2020年07月01日

◆香港の金融プロフェッショナル

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)6月29日(月曜日)通巻第6562号  

香港の金融プロフェッショナル、ディーラーは東京へ行きたがらないでは台湾か? やはりシンガポールが次の國際金融都市だ

 香港安全法により、政治的には発言が封じ込められ、活動家が逮捕、起訴される懼れが高まり、多くが海外への移住を希望している。受け入れを大々的に表明しているのは台湾と英国である。日本にやってくる香港人は極小である。
 
 香港ビジネスマンがなぜ日本を避けるか? 昨年香港財閥一位となったヘンダーソンランドにしても、一時東京株式市場に上場したがすぐに撤退した。PCCWも八重洲の国鉄会館跡地を買って、大がかりな進出だったが、いつの間にかいなくなった。

 拙著のいずれかにヘンダーソンランドCEOの李兆基とのインタビューを載せたが、要するに「日本? あんな税金の高い国には進出しても意味がない」と回答した。

 安部首相は「香港から人材を受け入れるため、法律整備などの準備をする」と明言しているが、具体的にはヴィザの迅速な審査と発行、起業のためのオフィス暫定無料化、起業円滑化補助など、あらゆる環境の整備が急がれる。
 そこまでしても、香港のビジネスマンは東京へ移動しないだろうと、じつは多くの香港人が考えていることが分かった(サウスチャイナ・モーニングポスト、6月29日)

 「民主主義が行き届き、言論の自由が確保されている日本の事実は知っているけれど、金融セクターのプロフェッショナルは、そのことには興味が薄い。東京は金融取引で規制が多すぎるし、英語が通じない。空港から東京へのアクセスは悪いし、つまり日本は金融業からみれば『別の惑星』に見える」と或る専門家は分析している。
 自由が希薄で言論の自由がなくても、金融規制のないシンガポールは、その日からでもビジネスが成立する。だから香港人のターゲットは、台湾、韓国、日本ではない
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集中連載「早朝特急」(25)この連載は80回ほど続きます
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第二部 「暴走老人 アジアへ」(その5)

第三章 「ヤヌスの首」を演じるフィリピン(B)

 ▲果物の宝庫ミンダナオは豊か、ダバオはドゥテルテ大統領の地盤。建設ラッシュ

 2018年二月に、筆者はミンダナオに行った。ミンダナオ諸島はイスラムが強いうえにルソン島の主流言語であるタガロイ語が通じない。
 マニラ、セブに次いで、フィリピン第三の都市、ダバオはいまや付近の町村合併で200万都市に変貌している。ここで通じるのは現地の言葉である。あちこちで新築ビル、マンション建設の槌音高く、年金生活をダバオに求めてやってきた日本人老夫妻にも何組か出会った。しかしイスラム教のモスクはほとんど見かけない。
 ミンダナオの都市部では英語が通じると旅行ガイドブックに書かれているのだが、それも観光ガイドとかホテル、高級レストランの話である。ローカルな市場へ行けば、タガロイ語さえ通じない。
 セブンイレブンが方々にあって、大家族の伝統がある島でも、コンビニ文化が同時に浸透しつつあることは意外だった。行き当たりばったりにタクシーを拾った。ちゃんとメーターで走るタクシーはトヨタが多く、運転手は片言の英語を理解する。だから大概の用は足せる。
 それより驚いたこと。ダバオは日本の影響がえらく強いことだった。
 街角に立つ外国語学校。盛況は英語、日本語で、中国語、韓国語の選択は少ない。スペイン語は語学研修施設から消えている。
 ダバオの町にはマニラ同様に十数もの日本料亭があるが、「吉兆」とか「日本海」とかの命名ではなく、「隊長」とか「将軍」とか、軍隊用語を店名にしている。これはダバオ独特である。
 理由は直ぐに分かった。
 ダバオの郊外、とくにカリナンあたりに「日本人村」が存在していたからだ。
 マニラの日本人街は秀吉のキリシタンバテレン追放によって漂流的な亡命をした高山右近の時代に存在した。堺商人らが貿易でマニラに出入りしたし、当時の遣欧使節は必ずマニラに寄港した。

 ▲タカヤマウコンって誰?

