2020年11月15日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(104」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/204(2020/11/12/木】小生の巣は22度にしてい
るが、早朝ゴミ出しで外へ出たら手が冷えた。次回からは軍手が必要だ。
朝食で2Fへ行ったら日射しがないため寒い、15度しかなかった。冬がやっ
てきた。


多摩川土手のチャリ散歩は冷たい北風で涙がチョチョギレルから防寒対策
を考えなければならない。メガネの上からでもOKなゴーグル・・・ネット
で調べたらコロナ禍対策で結構品揃え豊富、2000〜5000円だが、試してみ
ないといけないし・・・近所の眼鏡店を覗いてみよう。チャリ散歩は男の
命・・・鬱屈というガス抜きだな。


小生のお気に入り散歩コースの「生田緑地」は、白川郷の合掌造りの古民
家を含め東日本の25棟を集めた「民家園」や、川崎市が競輪競馬で貯め込
んだカネで買い取った「川崎国際生田緑地ゴルフ場」などを含めるととて
も広い。


民家園だけでもじっくり見て回ると3時間、プラネタリウム+博物館、ド
ラえもんミュージアム、タロー美術館も2時間はかかる。昼食を含めて1日
4時間滞在するとして全部見るには3〜4日はかかる。ドラえもんの近くに
は小田急がキャンプ場、バンガローなどを造るらしいから宿泊も可能にな
りそうだ。


先日は駐車場に大型バスが5台ほどとまっており、東名高速の便もいいの
で埼玉、千葉など結構遠くから遠足で子供たちがやって来る。運転手用に
ちゃんと喫煙所まである!


緑地を維持するために市民ボランティアも活発に活動している。「生田緑
地の雑木林を育てる会」「生田緑地の谷戸とホトケドジョウを守る会」
「特定非営利活動法人かわさき自然調査団」「飛森谷戸(とんもりやと)
の自然を守る会」「向ヶ丘遊園の緑を守り、市民いこいの場を求める会」
など。みんな生田緑地が大好きだ。


11月10日に南西の飛森谷戸からゴルフ場を時計回りに散策した。


<谷戸(やと)とは、丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形。多摩丘
陵・三浦丘陵・狭山丘陵・房総丘陵・武蔵野台地・下総台地といった関東
の丘陵地・台地の縁辺部が長い時間をかけて浸食・形成され、谷戸・谷
津・谷地などと呼ばれている>(WIKI)


両側は山で、ちょっとした渓谷、谷間・・・男の子は故郷を思い出すのか
なあ、高揚と落ち着きを感じる。「伊豆の踊子」に谷川の水を飲むシーン
があり、踊子だか一行の女が主人公に「先にどうぞ、女は穢れていますか
ら」というセリフがあった。昔、女は謙虚だったなあ。


女は穢れている、それなら女から生まれ、おっぱいにしゃぶりついて育っ
た男は「糞」か? 長じて先祖返りで谷間に回帰するクソ・・・「女にう
つつを抜かすより、努力して世のため人のためになる男になれ、それが男
ぞ!」という暗喩だな。


そんなことを思いながら人っ子一人いない山中を登ったり下りたりで3時
間かかったが、これで生田緑地はほぼ制圧した。ボランティアのお陰で山
道はきれいに整備されている

所々で金網越しにゴルファーの姿が見えたが、1メートルほどのパットで
も皆さん結構外しており、思わず苦笑した



「そう言えば俺も全然ダメだったなあ、外すたびに頭にきて実に不愉快
だった、早朝から車を出して客や同僚を拾って、カネをふんだくられて嫌
な思いをする・・・“修ちゃん、後がつかえているからもうOK”なんてコケ
にされたり・・・クソっ・・・1年で止めて良かった」


なんて昔を思い出した。まあ、運動能力がなかっただけなのだが・・・そ
のくせに「アサヒゴルフ」とかいう雑誌に頼まれて「世界の名門コース」
という連載を書いたり。「もう得意です、ゴルフ大好き・・・海外取材の
時は必ずご当地の有名コースは体験してますから任せてください」なんて
ホラを吹いた。慌てて手紙を書いて資料やら写真を送ってもらい記事にし
たが、昔は結構、鷹揚だった気がする。


先日、二か領用水の多摩川取水口にある「二か領せせらぎ館」で市会議員
の橋本勝氏を見かけた。名字を思い出せなくて「マサルさん?」と声を掛
けたら「? ?・・・ハイ」、いささか面食らったようだ。「選挙なの?」
「いや、そういう訳じゃないんですけど・・・」。昨日、郵便箱に「見る
聴く動く 橋本まさる市政報告」が届いていたが、「2024年『全国都市緑
化かわさきフェア』実現に引き続き取り組んでいきます」とあった。


タウンニュースによると「川崎市が市制100周年を迎える2024年の誘致を
目指す全国都市緑化フェア。福田市長は『川崎は100年前からの都市開発
の中で緑を失ってきた。都市緑化フェアはイベントをやることが意義では
なく、これまでの100年を振り返り、これからの緑が川崎市にとってどう
あるべきかを考えるきっかけとしたい』と挨拶した」。


