2020年09月04日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(68」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/178(2020/9/1/火】昨夜からだいぶ涼しくなってきたのは台風が近づいてきたからとか。半島と大陸の方に向かうようで、何となくホッとするのは「対岸の火事」「
他人事」と思うからで、それが昂じると「いい気味、天罰だ、ざまあみろ」となったりする。



支那では「幸災楽禍」という表現があり、「他人の不幸を見て楽しんだり喜んだりすること」を意味する。欧州では「シャーデンフロイデ 独:
Schadenfreude」と言ったりするようで、「自分が手を下すことなく他者が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われた時に生じる喜び、嬉しさといった快感」だという。



昔から「遠交近攻」は世の常だから、それは自然な反応かも知れないが、ちょっと冷静になると、「為政者はともかくも被害者、犠牲者に罪はないんだから・・・大丈夫かなあ」と心配したり、一時的であれ「他人の不幸は蜜の味」と卑しい思いをした自分を恥じたりする。



2000年以上も前から「汝の敵を愛せよ」「寛容たれ」と多くの哲人は説いてきたが、いざ戦争になると「平時には平時の、戦時には戦時のモラルがある、イザ戦わん!」となる。



国家存亡の危機に際して「敵の兵士に罪はない、敵の指導者、支配階級こそを倒すべきだ、戦争を内乱へ転嫁せよ、万国の労働者、団結せよ!」と第1次大戦でレーニンが言ったところで効き目はなかった。



第2次大戦後の世界のそれなりの安定は「核戦争の恐怖」がもたらしたのであって、生産性の向上による飢餓の緩和や人権意識の広まりと言ったことは添え物のような気がする。



1945年から2020年までの“平和”は「核爆弾」がもたらしたのだから世界中の核保有国にノーベル平和賞を贈り、「非核保有国には迷惑をかけません」と宣言させたらどうか。



「核の抑止力」は「核戦争の恐怖」を前提にしている。ところが偉大なる毛沢東は「恐怖」なんてハナからない。誤った政策で数千万人が餓死しても平気な毛沢東は、「核戦争で3億が死んでも、まだ3億もいる、大体我が国は人口が多すぎる」と演説して度肝を抜いたものだ。



<1965年9月30日、毛沢東・共産党主席と劉少奇・国家主席が北京で、インドネシア国民協議会のハイルル・サレ議長ら代表団と会い、毛主席はインドネシアに「核兵器を製造・保有するよう」求め、実現のためにインドネシアを「無条件に支援する」と述べていることが、公開された中国外交文書で明らかになった。



中国は64年10月、初めて核実験を行い、米ソ英仏に次ぎ、アジアで初の核保有国となった。毛の発言は、事実上、米ソの独占状態にあった核兵器を中国だけでなく、アジアのほかの国が保有することで、米ソに対抗する狙いがあったものとみられる。


代表団と毛、劉両主席という中国の最高指導者との会合のかなりの部分が核問題に充てられた。


毛:世界は今、平和的とは言えない状況だ。だから私たちは軍事力を必要としているし、原子爆弾も必要だ。あなた方は原子爆弾を製造したいのですか。

ハイルル:もちろんですとも。


毛:あなた方は作るべきです。

ハイルル:私たちは、核兵器はごく一部の大国だけが保有すべきだ、という考え方には反対です。


毛:その通り。世界の二つの大国が核兵器を独占しようとしている。だが、そんなことは許されない。私たちは自分たちの核兵器を作ることができる。あなた方は原爆製造のための原材料を見つけなければなりません。お国にはありますか。

ハイルル:あると信じています。


毛:鉄鉱石や炭鉱はありますか。お国の資源はわが国より豊かです。お国には石油と天然ゴム、どちらも世界には稀なものですが、それがたっぷりとある。 

ハイルル:その通りです。ですので、我々は経済代表団を中国に送りました。それは中国から学ぶことと、二国間の友好関係をさらに育むためです。鉄鋼産業の開発はインドネシアにとって最も重要な使命です。この面ではできるだけ早く進めなければなりません。もし、中国が援助してくれるなら。