 いまはマニラの下町=パコ駅周辺にその残骸も面影もなく駅前の小さな公園に立つ高山右近像は道路工事のため緑色の網がかけられていた。しかも付近の人は誰もタカヤマウコンと言っても分からなかった。
 ところがダバオには戦争中の兵站基地だった「日本トンネル」(防空壕も兼ねた地下要塞跡)が残り、戦争中は全長八キロもあった。そのうちの二百メートルが公開され、兵舎、塹壕、坑道が見学できる。ガイド付き入場料は50ペソ(百二十円)。しかもこの施設内にはビジネスホテルが建っている。
 大東亜戦争でフィリピンが舞台となった激戦地はコレヒドール、レイテだが、ついでミンダナオも激戦地だったのだ
 2017年に安倍首相が訪問したとき、ドゥテルテ大統領のダバオの自宅で晩餐会が行われた。
翌日、昭恵夫人がこれら激戦区跡、日本人墓地を慰霊に訪れている。
 ダバオのアポビューホテル(アポ山はフィリピン一高い)に宿泊してタクシーを雇い、このトンエルを見学したあと、「フィリピン・日本歴史資料館」へ行った。運転手は道を知らず、カリナン町にはいって、付近の人々に片っ端から聞き回ること四十分。ようやく発見した同館では日本語がちゃんと通じた。
 「ここは日本語学校も兼ねているのですか」と聞くとそうではなく、自主的な講座があるとの答えが返ってきた。
 この地は20世紀初頭にマニラ麻のために日本から入植した日本人がコミュニティをつくり、往時は「リトル東京」と呼ばれたほどに繁栄した地区だったのだ。往時の写真パネルが、資料館に展示してあった。

 ダバオはドゥテルテ大統領の地盤であり、その人気は圧倒的である。ドゥテルテ大統領は麻薬撲滅を掲げて密売人をばんばん銃殺し、恐れをなしたマフィア構成員の多くが自首した。このため刑務所が満杯となった。だから密集の刑務所の囚人がコロナの集団感染となり、多くが死んだ。マニラの裁判所は、囚人の釈放を呼びかけ、かなりの模範囚や軽犯罪者が釈放されるという一幕もあった。
 ドゥテルテの激しさはそればかりではなく同じミンダナオの中西部にあるマラウィという都市を灰燼に帰させた。イスラム過激派のマウィ集団をテロリスト武装勢力として追い詰め、戦車、戦闘機を動員して殲滅させた。
40万都市だったマラウィは廃墟となり難民40万人が付近でいまもキャンプ生活。戦闘は終わったが復興に十億ドルを要するという。
 
 ▼マニラにも慰安婦像が。。。

 その乱暴とも言える遣り方に国際世論は人権無視と批判したが、何処吹く風、かえってフィリピンのナショナリズムを高めた。
 ドバイでフィリピンの出稼ぎ女性らがレイプされ殺害された事件が頻発すると、ドバイへの出稼ぎを一切禁止するという報復措置をとる。
 この激しさは次に禁煙政策にあらわれた。
 ダバオの町は吸い殻を捨てても五千ペソの罰金、ホテル、レストランなどあらゆる場所が禁煙となった。町を歩いても歩道も綺麗で、喫茶店もバアも禁煙という厳しさ。因みにマニラでも繁華街、住宅地はそうだが、チャイナタウンへ行くとご婦人の歩きタバコ、下町のギアポ地区へ行けば道路が灰皿と化していた。ドゥテルテの威光もマニラ市民には徹底していないようである。
 南国特有の風景が広がるダバオは木々も大柄である。名物のマンゴーなど美味しくて安いので、たくさん食べた。夕食は年金生活者取材のため日本食レストランへ行ったが、アサヒ、札幌、キリンビールに日本酒の熱燗もあった。あまり知られていないが、フィリピン女性と結婚して現地に暮らす日本人の高齢者も意外に多い。

