2020年02月21日

◆香港財閥の番付が入れ替わっていた

宮崎 正弘

 
令和弐年(2020)2月20日(木曜日)弐 通巻6374号  

香港財閥の番付が入れ替わっていた。李嘉誠がトップから退場
万年2位だった李兆基が香港財閥1位になっていた

共産党の血の弾圧、殺戮と圧政を懼れ、李嘉誠は学校をやめ、広東省の北端にある潮州から、家族とともに香港へ脱出した。父親がすぐに死んだため、わずか12歳で一家の大黒柱となって働き続けてきた。香港に潮州料理が多いのは、その所為かもしれないが、ともかく李嘉誠は、92歳のいままで、まっしぐらに走ってきた。

プラスティック事業の成功から不動産デベロッパーになって、おりからの香港の不動産需要の大波に乗ってビジネスは大成功の連続だった。すでに40年近く、李嘉誠が率いる長江実業とハッチソンワンポア集団は、香港株式市場時価総額の三分の一を占めるまでにいたり、李嘉誠は、過去21年間にわたって、香港財閥トップの座を守り続けた。
 江沢民時代には改革開放が本物と判断し、北京へ進出して「香港モデル」と呼ばれるビジネスでさらに財を拡げてきた。

その香港トップが習近平時代になるや、本能的な危険を感じたのだろう、中国大陸のビジネスを次々とたたみ始め、北京の銀座=王府井のビル売却を皮切りに、およそ110億ドルの大陸内の資産を処分した。2019年の中国投資は他者との共同出資分が8億ドルだけだった。理由は習近平とまったくそりが合わなかったからで、仙頭大学の名誉学長として卒業式列席も19年から欠席。

対照的に英国を中心に李嘉誠は欧米に投資の矛先を変え、およそ700億ドルをエネルギー、運送などに企業に投資し、さらにはロンドンに不動産デベロッパーとして手をひろげた。外国へ700億ドル、かたや中国へは8億ドル。 
李嘉誠が何を考えているか、この投資比較をみても明々白々であろう。
 
李嘉誠は本丸の香港でも不動産投資には興味を失っていた。競合他社がまだまだ強気でマンションの建設、ショッピンモール建設を展開中というのに、香港における不動産部門への投資を劇的に減らし、社会還元や慈善団体への寄付をつづけるものの、究極的には中国共産党の支配と監視を受けない国々への移転を急いできた。
 
かくして李嘉誠にかわって香港トップの座に就いたのはヘンダーソンランドの李兆基である。彼も92歳。李嘉誠の個人資産は294億ドル、李兆基は304億ドルだった(資産の推計は恒例『フォーブス』の長者番付、2020年2月6日)。

蛇足ながら、筆者が李兆基にインタビューしたのは、30年前になるだろうか。端然として真摯で、当方の質問に正面から答えてくれたのが印象的だった。

鮮烈な記憶は「日本に進出しないのですか?」と尋ねると、「あのように税金の高い国でまともなビジネスが成り立つとは思えません」と答えたことだった。

      
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  【知道中国 2034回】                
──「彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位でゐる」服部(16/16)
 服部源次郎『一商人の支那の旅』(東光會 大正14年)
 
              ▽

『一商人の支那の旅』の最後を、服部は「有色人種の奮起」と「日支兩國の提携」で締め括っている。

「支那の先驅者廣東の思想界は、昨年來著しく變化し」、「東洋搾取の頭目英國は中國を亡ぼすものなりと之を極端に排除」し始めた。その代りに、「將來の中國としては何と言ふても同文同種の日本と相提携して東洋の安寧を圖らねばならぬ」との自覚が見られるようになった。加えて「純潔なる學生團の國家復興運動」が全土に漲り、北京大学や広東大学では「從來の排日方針」から「排白運動に傾きつゝある」。これは当然のことであり、「中國として最も慶賀すべき事だ」。

「從來支那の社會民衆は政治に頗る冷淡であつた、極めて少數の遊民的政治家に外交的政治を放任して全く頓着せなかつた」ことで、亡国の危機を招いてしまった。こうなったのは「政府當路者の責任は勿論」だが、じつは「大體社會民衆が各自休戚に關する大問題を少數の者に放任してをつた無智の結果であると言い度い」。

だから「此の危機を救濟するには、政治及外交を從來の政治職業者の手より奪い、社會民衆が自ら起つて國家復興の運動をする」べきである。


そのためには先ず「從來の國民組織を根本より革め、完全なる立憲的國家を組織するのである」。立憲国家が完成すれば、「支那は幾年ならずして東亞の覇權を握り、再び唐宋時代の全盛を再現」できる。

「要は社會民衆の奮起如何に歸するのである」。中国人が挙って立ち上がるなら、「我日本は朝野擧て物質上精神上、力の限りを盡して、中國復興の爲め援助することゝ信ずる」とした。


かくて「我等日支の民は此信仰の上に起つて、喜び勇み堅く相提携し、大いに東亞の天地に活動し其與へられたる共存共榮の實を擧ぐべく努むべきものであると思ふ」と結ぶ。


「此信仰」とは「天は自ら助くるものを助く」「求めよさらば與へられん」を指すようだが、その前提として服部は「神は何の目的あつて我等九億の民生を東亞の天地に産んだのであらうか」と設問した後、「白色人種の餌食となるべく造られたものでは無」く、「天は東亞の天地を支配するが爲めに東亞民族を造られたのである」と説いた。

末尾に「本編は商人の余が見た支那觀である、恐らくは識者の嗤を買ふことであらうが、支那民族研究の一端として頂きたい(大正十四年六月三十日稿)」と付記し、自分の見解は飽くまでも「商人の余が見た支那觀である」ことを強調している。

