2021年09月28日

◆ゴッホの「ひまわり」

馬場 伯明

2021年9月のある午後、コロナ禍の休館から再開したSONPO美術館に行っ
た。曲線と曲面を駆使したデザインの白い建物である。当日はバルビゾン
派から印象派までの「ランス美術館コレクション展」が開催され、コ
ロー、ルソー、シスレーなどの絵が展示されていた。
3階の最奥の収蔵コーナーには、左横にゴーギャンの「アリスカンの並木
道、アルル」があり、正面の低反射の特殊強化ガラスの中に、ゴッホの
「ひまわり(Sunflowers)1888」が鎮座していた。後期印象派画家のフィ
ンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh・1853-1890)の代表的な
作品の一つである。

同館の冊子「解説 フィンセント・ファン・ゴッホひまわり(以下、『解
説ゴッホ』という)」の中の「ゴッホの書簡」からゴッホの言葉を記す。

「僕は何よりもまず、ひまわりを選んだのです」。「僕はアトリエを、半
ダースのひまわりの絵で飾ろうと考えている」。「ひまわりがある種の色
彩の特性を備え、さらに“感謝”を象徴するひとつの観念を表しているとし
ましょう」。冊子の解説・編集者は小林晶子主任学芸員である。
同館では作品「ひまわり」は撮影可となっており、右手前からの撮影場所
(足形)が指定されていたが、監視員は「正面からどうぞ」と言った。

「ひまわり」は昔観たころと変わらずほのす暗い部屋の中で黄色い光彩
を 放っていた。私はしばらく絵の前に佇み懐かしく見入った。

この「ひまわり」は20年前に当時の安田火災海上保険が驚愕の58億円とい
う高値で落札し、同ビル内の東郷青児美術館に展示し一般公開した。

1990 年に同郷・長崎県出身で大学・学部の同期生だった北村必勝氏から
の誘い で、鑑賞した。彼は当時同社の役員で美術館も管轄していた。

私は入場チケットを多く入手し顧客などに配布し喜ばれた。同館フロアで
顧客と待ち合わせ「ひまわり」を鑑賞したあと夜の新宿で会食することも
あった。他国へ貸し出され観ることができないこともあった。

その後2003年9〜12月には「ゴッホと同時代の画家たち ゴッホと花−ヒ
マワリをめぐって」が開催された。同館の「ひまわり」、「ルーラン夫
人(揺り籠を揺する女・シカゴ美術館)」と「ひまわり(ゴッホ美術館・
アムステルダム)」の三点が並んで三幅対として展示された。壮観であった。

私は絵画鑑賞が大好きだが絵画については素人である。「ゴッホのひまわ
り」については国内外に莫大な画集や書籍がある。

「ゴッホのひまわり  全点謎解きの旅」(朽木ゆり子・集英社780円)と
いう2014年発行の新書 がある(以下、「謎解き」という)。朽木氏は
1951(?)年生まれ国際基 督教大学(ICU)18期卒のジャーナリストであ
りフェルメールの研究でも 知られている。現在アメリカ在住。

本書では、ゴッホの「ひまわり」11点を取り上げ、とりわけ「(花瓶入り
の)ひまわり」7点について、念入りに自分の目で調査・確認し、詳細な
経過と結果をわかりやすく書いている。

ゴッホは、1890年(死去の年) に、「子守女」の絵を真中にして両サイ
ドに「ひまわり(フィラデルフィ ア美術館:右)」と「ひまわり(ゴッ
ホ美術館:左)」を配置し、ゴー ギャンに渡すつもりだった。(「謎解
き」210p)。その三幅対が113年を 経て2003年9〜12月の東京の東郷青児
美術館で形を変えて実現されたので ある。なお、「ルーラン夫人」は一
般に「子守女」と呼ばれている。

じつは、2006年8月4日、きわめて残念なことがあった。損保ジャパン専務
取締役の北村必勝氏が早世した。62歳。芸術を深く愛し地球環境を守る大
切さを訴えた先見性のある人だった。

8月9日の昼、目黒区の護国寺桂昌殿 での葬儀・告別式で、私は三井住友
銀行頭取の奥正之氏と隣り合わせた。 大学・学部の同期生である。「通
夜は別用で行けなかった」と。

