2020年11月19日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(106」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/205(2020/11/17/火】産経が鎮座百年大祭奉
祝で「100年の森 明治神宮物語」を長期連載しており、「神宮の森は原
始の森、森の中は入れない」との記述があり、森をこよなく愛してほとん
ど病膏肓の小生は「ホントかなあ、実地調査しないと“森オタク、Forest
Watcher”とは言えない!」とずーっと気になっていた。で、14日(土)、
40年振りに明治神宮を目指した。



小田急「参宮橋」下車。ホームの天井と壁は百年大祭で総ヒノキの化粧で
お出迎え、普通なら宣伝するがコロナ禍で自粛しているようだ。工事中で
案内板が見えず、うろうろしながら西門へ。交番があってちょっとビビっ
た。抑止効果はあるね。


ここから幅8mほどの参道を辿ると、高さ20〜30mの高木が空を覆ってい
る。これが神宮すべての特徴で、「深山の趣、いやあ大したものだ」感動
する。


ただ、「林内には立ち入らないでください」「関係者以外立ち入り禁止」
の標識がとても多く(100個まで数えて諦めた)、そうしなければ小生の
ようなトム&ハックのいたずら小僧の恰好のフィールドになってしまうか
らだろう。


最初は10cm幅のムジナ道ができ、「あっ、道がある、何があるんだろ
う!?」、やがて20cm、30cm・・・50cmになれば堂々とした山道で、70cm
になれば対面交通可。「こっちから行ってみよう、面白そうだ」「あら素
敵、何があるのかしら」。もうどーにも止まらない!


この“道路開拓”が広大な境内のあちこちで進んだら、やがては「都心のオ
アシス神宮の森キャンプ場 穴場スポットはここだ!」なんてムックがで
きたりして(山渓?)。当然、デートスポットにもなって(an.an が特集
しそう?)、それにつられて出歯亀、Peeping Tom も出没、さらに青木ヶ
原樹海みたいに静かに永遠の眠りにつきたい老若男女が押し寄せて整理券
を発行する騒ぎに・・・


神宮当局としては何よりも火事が怖い、米軍の無差別な焼き尽くせ、殺し
尽くせ、破壊し尽くせの空襲でひどい目に遭っているし・・・米国のアカ
は質が悪い。


神宮の皆さんはこうした破壊行為を恐れているから「林内には立ち入らな
いでください」「Off Limits」と訴え、かつ哀願しているわけだ。小生の
ような下賎はテーマパークのように拝観料を徴収するなどして怪しい奴を
排除するが・・・それでも万全とは言えないところが難しい。来る者拒ま
ずが原則だろうし・・・


ノートルダム寺院、首里城・・・火事は原因不明というが「公表できな
い」のが真実ではないか。狂気レベルの一神教患者や正義病のアカなら自
分と仲間以外は悪であり、破壊し尽くして当然なのだから。


災難は忘れたころにやって来る、渡る世間は想定外・・・昨年の台風で長
女一家は床上浸水、この春に多摩川を一望する新築マンション最上階に新
居を構えたが、中共コロナ禍でお披露目がいつできるか全然分からない。
朝飯の時にカミサンが・・・


「3密回避で新居祝いの見通しが立たないから、とりあえずお祝いを持っ
ていこうと思うのよ、幾らにしましょう」「10万とか?」


「ちょっとそれじゃあ・・・」「そんなら30万とか・・・50万とか?」


「うーん・・・」「じゃあ100万とか・・・?」「そうね、100万ならいい
でしょう」


小生の3年分の小遣い・・・古稀の祝いで長女から小遣い5万円を貰ったば
かりだが、長女の投資はあっという間に20倍のリターンになったわけだ。
彼女は金銭運があるようで・・・ま、結構なことである。それにしても想
定外だったなあ。


小生は自分なりに「想定」して行動してきたつもりだが、振り返れば“一
寸先は闇人生”で、塀の内側に落ちたこともあるけれど、大体は「闇の向
こうは虹のかかった草原」、まあ運が良かった。先人曰く「人生は運が9
割」、確かにそういう面はある。


個人の場合はしくじっても自己責任、「リセットしてせいぜい頑張るこっ
た」ですむが、国家、民族といったスケールでの“しくじり、失敗、負け
戦”は実に長期の禍根を残す。宗教絡みの民族対立なんて1000年の遺恨試
合みたい。斗南藩、会津藩は150年たっても「薩長許すまじ、恨み晴らさ
でおくものか」。菊池寛の諭す「恩讐の彼方に」という具合にはいかない。


神宮創建に際して力があった公家の西園寺公望首相は会津戦争で自ら鉄砲
を撃ち、銃弾の飛び交う最前線にいたという。京都アニメじゃないが知ら
ない間に恨みを買うことはある。


事故にせよ事件にせよ、100年の森の消失を取り戻すには最低でも100年は
かかるから、神宮の守り手が火事を恐れるのは当然だ。


七五三の時期でお祝いの家族連れが目立ったが、早朝なので混雑とは程遠
かった。本殿で家内安全を祈願した時には、すでに小生の体力は限界、ど
こかで休みたいが、参道を含めてベンチや腰を下ろすところが全くない。
そういう場を設けると、そこで一杯やる人、一服する人、食事やおやつの
人が塊になって参拝者の流れの堰になってしまうからだろう。


