2020年05月26日

◆「バカヤロー」はつぶやき

渡部亮次郎


産経新聞(2010.1.3)の【産経抄】に

 <昭和28(1953)年2月28日、衆院予算委の席だった。右派社会党の西村栄一氏が国際情勢について吉田茂首相に質(ただ)していると、首相は次第に興奮してきた。西村氏が「興奮しない方がいい」などといさめるうちに、とうとう「バカヤロー」と叫んでしまった。>とあるが、あれは叫んだのではなかった。「つぶやき」だった。

あの頃私は、高校3年生、まだテレビは無かった時代。それでも国会紛糾の図が脳裡に残っているという事は、映画の「ニュース」を見たのだろう。

西村氏への答弁の最後に「バカヤロー」と呟き、それが録音されてしまったのだ。産経抄の筆者は戦後生まれか。いずれ、現場は現認してなくて知識としての「バカヤロー」だから、つい「叫んだ」と覚えたのだろう。筆者の若輩さを感じる。若さと未熟さ。調べればすぐ分かることなのに調べていない。

「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると

1953年2月28日の衆議院予算委員会で、吉田茂首相と右派社会党の西村栄一議員との質疑応答中、吉田が西村に対して「バカヤロー」と暴言を吐いたことがきっかけとなって衆議院が解散された。

「バカヤロー」と書くと大声を出したような印象を与えるが、映像資料で見れば分かるように、吉田は非常に小さな声で席に着きつつ「ばかやろう」とつぶやいたのみで、それを偶然マイクが拾った為に騒ぎが大きくなったというのが実態である。

問題となった、吉田茂と西村栄一の質疑応答の内容。

西村「総理大臣が過日の施政演説で述べられました国際情勢は楽観すべきであるという根拠は一体どこにお求めになりましたか」

吉田「私は国際情勢は楽観すべしと述べたのではなくして、戦争の危険が遠ざかりつつあるということをイギリスの総理大臣、あるいはアイゼンハウアー大統領自身も言われたと思いますが、英米の首脳者が言われておるから、私もそう信じたのであります(中略)」

西村「私は日本国総理大臣に国際情勢の見通しを承っておる。イギリス総理大臣の翻訳を承っておるのではない。(中略)イギリスの総理大臣の楽観論あるいは外国の総理大臣の楽観論ではなしに、

(中略)日本の総理大臣に日本国民は問わんとしておるのであります。(中略)やはり日本の総理大臣としての国際情勢の見通しとその対策をお述べになることが当然ではないか、こう思うのであります」

吉田「ただいまの私の答弁は、日本の総理大臣として御答弁いたしたのであります。私は確信するのであります」

西村「総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじゃないか」

吉田「無礼なことを言うな!」

西村「何が無礼だ!」

吉田「無礼じゃないか!」

西村「質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。(中略)翻訳した言葉を述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが何が無礼だ!
答弁できないのか、君は……」

吉田「ばかやろう……」

西村「何がバカヤローだ!国民の代表に対してバカヤローとは何事だ!!(以下略)」

直後に吉田は発言を取り消し、西村栄一もそれを了承したものの、この失言を議会軽視の表れとした右派社会党は、吉田首相を「議員としての懲罰事犯」に該当するとして懲罰委員会に付託するための動議を提出(この背景には鳩山一郎・三木武吉ら自由党非主流派の画策があったといわれる)。

3月2日に行われた採決に際しては自由党非主流派ばかりか主流派と見られていた広川弘禅農相らの一派も欠席し(この欠席を理由に広川は農相を罷免された)、懲罰委員会への付託動議は可決された。

さらに追い討ちをかけるように内閣不信任決議案が提出され、先の懲罰事犯の委員会付託動議採決で欠席した自由党鳩山派三十余名が脱党し不信任案に賛成したために3月14日にこれも可決。これを受けて吉田は衆議院を解散し、4月19日に第26回衆議院議員総選挙が行われることになった。

さすがの吉田茂も発言当初は「つい言ってしまったのがマイクに入った」としょげ返っていたが、数日後には元気を取り戻し、会合で「これからもちょいちょい失言するかもしれないので、よろしく」と余裕しゃくしゃくのスピーチを行っている。

吉田と西村栄一の関係は以前からしっくりいっていなかった。第2次世界大戦中、吉田は親英派として軍部に睨まれ、一時憲兵に身柄を拘束される憂き目にも遭っていた。

逆に西村は軍人との繋がりがあり、戦時中かなり力が強かった。その様なやっかみも手伝って、吉田は西村に好感情を抱いていなかった。これが「バカヤロー発言」の一因とする見方がある。

このときの新聞記事では、2人の興奮したやり取りの後、場内は鎮まり返り、そんな中、岡崎勝男外相に何事かを囁かれた吉田は「ニヤリと笑って立ち上がり丁重に取り消すとある。このことから、吉田の心中は「緊張のための照れ笑いといい過ぎたとの思いが交錯した複雑な心境であったことがうかがわれる。

解散後の総選挙では吉田の率いる自由党は大敗、かろうじて政権を維持したものの少数与党に転落し吉田の影響力は急速に衰えていった。これが吉田退陣につながる。

晩年吉田はその回想録の中で「取るに足らない言葉尻をとらえて」不信任案に同調した与党の仲間を「裏切り」と糾弾し、「当時起こった多くの奇怪事」で最大のもので「忘れる事が出来ない」と述べている。

上記のように、吉田が発言を取り消したため、議事録の中の、西村と吉田が発言した「無礼」と「バカヤロー」という部分は削除されており、現在の議事録で全てを確認する事はできない。

西村氏は西村真悟氏の父であり、鳩山首相は、当時、吉田の足を引っ張った鳩山一郎の孫である。

産経抄も冒頭でチョンボはしたが、材料にして突いた点はただしい。

▼そこらの夫婦げんかではない。国会での首相の発言だった。歴史家の半藤一利氏は著書『21世紀への伝言』で、映画の寅さんの「それをいっちゃおしめえよ」のそれだったと書く。その通りこの暴言は、首相懲罰動議や内閣不信任案の可決へと展開していった。

▼こんな古い話を持ち出すのは鳩山内閣の閣僚の言動がちょっと気になるからである。先日の参院予算委の質疑で答弁中に野党からヤジが飛ぶと「うるさい!」と怒鳴る。質問者が「全大臣にお聞きしたい」と言うと「私は全という名前ではない」と答弁を拒否する。

▼野党を小馬鹿にしたようなこの「高圧病」は鳩山由紀夫首相にも伝染したようだ。米軍普天間飛行場の移設先を5月までに決められなかった場合の責任を何度も問われると、すぐけんか腰になる。「その質問自体がありえない」と答えるのを拒否してしまった。

▼民主党などが野党であれば、ある程度許されるかもしれない。だが権力を握る与党になった以上、常に謙虚に自らを律しなければならない。民主主義の要諦(ようてい)である。「それをいっちゃおしめえよ」がわからないようでは「政権交代をしたのだから」と胸を張る資格はない。

 ▼もっとも民主党などのイラダチもわからなくはない。小沢一郎幹事長への疑惑などで、守勢一方に立たされているからである。そういえば「バカヤロー」も、吉田の「ワンマン政治」に対する与野党の批判が強まっているころに飛び出した。2010・1・30

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