2020年10月30日

◆トランプ再選、まだ緑信号を打てない情勢

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)10月28日(水曜日)通巻第6681号 

 トランプ再選、まだ緑信号を打てない情勢
  激戦地区でトランプ猛烈な巻き返し、ペンシルベニアが最激戦区

 前回もペンシルベニア州でトランプが逆転、最終的な勝利に直結した。

27日のペンシルベニア集会には、ファーストレディのメラニア夫人が初めて選挙キャンペーンに登壇した。

10月27日時点でのNYタイムズの世論調査ではバイデンが49%、トランプが43%と、ついに6%の差に縮まっている。左翼のNYタイムズは民主党支持であり、しかもバイデン支持を社説に掲げているくらいだから、それを割り引くとトランプは逆転している可能性を示している。

なにしろ全米メディアの66%がバイデン支持である。

トランプが明確にリードしているのはオハイオ、モンタナ、テキサス州で、頭ひとつトランプがリードしているのがウィスコンシン州、草深きジョージア、激戦区はミシガン州、バイデンがリードしているのがネバダ州と大票田の西部3州とハワイだ。

伏兵が期日前投票と、郵便投票である。すでに6400万人が投票を済ませた。このように異常な事態が出来しており、このうち激戦区では3200万人が投票を終えた。メディアの推測による既投票者の内、2000万人がバイデンに入れたとNYタイムズが推定している。

トランプは僅かに800万人。むろん、民主党は草の根の組織を誇り、組織動員の結果であるが、やはり、トランプ陣営にとっての懸念材料である。

トランプの辛勝区に対して民主党は訴訟をおこす準備であり、ひょっとして11月3日夜からの開票作業は、数日かかることが本気で予想される。

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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【知道中国 2151回】           
 ──英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港33)

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 第一日文共同経営の3先生の中で、最も親しく多くの教えを受けたのはD先生だった。その多くはブランデーをガブ飲みしながら・・・ではあるが。

 たしか昭和元年の中国生まれ。父親と言う方の交友関係は甘粕正彦、川島浪速、肅親王から大森曹玄まで。朝鮮総督時代の斎藤実が身元引受人だったと聞いた時には、完全に酔いが醒めた。

1916年に川島らが起こし失敗した第二次満蒙独立運動に加担したとのことだが、その後、山東自治聯軍に参加し、奉天派軍閥で山東省を押さえた張宗昌と義兄弟の契りを結び、日本人から中国人に。中国名の張宗援には、張宗昌を応援するという思いが込められている。

山東自治聯軍当時は青島が拠点であり、D先生は青島中学で学んでいる。は山東自治聯軍は最盛時に3万ほどの兵士に軍用機までも擁していた。小学校高学年になった頃、D先生も馬賊盗伐の前線へ。その際、拳銃は必携だった、とか。

ある時、山東自治聯軍と日本軍との関係を尋ねると、「海軍はなにくれとなくオヤジを支援してくれたが、陸軍は利用するだけ利用して・・・」と。

昭和20年に入ると、家族と別れ1人で日本へ。「日本人だが日本に住んだことがなかったから、日本の生活様式には面食らったよ」。玉音放送は飛行訓練中の琵琶湖近くの基地で。
たった1人の日本である。

そこで父親の伝手を頼って山形の石原莞爾の許へ。病身の石原の身の回りの世話をした。ならば極東軍事裁判の出張尋問が山形で行われた際、病躯の将軍をリヤカーに乗せて訊問会場に向かったのはD先生ではなかったろうか。この点を聞き洩らしてしまったことが、なんとも悔やまれる。

その後、先生は拓大から国鉄関係の会社勤務を経て香港へ。T、Yの両先生と共に第一日文を創設し、日本語教育を通じた日中の相互理解を目指した。

第一日文での授業が終わると馴染みの上海料理屋へ。これが定番だった。ボーイがテーブルにブランデー(お好みは「ヘネシー」だったような)を置く。栓を開ける。ブランデー・グラスなどではなく、コップにドバドバッと注がれる。氷を少し入れて、後は一気に喉の奥へ。こちらが振るう「他愛もない熱弁」を肴に、D先生のピッチも上がる。

日本語教師のアルバイト料の値上げをお願いすると、「お前らは国士だ。国士らしくツベコベ言わずに日本語を通じて日中の相互理解に努めろ!」とゴ立腹の態。「ならば先生、我われの集まりを「こくしかい」を名づけましょう」と提案。「それがいい」と快諾。そこですかさず、「平仮名で「こくしかい」にして、先生は国士会で、我われは酷使会ではどうでしょうか」。

