2020年08月13日

◆桶谷秀明『昭和精神史』(扶桑社)

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)8月11日(火曜日)弐通巻第6614号  

  << 読書特集 >> 
藤 和彦『人は生まれ変わる』(KKベストブック) 
田村秀男v石平『習近平敗北前夜 脱中国で繁栄する世界経済』(ビジネス社)
樋泉克夫のコラム  
      
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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ドルペッグ体制にどっぷり浸かったから中国は成長できた
  香港の金融機能がなくなれば中国経済は自滅するが、習近平はそれを理解できない

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田村秀男 v 石平『習近平敗北前夜 脱中国で繁栄する世界経済』(ビジネス社)
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つに面白い。中国経済の先行きに興味の向きは必読である。期待を裏切らない内容で、有益かつ深刻な状況を了解できるのに、結論は朗らかでもある。

二人の取り合わせも妙である。田村氏は早稲田大学で経済学を講じる学者タイプの経済記者だが、日本経済新聞時代には香港支局長の経験があると同時に米国特派員を閲し、ウォール街に通暁し、FEDウォッチャーとしても知られる。

かたや石平氏は、辛辣な中国批判で有名だが、本来は哲学を講じる学者であり、中国の思想史に明るく、孔子孟子老子を語り出せば一晩中、しかも大声でお喋りしているほど歴史に造詣が深い。

元中国人であるがゆえに、中国共産党トップの性格、打ち出す手口の心理、その中国人の特性がわかるから、中国の政治権力闘争の舞台裏の状況説明には迫力があり、説得力がこもる。

とえば、江沢民は習近平の恩人であるがゆえに、冷遇し、つぶしにかかるのだと石平氏は分析するが、その背景説明は、恩人を大切にする日本人には思いつかない発想だ。

前置きはこのくらいにして本書でふたりは何を言っているのか。

結論を先に書けば「暴走する習近平に諫言できる側近が不在、この独裁者の壮絶な賭けは哀れな失敗しかない」のであり、なぜ愚かかといえば、コロナと香港安全法で、世界中を敵に廻しているのに、その自覚がまるっきりないという錯綜、夢想、だからまだまだ暴走する。

いまや中国のお友達は二階某と、フンセンとテドロスだけ。中国と友好関係だった筈のプーチンもジブチもパキスタンもスリランカも、横を向いてしまった。そろそろメルケルも中国への態度を変えそうだ。

田村「人民元にはドルの裏付けがある」
 
石 「中国経済はじつはドル本位制だった」

田村 「(リーマンショック以後)中国は100%米ドルの裏付けのある人民元をずっと刷り続けてきたからこそ、胡錦涛から今の習近平に到るまで、国家としてたいへんな膨張が出来た」

その状態がコロナ、米中激突、対米貿易黒字激減で、激変した。
ドルが払底したのだ。

田村氏は、ドルとの比率が100%から60%になっている現実をグラフを駆使して明示する。50%から30%台になると、中国経済がどうなるかを理論的に説明している。

高級幹部の資産逃避、海外への隠匿があり、また海外債権が不良債権となったこともあるが、手元資金不如意となったため、せっかく買った海外不動産、企業、映画スタジオを売却し、さらにファンビンビンを「犠牲の山羊」にして、海外に隠したドル資産を強制的に中国に戻させた。

さらに年間五万ドルの個人の海外旅行もパスポートを取り上げて、外貨節約に移行するだろうと、石平氏が大胆な予測をする。

このことは評者(宮崎)も一貫して主張してきた。爆買いが唐突になくなったように、中国人の蝗の大群のごとき日本旅行はいずれ「突然死」する。コロナ災禍が明けても、もう戻ってくることはない。

ドルが、それでも足りないとなると、次に何をするか。
 財閥から資産を剥奪し、国内の資金を徹底して集めるだろう、と石平は予測する。

「共産党は本能を剥き出しにして、ありとあらゆる方法で金持ちから富を奪う(中略)。これは中国の歴史と伝統であり、国家財政が苦しくなると、金持ちを冤罪で捕まえて殺して、財産を没収する」。

田村「中国は、自爆装置のスイッチに手を掛けてしまっています。それが暴発しかけたときにアメリカとの全面的な対立に発展して、台湾問題が爆発する。日本はそのときに『当事国』になります。
最悪のシナリオへ、あの愚昧の独裁者は舵を切ったようだ。
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夏の汗、昭和は遠くなりにけり
昭和をかたちづくった日本人の精神はいま何処(いずこ)

