2020年08月11日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(49

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/159(2020/8/8/土】日本の防衛予算は5兆円だからコンビニに近い産業規模と見てよさそうだ。中共の脅威が高まっており、米国からも「もっと負担しろ」という圧力があるから、防衛費はこれからは急増していくに違いない。



防衛関係の出版社/新聞社は世間という表にはあまり出てこないが、朝雲新聞社、防衛ホーム新聞社、航空新聞社などがある。航空新聞社には小生もお世話になったが、同社の軸足は防衛産業と航空産業で、特に空自からは支持されていた。



1980年頃、航空新聞社の名誉会長は、ハワイ真珠湾攻撃を参謀として指揮した源田実氏(国会議員)で、一度だけ見かけたが、目が鷲のように炯々(けいけい)としており、武士とか軍人は常に常在戦場なんだなあ、と感動したものだ。WIKIにはこうあった。



<自衛隊では初代航空総隊司令、第3代航空幕僚長を務め、ブルーインパルスを創設した。航空自衛隊の育ての親。政治家としては参議院議員を4期24年務めた>



先日、産経に「国民の自衛官」表彰式の記事があり、「協賛 航空新聞社」となっていたので、航空新聞社のサイトを見るとこうあった。



<「国民の自衛官」は、民間で唯一の顕彰制度。フジサンケイグループ主催で、産経新聞社が主管となって、防衛省が協力、防衛装備工業会、防衛懇話会、タカラベルモント、ユニオンが協賛。航空新聞社も特別協賛している>



敗戦で日本は米国に洗脳され、軍事アレルギーが激しかったが、今は中共、北、ロシアが反面教師になり、ずいぶんまともになってきたようだ。共産主義を標榜している政党は日共のみで、未だに成功事例ゼロの「資本論」を必死で勉強しているから、完全に宗教政党。信者は同じ穴のムジナ、公明党同様に高齢化で減るばかりだろう。



小生が“隠れ革マル”と見ている枝野、同“隠れ赤軍”と見ている辻元らの立憲民主党も、野党第一党とはいえ、存在感は低下するばかりだ。



まあ、そこそこ中立的な感じがする日本テレビ系列各局と読売新聞社が共同で調査を行う「NNNと読売新聞社の全国世論調査」の2020年7月調査では、



・政党支持率:自民党32%、立憲民主党5%

・来年10月に任期満了となる衆議院の解散・総選挙:「任期満了まで行う必要はない」40%



これでは横綱と幕下でゲームにならない。立民=野党で立候補すれば反自民票で議員になれるからという下心で立民の看板を掲げているのだろうが、商売としての政治家・・・醜い感じがする。



2020年8月6日付「朝雲」紙の書評「戦争は政治の延長か――生存を賭けた戦い」から。



<イスラエルの戦略思想家クレフェルトの『戦争の変遷』(原書房刊)



鎌田昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)



クラウゼヴィッツの「戦争とは外交と異なる手段を用いて政治的交渉を継続する行為である」という有名なテーゼがあります。



友人である石津朋之氏(防衛研究所戦史センター長)からこのテーゼに対する有力な反論があることを聞き、イスラエルの戦略思想家マーチン・クレフェルトの『戦争の変遷』を勧められました。「戦争とは何か」を考える人にとっての必読書だと考えます。



クレフェルトは、過去の歴史を調べると、戦争は正義を決定するためであったり、宗教のためであったりするものが多く、政治の延長、すなわち国家の政策の手段としての戦争は、近代以降のことだと述べます。



さらにクレフェルトは、そもそも戦争が国家の政策(国益)の“手段”であるとの考えに重大な疑問を呈し、反例として、「生存を賭けた戦争」を挙げます。



生存を賭けた戦争とは、共同体が生きるか死ぬかの事態に直面した際にその構成員が死に物狂いになって戦う戦争です。この場合の戦争は何かの目的の手段ではなく政治そのものであり、目的と手段を区別して考える立場が破綻していると主張します。



生存を賭けた戦争は古代から現代までかなり存在し、最近ではフランスからのアルジェリア独立戦争、ベトナム戦争も該当します。クレフェルトは生存を賭けた戦争を国家の政策の手段と解釈することは単なる概念上の間違いにとどまらず、大きな実害があると言います。



アルジェリア独立戦争を例にとると、フランス側は国益追求の手段として戦争を戦ったため、厳密な費用対効果の計算を行い、戦争に係るコストが目的を超えそうになると戦争を中止せざるを得なくなりました。



他方、国の生存を賭けて戦ったアルジェリアの人々は費用対効果の計算など行いませんでしたが、費用対効果の計算は逆に働き、苦しみや破壊の程度が大きくなればなるほど、戦いを無駄に終わらせてはならないとの決意が固くなりました。



クレフェルトは、「フランスはこの戦争を他の手段を用いて政治的交渉を継続する行為として戦ったからこそ敗れた」と分析し、冷戦崩壊後の世界で頻発しているゲリラ戦やテロとの戦いなど所謂(いわゆる)「低強度紛争」についても、生存を賭ける者に対し、仮にクラウゼヴィッツ的な手法で戦いを挑めば、大国といえども敗北する可能性が高いと予言します。