 乗換のためマニラに戻って一泊。ロハス通りのJENホテルは日本人客についで韓国人が多い。隣接する高層マンションは豪華な玄関、ガードマンがいる。聞くと中国人が現金で買うという。付近一帯は新築マンションの建設ラッシュである。
 ところがホテルの裏側へ一歩はいると、臭気ただよう貧民街で路上生活者がうようよ、ゴミ収集人に交じって子供達が裸でかけている。細い小路にはマリア像の小さな祠がある。

 筆者にとってマニラは六回目だが、新たに見たいところがあった。
 マニラに「新名所」(?)が出来たのだ。夕日が綺麗なマニラ湾に平行する大幹線道路「ロハス・ブルーバード」の遊歩道に突如、「慰安婦像」が建立された。
日本政府はただちに抗議した。すでに「アジア女性基金」を設立し、名乗り出たフィリピン女性二百数十名にひとり三百万余を支払い「解決済み」だからだ。

▲マニラに巣くう反日活動家は華僑だ

 ところが反日勢力が世界に「歴史戦」を挑んでおり、マニラでも華僑の一部が豪、カナダの反日団体と連携しているのだ。2018年1月12日、マニラ市民がまったく知らない裡に在比華僑のなかでも「反日派」が集合して慰安婦像の除幕式を強行した。
 マニラのチャイナタウンは金融と流通の町だが数年前に来たときはなかった巨大なショッピングモールが建設され、國際色豊かなレストランが犇めき、一流ブランドの旗艦店も集まっているではないか。壮観である。
 その前の通りは早朝から渋滞、タクシーを拾おうにも雲助が多く、案の定、華僑経営の「ゴールドショップ」がある。広場には旧正月らしく十二支の占い掲示板や月餅の売り場、仙人の人形がならび、中国からの観光客がしきりに写真を撮っている。チャイナタウンでは日本人を見かけないが、モール内には台湾料理に加え、UCC珈琲もあった。
 多くの華僑は政治的無関心であり、子弟等は米国へ留学する。ホンの一部の過激派が中国共産党の指令をうけて慰安婦像を建立し、北京に過度の忠誠心をみせようという試みと考えられる。
 ちなみにこの遊歩道には元大統領やら著名ジャーナリストの銅像も立つが、新しい慰安婦像の付近にいたフィリピン人に聞いても、この像が何を意味し、何を目的に建つのか誰も知らなかった。
 観光馬車、得体の知れない物売り、乞食に加えマニラ湾に釣り糸を垂れて、取れた肴をその場で売っている一群の人々がいる。その五メートルほど隣には、誰かの像が引き倒された残滓があって、剥き出しの鉄筋が台座に突き刺さっていた。
 「これは誰の銅像だったのですか?」
 「何の理由があって銅像は撤去されたのですか」
 これまた誰も知らない。つまり在比華僑が建てた慰安婦像とて、同じ運命をたどるだろうと思われた。私の取材した1ヶ月後、ドウテルテ大統領は慰安婦像の撤去を命じた。 

 フィリピン人が陽気なのは南国の気象条件、飢えを知らない果物や米の栽培もあってのことだが、カトリックの影響が強い。
 フィリピンを最初に植民地としたのはスペインだった。ラテン系もまた楽天的であり、その後やってきた米国はプロテスタントだったにも拘わらずカトリック教会がすでに根を下ろしていた。
 マリアの小祠は貧民街にもあり、またフィリピンのキリスト教独特な黒いキリストのナザレ像がどの教会にもある。
 だから貧乏でも子だくさん、既にフィリピンの人口は一億人を突破しており、五年以内に日本を抜くと予想されている。

 米国の影響はマニラでは強いが、地方へ行くと反米色が強いことに驚かされる。反面、日本のメディアが自虐的に報じたような反日感情は稀薄である。フィリピン人の性格に合致しない所為か韓国人はあまり好かれていない。気ぜわしく短気な人はフィリピンでは尊敬されない。そして近年、独自の歴史見直しが始まり、独立の父リサールの大きな銅像が各地の公園に屹立するようになった。
 いってみればフィリピンが独立後初めて「国学」に目覚めたとも言える現象だ。クラーク基地とスービック湾から米軍が去っても、スカボロー礁が中国に盗まれても、すこしも慌てず、ゆったりと自分の歴史に向き合い始めたのである。

