2020年07月13日

◆「暴走老人、地球の裏側へ」

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)7月12日(日曜日)通巻第6582号  <<日曜版>>

連載「早朝特急」再開

集中連載 「早朝特急3」(第42回) 

「早朝特急」第三部  「暴走老人、地球の裏側へ」(その1)

 第一章 カストロ亡き後のキューバ

 ▼キューバ、カストロ、ゲバラ、ヘミングウェイ

嘗てカストロは「反米の闘士」として世界の左翼運動家や社会主義者から尊敬を集め、日本でも朝日新聞に代表される左翼メディアと知識人がさんざん持ち上げた。いまではチェ・ゲバラのほうに人気があり、カストロの名前は消えかけている。

キューバ革命はたしかに旧バチスタ腐敗政権を打倒したのだから「革命」と言えなくはないが、土地や企業の国有化、外国企業の接収などは却って経済を後退させ、国民の苦しみは悪化した。

客観的にみて評価できるポイントは少ない。

しかし反代々木系全学連、全共闘世代の間では、カストロとゲバラの伝説が神話になっていた。とくにゲバラは彼らのイコンとなった。

教育費無償、医療の発達がなされる一方で、アンゴラにエチオピアにキューバの兵隊は社会主義革命と聞けば駆けつけた。

あの左翼の全盛時代、キューバの伝説が左翼の巧妙なプロパガンダによって拡大された。ところがゲバラの武装闘争はいずれも無惨な失敗だった。ゲバラは言ってみればアルカィーダのビンラディンのような存在だった。

キューバ経済は土地、企業の国有化、アメリカ企業の接収などを経て社会主義計画経済となったため、非効率で暗い影を落とし、国民は貧困と圧政に呻吟した。それが「革命」の実態だった。

米国が2015年まで「テロ支援国家」に指定していたため長く国際的に孤立した。

カストロが病床につき、表舞台から降りて実弟のラウル政権に移行すると、米国と秘密接触を開始、2015年7月、キューバはオバマ政権との間に国交を回復させた。半世紀、閉鎖してきた米国大使館が復活した。

以後、突如として「キューバ観光」のブームに沸いたのだ。

2017年に海外からキューバへ行った観光客は470万人を突破、18年は500万人をらくらくと超えた。

キューバには前から行きたいとは思っていたが、すこしブームが下火にならないと旅行代金もべらぼうに高い。ようやく2018年師走にハバナへ飛ぶ機会を得た。

首都のハバナ空港に降り立ってみると、欧州から早くも国際線が乗り入れ、ロビィもラウンジも人々でごった返している。それまではメキシコとカナダからの直行便くらいだったので西側の観光客は少なかった筈だから、さぞキューバのインバウンド業界はたいへんだったのだろう。

観光客は激増の一途で一番はカナダ、そしてフランス、スペイン、イタリアと南欧のカソリック圏からが多数である。キューバはもともとスペイン領土、カソリック信者が多い。米西戦争の結果、アメリカの事実上の植民地となった。国交回復後、アメリカ人も大挙してやってきた。

次に多いのはメキシコ、その次が中国、韓国、そして日本となる。

中国は冷戦時代のキューバがソ連とあまりにも強い絆があったため寧ろ敵対的だった。しかし清朝時代から華僑移民があり、ハバナ市内のど真ん中に「中華門」(ミニ・チャイナタウンの象徴)が聳える。

中国人ツアーが目立つのは納得できるけれど、国交のない韓国からの客が増えているのは不思議である。キューバは北朝鮮と深い絆があり、武器密輸に手を貸していることが暴露されている。

 日本人観光客が急増した理由はメキシコシティまで全日空が直行便を就航させて以来だ。それまでのカナダ経由より近くなった。ちなみにメキシコシティまで成田から14時間。そこからハバナまでは2時間半である。

観光客の目的はクルーズ、リゾート、クラシックカーの乗車体験、ヘミングウェイ博物館。時間的に余裕がある人が必ず立ち寄るのが島の中央山岳地帯の麓にあるサンタクララである。

理由はサンタクララにゲバラの「霊廟」が建立されており、革命肯定派の聖地だからだ。

霊廟では写真撮影禁止、私語も禁止というが、あくまでも神格化された人物という演出が目的であり、付帯するゲバラ博物館は写真パネルや使用した軍服、ピストル。愛用のパイプ、ボリビア時代の最後の日記くらいで、これといって見るべき資料は少ない。

