渡部亮次郎
緒方さん
確か1993年だったと思う。日本経済新聞の国連担当だった私はニューヨークの国連ビルの前を歩いていた。ふと前を見ると緒方さんがいる。
防弾チョッキ姿でサラエボ空港に降り立った勇姿とは違い物腰の柔らかい古風な日本女性といった雰囲気だった。声をかけると、アラッと言って気さくに国連難民高等弁務官の仕事の忙しさを語ってくれた。
1991年から10年間、国連難民高等弁務官をつとめたが、就任当時、日本政府内にも、女性で大丈夫かという懸念の声があったと聞く。しかし、それは杞憂だった。緒方さんの活躍ぶりは周知のとおり輝かしいばかりである
イラクのクルド難民危機では、トルコ側から押し返された難民を前に、慣例を破って国境を越えなくても支援に当たるという英断を下した。バルカン紛争ではボスニアで民族和解を図る「共生の想像」プロジェクトを考案した。
アフリカ大湖地域における大量虐殺と救済、アフガニスタンでの大量難民の支援と帰還などその功績は数え上げればきりがない。
難民問題ではクリントン米大統領やシラク仏大統領説得に自ら乗り出したというエピソ−ドが残っている。小柄だが、度胸が良く、積極果敢。世界の指導者から「スモ−ルジャイアント」(小さな巨人)として尊敬されたというのもうなずける。
かつてこれほど国際的に評価された日本人もいまい。緒方さんという人を形づくったものは何だろう。
犬養毅元首相は彼の内閣の外相、芳沢健吉に長女を嫁がせた。芳沢は駐仏大使、国際連盟日本大使となり、満州事変の処理では大変な苦労をした。その娘がフィンランド公使をつとめた外交官、中村豊一と結婚、生まれたのが貞子さんである。
吉田内閣で官房長官だった緒方竹虎の息子、四十郎に嫁ぎ、緒方姓となったのである。つまり、元々は国際関係の書物に埋まった外交官の家に生を受けた研究者だったが、国連という実践の場に立つことで世界的な広い視野と対応力、つまりは国際感覚を身に着けたといえるかもしれない。
難民がいなくなり、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が消えてなくなるのが私の夢、とよく口にしていたが、残念なことに紛争と難民は今も絶えることがない。
拙著『国連機関でグローバルに生きる』(現代人文社)の出版にあたり、緒方さんに序文を寄せていただいたが、彼女はその中でこう記している。
「敗戦を経験し世界から孤立した経験を持つ日本は、これからも国際貢献を政策の最優先課題とすべきである。そして、これからの日本を背負う若い人たちが世界の人々のために働こうという意欲を持つことほどすばらしいものはない」
若者が緒方さんの後に続くこと、また、そういう若者を育てることこそが、我々が「人間の安全保障を掲げた」稀代の巨人の遺志に応える道であると思う。
2020年10月09日
◆人間の安全保障に生きた「小さな巨人」
at 07:58
| Comment(0)
| 頂門の一針「渡部亮次郎」
この記事へのコメント
コメントを書く