

発狂亭“ムクドリ連合で北京トビを叩け!”雀庵の病棟日記から。

【措置入院 精神病棟の日々(181)2017/1/23】産経、伊藤元重「労働力もシェアする時代」。夕方まで産経で働き、それから朝日で働くのか? 小生は嫌だね。始発で出社、夕方5〜7時一次会、7〜9時二次会、9〜11時カラオケ、そしてタクシーか終電で帰宅。これが経営者の王道だ。(つづく)2020/2/16


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