2020年07月04日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(23」

“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red
Gables/135(2020/6/30/火】孫の小学校は6/15/月から再開した。2か月ちょっとの遅れを取り戻すために、とりあえず夏休みは1週間になる。冬休み、春休みはほんの数日になるかもしれない。


中禍以前は「もっと休め」だったが、中禍以後は「寸暇を惜しんで学べ働け」。今「日本人は働き過ぎ! 有給休暇を取れ、生活にゆとりを」なんて言ったら「会社がつぶれたら元も子もないだろ、バカめ!」と白い眼で睨まれそうだ

昨日の正義は今日の悪。その逆もまた真なり、か。価値観が大きく変わる。まるで敗戦後の日本。中禍は大戦並みの大事件、大災難で、WW2の唯一の勝者、アメリカも大きく動揺している。

今は昔の物語、旅行業界は「もっと休め、遊べ、旅行しろ! 二階先生、どうぞ三連休を増やしてください」と一丸になって運動したものだ。


<3連休をつくる「ハッピーマンデー」制度は平成12年に導入され、同年から「成人の日」と「体育の日」が、15年から「海の日」「敬老の日」が祝日として固定されなくなった>(WIKIなど)

「体育の日」は10月10日だから意味があった。歴史、伝統などを壊すのは中共の得意技で、中共のポチ、二階俊博を担いだのは旅行業界にとって正しい選択だった。ナンカナーと思う人もいたけれど、表には出なかった。どこのギョーカイも腹の底では「モラルでメシが食えるのかよ」というのはあるからね。

中禍で旅行業も大変だろうな、と思っていたが、どうなんだろうとじっくり考えてみた。

旅行業(旅行会社、トラベルエージェンシー)は自分の資産をあまり持たない(机と電話だけでOKの)商売で、昔から「ひとのふんどしで相撲を取る」「駕籠かき(交通機関)、枕(ホテル、旅館)は実業、俺らは客引き、ポンビキ、虚業だ」なんて自嘲していたから、大した被害ではないかもしれない。


怪しいポンビキもどき時代もあったけれど、基本的には旅行業は不要不急の娯楽産業(虚業と言わないまでもサービス産業の末席?)で、従業員も中枢以外はほとんどが派遣社員、期間限定社員、ソリシター(個人業)、外注である


航空会社、バス、船、ホテル、レストランなど固定資産が大きいところは中禍でひどい目に遭っているが、旅行業は「客がいなければ派遣社員を切ればいい」という“しっぽ切り”ができるから「我が方の被害軽微」(戦中の朝日の常套句)で済むわけだ。


旅行店舗が(自社製、他社製であろうが)100万円のツアーを売る(取扱額)。普通の企業の売上に相当する粗利(コミッション=手数料)は10%の10万円。まるでチップ並!(スーパーでさえ30〜40%) そこから人件費、家賃、その他を引くと、最終的に残る経常利益は0.3%、たったの300円!

取扱額1000億円でも、事実上の売上は100億円、経常利益は3000万円(まるでソープ嬢)・・・10年間貯めてもせいぜい3億円、自社ビルを持っている旅行会社はほとんどない! 自社ビルでも抵当になっているかリースバック!


一見華やかだけれど実業とは言えないし、資産も信用もあまりないから銀行から借金ができない、上場も難しい。同志諸君、この「借金できない」というマイナスゆえに雑草のような旅行会社は倒れないのだ。東京商工リサーチから。


<6月29日17時現在、「新型コロナ」関連の経営破たん(負債1000万円以上)は、全国で288件(倒産212件、弁護士一任・準備中76件)に達した。2月2件、3月23件から4月は84件に急増、5月も83件と同水準で発生し、6月はこれを上回るペースで29日までに96件に達した。

なお、集計対象外だが、負債1000万円未満の小・零細企業・商店の倒産が4件判明。また、水面下では、制度融資や支援策などを活用しないままに休業状態に陥ったケースも増加しており、これらの「休業企業」の動向にも注目が集まっている>


