2020年08月08日

◆V・ファーレン長崎。走!跳!蹴!

馬場伯明


私は長崎県島原半島の出身であり、これまで、スポーツの分野でも長崎県出身選手やチームをとくに応援してきた。高校まで長崎県に18年、岡山県を経て、千葉市には35年も住んでいるのに、サッカーでも「ジェフユナイテッド市原・千葉」よりも長崎のチームを優先し応援している。

2020.7.29(水)Jリーグ(J2)のV・ファーレン長崎(以下、V長崎)はアウェイの山口で、レノファ山口FCに2:1で勝った。勝点22(7勝1引分0敗)で2位大宮アルディージャに勝点4差で首位を堅持した。

2020.8.2(日)V長崎は、ホームのトランスコスモス・スタジアム長崎(諫早市・以下、トラスタ)で東京ヴェルディと対戦した。DAZN(ダゾーン)の受信契約をしていないので実況の視聴はできなかった。

じつは、本稿の出だしは次のように書くことになるのではないかと控え目の予想をしていた。《 V・ファーレン長崎がついに負けた。でも、いつかは負けるだろうと思っていたので、それほど悔しくはない。ただ、今年は地力がある。ここから再び連勝が始まるだろう・・》と。

しかし、結果は、東京ヴェルディと0:0で引き分けだったから、次のように書き直そう。《 V長崎が引き分けた。相手は下位だが(かつての名門)東京ヴェルディだった。負けず引き分けたのはよかった。勝点23(7勝2引分0敗)で2位大宮アルディージャに勝点5差で首位を堅持した。今年は地力がある。この後も、負けなしの連勝が続くだろう。》。

この投稿も早めに出さなきゃ・・・。V長崎が、次の徳島ヴォルティクス戦に負けてしまうと困る(笑)。

ここで、V・ファーレン長崎(V長崎)の起源と歴史を紹介する。

雲仙温泉(Unzen Hot
Spring)の麓で、有明SCと国見FC(国見高校サッカー部OBら)が2004年に統合し(新)有明SCが設立された。2004年の九州各県リーグ決勝大会で準優勝し九州リーグへの昇格を決めた。

今から15年前のことである。(新)有明SCが2005年に新チーム名を募集した。私は「スプリング長崎」という提案で応募した。「泉(雲仙)・バネ(跳べ)・春(よ来い)」の3つのSpringに思いを込めたのだが・・・。

チーム名は「V・ファーレン長崎(ヴィ・ファーレン長崎)」に決定。Vは(長崎ゆかりの)ポルトガル語のVITORIA(ヴィトリーア:勝利:)とオランダ語のVREDE(平和)・VAREN(ファーレン・航海)を意味する。

2006年九州リーグ優勝し全国社会人サッカー選手権大会でも優勝した。しかし、JFL昇格戦で負けた。2009年日本フットボールリーグ(JFL)から準加盟クラブとして承認されたが、(代替)専用スタジアムの不備等でJリーグ加盟を断念。2012年11月JFL初優勝し、Jリーグ理事会承認を経て2013年からのJ2参加が決定した。ずいぶん長い道のりだった。

監督には高木琢也氏が就いた。「アジアの大砲」と称された日本代表FWである。国見高校サッカー部OBであり小嶺忠敏(元)監督の愛弟子だ。島原半島(現)南島原市、(旧)北有馬町小中学校卒業の正真正銘の地元の選手であり、私の高校の同級生Nさん(女性)と実家は近所同士だという。

ふるさと長崎とV長崎を一途に愛し、育て、高木監督を支えた人がジャパネットHDの高田明会長である。(直接的責任はともかく)高木監督も経営問題に悩まされた。2017年初、ジャパネットHDがチームを100%子会社化し経営不安を一掃し、また、観客や売上増加のため営業と宣伝に手を尽くした。経営は安定に向かった。夏の島原合宿の懇親会で、高田社長が「J1昇格決定で全員ハワイ旅行だ!」と明るく約束した。場は最高の盛り上がり。(そして、実現した)。

2017.11.11、V長崎はトラスタの最終戦でカマタマーレ讃岐に3:1で快勝した。22,407人の観客(サポーター)の前で2位を確定させJ1入りを決めた。長崎県民と(全国の)サポーターが歓喜した(私も・・)。