筆者は北京人民大会堂前にある毛沢東のミイラ、ハノイのホーチミン霊廟、ベオグラードのチトー墓所記念館などを見ているが、いずれもが国家元首であり、それなりの荘厳な設備を施し、周囲に衛兵を配備し、厳重な警戒態勢をなしている。

ところがゲバラの「霊廟」なるものはガードマンさえいない。しかもゲバラは国家元首ではないし、そもそも彼は「外国人」の助っ人である。それがなぜ「霊廟」なのか?
 革命の主人公だったカストロよりゲバラに人気があるのは奇妙ではないか?

日本でもゲバラの人気が高く、愛称だった「チェ」というタバコが数種類も売られているほど。ゲバラとともに戦った日系人を主人公とする映画(オダギリ・ジョー主演)も作られ、ゲバラの写真展が東京で開催された。そうだ、ゲバラは写真撮影がうまかったのである。

ともかく不思議な現象である。ゲバラはアルゼンチン人、医者を志した貧乏学生、バイクで南米を無銭旅行を繰り返していた冒険家であり、写真家だった。

メキシコでカストロと邂逅して、革命の熱気に感化されて武装ゲリラ戦争への参加を決意した。

革命後、キューバの中央銀行総裁など務めたが、革命の熱狂から醒めたカストロと訣別し、コンゴ、ボリビアで武装闘争を呼びかけ、ボリビア政府軍と激闘、失敗し処刑された。

西側のゲバラ・ファンは一貫した戦闘性、その永遠の理想主義に「男の美学」をみるからだろう。日本で喩えれば源頼朝より義経に、近藤勇より土方歳三に人気があるようなものではないか。

明治維新をみても直情径行、後先を顧みずに暴走した吉田松陰、高杉晋作、久坂弦瑞らに人気が集中しても、リアル・ポリティックを冷静に実践した木戸孝允や大久保利通に人気がないのと似ている。

 ▼西洋化が緩慢ながら浸透していた

ならば、キューバにおける実態はどうなのか。

現地キューバ人はカストロのことさえ忘れるほどに、あのカストロの革命は遠くなっている。

南アを訪れたときのことを思い出した。首都プレトリアの旧国会議事堂前の公園に巨大なネルソン・マンデラの銅像が屹立しているが、遠足にくる子供達はマンデラのことを知らない。

変革の主体だったANC政権をまるで評価しない若者が多く、このような世代交代は歴史認識の齟齬を生む。つまりキューバでも世代交代が起こり、徒らな反米は後景に下がり、おっと、英会話ブーム、なんと、米ドルが通用し、西側の物質への憧れが強まった。

カストロを引き継いだラウル政権は規制を徐々に緩和し市場経済化が緩慢に進んでいるが、となると外貨とのアクセスが強い業種や企業が富み、新興財閥が跋扈し、貧富の差は拡大し、他方で農村は牛馬の耕作、遊牧民、あとは失業者の群れだ。庶民はまだテレビも買えず、映画館が栄える。下町のシネマ館には朝から長い列がある。

首都のハバナにおいてさえタイムマシンで半世紀前にもどったような文明。地下鉄はなくバスは超満員だ。

社会主義は大学教育まで無料化が残るけれど、理想は失われ、私有財産は認められ、外国資本が入り、豪華なリゾートホテルが建ち並び、クラシックカーと馬車観光は繁栄するも、基幹産業がない。

結局、ゲバラとは外人助っ人。山賊の親玉でしかなく、まぐれあたりの列車転覆による武器強奪作戦が成功して、そのショックで外国へ逃げた前の独裁者バチスタの不手際が、奇跡の偶然を運んだ。誰も想定していなかった革命が成功した。

だからゲバラの霊廟が建ち、Tシャツからタバコまで、いまもポスターにカレンダーもゲバラの肖像の入ったものが売れるが、革命の真の立役者であるカストロは南東部の故郷サンディアゴ・デ・クーバの墓地にひっそりと埋葬されているだけだ(もっともカストロは霊廟建設禁止を遺言していた)。

キューバ革命を美化し、カストロとゲバラのダークサイドをスルーしたのが左翼メディアと左翼作家らである。

カストロは毛沢東ほど残酷ではなかったが、一党独裁を信条として反対派を徹底的に弾圧した。それゆえ彼の政権下で大量の米国亡命が絶えなかったという事実は厳然として残る。