 ▲フィリピンはなぜ中国に抗議しないか

 フィリピン領海であるスプラトリー諸島の珊瑚礁の大部分がすでに中国に盗まれてしまった。
 目の前のスカボロー(黄岩)礁にはセメントを流し込まれ、中国の軍事施設の建設が着々と進んだ。ほかにもファイアリー・クロス(永暑)礁に人口島の埋め立て工事がすすみ、なんと三千メートル級、幅二百から三百メートル)の滑走路を建設した。
 周辺もすでにジョンソン南礁(赤爪)で埋め立て工事、ガベン(南薫)礁、クラテロン(華陽)礁でも軍事施設工事が開始されている。ミスチーフ環礁(美済)とスービ岩礁にレーダー基地が作られている。フィリピン海軍は貧弱な艦船しか保有していないため警備艇の出動もままならない。国際裁判所に提訴し、フィリピンは勝訴したが、事態はなにも変わらない。
 これではスプラトリー諸島(中国名「南沙群島」)は中国の「浮沈空母」ではないか。
 中国海軍の戦略は「接近阻止、領域拒否」と呼ばれ一貫性がある。究極の目標は南シナ海を「中国軍の海」化する軍事拠点の構築である。

だがフィリピンは中国非難を積極的にできないのには以下の理由がある。
 第一にフィリピン経済は金融、物流、建設などの殆どの分野が華僑に握られている。アキノ前大統領自身、ご先祖は福建省出身でまぎれもなく中国系である。

 第二にフィリピンには統合された文化がない。はやくからスペインの植民地であったためカソリック教会が林立してはいるが、原住民にとってこれは借り物の宗教でしかなく、ミンダナオ島など南部は圧倒的にイスラムである。国民のアイデンティティは希薄である。

 第三が独自の「国語」を持たないことだ。米西戦争でスペインを追い出した征服者アメリカが次なる宗主だった。原住民の文化は中世から窒息状況にあり、スペイン語が普及した土壌に英語がやってきたためタガロイ語を喋るフィリピン人は50%程度である。タガロイ語はもともとマニラ周辺の地方語で、戦後これを改称して普通語とし憲法にさだめたもの多民族国家であるフィリピンは7000もの島々からなる島嶼国家ゆえ普通語の普及にも限界がある。地方語は200以上あるといわれ高等教育をうけた若い世代はむしろ英語を流ちょうに喋る。

 第四に産業の構造的欠陥であろう。国内には農業、鉱業、軽工業しかないため海外へ出稼ぎにでるフィリピーノは1000万人と推定される。彼らの海外からの送金でフィリピンの外貨準備が成立している。

 ▲文化的統一のない国家の宿命

 したがってナショナリズムを煽って国民を糾合するという政治的手段は駆使したところで部族間の反目という現実を前に、その限界が見えている。国内政治は華僑の影響力が強く、親米が基本とはいえ、どうしても中国批判を避ける傾向になる。
 歴史を遡及すれば16世紀にスペインの侵略が始まり当時の皇太子フェリペに由来してラス・フェリピノと名付けたのが始まり。征服される前、紀元前からバイバイン文字を持った独自のマレー系の文化があったことは考古学で立証されている。
 1898年米西戦争の結果、スペインは徐々に退却し、この間にアギナルドが独立を宣言した、米国は傀儡政権としてアギナルド政権を認めた。しかしアギナルド憲法は米国が押しつけた、現在の日本国憲法と酷似すると言われる。11916年に自治を獲得し、34年には名目上の独立を果たすが、実際は米国植民地に他ならなかった。抵抗したフィリピン人を米軍は40万人から50万人も虐殺した。
 戦後は米国の政治的影響下、反日姿勢を強めた。1965年にマルコス政権が誕生し、ようやく日本との関係は修復された。
 この間、南部の島々で反政府軍が群雄割拠し、モロ民族解放戦線、新人民軍(中国の支援を受けた旧共産党系)は三井物産の若王子支店長を誘拐した事件も起きた。さらにイスラム・ゲリラでアルカィーダと関係があるアブサヤフの台頭があり、国内治安はまったく回復していない。
中国批判のトーンに熱狂的なものが欠落しているのは、そのような背景からだろう。

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