2020年07月07日

◆「スパイ機関」という悪評を受けたので

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)7月6日(月曜日)通巻第6571号  

 「孔子学院」は「言語教育開発センター」と改称か
   欧米で閉鎖あいつぎ、「スパイ機関」という悪評を受けたので

 中国が「中国語教育と国債交流のため」という触れ込みで最初に「孔子学院」を開設したのは2004年、ソウルだった。爾来、わずか14年で、154ケ国に、548校を開いた。
米国だけでも教員数4000名を数えた。

 孔子学院では「おかしなことを教えている」と批判の声が最初にあがったカナダでは、PTAが立ち上がり、孔子学院の閉鎖を求める署名運動が開始された。
この孔子学院への不信感、スパイ容疑の声は米国に波及し、米教育省は当該大学に対し孔子学院の閉鎖を要請した。
閉鎖しなければ予算配分をやめるという強硬措置である。
 
 実際に孔子学院の閉鎖はデンマーク、オランド、ベルギー、仏蘭西、スウェーデンが続き、欧米では非難の的になったため中国は印象を和らげる必要に迫られた。
 「孔子学院」は「言語教育開発センター」と名称変更するという。

 西側と価値観を共有するはずの日本には立命館、早稲田など十五の大学に孔子学院があるが、閉鎖の声は一向に聞かれない。
         
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集中連載 「早朝特急」(34 ) 
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第二部 「暴走老人 アジアへ」 第二節 南アジア七カ国(その1)

 第一章 プータン

 ▲ブータンは「世界一幸せ」?
 
ブータンはインドの保護国である。
 軍事力をインドに依拠し国家の安全を保障してもらっているからだ。だからブータンの通貨はインドルピーに為替レートを準拠させており、また若者たちはインドへ「英語」の語学留学へ行く。

ということは舌をくるりと丸めるインド発音の英語となる。「Where you from?」は{Which Country are you belonging?}となる。しかも発音はホイッチ コントラリー アー ユー ビロンギングと英国的印度式発音になる。

GDPではなくGHPで、「世界一幸せ」と喧伝された神秘の国はヒマラヤ山脈の麓に拓けた山国だ。

ブータンは何回も国土を中国に盗まれているため、すっかり反中国、いまだに正式の国交がない。軍事的にはインドを頼る以外に道がない。

近年は道に迷い込んだ等と偽って中国人がブータンに冬虫夏草を盗みに来るからタチが悪い。

私はタイの首都バンコックで中型機に乗り換え、ブータンのパロに着いた。山脈を縫っての着陸だったのでアクロバット飛行のごとし、ちょっと怖い。

パロの町は中国陝西省の延安に地勢が酷似しており、川に沿って細長く町が発展し周囲は山に囲まれている。

一本の短い滑走路、もちろん、ジャンボ機は着陸できない。おまけに道路事情が悪いので大型バスは市内だけ、地方へ足を伸ばすにはマイクロバスか、スズキアルトの小型タクシーしかない。昔、荷物を運んだというロバは見かけない。

空気が綺麗で新鮮、おもわず空港で深呼吸。空港ターミナルの入り口には国王夫妻の巨大な写真が飾られている。民族衣装をまとって、はにかむような笑顔だ。

パロの空港から町へは車で20分ほどでこぼこ道と未舗装の山道を走る。パロの町並みは百年前にタイムスリップしたように古色蒼然、瑠璃色の瓦、黒い木材を使った商店街は観光用のセットかと思うほどにノスタルジーを感じさせる。

商店を覗くと仏像、タンカ(仏画)は殆どがインドかネパール製。ほかに色石、和紙の手帳、民族衣装などしか品揃えがなく、まずいビールが3種類だけ。タバコは禁止。公衆の面前で喫煙すると罰金か、刑務所行きである。

ーーこれじゃ、観光客は少数に制限されるし、ブームはこないだろう。 

所々、民家の屋根が真っ赤である。
 
「赤い屋根瓦は何故?」とガイドに聞くと、「あれ、赤唐辛子ですよ、ブータン人は赤唐辛子がないと食事をしたことにならないので、ああやってみなが屋根の上に干しているのです」。