毛:これは全くもって実行可能だ。私たちはあなた方を無条件に支援する。


この会合の9日前の9月21日、インドネシア経済代表団が中国を訪問し、その中には軍将校や科学者らで構成する「核エネルギー班」がいたことも明らかにしている。「核エネルギー班」は清華大学の核実験炉や北京大学の核物理研究所などを訪れ、各地の科学者と議論を交わした。


さらに元国家原子力庁長官、ジャリ・アヒムサ氏によると、「核エネルギー班」はこの訪問で中国からプルトニウムを持ち帰る予定で、このことはスカルノ大統領と中国指導者との間の取引の一部だったとしている>(じゃかるた新聞2016/03/24「
インドネシアに核兵器 毛沢東主席が要請 1965年9月30日に 中国外交文書で判明」)


毛沢東はスターリンには頭が上がらなかったが、スターリンの死後は怖いもなしで、天上天下唯我独尊、側近さえも容赦なく殺した。前回の「林彪事件」の続き。

<1971年9月12日の夕方に、毛沢東暗殺に失敗したことを知った林彪と側近らは、中国軍のライデント機を北京市郊外の基地から、林彪らが待つ河北省北戴河の山海関にある中国軍空軍基地へ移動させた。


その後、林彪らはトライデント機を大連に向けて飛ばすと通告したが、暗殺計画とその後のソ連への亡命計画を知った周恩来から、同機の離陸阻止の命令を受けた山海関8341部隊が林彪らの乗った自動車を発見し、空港へ向かうのを阻止すべく銃撃したものの失敗した。


翌13日の深夜に林彪や息子の林立果、葉群、パイロット、整備士ら計9名を乗せたトライデント機は山海関空軍基地を強行離陸し、ソ連に向けて逃亡したものの、モンゴル人民共和国のベルフ市の10キロ南方付近に不時着陸を行おうとして失敗し、9人全員が墜落死した。


翌日モンゴル政府は領空侵犯と墜落を確認し、許文益駐モンゴル特命全権大使に対してトライデント機の領空侵犯について抗議した。その後、許文益らは墜落現場を確認したが、林彪らの遺体について中共は返還を要求せず、現地での埋葬に同意した。


また、事件翌日にモンゴルの友好国であるソ連のKGBは現地に赴き、モンゴル国内に墜落したトライデント機の中から9体の焼死体を回収、その中の1体を林彪と断定した。


日中戦争当時、林彪は頭部の戦傷の治療のためモスクワに赴いたが、その当時のカルテが保存されていた。その焼死体の頭蓋骨部分に認められた傷とカルテの記載が一致、これが決め手になったという。


ブラックボックスは、ソ連に解析が依頼された。トライデントの墜落の理由として、燃料切れによる墜落説と、機内での発砲による墜落説、ソ連による地対空ミサイルでの撃墜説がある。


当時のモンゴルとソ連の合同調査による報告書では、「墜落時に長時間にわたり広範囲で火災が発生しており、飛行継続可能な燃料があった証拠」として燃料切れによる墜落説を否定し、併せて墜落機内の調査により撃墜説を否定している。報告書では墜落の直接の原因を「操縦ミス」としている。


なお、林彪らの逃亡の通報を受けた毛沢東は「雨は降るものだし、娘は嫁に行くものだ。好きにさせればよい」と言い、林彪らの乗ったトライデント機の撃墜の指令は出さなかったといわれる>(WIKI)


周恩来は病死したが、毛沢東の側近の多くは毛の疑心暗鬼によって凄惨な死に方をした。劉少奇は生きながら腐敗して果てた。


首の皮一枚で辛うじて生き残ったトウ小平(息子は障碍者にされた)が「韜光養晦」の再革命でどうにか赤色帝国をそれなりの大国に育て上げたが、毛沢東病の習近平が世界制覇の野望を持ち出し、再び大躍進・文革の愚を起こそうとしている。


「歴史は繰り返す、1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」


14億は習近平を始末できるか、それとも人民服の昔に戻るのか・・・台湾を手本とした無血革命が望ましいが、支那人は自由民主人権法治の経験がまったくないから難しいだろう。世界の識者には14億が墜落、大破しないスムースランディングの方策を考えて欲しいものだ。(インテリにはリアリストが少ないから・・・ああ悩ましい)


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