思い出は尽きないが、殊に忘れ難い一齣を。

ある時、「今日は面白いヤツに会わせてやる」と、繁華街の奥の奥にある古びた北京料理屋へ。D先生の姿が目に入ったのだろう。すでに着席していた3人が立ち上がって畏まる。D先生は「不要客気!随便坐下!(無礼で)」。

すかさず料理が運ばれ、酒が注がれる。打ち解けた雰囲気の中で交わされる話から判断して、3人は香港の住人ではなく、数日後には大陸に戻るらしい。年下であるD先生への対応は恭しく、どこか懐かし気に感じられた。

その後も、こういった集まりには何回か同席が許されたが、客は同じ顔触れというわけでもなかった。D先生は父親のかつての部下と連絡を取りながら揺れ動く中国国内の最新情報の把握に努めていたのではと、当時は想像を逞しくしたものだ。

D先生と新界を2日間ほど歩き、中国大陸が望見できる、Y先生の生涯に相応しい場所を探した。

山上の大きな岩を墓石に見立て、分骨を葬った。両先生の思いを繋ぐその場所は、いまは解放軍香港駐屯部隊の管制下にあり、立ち入りが固く禁じられている。
     
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)番組のお知らせです。「闘論!倒論!討論!2020
日本よ、今...」

テーマ:「三島由紀夫が予期した日本は今」

放送予定:10月31日(土)夜公開。日本文化チャンネル桜

「YouTube」「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト、インターネット放送So-TV

 <パネリスト:50音順敬称略>竹本忠雄(筑波大学名誉教授)、富岡幸一郎(評論家)、
中村彰彦(直木賞作家)、浜崎洋介(文芸批評家)、松本徹(元三島由紀夫文学館館長)、
宮崎正弘(作家・評論家)
司会:水島総(日本文化チャンネル桜 代表)
(日本文化チャンネル桜)


(宮崎正弘のコメント)『正論』ならびに『WILL』が三島特集を組んでいます。合わせて参照ください。


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(読者の声2)『「憂国忌」の五十年』(三島由紀夫研究会編)が刊行されました

このたび第50回憂国忌記念出版として『「憂国忌」の五十年』(三島由紀夫研究会編)が啓文社書房より出版されました。(定価2千円。税別)主な内容は下記の通りです。

           記

プロローグ  私にとっての憂国忌五十年 玉川博己
第一章 あれから50年、三島由紀夫に熱い視線 宮崎正弘
第二章 三島由紀夫に斬られた男  寺尾克美
第三章 二人の自衛官 菊地勝夫と西村繁樹 菅谷誠一郎
第四章 切腹と介錯  首藤隆利
第五章 憂国忌の五十年ー三島由紀夫事件前史、そして「以降」 宮崎正弘
第六章 憂国忌運動が生んだ国会議員・中西哲の証言 中西哲
第七章 憂国忌の今後 菅谷誠一郎


三島研究会の会員と憂国忌賛助会員の方には本書が郵送されます。またAmazonにページが出来ておりますのでご参考までに。
https://www.amazon.co.jp/dp/4899920717/

時の経つのは早いもので今年の11月25日はあの昭和45年の衝撃の事件から丁度50年目に当ります。

今年は第50回「憂国忌」が開催されます。これから本格的な準備段階に入りますが、皆様にはご支援とご協力の程宜しくお願い申し上げます。

現在の内外諸情勢は益々三島由紀夫先生の最期の檄文の雄叫びの正しさが感じられるものであります。「憂国忌」とは単なる文学ファンの集いではなくて、私たちが日本の歴史・伝統・文化の流れに回帰し、日本の再生と革新を決意する場所でもあります。(三島由紀夫研究会事務局)



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(読者の声3)「弘志会」のお知らせです。中国コロナ禍の影響で初期の予定より変わっていますが表記例会を下記要領で実施致します。今回は日本人はどのように形成され、日本国はいつはじまったのか。

日本文明とは何か、そして、それは中華文明とどこが異なるのか。私たちは私たちの原点について、もっと多くのことを正しく知らねばなりません。正しい理解がないからこそ、「アイヌ新法」などという歴史歪曲が罷り通ってしまう。

日本再発見、それは驚愕と感嘆の連続! です。

 今回講演者は著作家宇山卓栄氏です。ご関心ある方は事前申し込みください。当日参加もOKです。
    

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