2021年09月16日

◆呆けのバイデン、腹黒ハリス

Andy Chang

AC 論説No.860 
惨憺たるアフガン総退却が終わったのが8月31日で、ニューヨークのツイ
ンタワーがテロの自爆攻撃で
崩落した911の20周年記念日の式典が昨日終わったところである。アメ
リカはアルカイーダ、タリバ
ン、ISISと20年も戦って「栄誉ある撤退」をするかと思ったらバイデンの
総退却で「国家でもないテロ」
と20年戦った相手に降参した。数千人のアメリカ国民と850億ドルの武器
弾薬を置き去りにして退却し
たバイデンの責任は重い。アメリカ国民を置き去りにしたのは「万死に値
する」罪だ。

ところがバイデンは得意げにアフガン撤退を「賢明な決断だった」と述
べ、あまつさえ「ノルマンディ上
陸にも勝る撤退作戦だった」と自慢したのである。明らかに頭の具合がお
かしい。しかも日増しに募る
アフガン退却の批判を逸らすため、「大統領命令で連邦政府職員全体にワ
クチン注射」を発表した。バ
イデンは「オレは大統領だ、オレのいうことを聞け」と威張っている。既
に各州でバイデンを憲法違反
で告訴する動きが出ている。国民の関心を逸らすつもりで新たな危機を
作ったのだ。

バイデンは就任以来、大統領命令で危機を作り出し、危機の責任を躱すた
め話題を転じて新しい危機を
作り出してきた。国境問題危機、未成年者収容危機、中国の派遣進出と米
国批判、ワクチン政策の失
敗、BLMとAntifaの暴動と犯罪の大幅な増加、失業率とインフレとホーム
レス、3.5兆ドル予算と税収
政策、Critical Race Theory(白人自虐論)、アフガン総退却、ワクチン
強制命令……。

バイデンは度重なる危機について一度も改善策を考えず、嘘を連発するけ
れど自責や詫び言葉を述べたこ
とは一度もない。これは一体どういうことなのか。バイデンが鉄面皮で恥
知らずとしても度が過ぎる。
彼はどうして恥を感じないのか?なぜ間違いを直さず責任を負わないの
か?、なぜ謝罪しないのか?。
側近や黒幕はどこまで彼を庇うことができるか?。

バイデンの傲慢さと鉄面皮な言動は一部はボケかアルツハイマーの兆候
で、一部は呆けバイデンを操って
いる側近と黒幕の見えすいた嘘(救助策)である。自分が犯した過失はす
ぐ忘れる。危機を迎えても翌
日には忘れてしまう。失敗が多すぎて日常茶飯事になると失敗しても謝ら
ないし側近も慣れて見逃してく
れる。側近は呆けのバイデンが失言しないようにテレプロンプターの原稿
を準備し、メモを彼のポケッ
トに入れておく。記者会見ではあらかじめ記者(サクラ)の質問を聞いて
答えをバイデンに教えておく。
質問記者の名前と順番をメモに書いておく。

これらはみんなが見聞していることである。要するにボケだからすぐに忘
れるし自責の念もない。これ
がアメリカの大統領なのだ。ところが呆けのバイデンは自分がまだ大丈夫
で「偉大なる大統領」を見せ
つけようとして出しゃばり、失敗を国民に見せつけるのである。

ところで本来なら大統領を補佐するのが副大統領の責務だと思うが、カマ
ラ・ハリス副大統領はこれま
で一度もバイデンの手助けをしたことがないばかりか、バイデンに関わり
を持ちたくないと言った態度
が明らかである。ハリスは就任以来いつも話題にならないように行動して
無能と罵られてきた。

ハリスはバイデン大統領を補佐しないしバイデンの指示も無視している。
バイデンが国境解放と違法入国
者歓迎政策で批判され、慌ててハリスを国境問題解決の主任に任命した
が、ハリスは 何もしなかった。
メディアに批判されて一度だけグアテマラを訪問したが結果はゼロだっ
た。ハリスは一度も国境を視察し
ていないと言われ、一度だけテキサスの国境を訪問したが移民収容所を視
察せず半日でワシントンに
戻った。つまり努めてバイデンを無視しているのである。

バイデンに任命されても何もしない。バイデン政権が発足してから犯罪事
件の増加やコロナ感染増加、
ワクチン政策危機、国境問題に関与せず発言もしない。アフガンの総退却
が起き、ISIS-Kのミサイル攻撃
で13名の兵士が死亡した時はシンガポールとベトナムを訪問して風波を避
けた。彼女はバイデンが何を
しても知らぬ存ぜぬで一切関与しない。彼女はバイデンの失敗を喜び、自
分の出番を待っているのだ。彼
女は無能ではなく腹黒いだけである。腹黒ハリスを副大統領に選んだのは
バイデンの自業自得だ。

