2007年07月17日

◆健康にいいもの


渡部亮次郎

作家の渡辺淳一さんが最近の週刊誌に健康法は「睡眠力」と書いておら
れる。何処でもいつでも居眠りできるように訓練し、実施してきたこと
が73歳にして「お元気そうですね」と声をかけられる秘訣だというので
ある。

「寝つきの悪い人はベッドに入ってから2時間は眠れない。そういう人と
私では有効な時間が1日3時間違う。1年で1080時間、30年で32,400時間。
それだけ得をしていることになる」。

渡辺さんは、すぐ眠れてすぐ起きられる能力を医師になりたての学位論
文作成のための動物実験中に訓練して覚えたそうだ。私も記者時代は似
たような訓練をして何時でも何処でも眠れるようにしたが、時間に追わ
れなくなった最近は却って眠れなくなってしまった。

酒を呑んでは体に障る持病があるから導眠剤を処方してもらっているが、
どうも寝覚めが良くない。頭痛がかすかにするのである。1時間もすれば
すっきりするが、やはり飲みたくない。ついつい焼酎に手が出て顰蹙を
周りから買う結果になっている。

私は1936年、2・26事件の起きる直前に生まれた。第2子として生まれた兄
の後、続いて男児が生まれたそうだが、役場に届けてのち間もなく死亡。
その後私が生まれたから父親は私を3男でありながら次郎と付けて「3男
亮次郎」の出現となった。

どうしてそうなったかは知らないが生まれつき腎臓が弱かったらしい。
4〜5歳の頃、ひまし油を飲まされ、自室の枕許で町医者が「学校に上が
るまで保(も)つかどうか」と両親に言っているのを記憶している。味
噌汁を厳禁されていた。

とにかく虚弱児童。大東亜戦争中は国民学校(小学校)の集団写真でも弱
々しく写っている。それが急に丈夫になったのは、禁を破って味噌汁を
飲んだ頃からである。折から進駐軍推奨の野球に興ずるようにもなり、
急速に丈夫になって行った。

小学生の頃は縦に並ぶと前から3番目ぐらいだったが中学になると野球部
で投手、4番、主将。おまけに生徒会長だったから、最早、虚弱返上だっ
た。

親は特に丈夫でも虚弱でもなかった。同居していた父方の祖父母のうち
祖母は女の双子を産んだ時に脳溢血を患い、死去。そのことがあって母
は未成年で嫁に来たらしい。それでも98まで生きた。父も祖父も80歳で
死んだ。

日露戦争にラッパ手として従軍した祖父が80とは長生きだったといえる
が、全く酒を呑まなかった父の80は長生きとは言えない。風邪を引いて3
日目に長女に抱かれ砂糖水を吸い差しで飲ませてもらいながら息を引き
取った。

この吸差しは祖父が死ぬ時、日本酒を飲んで死んだ器だった。祖父は私
が大学在学中の夏、脳溢血に倒れ、1週間鼾をかいて眠り続けた。その朝、
嫁たる母が吸差しに日本酒を入れて口に差し込んだところ俄然口に咥え
て飲んだ。直後、死んだ。


濁酒しか呑まず、そのために嫁たる母が税務署に捕まったという不名誉をさせた祖父だったが、最後は清酒で死んだのは、これはどういうことかと、葬儀の時、親戚中が笑った。

孫たる我々は生きているのは姉、兄、私、妹、妹、弟の6人。姉は1927
年生まれの既に未亡人だがまだ健在。

嘗て虚弱児だった私も立派な?国民的老人になったが、どうしたのか元
気。毎朝、毎夕、インスリンを自己注射しながらだが。糖尿病は母方の
遺伝である。幸い肥満を体験しないきょうだいはかかってない。

私の糖尿病発症は48歳。口の中が粘っこくなったので検査を受けたら立
派な糖尿病との診断。来るべきものが来たかという感じだった。

爾来23年。3年前、上海旅行で水あたりを起こし、ホテルで低血糖による意識喪失を経験して以来、医師の判断でインスリン注射をするようになった。朝夕の2度、針を取り替えるペン型注射器で自分で腹に注射する。殆ど痛みを感じない。

45歳の時、厚生大臣の秘書官をやった。大臣は園田直さん。ご自身既に2型糖尿病患者だったが、注射怖がりで医者に追いかけられてもインスリンを拒否していた。

ある日省内で糖尿病患者団体から長年に亘って要望されていたインスリ
ンの自己注射が話題になったところ「すぐ許可する」と言って許可した。日本医師会が反対していたのを押し切った。

「許可しないから注射針を細くしたりする競争が起きない。許可すれば
医療器具メーカーの競争が起こり、患者が喜ぶようになる」という秘書
官の助言を聴いてくれたのだった。

その恩恵を今受けている私だが園田さんは恩恵を受けることなく、人工
透析を拒否し、70歳で死去した。

ところで私は注射に加えて植物性乳酸水(非市販)を飲む。長野県在住の
知り合いの発明。血糖値その他に有用のような気がする。加えて食事の
後は夕食時を除いて必ず季節の果物を食べる。

食事は3食とも米飯だが、茶碗に半分弱。味噌汁が秋田・仙北市角館の安藤味噌。値段もいいが、抜群の美味しさ。しかし、1日1杯に制限されているから、朝、拝むようにして飲む。

60歳を過ぎた頃から刺身を食べられるようなって以来、肉食は殆どしな
くなった。野菜と漬物は欠かさない。煙草は30年前にきっぱり止めた。

若い頃は腰痛に悩まされた。いろいろ験した結果、アメリカで考案され
たカイロプラクティックに遭遇し、すべて解決した。ここ30年はぎっく
り腰を起こしてない。

脊椎矯正体操を甲木寿人さん(電話03-3464-4803)に教わり、時々姿勢を矯正しているお陰である。ここには中曽根、小泉氏ら政界人も多く来ている。

血圧安定。肝臓、心臓、腎臓異常なし。「糖尿病である以外何処も悪く
ない」と内科医と眼科医。それでも1日、15000歩を歩く。目については18年前、両目の眼底出血を経験した。事情があって、糖尿病の自己管理がいい加減だったからである。

ある朝起きたら赤いサングラスで見ているように、世の中真っ赤である。眼底の動脈が破れて出血してしまったのである。いよいよこれで盲目近しかと慌てたが、医者のいうとおり、2ヶ月ぐらいで血が動脈に吸収された。

そこで病院でレーザー光線で患部を焼いて塞ぐ手当てを受けた。フラッ
シュを焚かれるような感じを何千回も受けた。眩しく、時々は痛く感じ
たこともあったが、爾来、出血は無く、年に3回の定期検査でも「異常なし」が続いている。2007・07・13


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