2020年06月14日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(7」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/121(2020/6/12/金】室温31℃、すっかり夏だ。


庭の草花はのびのびと成長し、手入れをしないと「もっと上へ、もっと横へ」と縄張りを広げてくる。穏和しくて(自己主張の少ない)可愛い花は、野性味たっぷりの花卉に覆われて、存在すら忘れられそうだ。野趣と人工美をバランスよく調和させるのが「庭師」のキモなのだろう。

この「庭師」という言葉は好きだ。一日の仕事を終えて、縁に腰掛け、手入れを終えた庭を眺めながら一服している姿なんて、まさしく一幅の絵になる。


これが「造園家」とか「作庭家」「ガーデンデザイナー」「ランドスケープデザイナー」とかになると小生は「なんかなー、ちっとも粋じゃない」と興覚めする。


「留さん、ご苦労様でした、今日はね、いい酒が手に入ったんで、留さんとちょいと一杯やりたくて井戸で冷やしておいたんですよ、まあ一杯どうぞ・・・」

「いやーっ、うめえ! いい酒ですね、まったくゲージツ品だ!」

「そうかい、嬉しいね・・・それにしてもすっかりいい庭になった、心が晴々するねえ、まったくゲージツ品ですよ。先代の熊さんからお世話になっていますから・・・そう、もう60年」


「親方からは“100年先を見て手入れするのが庭師だ”ってよく言われたもんです。代々受け継がれてきた庭がゲージツ品みたいに神々しくなっていく・・・庭師冥利に尽きるってつくづく思いますよ・・・」

こういう風情はスケールは小さくても長屋の軒先、小家の玄関脇や商家の坪庭でも見られたし、今でも狭い空間を利用して花卉を楽しんでいる人は多い。

日本花き卸売市場協会のサイトにはこうあった。


<スコットランドの植物学者であるロバート・フォーチュンは1860年に幕末の日本を訪れ、街中で人々が植物を育てている様子を見て驚いたそうです。そのことを著書「幕末日本探訪記 江戸と北京」の中で、


「日本人の国民性の著しい特色は、庶民でも生来の花好きであることだ。もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものであるとすれば、日本の庶民はイギリスの庶民と比べると、ずっと勝ってみえる」

と書き記しています>

ただ、低成長経済や少子高齢化が進んでいること、同時に単身世帯が増えていることもあって、「⽇本の花き産業規模は1995年をピークとして縮⼩を続けている」(農水省)という。


バブル景気の最終年1990年は大阪花博が開催された年でもあるが、バブル余韻で世間の景気はまだ良くて、1995年の産出額は6200億円(作付面積4万8000ha)、これをピークに下り坂で2017年は3700億円(作付面積2万7000ha)に落ち込んでいる。


要は花卉業界が旧態依然で、生産者は「私作る人、市場で売ってオシマイ」、小売業は「私売る人、店舗で売ってオシマイ」。昔の食管法時代の百姓と米屋のようなもので、鮮度や産地なんてどーでもいい、というレベル。

業界あげての市場の分析、商品開発、マーケティングという当たり前のことが行われていないのだ、と農水省は怒っているようだ。


農水省がいろいろ指導しても生産者には馬耳東風だろう。我が街でもそうだが、都市近郊なら皆さま大地主で、「園芸農業なんてオレの代で終わり、息子はマンション建てるでよ」という人が多いはずだ。


小生の本家は元来は農業だが、小生が知っているだけでマンション2棟、オフィスビル1棟、40台収容の駐車場は4か所だと思っていたら「〇〇第5駐車場」を最近発見した。後継ぎには税理士の資格を取らせた!「百姓なんてやってられるか!」と思うのも当然だ。

かつて花を愛した国民は、まるでソドムとゴモラを理想社会と思っているかのように、ひたすらカネ、旨いもの、娯楽を愛するだけの野蛮人に退化しつつあるんですよ、フォーチュン先生。


戦後日本の師匠、米国では隠れアカが「中禍戦争を内乱へ転化せよ」とマルクス、レーニンの教え(詐話)をまたぞろ持ち出して、「チャンス到来、最後の絶好の機会だ!」と街頭で暴れまくっている。アカとバカにつける薬なし、ただ消え去るのを待つのみ。


6/11産経に岩田温(あつし)大和大学准教授の寄稿「国難に思う パンデミックでよみがえる亡霊 なぜ、また共産主義が語られるのか」が大きく掲載されていた。岩田氏は2005年、22歳の若さで「日本人の歴史哲学」(展転社)でデビューして以来、小生は期待していたが、久し振りに読んだ氏の論考は期待をさらに促すものだった。

まだ37歳、小生の愚息と同世代だが、氏はこれから一流の保守愛国派論客として名を高めていくだろう。次代は良くなるかもしれないとヂヂイは励まされる。

さあ、今日も元気で勉強しよう。上島武・前大阪経済大学教授の講演「ソ連はなぜ崩壊したか」要約の続き。( )内は修一。

・・・


日本には第2次大戦中に大本営発表というのがありましたが、それは負けていても「勝った」「勝った」と発表していました。


発表している側は、最初はウソだと自覚しているが、そのうちに自分が自分にだまされていく。それと同じように、スターリン時代のソ連では「社会主義が最終的かつ完全に勝利した」と言われました。

その社会主義の目標のなかに、「諸民族の融和と接近があり、ソ連には民族の抑圧、差別がなくなった、ある民族とある民族のあいだに固有のあつれきがあるという状態はなくなった」と宣言しました。ところが、現地の人はそうじゃないと思います。


