2020年09月28日

◆【変見自在】傲慢な田舎者

高山 正之
 

まだ支那の公安警察が今ほどでないころ、南京とその辺りを旅した。

 同行の一人に獨協大学名誉教授の故中村粲(アキラ)氏がいた。

 元気のいい人で「支那人と本多勝一が言う南京大虐殺が本当にあったかどうか、現地で日支シンポジウムをやろう」と北京に申し入れた。日取りも南京陥落の日に決めていた。

 そんなことをやられたら南京大虐殺がもろ作りものだとばれてしまう。

 支那のお先棒を担ぐ朝日新聞も困るけど、日本にODAをたかっている最中の支那はもっと困る。

 で、江沢民は出かける間際の教授に入国禁止を通告してきた。ひどい話だ。

 旅券番号は記録されている。それが終わるまで観光でも支那には入れない。

 そして10年。やっと旅券を更新して、今回のお忍びの旅となった。

 ただ北京が要注意人物の顔認証システムを入れていたら即捕縛という事態も予想される。出入国や移動時には「後ろについて見張っていて」と頼まれた。

 で、南京に飛んだ。入国は問題なく。まずは南京大虐殺館を覗いた。土井たか子に村山富市、本多勝一の日奸トリオの写真が飾られていたが、本物はそれだけ。

 あとはみな紛(まが)い物。闇の中に荘重な音楽と映像が流れる入口の作りはエルサレムのホロコースト記念館のエントランスとそっくり同じだ。

 息絶えた我が子を抱く母の像はワルシャワ・ゲットー記念館のネイサン・ラポポートの像に酷似し、中庭にある犠牲者の名を刻んだ「壁」は「遠目に見たワシントンDCのベトナム戦争慰霊碑」と言われる。

 南京大虐殺には一片の真実もない。ゼロからでっち上げれば、どうしてもこういう風になる。

 中華門の南、雨花台も行った。毎日新聞記者、浅海一男の「百人斬り」の与太話を唯一の証拠にして向井敏明、野田毅両少尉がここで銃殺された。

 浅海は「日本軍は残虐」を証明した功績で戦後、北京に豪邸が与えられ、娘は北京大に入れてもらった。

 シンポが開かれていたら彼女も呼ばれ、父の不実を語っていただろう。

 梅花山も登った。頂きには日本と組んだ南京政府の汪兆銘の墓地跡がある。

 墓は暴かれないよう5トンの鋼入りコンクリートで覆われていたが、重慶から戻った蔣介石により爆破され、棺は引きずり出され辱められた。

 墓地跡には縛られた汪の像が置かれ、人々は石を投げ、唾を吐きかけた。

 訪れたとき、像は撤去されていたが、墓を暴いて辱める倣いはいまだに息づいている。あの周恩来たケ小平ですらそれを恐れて墓を作らず散骨した。

 そうやって歩いた南京の印象は人情も含めていがらっぽく黄色に霞んでいた。

 かつて杜牧はそんな南京の景色を七言絶句に詠んだ。

 「千里鶯啼いて緑紅に映ず/水村山郭酒旗の風/南朝四百八十寺/多少の楼台煙雨の中」と。

 支那人はそのころから黄色を瑞々(みずみず)しい緑と言い習わしてきたのだろう。

 旅には通訳の元締めを装った公安がつき、こちらの話に耳を欹(そばだ)てて「支那と言うな」「言って何が悪い」と悶着になったのを除けば旅程は滞りなく消化できた。

 北京空港で教授が無事出国手続きを終えるのを後ろから確認した。

 ほっとしたところでこちらが別室に呼ばれた。

 いやいや引っ張るなら前の中村粲か前の前の宮崎正弘だろがと言い逃れようとしたが無駄だった。周庭の気持ちがよく分かった。

 やることが一々汚い。それで振る舞いは尊大とくる。

 先日そんな一人、外相の王毅がEU諸国を回って米国に同調するなと脅した。

 ノルウェーには「香港にノーベル平和賞を出すな」と脅した。10年前、劉暁波に出したときは支那は鮭缶の輸入を断ち、ノルウェーは随分泣かされた。

 しかし今度はEUが応援した。プラハ市長は王毅を「無礼で野卑で傲慢な田舎者」と言った。

 友好より彼らの本質を研究して、今度こそ国際世論の潮流に棹さそう。

 出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)10月1日号

    【変見自在】傲慢な田舎者

著者:高山 正之

高山氏の本誌連載が、待望の文庫化!

『変見自在 トランプ、ウソつかない』(定価605円)絶賛発売中。

『週刊新潮』 令和2年10月1日号

松本市 久保田 康文さん採録 

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。