ゲバラは反米主義であり、日本の廣島にきたとき、「なぜ日本も原爆をつくって米国に報復しないのか」と語った事実は左翼ジャーナリズムが無視した。

第一にキューバはいまも共産党独裁であり言論の自由がない事実をメディアは重要視していない。

第二にキューバは「テロ支援国家」といわれたように北朝鮮の武装に協力的であり、アメリカとは敵対的なのである。

第三に日本は度重なるキューバの債務不履行を経験し、大型案件のいくつかは貿易保険が補填した経緯があるため本格的投資を躊躇っている。キューバ熱だけが先行している。

このような不都合な真実を伝えないため、多くの人々はまだカストロやゲバラを英雄視し、幻影を拝んでいる。

 ▼隙をついてキューバに食い入った中国

この隙をついてキューバに猛スピードで接近したのが、いわずと知れたかの国、胡錦涛は2回、習近平は2017年にキューバを歴訪している。

つまりキューバの共産党独裁という暗黒の体質は変わっていないため中国と政治路線でお互いが共鳴するのだ。
 現実にキューバは「テロ支援国家」を解除されても、暗黒部分が残っている。

国連が制裁を決めて物資が北朝鮮に行かない筈なのに、何故、金正恩はアメリカにも届くミサイルの新型を製造できたのか? 

このような初歩的な疑問を持つ読者が多いにちがいない。
 闇のルートが健在だからである。暗躍する北朝鮮の活動家、支援組織、代理人。そして面妖な看板を掲げるダミー企業。制裁を逃れるために北の国際的なネットワークが秘密裏に組織され、一時は日本が拠点だった。

会社名をしょっちゅう変えるダミー海運会社の表看板と裏看板、偽りの登録事務所。出入りする人間、そのコネクションの先を求めつつ、北朝鮮が核ミサイル、戦車部品からミグ戦闘機の輸出入に関わったルートは多国間に渉る。たとえ国連決議2375号(史上最強の制裁強化、9月11日。そして2397号、12月22日)があろうとも、代理人、工作人、活動家の暗躍が続き、拠点の一つがキューバだったのだ。

キューバは米国と国交を回復し、開発途上の明るい国であるが、軍のダークサイドでは、北朝鮮の独裁権力に繋がっていた。北朝鮮の闇ネットワークは金正男暗殺の舞台となったマレーシア、国連捜査に協力しないミャンマー、タイ。そしていまも武器密輸の本場といわれるウクライナからベラルーシなど。とくにベラルーシが新しい拠点に化けた。

2016年9月にベラルーシに北朝鮮大使館が設立された。ここで幾つかの「商談」が成立し、とりわけ移動式ミサイル発射台はベラルーシの軍事産業から中国へノウハウが渡り、中国がライセンス生産し、ほかの商品に偽装しての密輸が疑われている。

火星15号は最新鋭の移動式発射台が使われたが、これは9軸18輪だった。従来は8軸16輪が最大だった。日米韓の専門家は衝撃を受けた。北朝鮮は「これは自国製だ」と胸を張ったが、あの産業力で、このような発射台を製造できる筈がない。

 ▼ベラルーシ、北朝鮮コネクション

ベラルーシの首都ミンスクの幹線道路の中央に不気味な、宮殿のような建物がある。

看板がないので、「このビルは何か?」と問うとガイドは口ごもった。

あの悪名高いKGB本部だった。

ベラルーシの独裁者ルカシェンコ大統領は秘密警察を駆使して反対派を弾圧し、密告を奨励して権力を磐石にしている。そのベラルーシ政府は、「北朝鮮制裁品目を輸出しているはずがないし、手配している人物が入国した形跡はない」としらを切り続ける。

ダークサイドの典型的事件を元国連安保理「北朝鮮制裁委員会」の専門家パネル委員だった古川勝久氏が『北朝鮮、核の資金源──国連捜査秘録』(新潮社)で書いている。

「2013年8月、パナマ政府が、ある国から提供された情報をもとに、パナマ運河通過中の北朝鮮貨物船『チョンチョンガン(清川江)号』を捜索した。容疑は、違法薬物の密輸。

しかし、実際にこの船から見つかったのは、ソ連製のミグ21戦闘機や地対空ミサイルシステムなど、大量の兵器だった。これらはパーツに分解されて、合計31のトレーラーとコンテナに隠されていた。