中禍ショックで真面目な実業家、自営業者は不渡りや売上減、受注激減で倒れ、借金ができなくて身軽な軟派の遊び人みたいな旅行業はどっこい生きている・・・人生あざなえる縄の如し。


夜明けは近いかどうか・・・いいことは長続きしないけれど、嫌なこと、辛いことは結構続くのではないか。


登山! 登りはきつくても意気軒高、気力体力、運、「引き返せる」選択肢もあり、事故は少ない、頂上からの眺めも爽快だ。下りは楽なようだが体力は落ちているし、膝への負担が大きく、滑落など事故ると命にかかわる、ビバークする場所もなく、「せめて避難小屋まで」とか無理をしがちだ。


早稲田ワンゲルの人が「吹雪でどうにかビバークしたんだけど、女子が化粧し始めて、ああ、ここで俺らは終わりかって・・・怖かったなあ」、死に化粧。怖いよね。山と女、登るは命懸けだ。


人生も事業もソフトランディングは難しい。


隣町のダイエーが9月末で閉店する。50年前の1971年に開業し、周辺に大流通革命をもたらした。わが街の米屋、豆腐屋、菓子屋、八百屋、肉屋、魚屋・・・ほぼ壊滅!

小生の叔父さん(父の弟)は、そのダイエーより5年ほど前に地域で初のスーパーを開いて意気軒高だった。

叔父さんは港区青山(ツインタワーが建ったところ)で八百屋を営んでいたが、都市開発で「住民がいなくなっちゃったんだから商売にならない」と、土地を売って、その頃、米国で増えていったスーパーマーケットを生まれ故郷に創ったのだ。


全国スーパーマーケット協会のサイトによると、「1953年11月、東京・青山に日本最初のセルフサービス店(紀ノ国屋)が開店し、我が国における小売業の歴史に新しい1ページが開かれました」とある。


何と叔父さんの店とは青山通りをはさんだところが日本のスーパーの発祥地だったわけだ。叔父さんは「この業態はイケル」と判断、研究し、故郷に錦を飾ったわけだ。


巨大なダイエー開業を受けて叔父さんはダイエー商圏以外に店舗を新設していった。ところが高度成長で、めぼしいところにはイトーヨーカ堂、マルエツ、ライフ、サミット、相鉄ローゼンの大型店、中規模ではいなげや、大野屋、ベンガベンガ、トップなどがどんどん進出してくる。


東京からはじき出されて多摩川を越えてきた移住民は、難民、貧民どころか、土地代やら立退料を持った美味しい遊民


しかし、いくら人口が急増しているとはいえ、巨大スーパーからニッチ狙いの大型/中堅スーパーまでが怒涛の進撃で押し寄せてきたら、最早、独立系の中堅スーパーは居場所がない。


叔父さんは数店舗創ったものの今は1店舗のみで、叔父さん亡き後は長男坊(小生の従兄弟)が経営していたが、保有株すべてを売却したとか。


企業の寿命は「昇って10年、昇りつめて10年、下って10年」(日経)という。今は会社更生法も普及したので「昇って10年、昇りつめて20年、下って20年」、計50年あたりか。


隣町のダイエーの土地・建物はこの2月に野村不動産所有になったが、築50年だから周辺を含めた全面再開発になるだろう。小生なら地下から地上3階までは店舗、それから上は全部マンションとかの高層ビルにするけどなあ。


ダイエーは再出店したいようだが、中内功が今さら「♪昔の名前で出ています」のようで、小生は「♪死んだはずだよ
お富さん 生きていたとは お釈迦様でも 知らぬ仏の
お富さん」・・・ナンカナーの感じ。


近隣の住民はもっと洗練された、異次元的な、エンタメのような、癒し系のコンセプトの空間を求めてはいまいか。多摩丘陵と多摩川の間、いずれも徒歩5、6分、この立地を生かしたテーマパークのような・・・

まあ「3密ダメ」のほとぼりが冷めてからの話で、アイデアを募集してのんびり進めるしかないだろう。オバサンたちが「野村不動産と街づくりを共に考える会」なんて創るから小生の出番はないけれど。(2020/6/30)

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