彼女は無能ではなくバイデンの弾劾辞職を待っているのである。アフガン
の総退却でバイデンの人気は下
落して39%となり弾劾の動きが活発になった。だがハリスの人気は35%で
バイデンよりも低い。バイ
デンを罷免して腹黒ハリスが大統領になってもアメリカは良くならない。


バイデン弾劾は始まったばかりである。アフガンに取り残されたアメリカ
国民が人質になって身の代金
を要求される可能性、グアンタナモ監獄に入れられたタリバンの釈放要
求、タリバンに贈呈した850億
ドルの最新武器の追及、アメリカ国内で起きるタリバンテロ。国内問題も
山積している。バイデンは辞
職しないと頑張っているけれども弾劾は目前に迫っている。

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◆雀庵の「常在戦場/83中国は毛が創って習壊す」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/367(2021/9/13/月】事実を元に面白おかしく解
釈する「アンサイクロペディア」によると、毛沢東の業績は・・・

<歴史に残る毛の偉業は、何と言っても「文化大革命」である。これによ
り、中華ソビエト共和国は古代文明の黄金時代どころか原始時代にまでタ
イムスリップし、お陰で地球環境破壊が大幅に食い止められたのである。
また、狡(こす)い知恵の働くインテリ共を皆殺しにしたことで、学力・
教育の格差を減らすことにも大いに貢献した他、プロレタリアート達の溜
飲だけを大いに下げたことも特筆に値する。スターリンと共に、毛は地球
環境破壊防止・人類粛清による地球浄化作戦に貢献した>

ハッハッハ、そういう解釈もあり得るなあと笑うのが筋だが、言論・表現
の自由のない中共では笑う門には不幸来たる、刑務所行きになる。自由民
主の国に生まれてホント、良かった。アナーキストの竹中労(ルポライ
ター、評論家)は毛沢東・中共を罵倒して止まないが、詩人としての毛は
好きだったようである。竹中によれば、

<1927年、蒋介石が(反共)クーデターを起こした際、毛沢東の故郷、韶
山(しょうざん)では親類縁者が後難を恐れて(毛の)学生時代のノート
を焼却した。だが、ある人がひそかに2冊を保存し、革命後に世に出るこ
とになったという>

それが史実かどうかは確認しようがないが多分、権力に擦り寄る連中が忖
度して「そういうことにしておこう」となったのだろう。そのノートに
あったとされる「毛沢東詩 沁園春(しんえんしゅん、沁はサンズイに
心)長沙1925年」にはこうある。


独立寒秋 湘江北去 橘子洲頭 看 万山紅遍 層林盡染 漫江碧透 百
舟争流

鷹撃長空 魚翔浅底 万類霜天競自由 悵寥廓 問 蒼茫大地 誰主沈浮 

携来百侶曾遊 憶往昔 争栄歳月稠

恰 同学少年 風華正茂 書生意気 揮斥方遒 指点江山 激揚文字 糞
土當年万戸侯

曽記否 到 中流撃水 浪遏飛舟

・・・・・・・

独り寒秋に立てば湘江は北へ去る 橘子洲頭 看よ万山の紅きこと遍く 
層林 盡く染まるを 漫江碧く透み 百舟流れに争ふ…(途中は略、後半
は竹中労の現代語訳)…

青春の日々、私は百侶(多くの友)と手を携へこの地に来て遊んだ。往き
し昔から今日までを思えばまことに困苦絶望、苦難の歳月であった。

恰(時も良し!)、同学の友達は皆、風華(器量才能)正に盛んだった。
我ら書生の意気は揮斥(ほしいまま)であり、何事もなし得るのだという
強い確信に燃えていた。

指点江山(天下をあげつらい)激揚文字(文章を論じ)、万戸侯(権力
者)どもを糞土(くそみそ)に罵ったことだった。友よ、覚えているか、
この河の中流に舟を止め、昔の志士に倣って櫂で水を撃ち、革命を誓った
ことを!