このガイド、男性で30歳後半くらい。英語の他に流暢な日本語を喋ったので驚いた。日本に2年間留学し、奈良でホームステイの経験があるという。

▼鎖国しているから邪な思想や音楽はブータンに入ってこない

少数の観光客以外、ブータンに来る人はいないから、外国の邪な思想とは無縁、とくに「悪魔のような」中国とは国交がない。

果たして欧米の文化的影響は極小であり、日本からアイドル歌手がきて街を歩いても誰も振り返らず、米国のスターがパロの街を平然と歩いたが、誰一人声もかけなかったという逸話が残る。

日本のアニメも紹介されていない。漫画も入っていない。
 こうなると何が起きるか。日本で地方の盆踊りを連想すると理解が容易だが、仮面を付けた単調な踊りのお祭りが年中行事。これを見にゴザ、水筒、弁当を抱えてかなりの見物人がある。ほかに楽しみがないから、ブータンはやっぱり世界一幸せなのである。

ならばこの国に財政はいかにして成り立っているのか。外貨収入の第一は豊饒な水力による発電で余剰電力をインドに売っている。

つぎに観光客に一日あたり290ドルの強制両替、つまり冷戦中、ソ連や東欧諸国がそうであったように、強制徴収システムがあって大事な外貨獲得になる。外国人からの税金である。その次が小麦、木材などの輸出である。

欧米人のトレッキングがブームだといってもロッジが整わず、悪路が続くので依然として少数派、旅慣れた人は規制の少ないネパールへ行く。つまり観光立国をめざすにせよ、道路、交通機関、アクセスの貧弱さなどインフラの拡充が遅れている。

建物も6階建てが上限のため、ホテルはロッジか旅館程度が関の山、やっぱり静岡市より少ない人口だから、それでやっていけるのだ。義務教育ではないが、田舎でも小学校へは行く。子供達は簡単な英語を喋る。医療費は無料である。

ブータン最大の都市は首都のティンプー(人口が10万弱)である。王宮はチベットのポタラ宮殿に匹敵するほどの広さ、荘厳さを誇っていて壮観と言ってよい。

ブータンは九州くらいの面積しかない上、ほとんどが山、それも北方はヒマラヤ山脈で7千メートル級。ちなみに「あの山の名は?」と尋ねても6千メートル以下の山には名前がなく「右から6番目の山」とかの答えが返ってくる。

水利が豊かなので山の稜線は棚田がどこまでも続く。赤味かかった稲穂が特徴で、なつかしや、田圃には案山子、赤とんぼ、蛙。用水路は清流が流れている。稲作のほか、サトウキビ、トウモロコシ、ジャガイモ。赤唐辛子。棚田の美しさをみていると日本にいる錯覚に陥るほどである。静寂で、夜は河の音しか聞こえない。

のどかな田園が山々の間に広がる。民家を訪問すると外国人歓迎で独特なバター茶でもてなしてくれるが、これは日本人には不向き。

杯を空けないでいると、「それなら」と出してきたのは自家製の蒸留酒。日本の麦焼酎に似てまろやか、思わず四杯呑んでしまった。

▲人口過疎、だが若者が多い 

小麦も豊かなのでパンが美味しい。民家では庭に牛を飼い、鶏小屋があり、犬が寝そべり、野菜をすこし育てている。名も知らぬ花々が咲き乱れていた。

ドチュラ峠(海抜4千メートル)を超えてプナカ(旧首都)へ向かった。峠から見渡すと遠くに7314メートルのチョンモラリが見えた。

山の中の辺疆とも言える場所にあるのがプナカで、なんとここが300年間、ブータンの首都だった。「冬の王宮」と呼ばれる王宮は2本の河が交差する中州に建てられた立派な城である。これは地政学を熟慮した地形を撰んでの軍事的要塞である。

この「冬の宮殿」で現国王夫妻の結婚式が執り行われた。ワンチュク国王とペマ王妃は民族衣装(ゴとキラ)に身を包み、象と馬の行列に導かれて入場した。国民はこぞって祝った。国王ご夫妻が来日された折、通訳兼案内人がペマギャルポ氏だった。

ブータンは若者が多い。純朴で、子供達ははにかみや、人を騙すような面構えのブータン人を見つけるのは難しい。そして国王以下、みんなが民族衣装を着ておりジーンズやミニスカートはいない。

