2020年09月28日

◆雅びの日本文化を破壊する懼れがあるが



令和2年(2020)9月25日(金曜日)通巻第6651号  <前日発行>

雅びの日本文化を破壊する懼れがあるが。。。
『大阪都』構想再批判

吉村大阪知事は23日に記者会見を開き、10月11日に住民投票で「大阪都」構想の賛否を問うとした。松井市長も、賛同を得られなければ辞任すると宣言した。

行政改革の一環としての二重構造の解消、行政の効率化が目的としていることは賛成である。

問題は「都」という名称なのだ。「都」とは「みやび」(雅び、宮び)に由来する、天皇の御座所ではなく、皇居がある所である。だから、「大阪都」となれば、必然的に「遷都」を意味することになる。そうした歴史認識が欠如していることが最大の問題なのである。

ただし吉村知事はすこしニュアンスを変えて「副首都」を目指すとも発言している。
 
七世紀から八世紀にかけて、大阪の谷町から森ノ宮にかけて、宏大な難波宮があった。しかも戦後に発掘してみれば、難波宮跡地は日本最大規模の皇居だった事実が浮かんだ。

遷都が頻繁に行われた七世紀から八世紀の飛鳥、奈良時代を一覧すると次のようになる。
667 近江大津京(天智天皇)
672 浄御原宮 (天武天皇)
694 藤原京  (持統天皇)
710 平城京  (元明天皇)
784 長岡京  (桓武天皇)
794 平安京  (桓武天皇)
 
大津に都があったことをすっぽり忘れている向きも多いと思われる。現在の歴史学では近江大津京と呼んでいる。

近江大津京は天智天皇が即位した場所だが、わずか五年間の首都だった。遷都理由は白村江の戦い(663年)に敗れたため、天智天皇は、国防上の理由から遷都を決断された。交通至便で優位な地形の近江大津の地が選ばれた。この遷都は大化の改新から十八年後のことで、天智天皇六年(667)に、ここで即位されている。

しかし近江大津京は短命に終わった。

最大の理由は九州各地に防御陣地や山城の構築したこと。とくに太宰府には水城を造営したが、これらの造営費用が膨大だったため首都移転は難儀を極めた。最初から臨時の皇居という印象だった。

そのうえ守旧派(飛鳥派)が反対、妨害があった。天智天皇崩御のあと、後継の弘文天皇は壬申の乱で、大海皇子(後の天武天皇)に敗れた。


 ▼近江神宮に祀られる天智天皇

ところで、近江神宮は天智天皇が祭神である。

京阪電鉄の近江神宮駅から7、8分ほど歩くとこんもりとして森があり、その突き当たりの、いくつかの階段を上る。昭和15年、近江神宮は皇紀二千六百年に創祀された。
小倉百人一首の第一首は天智天皇、いまでは近江大津宮のことより、カルタ競技の祭壇となった。

日本で最初に時計を取り入れたのも天智天皇だった。その「遅刻」(水時計)が境内にある。近年、若い人が参詣にくるのは、漫画「ちはやふる」2500万部の影響だろう。

ちなみに小倉百人一首の第一番、天地天応の御製は、

 あきのたの かりほのいほの 
   とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ

(秋の田の仮小屋に泊まると、屋根の苫(とま)の目が荒く、冷たい夜露が、着物の袖を濡らしてしまった)
 
壬申の乱で勝利した大海皇子(天武天皇)は飛鳥に戻り、浄御原宮を造営した。近江京の宮殿の主柱や仏殿、内裏正殿などを移設したため近江大津京は廃都となってしまった。

天武天皇と持統天皇は夫婦である。この天武天皇と持統天皇の18年間が浄御原宮。天武天皇の崩御後、持統天皇は飛鳥の近くに藤原京を造営、またも遷都した。

 さて難波宮のことである。

歴史教科書には難波京のことを載せていないのである。長らく「まぼろしの都」と言われたのも、『日本書紀』は難波宮「焼失」と記載しただけだからだ。


▼難波宮はまぼろしの都ではなかった。実在したのだが。。。

なんば」は難波であり、船場(せんば)、水の都。堂島、中之島という地名は海上交通のアクセスは至便である。つまり、大阪は首都というより商都である。

水運の発達は当然だが、当該地区を治める豪族の顔役がいる。縄文の大規模集落はまだ発見されないが、神武東征のおり大阪湾からの突入に失敗、熊野路へ迂回した経緯は古事記にも日本書紀にもでてくる。

周囲は縄文時代から開けていたことは確実であり、森ノ宮から縄文時代の土器が見つかっている。石山本願寺、大阪城の敷地は難波宮の一部ではないか?