さて、ゴッホの「(花瓶入り)ひまわり」7点について「謎解き」と「解
説ゴッホ」より抜粋・抄録しつつ、参考にして概要を紹介する。1〜7は制
作順の番号である。
「ひまわり1」:1888年・油彩・キャンヴァス・73×58cm 個人蔵(所蔵者
不明)。

「ひまわり2」:1888年・油彩・キャンヴァス・98×69cm 1920年実業家山
本小彌太氏が購入。第2次世界大戦中、芦屋の空襲で焼失。
「ひまわり3」:1888年・油彩・キャンヴァス・92×73cm ノイエ・ビナコ
テーク蔵、ミュンヘン、ドイツ。
「ひまわり4」:1888年8月・油彩・キャンヴァス・92.1×73cm ナショナ
ル・ギャラリー蔵、ロンドン、イギリス。
「ひまわり5」:1888年11月下旬〜12月上旬頃・油彩・キャンヴァス・
100.5×76.5cm SONPO美術館蔵、東京、日本。ひまわり4(イギリス)を手
本として制作されたとされている。
「ひまわり6」:1889年・油彩・キャンヴァス・92.4×71.1cm フィラデル
フィア美術館蔵、アメリカ。
「ひまわり7」:1889年1月・油彩・キャンヴァス・93×73cm ファン・
ゴッホ美術館蔵(フィンセント・ファン・ゴッホ財団からの永久貸与)、
アムステルダム、オランダ。

この7枚の中で私が現物を観たのは「ひまわり5・7」の2枚だけである。
3・4・6は各美術館にあり、美術画集やWEBの写真で観ている。1は所蔵者
不明であり、2は焼失しているので現物を観ることができない。

「何輪のものひまわりが燃えるように輝きながら、花瓶からあふれている
(「謎解き」20p)」。どの「ひまわり」を観ても美しく、ゴッホ本人は
37歳で自殺したのに、生き生きとした生命力が漲っている。

ここで、あえて私の好みを言えば、4(ロンドン)と6(フィラデルフィ
ア)だ。4を手本にして5(東京)と7(アムステルダム)が描かれた。

い わゆる黄色い背景の3点であるが、素朴な本家4の方を気に入っている。

6は3(ミュンヘン)から制作されいずれも瑞々しい青色の背景に補色の黄
色い花が浮かび上がるが、6の方が穏やかに感じられ癒される。

ところで、避けて通れないことがある。東京の「ひまわり5」の贋作論争
である。長くなるがお付き合いください。引き金となったのは、一挙に19
億円(1985)から58億円(1987)に跳ね上がった異常な高値落札であると
も言われる。(「謎解き」159P、第7章・第8章)。

《贋作派の主張》(1)来歴からは真偽不確かである。(所有の)空白期間
あり。ゴーギャンの友人エミール・シュフネッケルの贋作とする。

アルル 時代のゴッホの手紙には「ひまわり5」と認識できる作品がなかっ
た(書 かれていない)。
(2)技法上の問題。オリジナル(ひまわり4)と異なる。花の茎が折れて
いる。茎が葉の真ん中を通過している。一署名がない。筆使いが異なる。

(3)「ひまわり5」のキャンヴァスの画材はジュート布。ところが上端に
別の布が貼られ、周辺部全体に加筆の跡がある。誰が拡張・加筆したのか
不明だ(「謎解き」186p)。
《真作派の主張》。(1)来歴は確かである。(2)技法。筆使いが異なると
いうが、「いや違う。他の作品と似ている」(ファン・ゴッホ美術館の
ティルボルフとヘンドリクス氏の反論)。

(3)「(シュフネッケルが) 自分で作った贋作なら、それにわざわざ
キャンヴァス布をつけたして、延 長部分を偽造するのは非合理的なよう
に思える。(「謎解き」)189p」

疑惑や論争に決着はつかない。「謎解き」での朽木ゆり子氏の見方は双方
の論を提示し、公平・無私な立場を貫き、一方に与してはいない。

では、真贋の決め手は何もないのだろうか?なにせ130年前のことであ
る。関係の手紙や文書などはすでに調べ尽くされているだろう。やはり科
学的な調査と分析の進展しかないと思われる。

「ファン・ゴッホ美術館は、世界中の美術館の協力を得てゴッホの絵380
枚以上のX線データを入力し、この手法でキャンヴァス分析を実施中だ。

1888年から1990年、つまりゴッホがアルルへ移ってから、オーヴェル・
シュル・オワーズで死ぬまでの間に描かれた絵187枚の分析が試みられて
おり、これまであいまいだった絵の順番や制作日の特定が進み、近々何ら
かの形で発表されるだろう」(「謎解き」191p)