しかし、2018年J1シーズン1年目は最下位に沈み、わずか1年でJ2へ降格となった。高木監督は身を引いた。彼は2013年のV長崎の監督就任以来、その消滅の危機、J1昇格の歓喜、そしてJ1陥落の悲哀まで全てを経験した。だが、V長崎のサッカーへの貢献度はNo1の人だ。私は「ほんとにお疲れさま」とその労苦をねぎらい心から感謝したい。

2019年、V長崎(V2)は監督に手倉森誠氏を招聘した。前日本代表コーチ・U-23日本代表監督で、仙台での指揮経験もある。だが、この年は最終12位に終わった。それでも、天皇杯では準決勝で2:3までJ1鹿島を追いつめ2020年へ期待を持たせた。

2020年、高田社長から娘の高田春奈氏に社長が交代した。コロナ禍の中で、うれしい誤算か、本物かはわからないが、目下9戦無敗の快進撃を続けている。だが、圧倒的な戦力や実力があるとは感じられない。接戦を耐え際どく勝利している。引き分けのゲームも粘っている。
そう、サッカーは勝つことである。そして、負けなければいいのだ。

ここから、V長崎にまつわる個人的な話を記す。

2020年は長崎へまだ1回しか帰省していない。2.22〜24。兄弟姉妹等で会食し、高校の友人と夜の街で飲食した。長崎国際GCでラウンドもした。V長崎は翌月3.23、トラスタでの開幕戦で栃木SCとの開幕ゲームを1:0で制した。私は帰省しで応援したかった。コロナ禍を恨む。

関東地方のふるさと関係の諸団体に関与し参加している。関東長崎県人会、関東島原半島会、関東南串会(出身町人会)、関東口加会(高校同窓会)などだ。関東地方で開催されるサッカーゲームには随時応援に行く。

古いが、2002.1.8国立競技場の第80回全国高校サッカー決勝で国見高校は岐阜工業(岐阜)を3:1で破り5回目の優勝を飾った。関東島原半島会(福田学会長)が主催し、私たちは四谷交差点のスクワール麹町(ホール)で祝勝会を行なった。V長崎の徳永悠平(DF)と徳重健太(GK)が3年、柴ア晃誠(FW・J1広島)が2年、平山相太(FW・引退・仙台大在学)は1年だった。「地元の祝勝会より豪華ばい(です)」と言われた。本箱から出してみれば、徳永らのサイン(色紙)は高校生らしく下手な字だ。2年後2004.1.12第82回でも国見高校は6回目の優勝を飾った。平山相太(3年)が9得点(得点王)となりこの年も四谷で祝勝会をした。

そして、2020.7.19の京都サンガ戦では、V長崎の徳永悠平(DF・36歳)と徳重健太(GK・36歳)とが出場し、徳永が見事なヘディングで先制点。徳重は好セーブした。国見高校と長崎サッカーの精神は、連綿と今のV長崎へ受け継がれているのである。

ジェフユナイテッド千葉・市原(千葉)のフクダ電子アリーナは千葉市中央区蘇我にある。長年勤務した川崎製鉄(現JFE)の千葉製鉄所の敷地内である。稲毛区の自宅から車で15分。V長崎:千葉のゲームはいつも観戦するが、まずV長崎を応援する。その次に千葉を応援している(笑)。

記憶に残るゲームを2つ。2017.5.13(J2)V長崎は0:5で完敗した。攻めればカウンターを食らい、守れば押し込まれた。しかし、このゲームを転機に吹っ切れたのか、追い上げてついにJ1に昇格した。ところが、2年後J2に落ちた2019.6.2、V長崎は4:1で勝ち雪辱を果たした。

今後の関東の日程は、2020.8.27(木)水戸ホーリーホックとの対戦である。この日は仕事を調整し応援に出かけよう。その後は未定である。

V・ファーレン長崎は帆を上げ大海へ漕ぎ出した。順風満帆である。V長崎の勇者たちよ、速く走り、高く跳び、強く蹴るのだ。
勝利の港は待っている。ふるさと長崎の母港「トラスタ」へ凱旋帰港するのだ。ファン(サポーター)は強く信じる。(2020.8.6千葉市在住)
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