2020年04月02日

◆メディアこそ武漢ウイルス克服の最大の障害

櫻井よしこ


安倍晋三首相のメッセージをどう受けとめ、どう活かすか。それは日本人が武漢ウイルスとどのように戦い、どのように日本を守っていくかという問いでもある。

武漢ウイルス感染症に関する特別措置法の改正を受けて行った3月14日の会見で、首相は終始謙虚だったと私は思う。まず、法案成立に協力した与野党に感謝し、緊急事態に至ったと判断した場合、同法に基づいて、蔓延防止と社会機能の維持のため、様々な措置を取ることが可能となるが、それはあくまで万が一のための備えであると説明した。

「そうした事態にならないよう、国民の皆様に大変な御苦労と御不便をお願いしながら、政府と自治体が一体となって懸命に感染拡大防止策を講じております」と丁寧に語り、いま休校で卒業式にも出られないかもしれない児童や生徒には「思い出を作る大切な時期」なのに、「大変申し訳なく思っています」と気配りを示した。

医学専門誌「ランセット」は3月9日の論文で各国政府に向けて「新型コロナウイルスによる死者の最少化と、ウイルス拡散による経済損失の最小化は両立できない」と発表した。つまりウイルスの犠牲者を出さないためには人々の行動を制限せざるを得ず、そうすれば経済成長など全く期待できない。二つを同時に実現することは困難だということだ。

その厳しい現実を踏まえて、首相は、現在は感染拡大の防止が最優先であること、しかしその後は日本経済を成長軌道に戻すためにこれまでにない発想で思い切った措置を講ずると決意を語り、会見をこう結んだ。

「いかなる困難も力を合わせれば必ずや克服することができる。打ち勝つことができる。私はそう確信しています」

これはまさしく国民への信頼の表明であり、政府は国民と共に全力を尽くすという誓いの言葉でもある。欧州でも米国でも急速に拡散しているウイルスに対処するには何よりも力を合わせることが大事だ。私たちは、今、力を合わせられるか、その分岐点にいる。

「安倍独裁」

だが首相の発言を受けての質疑応答を聞いて、一部メディアの姿勢に私は強い違和感を抱いた。まず内閣記者会の幹事社、東京・中日新聞の後藤氏は、特別措置法改正で、首相が緊急事態宣言を出せるようになったが、国民の間には権利が制限されることへの懸念が根強い、どういう状況で発令されるのかと、質した。

会見の最後の質問も、ある意味右の質問に重複する内容だった。インターネット報道メディアのIWJ代表、岩上安身氏の質問である。論点は以下のとおりだ。

緊急事態宣言発令で言論・報道の自由は担保されるのか。首相は改憲に大変熱心だが、今回の緊急事態宣言で国民をならし、その後に自民党改憲案に盛り込まれている緊急事態条項を導入するのではないか。安倍独裁を可能にする内容を含んでいる。その点について答えよというものだ。

岩上氏は「安倍独裁」といとも簡単に口にしたが、緊急事態宣言について理解したうえで質したのだろうか。確かに緊急事態を宣言するのは首相である。しかしこれまで繰り返し説明があったように、宣言に当たってはまず専門家の意見を聞き入れると首相は言っている。その上で、首相が緊急事態を宣言した場合、そこから先は都道府県の知事たちの仕事だ。岩上氏や後藤氏が言う「私権の制限」は知事の指示を受けて各自治体が行う。

従って本来考えなければならない課題は、各自治体がどのような具体策を打ち出すかということだ。地元の医師会も教育界も経済界も、知事と問題意識を共有し、相互に意思疎通をはかれるようにしておかなければならない。まさに自治体の問題意識と能力が問われるのである。

しかし現実を見れば、適切に決定し、実行できる自治体ばかりではないだろう。だからこそ、万一の場合、どのような基準とタイミングで具体策に踏み切るのか、危機対応の手引きが必要だろう。この枠組みの中で心配すべきは首相による独裁でもなく、言論の自由の制限でもなく、各知事と自治体のための緊急計画の作成と吟味ではないのか。

首相会見を受けて、朝日新聞は15日、3面に大きな記事を掲載した。「会見打ち切りめぐり騒然」という見出しが印象的だった。首相会見は52分間行われ、12人が質問したと書いていたが、それでも不十分だと不満ばかりの記事だった。

丁度同じ頃手元に届いた米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)の社説に、私は心引かれた。米国で感染が拡大中なのは周知のとおりだ。この社説が掲げられた日に、トランプ大統領は非常事態を宣言し、500億ドル(5兆4000億円)の予算で検査・治療態勢を拡充すると発表した。出遅れた感のある米国が全力でウイルス対策をとり始めた局面での社説は「アメリカは自ら閉じる」という見出しで、次のような書き出しだ。

米国人の精神は前向き

「米国民が新型コロナウイルスと対峙する姿はフロンティア精神を想起させ心打たれる。大多数の米国人は自らの命と共同体への明確かつ直接的な脅威に向き合い、生き残るために自らの責任を果たしている」

米国人はいつもフロンティア精神で困難を乗り越えてきた。各自がやるべきことをやり遂げて自身を守り、国を守った。そのよき伝統が眼前に蘇っている、というのである。

米国人が実践し始めた「距離を置く社会」の例として、企業は社員に在宅勤務を勧め、多数が集まる催し物は取りやめたと書く。株式市場は前代未聞の大幅な下げを記録したが、距離を置くことで初めてウイルス禍は緩和できるとも言う。ウイルスとの戦いと経済の維持は両立しないため、耐えなければならない。全ての関係当局はその件について、現状を心配してはいるが、忍耐強く活力ある米国民に語りかけよ、というのである。

米国人の精神は前向きだ。国民のその心に語りかけ、ウイルスと戦う重要性を説けということだ。ウイルスと戦う過程でとてつもない経済的損失を蒙るのは避けられないが、そのことについても十分に知らせて、共に乗り切っていこうという、極めて健全な前向きの精神の発露が、WSJの社説だった。

14日の日本経済新聞で知ったのだが、株式市場における今回の史上最大の下げ幅は、野村証券の高田将成氏の計算によると、「1600億年に一度」の発生確率だそうだ。

予想を超える株式市場の混乱。予想しにくいウイルスの振舞い。世界の政治も力学も予想をはるかに超越していきつつある。こんな時こそ、勇気を奮って前向きにならずしてどうするのだ。日本人よ、いま、しっかりすべきときだ。

『週刊新潮』 2020年3月26日号
日本ルネッサンス 第894回
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