「(ゴッホ美術館によるキャンヴァスの地塗り等の調査で)『ひまわり
5』の調査結果はどのようなものだったのだろうか。

展覧会前の調査に対 してはX線検査データが提供され、目視による広範な
調査がなされたが、 残念ながら損保ジャパン東郷青児美術館(当時)は
物理・科学検査を許可 しなかった」(「謎解き」183p)。

SONPO美術館の解説本「フィンセント・ファン・ゴッホ(2020)」の執
筆・編集者である小林晶子氏(SONPO美術館主任学芸員)は、「・・・こ
の花は、色彩と技法の探求と共に繰り返し描かれ、そして『感謝』を表す
『ひとつの観念』となる」と書く。

さらに、黄色い背景の3点の「ひまわり4・5・7」は「・・いわゆる『複
製』したものではないことがわかります。・・・写実的に描かれているロ
ンドンの《ひまわり》から、東京の《ひまわり》を経て、比較的装飾的なアム
ステルダムの《ひまわり》に至るまで、画面は次第に抽象的な傾向を帯びて
いきます」。

「ゴッホが何度も試行錯誤を繰り返しながら、自らの芸術を 築きあげた
画家であった証なのです」と結論する。(小林晶子「ゴッホへの招待
(2016朝日新聞出版)」。贋作論争(疑惑)の入る余地はない。

しかし、世界に冠たるゴッホの「ひまわり(花瓶入り)」7点の現存する6
点のうちの1点が厳然として日本国内にあるのだ。SONPO美術館は、所有者
の誇りと勇気をもって、ファン・ゴッホ美術館などによるX線検査を含む
すべての科学的な調査・分析に積極的に協力すべきではないか。

ゴッホの「ひまわり」を愛する世界中のゴッホ愛好家は、贋作論争(疑
惑)が消え去り、「ひまわり5」が真作(!)であることを信じ、そうで
あることを期待しているはずである。遠い草葉の陰で(故)北村必勝氏も
そう思っているだろう。(2021.9.26 千葉市在住) 

(追記)「ひまわり」は来ないが2021.9.18〜12.12東京都美術館でゴッホ
展、開催中。「黄色い家」「夜のプロヴァンスの田舎道糸杉」など。(了) 



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◆”平和憲法”を受け入れた日本の母性文化
加瀬 英明
 
 今年は日本が対日講和条約によって、独立を回復してから69年たつ。

 このあいだ、米国による占領下で強要された、とうてい憲法と呼ぶこと
ができない現行憲法を、こともあろうに「平和憲法」と呼んで1行も改め
ることなく戴いてきた

 世界のどの国であったとしても、前文で自国を腐(くさ)し、国を守る軍
を保有することを禁じた、憲法の名に価いしない憲法を独立を回復した後
に急いで改めたことだろうどうして、日本だけが例外なのだろうか。
日本は世界のどこよりも平和が続いた、特異な国だった。

 日本は世界の主要国のなかで、女性上位の母性原理によって支配された
唯一つの国である。他の国では争いが絶えなかったから、戦いの担い手で
ある男性上位の父性原理によって動かされてきた。

 非常識な護憲主義は、日本の1万数千年かけて培われた国柄に深く根ざ
していると思う。縄文時代は1万2000年にわたったが、自然の恵みが豊か
なために、平和だっ
た。古墳から戦いによる傷を負った骨が発見されない。

 戦乱の時代もあったが、世界に珍しい「和」を尊ぶ国である。日本列島
の外から多様な人々が集まったが、融合した神武天皇即位の勅(みこと の
り)が「八紘一宇(はっこういちう)」――天の下で差別することなく睦(む
つ)むことを命じている。 他国ではありえないことだ。

平安時代は400年、江戸時代に300年近くも平和が続いたのも、他国にない。

日本語ではなぜか、祖国を指す言葉として「母国」しかない。ヨーロッ
パ諸語にはドイツ語、英語のファターラント、ファザーランド(父国)、
ムターラント、マザーランド(母国)があり、フランス語はラ・パトリ
(父国)しかない。中国語も 「祖国」というが、「母国」といわない。