コンテナは上に大量の砂糖の袋を載せられ、船底に置かれていた。積み荷はキューバの軍港・マリエル港で船に積まれ、北朝鮮に向かう途中だった。北朝鮮による史上最大規模の武器密輸事件であった」

この捜索はパナマ官憲によっておよそ1ヶ月も続けられ、砂糖の袋だけで20万個。地対空ミサイルの他に、アンテナからミサイル追尾装置、発電機、はてはミグ戦闘機が分解されて、そのエンジン15基が発見され、船長以下乗組員34名は取り調べを受けた。

ところがキューバ政府は、「これらは北朝鮮に『修理』を依頼したものである」と言い張り、北朝鮮政府も「購入の予定はなく、修理したらキューバに返却する」などと屁理屈をつけた。国連が制裁対象とした「メインテナンス」ではなく、あくまでの「修理」だと喧しく自己主張を繰り返した。

自殺を図ろうとした当該船長は「兵器密輸の立役者と見られる複数の人物の連絡先を記した手書きメモも保管していた。そこには、在ハバナ北朝鮮大使館の講師と参事官の電話番号や匿名の『キューバ軍人』の電話番号があった。キューバ国内で、密輸に向けた準備に当たっていた者たちだろう」(古川前掲書)。

ところでキューバ兵は練度が高く、士気も旺盛というが、本当だろうか?

外貨不足によって新兵器体系は購買できず、クラシックカーが代弁するように、旧式の兵器、軍トラックも貧弱である。

 ▼ハバナのホテルの部屋には蚊、蛾、昆虫の死骸

成田からメキシコシティまで14時間。全日空も直行便を飛ばしているが、筆者はアエロメヒコ航空を選んだ。空いていると思ったからだ。

ところが機内は満員、6割はメキシコ人か、或いは中南米、カリブ海の人々。日本観光の帰りで土産物をたくさん持ち込んで来る。意外に日本人客が少なく、それもメキシコシティで乗り換えてキューバへ行くツアー客となると30人ちょっとだ。

メキシコの繁栄には目を見張った。タクシーは近代化され、新車がならび、ビジネスマンの出入りが激しいのも隣国アメリカの景気が良いからだ。不法入国者はメキシコ国境の壁を越えて潜り込むが、メキシコ人より中国人が多いそうな。

メキシコシティで乗り換えに4時間待ち。ラウンジで軽食スナックとビールを飲んで新聞を読もうとしたら全部スペイン語だった。

ハバナ空港まで2時間半、さすがにローカルな飛行場なので冷房も効かず、雑然とごった返し、出迎えのキューバ人の服装を見ると、やはり格段の流行遅れだ。バスはぼろぼろ、タクシーは例によってクラシックカーである。新車は韓国の現代と起亜(KIA),そして新型のバスは中国製。発展途上国で目にする日本製中古バスがない!

道理で行く先々で出会ったツアー客は韓国と中国である。ホテルでも日本人客を殆ど見かけない。

ホテルの洗面所、シャワーは水、バスタブはない。蚊、蛾、昆虫の死骸。窓の隙間から入ってくるのだ。

アメリカと国交を開いてまだ1年、外国資本がようやく合弁を認められて2年しか経っていないキューバに近代的ホテルとか豪華レストランとかを期待したのが間違いだった。ただしメキシコと違って治安は良い。
 
たまたま雇ったガイドは黒人系で日本語も話せるインテリだった。「徴兵制ですが、期間は1年だけ。それもスポーツ選手だと1ヶ月でOKです」

 何故にスポーツ選手は兵役が期間短縮なのか尋ねると、サッカー、野球、フェンシングなどはキューバの国威発揚に繋がるからと答えた。「何故日本語を習ったのか」を訊くと「アニメを見て、この言語に興味を持った。インターネットで独学しました。日本にはまだ行ったことないです」と白い歯を見せた。

キューバ国民が携帯電話を許可されたのは僅か5年前、普及率は悪く、あちこちに公衆電話ボックスが残っている。ネットはホテルで繋がるが有料である。

あくせくしていないのだ。ならば庶民は何をしているかといえば昼間から辻にたたずんで所在なげな失業者がじつに多い。だが絶望の顔がない。シリア難民やロヒンギャのような悲痛な風貌からは遠く、人生を愉しむ風情なのである。

 ▼ヘミングウェイはことのほかキューバを愛した

この余裕はどこから来るのだろう?