しかし日本でも長野県がそうであるように山をひとつ越えると方言が異なる。それどころか、ブータンは山岳民族と遊牧民に加えてインド系、チベット系、ネパール系にシャーマニズムを信仰する土着民が混在するので、部族間でまるっきり言語が違う。公用語はゾンカ語だが普及率は25%しかない。

だからインド同様に統一言語は英語と決められ、それも小学生から授業は英語である。道路標識も町の看板も英語が主体である。

GDPならぬ「GNH」(Gross National Happiness、国民の幸せ度)でブータンが「世界一」なんていうのは誇大宣伝であり、それも日本のマスコミが大きくつたえた所為で一人歩きしている。

実態は貧困にあえぐ国民が2割近く、GDPは40億ドル程度だ。文明的なインフラが不揃いなうえ、言語教育に難点があり、失業率が高く、日本的な価値基準からすれば、とても幸せとは言えない。

けれども事実上の鎖国をしているから外国の邪悪な思想も文化も入らず、伝統的価値観が生き残り家族を大事にし、田舎ののんびりとした生活で満足できる。幸せだといえば、それは感じ方の問題である。食料が豊かなので外に不満が少なければ少ないほど幸せを感じるのである。

町を歩くとやたら黒犬が目立ち、道路にのんびりと寝そべっている。しかも野犬だ。ただし去勢手術と狂犬病の注射をすませているので「野犬はこれから減りますよ」とガイドが言った。いまのところ「犬も幸せな国」である。

牛ものんびりと道路を占領する。インドに似ている。ブータンは仏教が主体とはいえ、インドと隣接しているため土着の民はヒンズー教とシャーマニズムを基礎に上積みされた、外来宗教としての仏教(それもチベットのドゥク・ガキュ派)である。したがってダライラマ法王が最高位。寺院の建築思想はチベット仏教風だが、おまじないの白い旗をなびかせ、そこにも経文を書いたりしている。

土葬、火葬の習慣がなく遺灰を河に流す習慣はヒンズーであり、山の高いところでは鳥葬が行われている。したがってブータンには墓がほとんどない。お墓がぽつんぽつん存在するのはキリスト教徒とムスリム。

牛は聖牛扱いだがブータン人は牛肉も食べる。主食は赤みがかった米、鶏肉、ジャガイモで、野菜が少ない。川魚は漁が禁止されているためインドから輸入。つまり肴は殆どない。食生活は質素そのものだ。

▼ブータン国民の99%は中国が嫌い。だからインドと防衛条約を結んでいる。

前述のようにブータン人は中国が嫌いだ。

PEW研究所の調査によれば93%の日本人は中国が嫌いらしいが、ブータンは99%が中国嫌悪、いまだに外交関係がない。かわりにインドと防衛条約を結んでいる。

実際に筆者は5日間ブータン各地を歩いたが見かけた中国人は5人だけだった。一眼レフをもっているのですぐ分かる。

中国語で話しかけると驚いた表情になるが、それだけ、彼らがブータンでは嫌われていることを自覚し、神経を使っている証拠だろう。世界中どこにでもある中華料理レストランがパロ市内に1軒だけだった。

ブータンは「平和な国」という好イメージも実際は大きく異なり、戦争をいくつか経験している。チベットとも、ネパールとも、そしてインドとも。

だからあちこちに軍要塞跡が残り、仏教寺院の多くは城のような建て方である。軍は志願兵で1万人の陸軍だけ。

 中国を嫌う最大の理由はマオイストの跳梁だった。

2003年にアッサムから3000名のマオイストが武装してブータンに入り込んだ。彼らはインドからの独立を主張していて背後で中国が使そうしていた。

ブータン国王自らが交渉したが埒が明かないので軍事作戦を敢行し(前国王が軍の指揮を取った)、テロリストをインドに引き渡した。ネパールがマオイストによって王制が覆滅されたようにブータンが中国を危険視する動機はそれである。

 
日本の皇室との交流が深く、ブータンが親日国家であることはよく知られるが、JICAの農業指導が積極的に行われ、150名ほどの日本人が各地に駐在している。ブータン農業の指導と発展に尽くした西岡京二という日本人がアベよりも一番有名だった。

      
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【知道中国 2097回】                
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘57)
橘樸「道?概論」(昭和23年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