戦後、本格的な発掘が始まり、 昭和32年に回廊を発見、天皇宮室と判明した。いま「難波宮史跡公園」として整備されているが、大極殿基盤と八角殿のレプリカがある。難波宮跡の北側はNHKや大阪市歴史博物館があって、これらは明らかに難波宮の敷地内であった。

それゆえ難波宮は「まぼろしの首都」ではなかった。実質として難波宮は大化の改新ののちに孝徳天皇が遷都(652年)している。

この時から元号は「大化」となり、大化の改新の刷新政治は、難波宮が舞台だった。ただし何回も火災に遭遇して、そのたびに仮御所が建てられ、ついに天武天皇は683年(天武天皇12年)に副都制の詔をだされた。
すなわち難波宮は副都だったのだ。だから正式な首都ではなく、教科書は採用しないようだ。

副都は世界史で珍しくなく、清朝では紫禁城に加え、清朝皇帝は夏、承徳に移った。エカテリーナ女帝はサンクトペテルブルグ郊外に「冬の宮殿」を建設した。

いずれにしても、現在の行革の一環として提言されている「大阪都」構造にも、知事の言う「福首都」という発想にも、このような歴史的考察が一片もないのである。

     

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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【知道中国 2137回】                   
 ──英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港19)

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モノはついでと言うから、当時の香港の阿Qたちの仕事ぶりを思いつくままに綴ってみたい。

例の歌庁辺りの裏町を歩くと、ビルの壁に鏡を立て掛け、その前に木製の折り畳み椅子を置いただけの床屋があった。もちろんバケツに水を用意して、ヒゲを剃ってくれれば洗髪もしてくれる。

もっとも店を構えた床屋では、散髪、髭剃り、洗髪、整髪はそれぞれ別の職人が分業して当たってくれた。

ビルの陰の路地に並んでいたのは繕い物を商売にするオバさんたちで、歩道に持ち出したミシンを踏んで商売に励んでいる。時に、オジさんの同業者が混じっていることもあった。

オジさんの中に大陸から逃れてきた元国民党の将軍がいるなどといった噂が、まことしやかに流れるような時代だったが、考えてみれば当時は、国共内戦で共産党が勝利し、国民党が中国から追い出されてから20年ほどしか経っていなかったわけだから、繕い物で生計を立てているオジさんのなかに、共産党の追及を逃れ命からがら香港に辿り着いた元国民党の「落魄将軍」がいたとしても、決して不思議ではなかった。


小さな椅子に腰かけて客待ちしているのは、女性客の顔の産毛を抜くオバさんだ。先ず客の顔に白い粉をはたきかけてから、2本の糸の片方の端を歯に挟み、両手を使って巧みに縒りを掛けながら、顔面すれすれに張った糸の縒りが戻る反動で産毛を抜く。何時、何処で、誰が、こんな方法を考えついたのか。いくら見ていても飽きない匠のワザだった。

野菜市場の近くでは婆さんたちが蹲り、豆もやしのヒゲを丁寧に取って、もやしの1本1本をキレイに並べている。これも商売だが、一帯の怪しげな雰囲気からして、日が暮れて一帯が紅灯の巷に変じる頃になれば、彼女らはヤリ手婆にヘンシンしたのだろうか。

市場巡りで強烈な印象を受けたのが、例の中国式の丸い分厚いまな板と庖丁1本で肉を解体するオジさんだった。赤銅色の肌に中国人特有の半ズボン。それにシャツの裾を捲り上げて大きな腹を出したまま。片手でまな板をぶら下げ、片手で刃渡り30センチほどの半月型の分厚い庖丁の柄を握っている。

さも重そうな包丁の刃はキラキラ光っていて、見るからに切れそうだ。オジさんの後ろをついていくと、やおらまな板を地面に置き、牛肉を左手で押さえ骨を断った。

ものの見事に真っ二つだ。スゴワザと感心して左手を見ると、親指が根元から無い。聞くと、「以前、手許が狂っちまってな」。その瞬間の背中の「ゾクゾク感」は半世紀ほどが過ぎたいまでもハッキリと覚えている。

歩道にはオモチャ、衣料、日用雑貨、学用品などを商う物売りが並んでいた。もちろん違法だから、要注意は警官の臨検だった。

そこで警官がやってきたら直ぐに逃げられるよう数々の工夫を施す「創意工夫」には舌を巻くばかり。たとえば歩道に四角い大きな布を拡げ、その上に商品を並べる。立ったまま口上をブツが、彼の手許を見ると布の四隅に縫い付けられた4本の紐の先端をシッカリと握っている。その横では、大き目な段ボール箱に商品を入れて売っている。よく見ると、商品の入った箱は深い上蓋に乗せられていた。

道路の端の方に立った仲間が警官を認めて合図を送ると、4本の紐をグッと手繰り寄せ商品もろとも背中に担いでスタコラと逃げる。段ボールの場合は、上蓋をして肩にヒョイっと担いで、これまたスタコラ。かくて「走鬼(トンズラ)」となる。まさに走鬼を前提にした「店構え」だった。