・・・・・・・・

ああ、青春は麗し、か。漢詩学者・碇(いかり)豊長氏の注釈によると
「1925年:農民運動や国民革命の動きで、社会が騒然となっていた時代。
毛沢東は辛棄疾の『昭君怨』(長記粛湘秋晩、歌舞橘洲人散…)の影響を
受けたか。長沙:湖南省の省都。毛沢東は青年時代をここの湖南第一師範
で過ごした。そこで勉学に勤しみ、社会への目を開いた」。

上記にある辛棄疾(1140―1207)は南宋の官僚文人、詞人。女真族の
「金」の占領下に育ち、成人して武装蜂起に参加し、渡江して南宋に仕えた。


<辛棄疾は江西の地方法務長官、湖北、湖南、江西、浙東などの軍政長官
を歴任、精強な軍隊(湖南飛虎軍)を創設するなど、積極的に活躍して名
声があった。一貫して対「金」強硬策を主張し、朱熹(朱子)、陸游など
と共鳴して親交を結んだが、政府中央で消極策が主流を占めたため、晩年
は鉛山(江西省)に隠居した。

歌辞文芸「詞」の作家としても有名であり、600余首という宋代でもっと
も多い作品を残している。慷慨憂憤の作が多く、北宋の蘇軾(東坡)と並
べて蘇辛豪放派などと呼ばれるが、叙情的な傑作も少なくない>(日本大
百科全書)

辛棄疾は文武の人、満洲基盤の女真族「金」王朝に反旗を翻した・・・つ
まり漢族の毛沢東など若者にとって辛棄疾は異民族支配と戦った大英雄、
大詩人、日本なら楠木正成、西郷隆盛、吉田松陰のように尊敬されていた
のだろう。

毛は1893年生まれだから、上記の詩を書いた1925年は32歳、西洋列強、特
に“蛮族”でありながら清と露の2大帝国に戦勝した日本に蚕食されるのは
耐え難く、1917年のロシア革命を見て「ブルジョワ民主主義革命ではなく
共産主義革命こそが漢族を救う」と信じたのも自然の流れだったか。

毛は1925年に党内の路線を巡る争いから革命に幻滅を感じて韶山の故郷に
戻っていた時期である。いわゆる「消耗」したのだが、「自宅にいる間の
1925年に上海と広州で発生した暴動を聞いたことで毛の関心は蘇った」
(WIKI)。ヨッシャーッ!という気分になって上記の詩を書いたようであ
る。この「ヨッシャーッ!」を真似た習近平が、まるでヒトラー・ナチス
の如く今、世界を危険にさらしている。

毛沢東の詩をもっと読みたいと思ってAmazonを検索したら「毛沢東詩選」
(北京外交出版社 1979/1/1)があり、レビューにはこうあった。

<そもそも毛沢東は湖南省の故郷で小学校教師をしていた。当時の若き毛
沢東にとって、歴史の研究が最も重要関心事であり、中国史に関しては右
に出る者はいない程に良く精通していた。

教師としてささやかな給金を得て、後は歴史の勉強を思いっきり出来れば
良かったと毛沢東は後に語っているようだ。また、優れた漢詩を模倣した
りみずから豪放磊落な筆致で実に素晴らしい詩文を書くことでも有名だった。

わたしは時として思うのだが、毛沢東は革命家になどなるべきではなく、
立派な文学者としても成功を収めたのではなかろうか? まことに才能豊
かな若者だった事は確かであろう。なぜ彼は革命家になったのか?

「多分、自分も君たちと同じような平均的な民主主義者だったと思う。自
分でも時々不思議に思うのだが、まさか自分が革命戦争に参加する事にな
るとは思っていなかった。人間の運命というものは、自分でもいかんとも
し難い側面があるのでしょうね」

アメリカ人ジャーナリスト、エドガー・スノウに、後に共産主義者になっ
た理由をそのように説明している。人間とは案外、そんなものかも知れない>

毛には「人たらしの才」があったのではないか。学問に通じていたし、愛
嬌もある、弁舌も上手い、「嫌な奴」なのだが憎めないし、末端のゴロツ
キ出身の兵士も毛の言うことには従う・・・カリスマ性とか天賦の才と言
うのだろうか。

中共紅軍の立役者、朱徳を描いた「偉大なる道」で知られるアグネス・ス
メドレー(1892年2月 - 1950年5月)は毛沢東と同世代、生粋の共産主義
者、ソ連の工作員である。「スメドレーは上海ではソ連のスパイ、リヒャ
ルト・ゾルゲと親密に親交し(ゾルゲの子分である)朝日新聞記者・尾崎
秀実はスメドレーの著作「女一人大地を行く」の日本語翻訳もしていた」
(WIKI)。


竹中労はスメドレーの「中国の歌ごえ」からこう引用している。

<ある時、毛沢東は私(スメドレー)に、今までに男の人を愛したことが
あるか? なぜ愛したのか? あなたにとって愛とは何だったのか?と尋
ねた。また、ある時、古代中国の詩を口ずさみ、彼自身の作詞も口ずさん
でいた。彼の詩とは、毛沢東の妻であるというだけで殺された一番最初の
夫人(楊開慧)の思い出をうたったものであった。