とにかくお目当ての一つである御苑(南側の庭園)を見てから帰るしかな
いと苑に入ったら(500円)すぐにベンチがあって倒れこんだ。寝ころび
たいが救急車を呼ばれると事だから坐るだけにしたが、いつものように森
に入って杖代わりの枝(剪定後はまとめて放置してある)を探せないとい
うのは想定外だった。


どうにか体調が落ち着いて斜面を下っていくと・・・ああ、目が眩むほど
の庭園・・・箱庭ではない大きなスケールの池と森、深山幽谷の趣・・・
400年の庭師の手入れが感動を呼び、それを守り続けた先人に敬服せざる
を得ない。鯉までがおっとりしており、気品がある、全く媚びない、いや
はや恐れ入りました。


ここも小生が大好きな森に囲まれた「渓谷美」なのだ。山登りも好きだ
が、登頂しても木々に覆われてほとんど景観を楽しめない山は多い。自然
保護なのか、あるいは予算がないとか、ボランティアの手が足りないと
か、理由は分からないが、結構がっかりする。


その点、渓谷なら水に親しめるし、キャンプ場もあって、子育て時代には
奥多摩、檜原村、神之川、中津川などに出掛けたものだ。富士山麓の田貫
湖も良かったなあ。


御苑の渓谷美を満喫し、体力が残っているうちに帰ろうと思ったが、「も
う次回はないかも」と無理して北へ向かっていくと、何と「北池」があ
る、「宝物殿」前には広大なピクニック広場とベンチ、自販機がある、芝
生の上で晩秋の日射しを楽しんでいる老若男女がいる! ここは解放区な
のだ。小生も芝生に寝ころんで、楽しそうい斜面を転がり落ちていく子供
たちを寿ぎ、秋晴れの青い空を満喫した。神宮当局の粋な計らいだな。あ
りがたや。


そこから北東を直線距離で600mほど行けば「新宿御苑」。2つの大緑地を
遊歩道で結んだらいいなあ、それが無理なら「動く歩道」付きの深地下ト
ンネルで結ぶとか。首都高の上にロープウェイを走らせれば低コストで結
べるし、かつ空中散歩で大人気になるだろう。東京都は金持ちだからリ
リー知事が造ってくれるかも。殺し文句は「ニュースになります、選挙に
有利です」。


天は日本を創り、先人は神宮の森を創った。悠久の国民統合の象徴として
この森を連綿と次代に引き渡していくべし、と先人は願っている。それは
国民の務めだろう。


<明治天皇、1852年11月3日〈嘉永5年9月22日〉- 1912年〈明治45年/大
正元年〉7月30日)は第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)、称号は祐宮
(さちのみや)。お印は永(えい)。


倒幕および攘夷派の象徴として近代日本の指導者と仰がれた。皇族以外の
摂政を設置し、かつ在位中に征夷大将軍がいた最後の天皇。「一世一元の
制」を定め、複都制としながらも東京府に皇居を置いた。


功績・人物像から明治大帝、明治聖帝、睦仁大帝とも呼ばれる>(WIKI)


薩長連合の討幕近代派 VS 佐幕近代派の戊辰戦争。慶喜は水戸学ずぶずぶ
の尊王だから開戦とともに蟄居してしまったが、薩長連合は抵抗する佐幕
近代派を叩くことはできても、政権の正統性を天下に示さなければ四民の
支持は得られない。明治帝は青年ながらブランド、大義、正義としてにわ
かに注目された。大佛次郎「天皇の世紀」から。


<征討総督にしたがって出軍し軍務に当たる人々と別に、 京に残って政
府の基礎を固める仕事の中心は、討幕の密勅を下して以来、公家の岩倉具
視と、薩摩の大久保一蔵であった。


万事がこの両人の指示で、政府内のほとんど全部の人間が動いた。諸藩か
らの徴士が実際の計画を立て、仕事を進める任に当たった。一般の公家
は、どの局でも高い地位に座っていたが、内部的にも真の働きをする人材
ではなかった。


しかし、外に持ち出すと、王松操の図案で新しく作って持ち出した錦旗と
同じことで、想像以上に武士たちに丁重に待遇され、尊敬された。この現
象は、もとより官軍の名に対する畏怖から、必要以上に尊ばれた傾向がある。


公家一般の、外観だけの存在で無内容、無気力な性格は、同じ公家ながら
低い家格に育った岩倉具視が鋭く内部から理解していた。岩倉は型やぶり
の野人的性格であった。この人が公家の中から出ず、武家に薩長の者たち
がなければ、王政復古の大号令も朝敵征討大号令も到底実行されなかった。


岩倉は、公家や廷臣の劣弱さを、いやになるほど見て知っていたのであ
る。この外面だけ威厳のある人々が四民宣撫のためには役に立つことがあ
るのを発見すると、現実家の岩倉が利用しないわけはなかった、云々>


明治帝、そして皇后陛下は若くとも必死で「遅れてやって来た、絹以外に
これという輸出品もない新興国」を一代で列強に発展させる大きな原動力
の重責を担ったのはまさに天佑神助と言うしかない。


明治神宮の創建に当たり日本の通津浦浦から賛同、奉仕の国民が蝟集した
のもむべなるかな。小生が拝観した折もボランティアの人々が参道の落ち
葉を掃いていた。


国力とは経済力や軍事力に加えて、あるいはそれ以上に国民の「国家、国
体」への誇り、支持、愛国心が大事なのだと、それを思わせてくれるのが
明治神宮であり招魂社・靖国神社、各地の戦没者慰霊碑なのだと大いに納
得した参拝であった。想定外はいいものだ。目安
箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp

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