2007年07月16日
◆巴里だより・「嵐が丘」とゴッホ兄弟
岩本宏紀(在仏)
中学生の頃、筑摩書房の世界文学全集に収められていた「嵐が丘」を読んだ。身分の違う男女の叶わぬ恋の物語だが、最後の場面がすごい。この世では結ばれることは諦め、死後一緒になろうとする、しかも物理的に。
墓守だったか神父さんだったかに、二人の棺桶を管でつなぐよう頼むのだ。そうすれば死後数週間たてば、腐敗がすすんで二人は混じりあうことができる。火葬があたりまえの日本人にとって、このおどろおどろしいまでの発想は強烈だった。しかもエミリ・ブロンテという独身女性がこれを書いたということに、さらに衝撃を受けた。
ビンセント・ファン・ゴッホと弟テオの墓を見ると、いつもこの物語を思い出す。生きている間は認められず、常に弟の経済的支援を受けていたビンセント。彼は37歳のとき巴里郊外のオベール・シュロワーズでピストル自殺する。
彼が描いた教会と麦畑のそばの墓地に埋葬された。後を追うように翌年、弟は故国オランダで病死。数年後未亡人はテオの亡き骸をオベール・シュロワーズに運び、ビンセントの墓に並べて埋葬した。そしてこの画家を励ましつづけた医者、ガシェの家にあった蔦を植えた。
今ではその蔦はふたつの墓を覆い尽くし、まるでひとつの墓のようだ。向かって左に「ビンセント・ファン・ゴッホ ここに眠る」。向かって右に「テオ・ファン・ゴッホここに眠る」という石板が蔦のなかから頭を出している。
兄の才能を信じて支えつづけたテオ、それに応えておそるべき勢いで絵を描き続け、もうこれ以上弟夫婦に負担をかけられないと、自らの胸に銃弾を撃ち込んだビンセント。
蔦でひとつになったこの兄弟の墓を見ると胸がつまる。三度来たが、いつも雨が降る。(完)
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