私が毛沢東という人間のうちに強く感じた暗い性質は、精神的な孤独だと
分かった。人々は毛沢東を愛したが、彼自身は己の中に閉じ籠り、孤立す
るのに慣れている様子だった。彼のユーモアは、魂の孤独の深い淵から噴
出してくるように冷笑的で、恐ろしい響きを持っていた。毛沢東の心の中
には一つの扉があって、それは誰に向かっても開くことがないのではない
か、という印象を私は受けた>

竹中によると、殺された一番最初の夫人、楊開慧(ようかいけい)につい
て、毛沢東は「誇り高く敵の拷問に屈しなかった」と詩にも書いていると
いう。楊開慧の喪失は毛沢東にとって人生観を変えるほどのショックだっ
たろう。「毛沢東の夫人履歴考」というサイトにはこうあった。

<毛は献身的な楊開慧と1921年に結婚、3人の男児を儲けている。長男・
毛岸英(毛遠仁)、次男・毛岸青(毛遠義)、三男・毛岸立(毛遠智)。

1927年の大革命(3月の南京事件=蒋介石の失脚をねらう共産党の組織的
な排外暴動)の失敗後、毛沢東一家は逃れて長沙に帰ったが、彼が秋収蜂
起(9月の湖南省や江西省での武装蜂起)の準備をしている間、妻は子供
を連れて長沙板倉の実家に戻った。これが二人の永別となった。

1930年8月、紅軍が長沙を撤退すると湖南省清郷(郷土粛清の意)司令、
何鍵は楊開慧逮捕に壱千元の懸賞金をつけたからである。彼女は1930年10
月に8歳の長男・毛岸英とともに逮捕され、毛沢東との絶縁声明を強要さ
れたが、きっぱり拒否して11月4日に銃殺された。享年29歳の若さであっ
た。毛沢東は誇り高き妻を失った。

毛沢東にとって彼女は、革命の同志であるとともに理想の妻であった。
1957年5月「我は誇り高き楊開慧を失い、君は柳直荀を失う」で始まる詞
「蝶恋花」をつくり、楊開慧の親友であった李淑一に与えた。

晩年には、生活秘書の張玉鳳や孟錦雲に楊開慧と同じ髪型をさせて楊開慧
を偲んでいたという>

毛は死ぬまで非業の死をとげた最愛の妻、楊開慧を悼んでいた! 毛は皇
帝になっても、心の隅にはぽっかりと穴が開いたままだったろう。革命に
のめり込まなければ学者として静かに暮らし、楊開慧を失うこともなかっ
たろうという慙愧の念があったのではないか。

一将功なりて万骨枯る、毛沢東は建国前の戦争と建国後の大躍進政策、文
化大革命の失政で1億人以上を犠牲にしたろう。楊開慧の処刑を聞いた毛
は「彼女の死は百身を持ったとしても贖えぬ」と嘆息したというが、毛に
とっては1億人より楊開慧一人の死の方が重かったわけだ。

「愛するものの命は地球より重い」・・・愛していない1億が自分の悪政
で死んでも頓着しない、「国民の半分が核戦争で死んでもまだ3億人がい
る、大体我が国は人口が多過ぎる」と言っていた毛沢東にとってそれは当
然のことか。狂気がなければ大事業はならないのだろう、やはり毛沢東は
凄い、類いまれな、不世出の政治家だったことは間違いない。1976年9月9
日、北京中南海の自宅にて没、享年82。

毛創り トウが伸ばして 習壊す 世界喜び 人民飢える・・・


   
            
━━━━━━━━━━━━━


◆武器密輸でタリバンの外貨稼ぎに

「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和三年(2021)9月9日(木曜日)弐
通巻第7046号  

米国、9・3兆円もの武器をアフガンに注ぎ込んで。多くがタリバンの手に
 軍用車両、機関銃など武器密輸でタリバンの外貨稼ぎに


 ハンビー(高性能多機能用途装備車両)が2万2千両。MRAP(対地
雷、伏撃防護装甲車)155両。小型軍用車を4・2万台。そして自動小
銃が36万丁。重機関銃6万、ピストル13万丁など。
 対空砲、地雷、バズーカ、ゴーグル、通信設備、測定器財など付属する
備品や燃料など、計り知れない軍事関係装備品が、タリバンの手にわたっ
てしまった。

