2021年01月21日

◆他人事ではない中国の「見えない手

櫻井よしこ



『週刊新潮』 2021年1月14日号
日本ルネッサンス 第933回

米国の歴代大統領は退任後すぐに回顧録を出すのが習性となっている。読
者は世界中に存在し、最初からミリオンセラーが約束されている。出版契
約料が日本の標準では考えられないほど高額なのも当然かもしれない。た
とえばオバマ前大統領夫妻は6500万ドル(約68億円)を得た。私はこの余
りの高額に驚きを超えて笑ってしまったが、それでも各大統領の回顧録は
読んでみるのがよい。

歴代米大統領の中で中国の工作を最も深刻な形で受けていた一人は、間違
いなく民主党のクリントン氏であろう。ヒラリー氏があれ程頑張っても初
の女性大統領になれなかった原因のひとつに、中国マネーの影響があるの
ではないか。クリントン夫妻の中国マネーにまみれたイメージが、ヒラ
リー氏の道を閉ざした可能性は高いだろう。その中国の魔の手が民主党だ
けでなく共和党にものびていたという衝撃的な事実を『見えない手』(飛
鳥新社)が見事に報じた。

著者はクライブ・ハミルトン氏とマレイケ・オールバーグ氏だ。ハミルト
ン氏は豪州への中国の侵略を詳述した『目に見えぬ侵略』の著者である。

中国共産党の工作を描き尽くす作品第二弾としての『見えない手』は、侵
略の舞台を北米大陸と欧州に絞っている。どの国の事例も深刻だが、米国
共和党の取り込み、とりわけブッシュ家への工作は凄まじい。

ジョージ・W・ブッシュ氏の回顧録、『決断のとき』(Decision
Points)には、両親の愛情を一杯に受けて育った素直な人物像がにじみ出
ている。大酒飲みで、失敗も仕出かした若きブッシュ氏が結婚し、40歳で
酒を断ち、キリスト教への信仰を深めていく姿は素朴で実直な人間像その
ものだ。

ブッシュ氏の大統領としての評価には様々あろうが、私の疑問のひとつは
ブッシュ家と中国の関係だった。父ブッシュは1974年から76年まで北京連
絡事務所長、76年から77年まで中央情報局(CIA)長官を務めた。レー
ガン大統領に副大統領として奉じ、89年から93年まで大統領として、中国
の天安門事件に対処し、湾岸戦争を戦った。彼は天安門事件で中国が国際
社会の経済制裁を受け締め出されたとき、事件からひと月後の89年7月に
秘密の使節団を北京に送り込み善後策を話し合っている。

甘い誘惑

国際社会による経済制裁の輪を突き破ったのは表面上わが国の海部俊樹政
権だったが、実際はいち早く中国救済に動いたのは米国で、その立役者が
父ブッシュだった。

中国は父ブッシュを「古い友人」と呼ぶ。右の呼称は中国に多大な貢献を
した世界的な人物に与えられるもので、キッシンジャー氏らが受けてい
る。このように父が中国と親しい関係にあったにも拘わらず、息子ブッ
シュ氏は大統領に就任するや、前任のクリントン大統領による米中は戦略
的パートナーという定義を否定し、中国を戦略的ライバルと位置づけた。
米国の甘い対中政策を変えようとしたかに見えた息子ブッシュ氏の路線は
大統領就任1年目、2001年の9・11事件で大きく変更された。ブッシュ氏は
中国の江沢民国家主席をテキサス州クロフォードにある自分の別荘に招
き、ライバル路線から共にテロと戦う協調路線に切り替えていった。

その間中国側が息子ブッシュ氏の弟たちに注目していたことが、その後の
展開から見てとれる。フロリダ州知事だった弟のジェブ氏が16年の大統領
選挙に出馬したとき、中国は130万ドルを献金した。実際に献金したのは
カリフォルニアの不動産開発会社経営者のゴードン・タンとシンガポール
に拠点を置く陳懐丹で、二人はパートナーとされている。

ジェブは早々に選挙戦から脱落し、中国の当ては外れたかに見えた。しか
し、二人の中国人富豪はそれ以前の13年から、ブッシュ家の三男、ニール
氏を彼らの会社「新海逸」の非常勤会長として囲いこんでいた。

ニール氏は「ジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)中米関係財団」
を創設、会長に就任し、ブッシュ家の中国資産を引き継いだ(『見えない
手』)。財団は「中国人民対外友好協会」と連携関係にあるが、同協会は
中国共産党の統一戦線工作団体である。

ニール氏が中国側からさまざまな働きかけ、甘い誘惑を受けたであろうこ
とは容易に想像できる。たとえば19年6月24日、中国共産党機関紙の「人
民日報」はニール氏の発言を熱狂的に報じたという。

伝えられるところによると、ニール氏は、➀中国はより成熟しつつある
が、米国の民主制度には欠陥がある➁米国の政治家たちは米国人が中国を
問題視するように洗脳している➂米国は貿易障壁を中国を責め立てるため
の政治的武器として利用している、などと語っている。

エリートと娘を結婚

ハミルトン氏はニール氏のさらなる発言も紹介している。たとえば、国営
放送の中国国際電視台の取材で「中国の人々の自然な優しさと贈り物を贈
る習慣」に感嘆したと語ったが、これは自分を手なずけた中国の手法を白
状するものだ。

ニール氏はさらに「中国で人々が享受している自由の台頭を見れば、米国
人は中国に対する見方を変えるはずだ」などとも語っている。

ブッシュ家は共和党を支える名門政治家一族である。無論、米国の政治の
変化はダイナミックで、ブッシュ一族の影響力がどれ程大きく長く続くか
は保証の限りではない。しかし、中国の浸透工作は極めて巧みに構築さ
れ、注ぎ込まれる経済的資源は莫大である。米国のみならずカナダ、欧州
諸国の事例をみると、各国のエリート層を取り込む手法では巨額のカネと
利権に加えて女性が活用されている。これと見込んだエリートと娘を結婚
させる手法だ。

もちろん結婚には互いに愛情が必要だ。それにしても共和党のミッチ・マ
コーネル上院議員のケースには考えさせられた。上院の与党リーダーとし
て大統領に次ぐ強い力を持つ氏は、かつて対中強硬派だった。それが1990
年代以降、「有名な対中融和派」になったと分析されている。

氏は93年に中国系米国人で江沢民の同級生ジェームズ・チャオの娘、イ
レーン・チャオ氏と結婚した。ジェームズ氏の所有する海運会社は中国の
国有企業と密接な関係にある。娘のイレーン氏は息子ブッシュ政権で労働
長官を、トランプ政権で運輸長官を務めた。ジェームズ氏は2008年、娘夫
婦に数百万ドルを贈与し、マコーネル氏は最も裕福な議員の一人となり、
共和党を親中路線に導くべく働いてきたと分析されている。

中国の深い企み、考え抜かれた戦術・戦略に、私たちが晒されているのは
明らかだ。しかし、世界を中国の価値観で染められてたまるものかと思
う。そして改めて日本の現実を見つめると、黒い不安が広がる。孔子学
院、千人計画、親中派議員と財界人。日本にも伸びているはずの「見えな
い手」の実態を抉り出す時だ。

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「 他人事ではない中国の「見えない手」 」
        “シーチン”修一 2.0

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