ところで、アホな政権のトンマな外務大臣から指名され駐中国大使となったものの、商売とは勝手が違うのか数々のチョンボを重ねた元大商社の経営トップがいる。任を解かれた後は「元」の肩書を「売り物」に世間を誑かしているが、どうにもイタダケナイ。同じ「商人」とはいえ、自らを知る点において服部に信を置きたい。

そんな服部だが、やはり最後の最後に青臭い限りの信仰やら神やらを持ち出してしまったことから、「識者の嗤を買ふこと」を危惧した。

そこで「商人の余が見た支那觀である」ことを強調したかったのだろう。だが、そうだとしても『一商人の支那の旅』の結論が「天は自ら助くるものを助く」「求めよさらば與へられん」の信仰告白では情けない限りだ。


たしかに「我等九億の民生」は「白色人種の餌食となる」ためではなく、「東亞の天地を支配するが爲めに東亞民族」は生きている。

だが、ここで日本が「朝野擧て物質上精神上、力の限りを盡して、中國復興の爲め援助」した結果、「支那は幾年ならずして東亞の覇權を握り、再び唐宋時代の全盛を再現」した場合の彼らの振る舞いを振り返るべきだろう。やはり歴史は「日支兩國の提携」は百害あって一利もないことを物語っている。
       
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読者の声  どくしゃのこえ   READERS‘ 
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(読者の声1)貴誌前号「ハーバード大学の頭脳を狙ってチャイナ・マネーが乱舞していた」の記事にあるような「スパイ」でなくても、我が国の大学院も、最も優れた教授がいらっしゃるところほど、チャイニーズだらけです。
 それぞれの学生は恐らく日本人の学生よりも優秀なのではないかと思います。なぜかといえば、日本人学生は「温室育ち」で危機意識がなく、チャイニースは、自らの生命を明日をも知れぬ蜻蛉のごとき何かだと知っているからです。
現状では、チャイナが分割となり、学生たちがそれぞれの国家に戻って、それぞれの国で指導者となり、その国々が親日国家となってくれる事を祈るしかないですね。そしてきっとそうなるでしょう。(南木隆治) 
     


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(読者の声2)貴誌前号(読者の声1)田中秀雄氏が紹介されていた書籍『優しい日本人、哀れな韓国人』は未読ですが、『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』(草思社、2010年2月)は読みました。当時の日本人は本当に使命感に燃えた素晴らしい人がいたのですね。伊勢雅臣氏がまとめたあらすじはこちら。

https://www.mag2.com/p/news/177666/3

戦前の朝鮮半島では総督夫妻が韓服を着て朝鮮の有力者と交わる写真がたくさんあります。いわゆる三一独立運動から総督府の役人もサーベル着用をやめたことに通じます。
朝鮮での日本人はお人好しすぎるほど朝鮮のことを考え、一から十まで面倒を見すぎたのかも知れません。

「聖者と呼ばれた日本人」にしても朝鮮農民のために日本から白色レグホンやら名古屋コーチンやら新品種の鶏を取り寄せ、朝鮮在来の鶏は処分するよう農民を説得します。やがて鶏の卵が売れるようになり、農家はその代金の一部を貯金する。

お金がたまったら今度は牛を買うという具合にどんどん村は豊かになる。日本人が親切すぎたために朝鮮の人々は日本人がなんでもしてくれると思い違いをしてしまったのかも知れない。

米も野菜も果物も家畜も新品種は日本からやってくる、工業技術も日本人が教えてくれる。戦後15年のブランクはあれどその間も在日の人たちを通じて日本の商品も技術の韓国に入っていた。

1965年の国交正常化以前に韓国では在日韓国人が作った工場で日産ブルーバードが現地組立でつくられていました。やがて政権中枢の金鍾泌がもっと金をよこせと言い出し、経営は破綻。その後トヨタが進出しコロナを製造、ところが契約を破って他社製品を製造するという裏切りでトヨタは撤退だったでしょうか。金に汚く裏切りはあたりまえの国民性です。

その後は現代自動車が三菱の最上級車デボネアをグレンジャーとして生産、起亜はマツダの小型トラックボンゴなどマツダ車の生産で伸びていく。

90年代の韓国では日本では希少なデボネアがクラウン・セドリックなみに走っているのをみて競合がなければどんなクルマでも売れるのだと感心。オーストラリアの有袋類を思い出しました。

もう1社の大宇はスズキのアルトをベースにした軽をつくっていましたが後継のジウジアーロがデザインしたマティスは当時の日本の軽自動車よりもオシャレでデザインは上だと感じました。起亜は破綻し現代の傘下になり、大宇もおなじくGM傘下となり韓国GMとなりました。

今やアメリカのGMが生き残りに必死でドイツのオペルを捨て、タイでの生産からも撤退、韓国撤退もまもなくでしょう。

サムスン自動車はルノー傘下のルノーサムスンになり、日産車を作ることでなんとか生き延びてきましたが、サムスンブランドの使用も中止とされ、日産車の受託生産も3月で中止。韓国GMとともに破綻がほぼ確定的。航空業界もアシアナは大赤字、LCCもみな赤字、航空・旅行業界も破綻の連鎖となるでしょう。

韓国の産業はほぼすべて日本のコピー。研究開発を省いて日本のコピーを安く作る。日本企業に研修名目で潜り込み、コンテナ一杯分の書類と工具を持ち帰ったと自慢するお国柄。ソウルの地下鉄も浦項製鉄所も日本企業が作り上げたのに完成の記念式典に日本人は誰一人呼ばれない。
当時の屈辱を味わった若手がいまや経営陣。日韓関係は悪いのが当たり前の状態に戻るだけでしょうね。
  (PB生、千葉)
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