警官が咎めると「荷物を運んでいます」と逃げの一手だ。警官の方でも分かっているが、余程の悪質でもない限りは見て見ぬふり。持ちつ持たれつ、である。

外国人観光客相手の「鬼?小販」と呼ばれるモノ売りも街頭をうろついていた。イギリス、アメリカ、ブラジル、ネパール、インド、パキスタン人などの喰いっぱぐれの長期滞在者らしく、流暢な広東語を操る。
扱っていたのは高級ブランドのニセモノだった。
      
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■読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)貴著新刊の『一万年の平和、日本の代償』(育鵬社)を購入(例によってAmazonのこすい商法から、間違って2冊届きましたが、これを奇禍として、1冊は高校生の孫にやろうと思っています)。

さて、この「平和と代償」は私の長い海外生活から、少し違う表現をすると、「日本人は二重人格にならざるを得ない」です。

日本人は、日本国内だけを見ると、実に温和でよい人たちです。しかし、これで世界に出てゆくと通じません。

私は海外を担当することが多く、海外出張も多かったのですが、その時の心得は、成田なり羽田の搭乗ゲートを境に、「性善説から性悪説に切り替える」でした。宮崎さんのご著書から到達する一つの結論は、日本人は、二重人格にならなくては、国内での平和と世界で生き抜く双方を満足することはできないということです。(関野通夫)


(宮崎正弘のコメント)はい、御指摘の通りと思います。

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(読者の声2)貴誌9月24日付通巻第6650号の「読者の声」で、私は「竹中平蔵のような人物と、首相就任の多忙な時期に、1時間も会談するという菅新首相は何を考えているのだろうか?」と述べさせていただきました。

その後、TVのニュース・ショー番組では、その会談内容についての竹中氏自身とのインタビューなども報じられているようです。これによると、会談の内容は、携帯電話料金の値下げなどについてらしい。

しかしながら竹中氏は、TV番組では、「東洋大学教授」なる肩書を名乗っていたものの、同時にSBIホールディングスの社外取締役でもあるはずで、携帯電話料金については利害当事者であるはずです。

その人物と会談することには利益相反問題が発生することになるのではないか。

そもそも携帯電話事業は公共の電波を使用する公益事業であり、料金などについて事業法の規制を受けているとは言え、料金については、一定の範囲内では業界内の自由競争に委ねられるべきではないのか。

その料金値下げ問題を、新内閣の重要課題とするような姿勢に、菅首相の見識の狭小、低劣さが顕現しているように私には思えます。

なお竹中氏は、SBIホールディングスの社外取締役だけではなく、パソナグループ取締役会長、オリックス社外取締役なども務めているはずで、政府の施策に大きな利害関係を有する業界人であるはずです。そのような人物と、首相就任前後の超多忙な時期に真っ先に会談するべきか、私は、それだけでも、新首相の政治センスを疑いたくなります。

佐々木実氏は『市場と権力』の「文庫版のためのあとがき」で「竹中氏はとても饒舌だ。けれども、すべてが明瞭に語られているようで、そのじつ、肝腎なところは秘匿されたままだ」と述べておられます。

これを読んで、私は、似たような印象を語られた人物として瀬島龍三氏を連想しました。瀬島龍三氏は、敗戦、シベリア抑留問題の責任の少なくとも一半を負う立場であるにも拘わらず、明確な反省と釈明を行っていないと思います。

瀬島氏の戦後の「活動」について、「瀬島氏にも生活があるのだから、商社の幹部を務めることまでは理解できる。しかし、敗軍の将であるにもかかわらず、一国の政策にまで関与することは許せない」と評した戦中派の方がおられました。

竹中氏が権力に擦り寄った時期は、日本経済の衰退期とほぼ重なるものです。そして、第二の敗戦とも言えるわが国経済の停滞、劣化について竹中氏にも一半の責任がないとは言えないでしょう。

そうであるとすれば、少なくとも竹中氏は、自らの政治責任を明確にしないままに、国の政策に、饒舌に「口出し」を行うような所業は自粛するべきなのではないでしょうか。もっともご本人は、今もって「自分のやったことが正しいと、心から思っています」ということなのでしょうか。

竹中氏との会談は、多分、菅新首相の方から提案されたのでしょうが、私はそのような愚かな提案(と私には思える)を行う新首相には、まったく期待できないと考えています。(椿本祐弘)


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(読者の声3)
久しぶりに投稿させていただきます。宮崎氏と私は同年で生涯現役、生涯健康、生涯勉強を目指していますが、宮崎氏は本当にあちらこちらと活動され、ニュースも無料で発信され本当に日本国の事を憂慮されていることがひしひしと感じられます。

さて竹中氏の事が書かれていましたので一言。

以前「維新の党」顧問と言う記事を新聞で読んだ記憶があります。それを見た時、維新も胡散臭い党だと感じたことがあります。まだつながっているのでしょうかね? 
       
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