2020年03月18日

◆「ブラタモリ」島原・天草

馬場伯明


私は長崎県島原半島の生まれである。NHKの「ブラタモリ」は好きな番組の一つでありよく観ている。今回は故郷の島原半島の放送なので大いに期待していた。だが、内容には少し違和感があった。

番組の概要をNHK番組案内より一部を引用し紹介する。2020.3.14(土)NHK総合
19:30〜20:15で「#160
島原・天草〜なぜキリシタンは250年も潜伏できた?〜」の放送がある。

舞台は、熊本県・天草と長崎県・島原。2018年「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録されたこの地域で、明治まで約250年もの長いあいだ潜伏キリシタンが信仰を守り続けた秘密と痕跡を探る。出演はご存じタモリと林田理沙NHKアナウンサー。

熊本県天草・ア津では文化2(1805)年に露見したが「宗門心得違い」という沙汰で赦免され生き残った事情などが紹介された。そこからフェリーで島原半島の原城跡に移動し「島原の乱(*1)」の激戦の跡を辿る。(*1)学術表現としては「島原・天草一揆」と統一されたらしいが、本稿では「島原の乱」とする。

では、私の違和感の中身を記す。

まず、番組進行の順番が間違っている。「なぜ250年もの間キリシタンが潜伏できたのか?」と天草・ア津に上陸し「ブラタモ」した。しかし、その前に「なぜ、潜伏せざるを得なかったのか?」という重大な歴史事実を深堀りすべきだろう。順路は原城➠ア津の方がよかった。

津の街歩きでは潜伏の秘密が種々解き明かされる。(1)八個の丸い銭を並べ十字架を表現した(証拠が残らない)。(2)家の注連飾りを十字架風にした。(3)アワビの貝殻にマリア様を見た(信仰者にしか見えない)(4)真鍮製の踏絵には十字架がないので踏む抵抗感が薄れたなど。

(5)潜伏が露見した決定的な事件があった。文化2(1805)年の「天草崩れ」である。ア津村などで5,000人以上のキリシタンを捕らえたが何と村民の5~7割にも達した。しかしお寺の檀家であり神社の総代を務める者もいる。島原の乱から167年を経て幕府に逆らう気もない。

彼らに厳罰を科し暴発されては大変である。そこで幕府は大所高所から策を練る。彼らをキリシタンではなく異宗信仰者あり宗門心得違いの者であると認定し、改めて踏み絵を踏ませ、「異宗」改心の誓約を書かせ赦免としたのだ。つまり、潜伏キリシタンを宗門心得違い者と読み替えた。タモリが笑って言った。「今の政府(役人)と変わらないね」。

ア津の寿司屋の主人が「うちも潜伏キリシタンでした」と話したあとで、「じつは世界遺産に登録された2年前の42歳のときに知りました」とゆるくボケた(!)ことを言う。笑ってしまった。筋金入りの「潜伏キリシタン(➠カトリック教徒)」の末裔を出演させるべきではないのか。

山の上からの神社の鳥居と教会(修理中)とが重なる画像、少年遣欧使節が持ち帰ったという八百屋の「南蛮柿(無花果:いちじく)」、帰国した少年らが秀吉に披露したという楽器「イタリアン・ヴァージナル」の演奏もあった。(東京藝大音楽学部大学院卒という林田理沙アナが少し演奏した。上手である)。

しかし、250年間に及ぶ命をかけた寺社宗教からの大脱走というか大潜伏
を取材するという悲壮感や緊張感はあまり伝わってこない。NHKが段取りした観光視察旅行であった。なぜか?その理由は「キリシタンは、なぜ、潜伏せざるを得なかったのか?」という深刻な歴史的な背景の追及が不十分だったからである。ただ、専門家の安高啓明(熊本大学文学部准教授)の説明は丁寧でわかりやすかった。

タモリ・林田アナ一行はフェリーに乗り(一揆軍が決起の談合をした)湯島(談合島)を遠望しつつ激戦の地「原城跡」に到着した。一揆軍37,000人と幕府軍12万人の熾烈な戦いで死屍累々の人骨が埋まっている場所である。どうなるのか?視聴者は息を殺してTV画面を待ったに違いない。

原城跡の探索が始まった。ところが、正直言って期待外れであった。一揆軍の防御が強かった理由の一つとして原城の門路が折れ曲がった「枡形(ますがた)」道になっていたからだと城郭考古学者の千田嘉博奈良大学教授は指摘した。

「この形は何でしたっけ?」と訊かれ、林田アナは一瞬ためらったが、「ま・す」のヒントにより「枡形」と正解した。(何かやらせ風?)。しかし、この城は一揆軍が造ったものではない。島原藩か築城したが、島原城へ移り廃城になっていた原城へ一揆軍がなだれ込み籠城したのである。