宅地開発、都市開発で緑がどんどん失われていくが、原住民・先住民とし
ては「もう開発は要らない!」と叫びたい、しかし、「早い者勝ちだ、オ
マイら来るな」とは言えないわな。「既得権益にあぐらをかく人民の敵
だ!」なんて吊るし上げを食らったり・・・ANTIFA米国じゃあるまいし、
そこまでは叩かれないだろうが「緑が減ったら、その2〜4倍の緑地を創
る」とか思い切った政策が必要だろう。


私権制限が難しいなら税の優遇措置とか、地主階級も納得する方策で説
得、後藤新平流に力ずくで進めるべきだ。木場以東の東京湾岸は後藤新平
が創ったようなものである。できる奴はスケールが違う。


高坂正堯の「国際政治 恐怖と希望」をここ一月ほど寝床で読んでいる
が、1966年初版、半世紀も前なのに人間、民族、国家、外交の本質をつい
ているから全く古さを感じさせない。ソ連を「ロシア」と置き換えればい
いだけ。すごいオツムだ。


<高坂正堯(こうさか まさたか、1934/昭和9年5月8日 - 1996/平成8年5
月15日)は日本の国際政治学者、社会科学者、思想家、法学博士、元京都
大学法学部教授。専門は国際政治学・ヨーロッパ外交史。


大学では国際法学者の田岡良一や政治学者の猪木正道に師事。猪木は高坂
の没後に、「高坂は僕が教えた中では、ピカイチの天才だった」と回想し
ている。


現実主義の論客として著名で、見識が広く近現代日本の史論も多く著し
た。一般に社会科学者らの著作は時を経ると時代遅れになるが、高坂は没
後20年以上経ても『現代の古典』として研究者・専攻学生たちに読まれ続
けている。


高坂が一般に知られるようになった契機は、『中央公論』誌での活躍から
で、高坂は1963年にハーバード大学留学から帰国した直後に、当時『中央
公論』編集部次長であった粕谷一希の依頼により「現実主義者の平和論」
を同誌1963年1月号に寄稿、論壇にデビューした。


高坂は同論文において、当時日本外交の進むべき道として論壇の注目を集
めていた坂本義和らの「非武装中立論」の道義的な価値を認めながらも、
実現可能性の難しさを指摘し、軍事力の裏付けのある外交政策の必要性を
主張した、云々>(WIKI)


高坂正堯氏と似たような名前の「高山正之」氏は小生が憧れている「正露
丸糖衣錠=ユーモアで包んだ苦い正論」論客で、「高坂正堯の血筋を引い
ているのじゃないか」と思っていたが、縁戚関係はないようだ。


<山正之、たかやま まさゆき、1942年 - )は、日本のジャーナリス
ト、コラムニスト。元産経新聞記者、元帝京大学教授。


東京都出身。1965年、東京都立大学法経学部法学科卒業後、産経新聞社に
入社。警視庁クラブ、羽田クラブ詰、夕刊フジ記者を経て、産経新聞社会
部次長(デスク)。1985年から1987年までテヘラン支局長を務め、1980年
代のイラン革命やイラン・イラク戦争を現地で取材。また、アジアハイ
ウェイ踏査隊長としてアジア諸国を巡る。


1980年代後半、芸能方面へ異動となる。当時の編集局の上司と、国際報道
についての報道方針を巡って対立があった為とされる。この頃テレビ朝日
の昼の番組で、芸能解説をやっていたのもこれが原因だという。



1998年より3年間、産経新聞夕刊1面にて時事コラム「高山正之の異見自
在」を執筆。定年後の2001年から2007年3月まで帝京大学教授を務めた。


連載中のコラムに『週刊新潮』誌上で「変見自在」、『テーミス』誌上で
「日本警世」、『Voice』誌上で「日本の事件簿」がある>(WIKI)


ちなみに山正之氏は小生が世話になった航空新聞社から「アテンショ
ン・プリーズ』(1978年)を上梓している。同書は小生の記憶にないが
“スッチーというお仕事”系だろう。羽田クラブ詰の経験から航空業界にも
通じていたのだろう、「飛行25000時間」(文藝春秋、1983年)の著書も
ある。


小生がびっくりした高坂正堯氏の論稿を紹介するつもりだったが、長く
なったので次回にまわす。


蛇足ながら、本はざっくり分類すると「娯楽本」(ベストセラー志向)と
「教学本=教養・学問本」(初版2000部売るのに3年かかったとかが珍し
くない)のふたつがある。


中間のような本もいっぱいあるが、オツムを刺激して活性化させる「教学
本」は1割あるかどうかで(実際はせいぜい3〜4%か)、多くの出版社、
編集者は10年、50年、100年後でも読者がいる「教学本」を出したいか
ら、身過ぎ世過ぎで「娯楽本」を出している面がある。明治以降のベスト
セラーで今もそこそこ売れている本は100点、せいぜい200点だろう。


逆に言えば、痴的ではなく「知的」刺激を受けたいならベストセラーは避
けた方がいい。良書なら10〜20年後でも読み継がれているから、それを読
めばまず間違いはない。良書は内容が古びない。


1924/大正13年に日本図書館協会が11月17日から11月23日までの「図書週
間」を制定した。戦後にGHQによって天長節(11月3日)がつぶされて「文
化の日」とさせられ、穴埋めで図書週間が移動した。焚書坑儒で良書は消
えていただろうから、娯楽本ばかりだったろう。来週から本来の図書週間
が始まる。目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。