父親ができる子供とできない子供を峻別するのに対して、母親は均しく
愛する。男性は競い、女性は変化を嫌って安定を求め、平和を好む。

日本では敷地にたつ主な家屋は、母屋と呼ばれる。母堂があっても、父
堂がない。女性用務員もいない男だけの学校も、母校だ。トラックや乳母
車にかけるホロを「母衣(ほろ)」と書くが、武士が戦場に立つ時に後ろ首
を守るために、兜にかけ た鉄鎖の網のことだ。

「めおと」は、もともと「女男」と書いたが、江戸時代に入って武家が
男上位の社会がもたらしために、夫婦を「めおと」と読ませた。どうして
「夫」を、「め」と発音できるのか。いまでも、和船に用いる両端が尖っ
ている釘は、女男(めおと)釘(くぎ)と呼ばれる。

平安時代に外の世界では、女性はほぼ全員が文盲だったが、日本では女
性が洗練された文化を担った。今日でも、日本文化の柱となっているかな
文字は、「おんな文字」といわれて女性が創った。

日本では、男が女に甘える。西洋では、女が男に甘える。日本では男が
我儘だが、西洋では女が我儘だ。弱いほうの性が我儘になり、強いほうの
性が耐える。

現行の“平和憲法”は、成り立ちが怪しいうえに、日本の平和が守られて
きたのは“平和憲法”によるものでなく、米国の軍事保護によるものだが、
現行憲法が日本の
母性文化に適合しているから、日本の土壌に深い根を降していると思う。

男は論理を重んじ、女性は感性によって生きている。男は簡潔に話す
が、女性は感情に訴えるから長い。

日本では男は女性に煽(おだ)てられて、男らしく振る舞う。西洋では男が
男に「男らしくしろ(ビー・ア・マン)」というが、日本では女性が男に
対して「男らしくしなさい」と叱る。

日本が戦争に敗れ、日本の再興を恐れた米国が、日本から男らしさを消
去して、女性がいっそう強くなったのも、“平和憲法”を“不磨(ふま)の大
典”としているのだろう

         

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◆中国は人類を終末に導くウイルスをつくっていた

北野 幸伯

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では、本題。

去年と今年は、新型コロナで大変ですね。
ところで、このウイルス、どこからきたのでしょうか?
もちろん、「中国から」来たのですが。

バイデン大統領は5月、「新型コロナウイルスの起源を90
日で調査せよ!」と情報機関に命じました。

90日が過ぎ、出て来た結論がこちらです。
CNN.co.jp 8月28日。

< 米情報機関を束ねる国家情報長官室は27日、バイデ
ン大統領の指示を受け約90日間続いていた新型コロナウ
イルスの起源を探る新たな調査結果の要約を公表し、明確
な結論は出なかったと報告した。>

「明確な結論はでなかった」というのが結論・・・。


なんともスッキリしない結論ですが、少なくとも「正直」
ではあります。
では、90日でわかったことは、なんでしょうか?


・武漢ウイルス研究所からの流出説と、動物からの感染説
の二つあるが、はっきりと結論は出せない。

・新型コロナウイルスは、「生物兵器」として開発された
ものではないようだ。

・中国が協力してくれないので、真相にたどりつけない。


これだけです。

世界中で、「新型コロナウイルスは、武漢ウイルス研究所
から流出した生物兵器」という話がひろまっています。

もしそれが本当で、確固たる証拠があるなら、アメリカ政
府は、必ず公表したでしょう。

なぜ?

米中覇権戦争がつづいている。
情報戦の要諦は、敵国を「悪魔化すること」です。


アメリカはすでに、「ウイグル問題」で中国を「悪魔化」
することに成功しています。

中国が、
「ウイグル人100万人を強制収容している」
「ウイグル女性に、不妊手術を強要している」
「事実上の民族絶滅政策を行っている」


これらは事実なので、アメリカは積極的に情報戦で使って
いる。一方、「新型コロナウイルス」については、証拠不足で情報戦使用
は避けられています。


▼中国は、人類を終末に導くウイルスをつくっていた
一方、「中国は、人類を終末に導くウイルスをつくってい
た」という報道もあります。
中央日報9月23日付を見てみましょう。

<中国武漢の科学者が新型コロナウイルス感染症(新型肺
炎)発生前に伝染力の強い変異種コロナウイルスを作る計
画を立て、トランプ政府傘下の機関に研究費支援の要請も
行っていた事実が確認された。

英国日刊紙テレグラフは現地時間で21日、新型コロナ起
源調査のために世界の科学者が作ったウェブ基盤の調査チ
ーム「ドラスチック(Drastic)」が公開した文書
を引用してこのような内容を報じた。>

中国武漢の科学者は、今回のパンデミックが起こる前に、
「伝染力の強い変異種コロナウイルスを作る計画を立て」
ていたと。

どういうことでしょうか?