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桶谷秀明『昭和精神史』(扶桑社)
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 谷秀明氏は昭和七年生まれだから石原慎太郎、五木寛之氏らと同世代になる。敗戦時は、物心ついて、激しく変貌した現実と精神との葛藤があった世代であり、戦後生まれの評者(宮崎)の時代感覚、時代の感性とはやや懸隔がある。

この世代の感受性、時代認識、歴史の見方は、まさに昭和の精神が移ろっていた同時代の感覚によって研がれた。

本書は名著復刻であり、このところ同様な試みが出版界でなされているのは一種の復古ブームが背景にあるのかも知れない。ちなみに評者が解説した林房雄の『神武天皇実在論』もよく売れたようだが、懐古趣味の読者が読んでいるわけではない。

名著は必ず古典として読まれるのだ。

本書は平成四4に初版がでた。すぐに買って読んだ記憶だけあるが、4半世紀以上前の読書の感想は歳月の流れによって稀釈されている。

 10年前、憂国忌の四十40年忌には評者が司会してのシンポジウムがあって、西尾幹二、井尻千男、遠藤浩一氏らとともに桶谷氏にも登壇いただいた。九段会館が満員となった、その席で、氏は三島よりも保田輿重郎を主に語った。
http://mishima.xii.jp/kaiso/yukokuki/22/

 者にとっては桶谷氏の『草花の匂う国家』が一番好きな作品で、拙著『西郷隆盛 日本人はなぜこの英雄が好きなのか』(海竜社)を書いた折、参考にさせていただいた。

 さて本書が扱うのは昭和改元から敗戦まで。続編は『戦後編』として別途上梓された。

以下、浩瀚な本書を少しづつ、一週間かけて読み直してメモを取った。そのほんの一部を書評替わりに掲げる。
 
桶谷氏が親友の村上一郎氏と一緒に橘考三郎に会いに行く場面がある。これは意外感があった。橘の『神武天皇論』も最近、篠原裕氏の編集で展転社から復刊された。
 
「橘孝三郎がここに口ごもりつつ、もどかしげに語る口調にこそ、彼の痛い夢と現実認識の葛藤がこめられている。『国民社会そのもの』をその基礎に支えるのが『家族的独立小農』である」

橘の思想遍歴が若き日のプロレタリア独裁から、その対極の思想にうつっていくのは当然だった。

和初期、若者らは、マルクス主義の台頭があり、インテリゲンチャは無批判に飛びついた。一方で国体論が世を風靡し、二・二六事件がおこり、日支事変から日米開戦へといたる時代背景を眺める。すでに「歴史」となった出来事を、客観的に、状況的に解きほぐしていく。


その時代背景を克明に描写しながら、おりおりの日本人の精神を語るのである。

 桶谷氏は、伊藤整、武田泰淳、島崎藤村らを論じつつ、自然と重きをおくのは永井荷風であり、小林秀雄と保田輿重郎となると力点が違う。小林秀雄の捉え方も随所にでてくるが、この時代を生きた文芸評論家のひとりが保田輿重郎だった。

彼の浪漫主義にはマルクス主義とドイツ浪漫派と国学という3つの要素があった。

 「早くから保田輿重郎の教養となっていたのは国学で、畝傍中学時代、万葉」を熟読していた。そして柿本人麿を取り上げずに保田は山上憶良を論じたと桶谷氏は、その独自性をつく。 

 保田は満州蒙古から北支を旅して、南京陥落後のシナ人の生態を観察した。満州の地にあって、保田はこう書いた。
 「樹木をきりはらって大造宮をつくりあげた漢人と、自然の緑を尊んで細心の人工に自然を生かそうとした我らの父祖の間には異なるものがあまりに大きい。近々百年にして漢人はこの沿線より原住民を追放したのである。それは

一切の崇高な事業によってではない。我々はいま理念をもってこれと対抗している。理念は強く美しく、それゆえにいたはらねばならぬ傷み易さをもっている」(『蒙彊』) 
 保田はまた竹内好の案内で北京を見て歩くのだが、「一般に私は北京で、文化の絶望を味はねばならなかった」と実直にシナ文化の乾燥を綴るのである。
 
また保田はアララギの万葉解釈を手厳しく批判した。
 「それは人麿の古代を現代によみがへらせようとする意図を抱きながら、態度においてまちがっている。アララギの思想は皮相な明治文明開化にたいする一種の自覚を根底としているが、つまるところ文明開化の論理による古代解釈である(中略)。その背後にある精神史を生きようとしない。アララギには歴史の精神が欠落している。」(『萬葉集の精神』)