籠城37,000人の食料と水が必要だ。海水は飲めない。海岸へ降りると島原半島ジオパーク協議会の大野希一事務局次長が待機していた。この崖は元の地層の泥岩の上に阿蘇山の大噴火(*2)の火砕流が降り注いでできた地層(ASo4)であり、雨水が濾過され池(「蓮池」)ができたと言う。

(*2)固い元からの地層:海抜+2〜3m、11万年前の阿蘇山噴火:+20m(火砕流・火山灰)、9万年前の阿蘇山噴火:+10m。天然の濾過・浄水装置になったと推測できる。原城の地下トンネルには清流があるという。

一揆軍は「蓮池」の水を飲んだと思う。何せ37,000人もの籠城だ。南島原市在住の原田建夫さんが電話で説明してくださった。「一揆側が『蓮池』の水を飲んだとの古文書はない。また井戸の有無も不明。本丸の東側にも池があった。なお、城内の6ヶ所の井戸は大正・昭和の掘削である」と。要するに「空気と水はタダ」だったから記録がないのだ(!)。

幕府軍が城へ撃ち込んだ(鉛の)弾で作られたという十字架の画像が写された。タモリは「幕府軍は宗教がこんなに人を奮い立たせることを知った」と話した。一面の真理ではある。だが、本質は政治の問題である。

一揆軍から幕府軍への矢文が小豆島の壺井家に保存されているという。「(幕府には恨みはない)・・・あわれ長門首を我々ニ見せ被下候ハヽ、城中人民共ニ悉縄をかゝり、始終の事とも申上け死罪ニ行れ本望ニ可存候由」と。(苛斂誅求の)松倉長門守(松倉勝家)の首を見せてくれれば(自分たちは)縄にかかって死罪でもよいと。(「検証
島原天草一揆」〈大橋幸泰〉より)。

島原半島南目のキリシタン農民は禁制によりほぼ棄教していた。しかし、松倉の圧政と苛斂誅求に耐え兼ね「立ち返り(再び信者になる)」したのである。一揆軍は幕府軍の兵糧攻めにより3ヶ月後「餓死」同然となり37,000人がほぼ全滅した。戦闘員が約13,000人、老人、女、子供、幼児らが約24,000人との記録がある。まさに政治的苦渋の決断であった。

「ブラタモリ(2020
3.14)」では、島原の乱と直接的には関連が少ない(9〜11万年前の)大昔の阿蘇山大噴火による地層の話を長々と放送した。タモリの個人的な興味への配慮なのだろうと私は邪推した。

終わりにプロデユーサーとディレクター氏にいくつか要望をしたい。

(1)原城跡の図面が出されたが、むしろ、この戦いの内容を想起させる絵図や動画(映画)等を挿入し放送してほしかった。同じ日本人同士がなぜここまで妥協のない絶望的な「戦い」をしなければならなかったのか?その意味を提示してほしかった。

(2)キリスト教の日本伝来と布教の功罪について多くの新しい研究成果が生まれている。とくに、日本侵略の先兵としてのキリスト教・宣教師の機能(役割)が「外国の当事者の資料」により証明されつつある。一方、豊臣・徳川幕府の「日本国を守った政治」への評価が高まっている。両論併記でもいいからこの論点への大胆な言及を期待したい。

(3)37,000人の戦死者の悲惨な事実があったから、250年間も恐れ潜伏したのだということを強く発信すべきである。乱の後、島原半島には潜伏キリシタンは残らなかった。厳しい追及に天草や五島へ転じたのかもしれない。本番組では「宗教と政治の分離」がいかに大切であるかという現代的なメッセージも発信してほしい。

(4)原城跡の本丸の入口付近には「ホネカミ地蔵」という小さなお地蔵さんが祀られている。ホネカミ地蔵は、明和3(1766)に有馬村願心寺の注誉上人が、この戦乱で斃れた人々の骨を敵・味方の区別なく拾い、霊を慰めた地蔵尊塔である。

骨かみ地蔵に花あげろ
三万人も死んだゲナ
小さな子供もいたらうに
骨かみ地蔵に花あげろ  (八波則吉作)

「ホネカミとは骨をかみしめる」こと。転じて「(人々を)救済する」という意味であるという。私はここへ行くたびにお参りしている。

原城跡を去るときに、タモリと林田アナは、一揆軍の死者(27,000〜37,000人:諸説あり)との幕府軍の死者(1,130〜5,712人:諸説あり)の霊を想い、せめて「ホネカミ地蔵」に手を合わせてほしかった。残念である。長崎県出身の林田アナの「ブラタモリ」の最後の旅も尻切れトンボになってしまったような気がした。

林田アナは「終わっちゃったんですね。いや〜もう・・」と感極まった様子で(中学生のように)涙ぐんだけれども・・、そうではなく、ホネカミ地蔵に手を合わせているうちにうるうるとなる、(演出ではなく)番組がそのように終わればよかったのにと思った。(2020.3.16千葉市在住)

(追記)本稿の「見解等」は私見であり、その全責任は私にある。(了)


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