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中国は激動のとば口に立っていた。だが、そんな時代の雰囲気も知らぬ気に、風光明媚な西湖を振り出しに蘇州、南京、揚州と続く気儘旅。旅先での庶民とのやりとりを楽しみ、日常の裏側に潜む彼らの生存原理に思いを巡らしながら、青木は『江南春』(平凡社 昭和47年)を綴った。


「上古北から南へ発展してきた漢族が、自衛のため自然の威力に対抗して持続して来た努力、即ち生の執着は現実的実効的の儒教思想となり、その抗すべからざるを知って服従した生の諦めは、虚無恬淡の老荘的思想となったのであろう。彼らの慾ぼけたかけ引き、ゆすり、それらはすべて『儒』禍である。諦めの良い恬淡さは『道』福である」と説くが、当時の青木の考えを敷衍するに、あるいは、こういうことだろう。

黄河中流域の中原と呼ばれる黄土高原で生まれた漢民族は、やがて東に向かい南に進んで自らの生存空間を拡大してきた。先住異民族と闘い、過酷な自然の脅威にさらされながらも生き抜く。こういった日々の暮らしの中から身につけた知恵の一方の柱が、何よりも団結と秩序を重んじる儒教思想だ。団結と秩序が自らを守り相互扶助を導く。

だが獰猛無比な他民族、猛威を振るう自然、時代の激流を前にしては、団結も秩序も粉々に砕け散ってしまう。人間なんて、どう足掻こうが所詮は無力。そこで、もう一方の知恵の柱──なによりも諦めを説く老荘思想の出番だ。団結と秩序への盲従、つまり誰もが大勢に唯々諾々と迎合する情況を「『儒』禍」と、人力ではどうにも動かしようのない自然や時の流れをそのまま受け入れることで自らを納得させる術を「『道』福」と呼んだのではなかろうか。


さらに青木は、「韮菜と蒜とは、利己主義にして楽天的な中国人の国民性を最もよく表わせる食物」となる。そこで、「己れこれを食えば香ばしくて旨くてたまらず、己れ食わずして人の食いたる側に居れば鼻もちならず。しかれども人の迷惑を気にしていてはこの美味は享楽し得られず。人より臭い息を吹きかけられても『没法子』(仕方がない)なり。されば人も食い我も食えば『彼此彼此』(お互い様)何の事もなくて済む、これこれを利己的妥協主義とは謂うなり」という辺りに落ち着くこととなる。

また中国芸術を指して「まさに韮のようなものだ。一たびその味わいを滄服したならば何とも云い知らぬ妙味を覚える」とも説いている。(なお、原文では滄は「さんずい」ではなく「にすい」)


以上を対外開放以降の40年ほどに当てはめると、一貫する激越なカネ儲けにしても、間歇的に起こる反日言動にしても、習近平の強圧的な内外路線にしても、それらに相乗りすれば「香ばしくて旨くてたまらず」「何とも云い知らぬ妙味を覚える」。

調子よく立ち回っている人の「側に居れば鼻もちならず。しかれども人の迷惑を気にしていてはこの美味は享楽し得られず」。かくて誰もが我先にイケイケドンドン。他人は関係ない。これが「『儒』禍」。だが時代の敗者になったら致し方がない。キレイサッパリ諦めるだけ。これを「『道』福」と言うのではないか。百年生きたところで、たったの36,500日でしかないだろうに。

一方、林語堂は「成功したときに中国人はすべて儒家になり、失敗したときはすべて道家になる」(『中国=文化と思想』講談社学術文庫 1999年)と説くが、青木の指摘と重ね合わせると、中国人は儒家と道家をご都合主義で演じ分けているようにも思える。

青木の説くところに基くなら、「『儒』禍」と「『道』福」に裏打ちされた「利己的妥協主義」が中国人の行動原理となるだろう。それにしても、彼らの民族性を韮や蒜で表す青木の韜晦振り──いや敢えて洒落っ気というべきか──には、完全に脱帽するしかない。
橘の中国論に欠けているのは、やはり青木の醸す「洒落っ気」ではないか。
      
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 読者の声 どくしゃのこえ REASERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)7月3日夜放送された[フロントJAPAN]は下記サイトでご覧になれます。佐波優子さん、宮崎正弘さんコンビで、外交の在り方、「疫病と漢方とアビガン」などを独自の視点で分析討論した内容です。
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