クレフェルトは、戦争についてユニークな説明をします。戦争とは敵を殺そうとした時に始まるのではなく、自分たち自身が殺されるのを覚悟した時点で始まるものであり、自分が殺される覚悟のない状況で人を殺す人間は、殺人者で、戦士ではない。



死を覚悟した戦士には現世での利益は意味がないので、利益のために戦争を行うとの前提に立つクラウゼヴィッツのテーゼは間違っている、自らが殺されるかもしれないという危険の感覚は戦争の付属物ではなく、それこそが戦争の本質であり、それが戦争に比類なき“魅力”を与えると言います。



私が注目するのは、利益追求の手段としての戦いには重大な弱点があるとの主張です。



軍隊に限らず、現代の社会は、全ての組織で損益計算を背景にする合理的な思考が幅を利かせています。本来、軍事用語である戦略という言葉も社会のあらゆる場面に氾濫し、それは目的を達成するための合理的、効率的な術と安易に解釈されています。



もちろん戦略において合理的計算は重要ですが、クレフェルトの主張を拡大解釈すれば、こうした利益の計算を主眼にした組織は、たとえ大きな力を背景にしていたとしても、戦うこと自体を目的にした相手(必死の相手)と対峙した場合には、脆弱であるということです。



『戦争の変遷』の中には、「意思あるところには道がある」との目立たない記述がありますが、私にはこの言葉は弱者に対する強い励ましであると同時に利益計算中心の今の社会に対する不気味な警告に聞こえます>



中共・習近平の夢はソ連もなしえなかった「共産主義世界帝国樹立」であり、「政策の手段としての戦争」を望んでいる。誰も14億の訳が分からない漢族国家を侵そうなどと望まないのだから、とても「生存を賭けた戦争」ではない。



習近平は「野望の手段としての戦争」をしたい、という、ほとんど1930〜40年代のヒトラーや1960〜70年代/文革時代の毛沢東のような狂人、パラノイアだ。



習近平はひたすら戦争を準備していく。「中国政府、米国の技術封鎖で次の5カ年計画に『内循環体制』盛り込む可能性―−独メディア」(2020/8/8 Record
China)から。



<2020年8月5日、独国際放送局ドイチェ・ヴェレは、中国が次の5カ年計画で外国の市場や技術への依存を減らす「内循環体制」を重点に盛り込む可能性があると報じた。



記事は、中国政府顧問が「米中間の対立が激しさを増していること、新型コロナウイルスの影響をそれぞれ鑑み、中国は外国の市場や技術への依存を下げる」と語ったことを紹介。



さらに、ある情報筋が5日に英ロイターに対し「中国政府はすでに国内の経済発展強化を主旨とする計画を制定した」としたほか、別の中国政府関係筋も「対外貿易の減少と、米国の技術封鎖により、われわれはさらに内需を刺激することになる」とコメントしたと伝えた。



そして、「内循環体制」の構築が2021年からの第14次5カ年計画における重点となる可能性があるとし、今年10月に共産党上層部で議論が行われ、来年春の全国人民代表大会(全人代)に提出される見込みだと報じた。



記事は、中国政府が近年、輸出主導型から内需型の経済成長への転換を目指しており、昨年の中国の貿易総額はGDPの32%と、06年の半分程度の水準にまで下がっていたと紹介。



また、米国による関税引き上げが中国の貿易に打撃を与えていること、さらには新型コロナの影響による貿易の鈍化も相まって、中国政府による内需型成長へのかじ取りを加速させたとの見解を示している。



また、技術分野では米国政府による華為技術(ファーウェイ)や動画投稿サイトTikTokの締め出しが、中国側に外国依存への不安を募らせたと伝えた>



発狂妄想でルール違反を繰り返して、ダメ出しされると牙をむき、要塞に引きこもって「オマイラと絶交だ、そのうち殺してやる、首を洗って待っていろ・・・吠え面かくなよ、ふっふっふ」。



現実と非現実の境界がぼやけてしまう妄想・幻覚。ほとんど統合失調症ではないか。



支那は大昔から暴君の迷産地で、桀紂(けっちゅう)、隋の煬帝などは有名だが、清朝最後の皇帝、溥儀もかなり異常で残虐、嗜虐趣味だったとか。



毛沢東は「死刑の方法は120あるが、半分は俺が創った」と豪語していた(吉野直哉『張家三代の興亡』張有財・張作霖・張学良)。文革時代に政敵に三角帽子をかぶせ罪状を書いた板を首から吊るし、無理な姿勢でなぶり殺しにした方法は毛沢東の傑作で、お気に入りだった。習近平も大好きだろうが、臓器の品質劣化を招くから控えるかもしれない。



これから日本人、大和民族の対中「生存を賭けた戦争」が始まるだろう。始めなければ日本人は「かつて東海省(旧日本)にいた先住民。21世紀末に絶滅した」と「ざんねんないきもの事典:人類編」に記されるだけになる。
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