 アフガニスタン政府軍に注ぎ込んだ米国の武器供与は総額で850億ド
ル(邦貨換算で9兆3000億円)。そして育成したアフガニスタン政府
軍30万人は武器とともに「闘わずして」、姿を消してしまった。祖国の
ために死ぬ兵士はいなかった。そのうえ米軍が援助した武器の悉くが「蒸
発した」。

米軍は引き揚げるときに多くの武器、車両、軍用機、通信設備などを破壊
して去ったが、それは一部であり、すでにタリバンのカブール制圧前か
ら、アフガニスタン政府軍の腐敗は深刻で、武器の横流しから、ガソリン
の売却など、軍服や軍帽、軍靴などは、バザールで売られていた。

 タリバン軍事パレードに米国製武装兵(UH60)が登場し空を舞っ
た。米国軍事専門家は、軽攻撃機など軍用機が38機、ヘリが13機。ド
ローンが7機、すでにタリバンの手にわたったと分析している。

 嘗てソ連との闘いに明け暮れたムジャヒディンの時代、米国はスティン
ガーミサイルを250基、供与した。それでソ連の敗退が決定的となっ
た。ソ連の武装ヘリも輸送機もスティンガーミサイルの犠牲となったからだ。

 残留武器に目を付けているのは中国、露西亜、北朝鮮、そしてイランで
ある。
 イランは1972年から76年にかけて、米国の武器輸出国ナンバーワ
ン(現在はサウジアラビア)。イスラム革命後、最新鋭ジェット戦闘機な
どイランに置き去りにされたものが部品供与もなくさび付いた。

 タリバンは麻薬のほかにドルを稼げる輸出品目がない。のどから手が出
るほど欲しいドルのために、これら米国製武器を密輸するだろう。
 イランがすでにタリバンから入手したのはハンビーとMRAPと言われる。

 米議会下院ではジム・カマー(共和党、ケンタッキー)とグレー・グロ
スマン(共和、ワイオミング)が中心となって三十三名の議員が連署し
て、「すぐさま調査に乗り出し、残留兵器をいかに回収するべきかを検討
せよ」とする書簡をまとめ、オースティン国防長官に送った。

 タリバンと高性能武器の引き渡しを狙うのは中国、露西亜、北朝鮮など
で、早速中国はワクチン8100万ドル供与を取引条件に米国製武器入手
の交渉にはいったとみられる。日本は、ことここに到ってもなおインフラ
支援など人道援助のために、決められている200億円余にプラスして新
規71億円を、「無条件」でアフガニスタンに供与する方針である。
 日本外交は馬鹿がつくほどのお人好し?

    ☆▽□☆◎み☆◎□☆や□▽◎☆ざ▽◎□☆き
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆     
  ■どくしゃのこえ ●読者の声 ★READERS‘ OPINIONS
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1)今月号の『正論』に書かれた宮崎先生の「福井から男系を
繋いだ継体天皇」を拝読しました。
バックグランドとなる歴史知識が少ないものですから、二回読みました
が、なるほど五代溯って天皇空位を埋めた継体天皇は、十九年間も奈良に
入らず(はいれず)、都を樟葉(枚方市)、筒城宮(京田辺市)、乙訓
(長岡京市)を転々としていた理由を従来の歴史学者が説明してきた「豪
族の合意を得られるに時間がかかった」からだとされるのではなく、大胆
にも「継体天皇は奈良に入る必要はなかった」とされています。
その理由は「琵琶湖から淀川ルートで難波にでる商業、貿易拠点」だった
ことを浮かび上がらせておられます。あまりに斬新な歴史観。目から鱗が
落ちるおもいでした。
このような論考は、貴誌前号の藤原仲麻呂のことや、その前の高市皇子の
話など、歴史の教訓という視座から現代日本を寓話的に説かれています。
まとめて単行本になるとうかがいましたが、いつ頃でしょうか?(DH生、
葛飾区)


(宮崎正弘のコメント)精密におよみ頂き有り難う御座います。秋に二冊
にわけて出ます。
まずは『現場を歩いて解けた「古事記」の謎』、もう一冊は『もう一つの
葬られた王朝『古志国』の謎』(いずれも仮題)です。
 具体的に決まりましたら小誌で告示します。

  ♪
(読者の声2)タリバンだけ、男だけのアフガニスタン暫定政権が発表さ
れましたが、言ってみれば「テロリスト一覧表」ですね。ウズベク、タジ
ク、ハザラの代表はひとりも加わっていないという意味は、内部分裂、軍
閥抗争が収まっていないという証拠では?
   (山根生)
at 06:19 | Comment(0) | Andy Chang
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