チェルノブイリの原発事故以後、ゴルバチョフはグラスノスチとして、「みんな、言いたいことを出してくれ」という政策をとりました。

そうすると、各地方民族から「ロシアに我々は差別されてきた。我々より、もうちょっと大きな民族が我々を差別してきた」と言いだした。そしたら、その下にいる民族がまた言いだした。「そういうことをお前たちが言っているが、お前たちは我々を差別してきた」と。あっちにも、こっちにも問題が内向していることが明らかになってきました。

これが最初に爆発したのが1988年のナゴルノ・カラバフでした。ゴルバチョフが最初に聞いて、「ナゴルノ・カラバフ」ってどこにあるのか分かりませんでした。そこで何が起こっているのかも分かりませんでした。

(ナゴルノ・カラバフ地方は、アゼルバイジャンの西部で、アルメニア人が多く居住していたが、ロシア革命後にアルメニア共和国ではなくアゼルバイジャン共和国に強制的に編入された)

ナゴルノ・カラバフに住んでいる民族のなかでは、アルメニア人がアゼルバイジャン人に差別されてきましたが、アゼルバイジャン人はロシア人に差別されてきました。二重、三重、四重の差別があって、いちばん下から声をあげたのです。

しかし、なかなか聞いてもらえないので、手をだしました。これにたいして鎮圧部隊がやってきて紛争となります。

しかしこれは、ナゴルノ・カラバフだけ(の問題)ではなかったのですね。形式上は、平等にソ連邦に加盟するというかたちをとりながら、実際は二重三重の上下関係のなかにおかれてきたなかで、(ゴルバチョフに)「最終的に諸君の権利をみとめます」と言われた。


その時には、とうとうと湧き上がった民族的エネルギーをゴルバチョフ的な方向で、あるいはゴルバチョフが頭のなかで描いていたレーニン的な十月革命の原点にかえって再編成しようという方向に組み上げていくんじゃなくて、まったく別の方向へ導いていった勢力が明らかにありました。

地方の共和国のエリート集団が選んだのは、社会主義的な連邦的な再生ではなくて、そこから分離・離脱する方向でした。そして、分離・離脱するさいに社会主義も捨てました。

なぜ、社会主義を捨てたのか? 各加盟共和国のトップの連中たちは、自分たちの行く末、身の振り方を考え、自分たちの地位、立場、権力、権威、権限をどうやったらうまく確保できるかを考えたとき、社会主義とか連邦とかいうことではなく、分離独立の方向をとった方が、今後の政治家として影響力を保つことができるという選択をしたんでしょうね。


同時に民衆も「社会主義に未来はない」と感じとってしまったのじゃないでしょうか。


そうなる要因として、これまで述べてきた経済的な要因、政治的な要因以外にもう一つあります。ペレストロイカは、もともと経済の改革から始まったのですが、そこから打ってくる政策が次々と裏目にでて、地方ほどツケがまわってきたのです。


これとまた、何十年間の積もる怨みと重なってしまったんでしょう。国民生活の後退というのは国民にとってがまんすることができない。日に日に生活が悪くなってくる、これは庶民の絶望感をさそったでしょう。


さらにソ連の国民の10人に一人はかつての戦争で死んでいます。また5人に一人は多かれ少なかれ、大粛清の経験をし、あるいは身内・縁者に関係のない人がいないぐらいです。

この歴史を考えてみると、選択肢は分離独立イコール脱社会主義ということになって、民衆の支持を最終的に失ったわけです。


◆むすび

ただし、民衆は社会主義をオール否定したのか? あの時点で、そのように社会主義をみなかった人もいます。あとで「しまった」と思っている人もいます。しかし、問題なのはその当時「ソ連を離脱なんかしなくてもいい」と思ったり、あとで「しまった」と思ったりしている人たちが、なぜ声を出せなかったのかということです。

ソ連共産党やインテリゲンチャなどの政治集団も声ある形でなぜ出せなかったのか? それは、彼らもまた社会主義に自信をもっていなかったからです。

ソ連崩壊を考えるときに、このことも考えなければなりません。ソ連の社会主義というのは、人々を「脱政治化」にしてしまいました。


政治的な判断力とは、政治をどう見て、明日はどうすべきかということです。ところが、政治的であるべき民衆が、そのなかでもリーダーシップを発揮すべきインテリゲンチャや前衛を自称する共産党の連中が声を出せなかった。


彼らもまた脱政治化していた。ここのところが、いちばん大事なことだと思います。(おわり)

・・・


一党独裁、共産党独裁というのは党のトップの最終命令(機関決定)にすべての党員、人民が無条件で従う制度である。逆らえないどころか異議を唱えただけで銃殺や収容所行きだ。つまり政治はトップクラスの人が決めることであり、クチパク以外のことを言えば「畏れ多くもご政道を非難した不届き者」となってしまう。


だから庶民もエリートも政治を語ることはご法度、せいぜいこんなアネクドート(風刺的な小話)で憂さ晴らしをするだけだ。


<KGBの職員が通り過がりの通行人に話しかけた。

KGB職員「あなたの政治的な立場はどんなものですか?」

通行人「はあ、私が考えるに...」

KGB職員「それで結構、あなたを逮捕します」>(WIKI)

脱政治化しなければ生きていけない世界。それがリベラル≒アカモドキ≒アカども目指す世界であり、そういう時代錯誤的バカや確信犯的ワルが米国にはまだうじゃうじゃいるのだということを「民度の高い」文化的日本人は知り、己を戒め、「民度の低い」享楽的日本人は「あら、アメリカでもリオのカーニバル!」としか思っていないんじゃないか。


「世界を俯瞰すればマシな方」と言えないこともないけれど・・・(2020/6/12)


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