 保田論だけで紙幅がつきた。桶谷氏は二二六事件では、北一輝にことのほか、優しい目を向けている。
 北一輝は蹶起した将校たちとは一線を隔し、軍事行動をしそうしたこともないが、思想的影響を与えたという取り調べに弁明もせず、北一輝は慫慂として刑場に消えた。三島由紀夫、村上一郎をつなぐ北一輝は、きっと桶谷氏にとって深い思想的分析を必要としたのだろう。
 この復刊版の解説は長谷川三千子氏が丁寧に書いている。
         
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生まれ変わりの科学、日本では顧みられないが欧米では
研究が進む輪廻転生は確実に存在すると実証的な頭脳へ
の挑戦

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藤和彦 『人は生まれ変わる』(KKベストブック)
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 副題に「縄文の心でアフターコロナを活きる」とあるように、古代人の智恵にこそ、現代日本人は学ぶべきとする 
生まれ変わりというやさしい言い方。仏教用語の輪廻転生である。現代人はまったく軽視するか、あるいは人生で考えたことが少ないか、オカルトだと誤認しているかである
 
輪廻転生は実在する。
 ところが団塊の世代が「終活」を迎えると、海洋葬や、森林葬を望む人が増えて、従来のお墓は要らないと考える人が急増している。宗教心の衰えではなく、日本人の

「死」の捉え方に劇的な変化がでたのではないかとする。
 輪廻転生を基本テーマとして、長い長い物語を書いたのは三島由紀夫『豊饒の海』(全四巻)である。
 
第一巻『春の雪』の松枝清顕が悲恋の中で夭折し、「また会おう、滝の下で」と言い残した。『第二巻』で清顕は、神風に憑かれた飯沼勳に転生している。そして第三巻『暁の寺』ではタイの王女ジンジャンに輪廻転生したらしいこととなり、第四巻『天人五衰』では、偽物の青年、安永透が描かれ、輪廻転生は曖昧模糊の闇のなかでぷっつんと終わる。
 
評者(宮崎)、この『豊饒の海』を三回ほど読んだ(拙著『三島由紀夫はなぜ日本回帰したのか』、『三島由紀夫の現場』)が、この名作をまともに論じた文芸評論家も思想家も極小だった。とくに文壇は、『春の雪』だけを名作と褒め、二巻以降は論評を避けた。

 輪廻転生が理解できなかったのか、いや二巻の神風連やテロリストに嫌悪感を抱いたのか、そして第三巻は仏教思想議論に唯識からアラヤシキへと発展するため、おそらく咀嚼出来なかったのだろう。
 
事実、英訳も第一、二巻を翻訳した日本文学者は三巻の翻訳は無理だと嘆いて降りた。結局、第三、四巻の英訳はサイデンステッカーとドナルト・キーンが成し遂げた。
 
なにを言いたいか。
 嘗て日本人の殆どが信じていた輪廻転生が、非科学的、非合理的と言って軽視するという時代風潮、宗教心の希薄さは道徳的衰微と精神の衰退を日本人にもたらした。
 
死を恐れる。生命尊重だけで良いのかと三島は訴えて諌死したが、あの歴史的な衝撃も現代の感性では現象的に風化した。
 
著者の藤和彦氏は言う。
 「現在の日本は、人類が経験したことがない多死社会に突入しようとしています」。
げんに介護が日本の基幹産業となりケアセンターがあちこちに出現し、看取り士の需要も増えた。
 
「豊かさや幸せに満足し、いや、それに溺れて、ひそかにその背後に隠れていた『死』について考えることをおろそかにしてきた」だから「死について何も知らない」のだ。
 そして日本では生まれ変わりの研究が進んでいないという現実がある。
 
「日本は不思議な国、明治以前には『霊』の存在を当然のこととしてきたのに、今では過去の欧米に追従してこの種の現象をまじめに考えようとしない風潮が特に科学者の間に強くある」(カール・ベッカー京都大学特任教授)
 対比的に欧米ではむしろ研究が進んでいるという(本書68p)

 戦後の高度成長は、一方で都市集中をもたらし、農村が寂れ、共同体が崩壊した。死は無という虚無的な死生観がはびこり、いのちだけが大切という刹那的享楽主義が世の中に溢れ、死は遠景に追いやられた。
 
テレビが死体を映像として忌避していることがなによりも雄弁に、死への距離、そして死への無理解へと繋がる。
明治維新の思想的原動力となった一人は平田篤胤である。

平田思想は廃仏毀釈の原動力ともなったが、じつは輪廻転生を信じた。平田は神代文字の研究にも没頭した。和辻哲郎は後年、平田を「変質者」「狂信の徒」と罵ったが、「死者の魂によって現世のわれわれの生は成り立っている」とし、柳田国男ら民俗学に影響を与えている。
 