キューバを愛した作家はヘミングウェイだが、ハバナ市内には長期滞在したホテル(アンボス・ムンドス)、よく通ったバアが大繁盛を極め、外国人観光客はヘミングウェイが好んで飲んだバア(フロリディータ)で、「ダイキリ」というカクテルを一様に頼む。

 
彼のトルゾの横で記念撮影し、帰りには名物のクラシックカーでホテルへご帰還となる。

この浮かれたような、楽天主義の行き先はどこになるのだろうか? 

革命広場にはクラシックカーがずらーと並んで壮観である。西洋人が次々と押し寄せ、リンカーン、シボレー、ギャデラック、GM,ビーイックなどの写真を撮り、どれに乗るか迷っている。1時間チャーターして30ドル前後が相場という。 

 その先には小型のエコタクシー、人力車、そして二昔前馬車タクシーが待つ。

筆者はと言えば広場を囲む政府ビルを眺めていた。内務省ビル前面の壁がチェ・ゲバラで、不思議なことにカストロがない!

(革命の立役者が不在とはこれ如何に?)

ヘミングウェイ博物館は近郊のコヒマにある。彼はキューバを愛し、20年間ここに住んだ。小高い丘の豪邸を買い、宏大な敷地、広い書斎は陽光が差し込み、書庫、ダイニングに応接間。それぞれに狩りの収獲である鹿の剥製を飾ってある。裏庭には愛用したヨットが展示されている。これらをキューバ政府は博物館として保存し観光資源として活用しているのだ。

ヘミングウェイは、ここで『誰がために鐘は鳴る』や『老人と海』を書いた。『老人の海』の主人公となったモデルは実在し、このコヒマ村の漁師だった。

筆者は大学での専攻がヘミングウェイだったので多少は関心がある。書斎の広さ、ボロボロになったタイプライター、書架にぎっしりと詰まった蔵書などに見入った。風呂は小さい。古風な扇風機も保存してあった。

日本でいまも文庫本が売れるように、西洋人にとってヘミングウェイ文学は読まれ続けている。次から次と観光バスが到着するから狭い廊下に行列が出来る。

アメリカ文学の誇りでもあるヘミングウェイをなぜキューバ政府が同時に誇りとするのか、なぜスペインやフランスの人々が彼の文学に魅入られるのだろうか?

推測だが、スペイン内戦に志願したヘミングウェイは、その後、闘牛に惹かれた。イデオロギーを主題とはせず、人生のロマンを希求し、男の生き方を追求し、人間の営み、情熱を書いた。

ヘミングウェイはカストロに社会主義革命の夢、人類の進歩を夢を見て交流したのだ。

 革命の翌年、ケネディ政権はピッグス湾侵攻に失敗し(亡命キューバ人は計画がずさんで、上陸地点の情報までカストロに漏れていた)、キューバと断交に至った。ヘミングウェイはアメリカに帰国せざるを得なくなり、その翌年に猟銃自殺を遂げた。
 
 ▼街の辻々には楽団があって、踊りがあって。。。。。

一通り見終えて入り口にもどり、簡素なレストランでビールでも飲もうかと坂を下ると喧しい音楽。こんなローカルな場所でも楽団が入っている。

キューバはホテルでもレストランでも、いや喫茶店も楽団が入り、謳い、踊り、そのチップで食べている人々が夥しいのだ。喫茶店からもあぶれると辻で大道芸人よろしく腰を揺らしながらの楽団演奏がある。

根本的にキューバ人は陽気である。この楽天主義が貧困のつらさを吹き飛ばすのだろう。

高級住宅地もあるが、庶民の住み家はトタン板、テレビアンテナがない。電化製品もまだ買えない貧困家庭が多く、だから下町へ行くと映画館が朝から満員となる。新聞を買おうにもコンビニもスーパーもない。駅でキオスクでも探すが、鉄道駅に売店がないのも驚きだった。

他方でリゾート地へ行くと分譲マンションあり、豪邸が建ち並び、キューバは外国人の不動産投資も例外的に許可し、また土地の国有化を徐々に緩和して私有財産を認めた。このニュースにフロリダへ亡命した革命前の金持ち等が自宅の買い戻しに前向きだという。