<報道によると、中国武漢の科学者は新型コロナが初め出
現する1年6カ月前、コウモリコロナウイルスの新しい
「キメラ型スパイクタンパク質」を含めた皮膚浸透ナノ粒
子を雲南省の洞窟コウモリに伝播する計画を立てた。
彼らはまた、人間にもっと簡単に感染させるために遺伝的に強化されたキ
メラウイルスを作る計画を立てた。

それだけでなく、高危険天然コロナウイルスの変異種と伝
染力はあるがあまり危険ではない変異種を混合する計画も
立てた。>(同上)

なるほど。
では、一番上の引用にあった、

<トランプ政府傘下の機関に研究費支援の要請も行ってい
た事実が確認された。>


これは、何でしょうか?

<このような提案は武漢ウイルス研究所(WIV)と密接
に仕事をしていた「エコヘルス・アライアンス」のピータ
ー・ダスザック代表が提出した。

該当研究チームには「バットウーマン(コウモリ女)」こ
と武漢研究所所属の石正麗博士も含まれていた。

武漢の科学者は計画を実現するために米国の国防高等研究
計画局(DARPA)に1400万ドル(現レートで約15億円)を要請した。

しかしDARPAは「提案した課題は地域社会を危険に陥
れることは明らかだ」などの理由を挙げて研究資金支援を
拒否した。>(同上)

なるほど〜。

ここで、「提案したのはピーター・ダスザックだ」という
話がでてきます。
彼は、イギリス人動物学者で、「エコヘルス・アライアン
ス」の代表です。


@ピーターダスザックのウィキはこちら。

https://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Daszak

@エコヘルスアライアンスの公式サイトはこちら。

https://www.ecohealthalliance.org/



彼らは、アメリカ(国防高等研究)計画局(=DARPA)に15億円の支
援を要請するも、

「危険だからサポートはできない」と断られたと。
で、彼らは、それで研究をストップしたのでしょうか?

「大金がなくても研究はできる」と主張する権威ある専門
家がいます。

<武漢研究所が伝染病流行以前の数年間に、いわゆる「機
能向上」作業を進めてきたことを証明して発表するために
孤軍奮闘してきたロンドン大学セントジョージ校のアンガ
ス・ダルグリッシュ教授は

「この研究は資金なくとも行うことができる」
と話した。>(同上)

アメリカから金をもらえなくても、たとえば中国政府など
から資金を得て、研究をつづけたかもしれない。

<匿名を求めた世界保健機関(WHO)新型コロナウイル
ス研究員は「恐ろしい部分は彼らは伝染性キメラMERS
(中東呼吸器症候群)ウイルスを作っていたということ」
としながら「このようなウイルスの致死率は30%以上で
重症急性呼吸器症候群(SARS)コロナウイルス−2よ
りも少なくとも10倍以上致命的」と明らかにした。>

「致死率30%」のウイルスを作っていた!
つまり、感染したら、「3人に1人は死ぬ」と。


しかし、今回パンデミックを引き起こした「新型コロナウ
イルス」は、彼らが開発したものとは別物なのでしょう。
致死率低すぎですから。

では、もし彼らのウイルスが、流出していたらどうなって
いたのでしょうか?

<この研究員は「もし彼らが作っていたウイルスが広がっ
ていたとすれば、その大流行により人類はほぼ終末に陥っ
ていただろう」と付け加えた。>

「人類はほぼ終末に陥っていただろう」とのことです。

生物兵器の開発、生産、保有は、「生物兵器禁止条約」で
禁止されています。

こういうマッドサイエンティストたちは、逮捕され、裁か
れるべきでしょう。

もし、中国政府が、この研究の背後にいたという動かぬ証
拠が出れば、当然厳しい制裁を科すべきです。

今回は「新型コロナウイルスの起源」とは違う話ですが。
「新型コロナウイルス」の起源についても、真相が究明さ
れ、正しい罰が下されることを願います。
          
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