平田篤胤については語り出すと際限がなくなるので、この稿では措くが、ニニギノミコトを現世に、オオクニヌシノミコトを幽界のものとし、宣長に強い影響を受けた。平田門下は全国に拡がり「死後の平田門弟」を名乗った。
 
キリスト教も初期のころは輪廻転生を信じていたし、その前のミトラス教も、イララムのスーフィズムも輪廻転生を信じている。まったくあの世を信じないのは中国人くらいだろう。 
 
この世とあの世を熟考しつつ、本署は生まれ変わりの科学に挑んだ。
     ☆○▽◇み◎○△□や○△□◇ざ◎○△□き
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム  
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樋泉克夫のコラム 
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【知道中国 2114回】               
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘74)
「國民黨の再分裂」(昭和2年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

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 改めて言っておくが、橘が一連の共産党関連論文を執筆した大正末年から昭和初年における中国の政治状況は変転極まりなく、内外の政治的思惑が奇妙なまでに絡み、縺れ合い、まさに一瞬先は闇そのものだった。誰が敵で、誰が味方なのか。同じ党内においても敵も味方も混然として判然としない。


中国を囲繞する内外状況は日替わり状態で変化するわけだから、橘の論文の字面を追うだけでも、やはり時代背景を押さえておく必要がある。
そこで「國民黨の再分裂」が書かれる前後の動きを、必要最小限の範囲で整理しておく必要がありそうだ。


やはり混乱の根源には、孫文の代名詞である三民主義と晩年に踏み切った連ソ容共の方針が潜んでいるように思う。たとえば三民主義にしても、資本主義から社会主義を経て共産主義まで許容してしまう。鵺のような考えだ。
極論するなら清朝打倒を目指す民族主義は理解できるが、民主主義であれ民生主義であれ、どのようにでも解釈可能だ。総花的で実態が曖昧模糊としている。連ソ容共に至っては、クソミソ一緒で支離滅裂。


であればこそ、孫文死後の国民党が左右両派に分かれたとしても不思議でもなんでもない。誤解を恐れずに言うなら、孫文の曖昧さが蒋介石と汪兆銘の路線上の齟齬を招き、これに宋美齢と陳碧君(汪兆銘夫人)の感情的対立が重なって、やがて汪兆銘の悲劇的な末路に繋がったのではないか。

 それは毛沢東が示した劉少奇の政治路線に対する拒否感情を、江青(毛沢東夫人)による王光美(劉少奇夫人)に対する嫉妬・嫌悪感が増幅させたであろうことにも似ている。宋美齢、陳碧君、江青、王光美──彼女らは、外柔内剛でなければ外剛内剛ともかくも共通するのは気の強さだ


閑話休題。当時、武漢に置かれていた国共が合作した国民政府にとっての大きな課題の1つが、革命遂行上の大難題である農民の取り扱いだった。

1927年3月中旬から5月初旬にかけ国民党では断続的に会議が開かれ、その場で毛沢東ら共産党員の主張に沿って「土豪劣紳や軍閥などから土地を没収し、農村における権力を農民の手に取り戻す」基本方針を定めた。


これと並行して、共産党は武漢で第5回全国大会を開いた。つまり毛沢東ら共産党員は、同じ時期に国民党と共産党の双方にとって重要な会議を開催し、会議をリードしたことになるわけだから、話がヤヤコシクなってしまう。


この時、蒋介石は総司令として国民革命軍を率いて北伐中であり、破竹の勢いで長江流域を制圧し上海に乗り込み、1927年4月12日、共産党が敵視する資本家の支援を受けて「上海クーデター」を敢行し、共産党勢力殲滅に乗り出す

4月18日には南京に入城し、南京に『もう一つ』の国民政府(南京国民政府)を打ち立てた。武漢に置かれた国民政府と国民党による一切の決定を不法とし、併せて国民党左派要員と国共合作によって武漢国民政府に参加している陳独秀を筆頭とする共産党員の総計200人ほどを指名手配した


これに対し武漢国民政府は独自の北伐を開始する一方、蒋介石を「総理(孫文)の叛徒、我が国民党の敗類(クズ)民衆にとっての?賊(ゴクツブシ)」と糾弾している。
 

国民党の分裂によって、国民政府は?介石率いる南京国民政府と汪兆銘をトップとする武漢国民政府に分かれたばかりか、北京では張作霖を筆頭とする軍閥政権が蠢動していた。まさに同時期に3つの政権が存在したことになる。

 これからヤヤコシさが増すのだが、中国共産党第5回大会(4月27日から5月6日)終了から10日ほどが過ぎた5月中旬に開催されたコミンテルン執行委員会で、共産党に対し国民党左派(武漢国民政府)との連合に加え武装土地革命が指示されたのである。
      
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