実際にカストロ革命では旧バチスタ政権幹部550名が処刑され、金持ち、中産階級、医師らがどっとアメリカへ逃げた。だから亡命組の多いフロリダ州ではマルコ・ルビオ上院議員に代弁される対キューバ強硬派が多く、共和党が強い。

コヒマ村には海岸の突端に軍事要塞が残り、米西戦争の古(いにしえ)の残滓が海の光りに輝いている。

 側に小さな公園があって、漁民らがお金をだしあって建てたヘミングウェイのトルソがにこやかな笑顔をたたえている。

このコヒマはキューバ自慢の葉巻につかうタバコ葉の産地としても知られ、土産用に5箱ほど購入した。ほかに土産と言えば民芸品、絵はがき、腕輪など定番だが、キューバのベストセラーは「ゲバラ・グッズ」、それこそTシャツ、壁掛け、絵画、帽子にいたるまでゲバラ、ゲバラ、ゲバラ。。。

 ▼あの支倉常長の銅像がなぜハバナに?

ハバナ市内で見たかった場所がほかに2ケ所ある。まずは国会議事堂裏にあるチャイナタウン、そして支倉常長の立像である。

 ャイナタウンは中華門がやけに立派だが、付近に中華料理レストランは1軒だけ。周囲は貧民街で中国人の影がない。この光景は意外だった。多数いたはずの華僑はどこへ去ったのだろうか。

支倉常長は悲運のサムライだった。切支丹との交流が盛んな折に伊達政宗の命で欧州へ派遣され、フィリピン、メキシコ、キューバを経由してセルビア、マドリッド、バルセロナからローマへ向かい、各地で大歓迎を受けた。

 「1614年7月10日(『遣使録』では6月10日)。一行はウルワ港(メキシコ)を、ドン・アントニオ・デ・オケンドの艦隊に乗船して出発し、キューバのハバナに向かった。

途中、暴風雨に見舞われたが7月23日に到着している。ここでドン・ロペス・デ・メンダリス司令官の指揮下の艦隊に乗り込み、八月七日にハバナ港を出帆した」(田中英道『支倉常長』、ミネルヴァ書房)。

つまり支倉常長一行は、ハバナにおよそ2週間滞在したのだ。この史実を記念して宮城県仙台市の育英学園が常長の立像を建てたのである。まさに日本とキューバの交流はこのときから400年の歴史のある計算になる。

ところが支倉が7年後に帰国してみると、キリスタン伴天連には追放令が出ており、支倉の帰国はまったく歓迎されず、渡欧した遣欧使節団の事実さえ秘密とされた。支倉は棄教せざるを得ず、伊達家の支援を受けたものの、殆ど監禁状態のまま晩年を送るという悲運に見舞われた。

そして驚くことに当時南欧を騒がせた支倉遣欧使節の史実が再び知られるのは明治六年(1873年)を待たなければいけない。

 「岩倉具視を長とする政府の渡欧使節団がヴェネチアを訪れた際、支倉関係の文書を発見した。しから彼らは、当の支倉使節が、250年以上前にすでにヨーロッパを訪れていたことを全く知らなかった」(田中前掲書)。

見たいところを回ったので、次に島の南端に位置するトリニダーという町へバスで向かった。振るい教会、スペイン広場、車の入らない石畳み、中世にタイムスリップしたような佇まいは旅愁をかきたてる。

世界遺産の敷地の中で子供達はローラースケートで遊んでいる。観光客を当て込んでのレストランが犇めくが古都ゆえに道幅が狭くバスの駐車場がない所為か、どの店にもそれほどの客がない。

サンタクララは山岳の麓にひらけた小さな町だが、ここでバチスタ政権が軍隊と武器を満載した列車がゲバラの仕掛けにひっかかって転覆事故を起こし、革命側の軌跡の勝利がなった場所だ。当時の列車が公園に展示されていた。
この町も看板はゲバラばかり、ラム酒やテーブルクロスのデザインまでがゲバラだった。

途中で見た田園風景は、牛馬を駆使した前近代的農業で、放牧された牛も馬も痩せている。サトウキビ畑が多く、ハイウエィの当座で産業に繋がる工場を殆ど見かけない。

人々は明るく陽気で勤勉、識字率も高く医療が発達しているが、経済構造は偏在的であり、政治は一党独裁である限り、離陸は難しいだろうと思った。
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