頂門の一針 6233号
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2022(令和4年)年 8月18日(木)
抑止力高め平和を次世代へ:榊原智
暴走プーチンが握る世界の命運:島田久仁彦
経済統計を公表しなくなった理由:北野幸伯
古森義久氏に学ぶ人生哲学:“シーチン”修一
:宮崎正弘
重 要 情 報
身 辺 雑 記
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頂門の一針(まぐまぐ)
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抑止力高め平和を次世代へ
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【主張】終戦の日に 抑止力高め平和を次世代へ、首相と閣僚は靖国参拝
を 論説委員長 榊原智
77回目の終戦の日を迎えた。先の大戦で軍人、民間人合わせて310万人の
同胞が亡くなった。全ての御(み)霊(たま)安かれと、心から祈りたい。
その上で、問いたい。この方たちを、気の毒な犠牲者だと捉えるだけでい
いのだろうか―と。
「17/8/05」
この数字をご存じだろうか。本紙で紹介したことがあるが、改めて取り上
げたい。
これは、ジャカルタの独立記念塔に収められたインドネシア独立宣言書の
日付で、「05年8月17日」を意味する。05年とは日本紀元(皇紀)2605年
のことだ。昭和20年、西暦1945年に当たる。
独立運動の指導者で、後にインドネシアの初代大統領と副大統領に就くス
カルノとハッタの2人がこの独立宣言書に署名した。スカルノはテレビ番
組で活躍するデヴィ夫人と結婚した人だ。そう知れば、歴史が身近に感じ
られるかもしれない。[独立宣言の意外な表記]
スカルノらはインドネシア人だけで宣言書を起草した。強制されていない
のに、先の大戦に敗れた直後の日本の紀年法を独立宣言書に用いた意味は
重い。日本を侵略国と断罪する自虐史観では説明できまい。
日本は先の大戦で、植民地支配していたオランダをインドネシアから追い
出し軍政を敷いた。愚民化政策のオランダと違って、日本は官吏育成学校
や師範学校などを設け、国づくりに必要な教育を始めた。
祖国(郷土)防衛義勇軍(略称PETA)をつくり、3万8千人のインド
ネシア青年を訓練した。彼らは大戦後、再び支配しようと乗り込んできた
オランダ軍を相手に独立戦争を戦う中心となった。日本へ引き揚げずにイ
ンドネシア独立の戦いに身を投じた日本軍将兵は1千人から2千人いたと
される。
平成27(2015)年のことだ。安倍晋三首相(当時)はインドネシアで開か
れた「アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議」出席
の際、国立英雄墓地を詣(もう)で、残留日本兵の墓前に献花した。その
静かな意味をきちんと報じたメディアは見当たらなかった。
昭和30(1955)年に同国で開かれた第1回アジア・アフリカ会議に日本代
表団が招かれ、「よく来たね」「日本のおかげだよ」と引っ張りだこと
なって歓迎された史実もほとんど知られていない。
これは、代表団の加瀬俊一代表代理(初代国連大使)が後に講演で次のよ
うに明らかにしている。
「『日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、
今日のアジアがある』ということだった」(楊素秋著『日本人はとても素
敵(すてき)だった』桜の花出版)
アジア・アフリカの新興国の多くの代表が、わずか10年前の日本の戦い
を、独立に貢献したという文脈で語っていた場面があったわけだ。
日本では自国の歩みをあまりにも否定的に捉える言説が今も多く、それと
食い違う史実は顧みられない。公平さを欠いていないか。戦争はできる限
り避けるべきもので、先の大戦にさまざまな評価があるのは当然だが、人
種平等や欧米植民地支配打破をめぐって、日本を評価する見方があること
も知っておきたい。[分水嶺に立つ自覚持て]
戦争で亡くなった人々を悼むなら彼らが営んだ当時の日本を侵略国と決め
つけ、断罪していいものか。岸田文雄首相と閣僚には、全国戦没者追悼式
出席に加え、靖国神社に参拝してほしい。それは、現代日本の防衛意志を
内外に示すことにもなる。何より、最も大切な天皇陛下のご親拝再開につ
ながる。
靖国神社で永くお祀(まつ)りするのは、英霊との国の約束だ。英霊を気
の毒な犠牲者としか見ないようでは話にならない。追悼とともに、日本の
ために尊い命を捧(ささ)げたことを顕彰し、日本が侵略されれば、今の
世代も子孫のために日本の国と国民を守り抜くことを誓うべきである
日露戦争の英霊も靖国神社に祀られている。負ければ日本という国が消
え、アジア・アフリカの植民地支配はもっと続いたかもしれない。それな
のに日本は、日露戦争終結100年の平成17年に国として記念行事をしな
かった。ウクライナ国民が侵略者ロシアと戦う姿を見た今なら明治の人々
が必死に戦ったから現在の日本があると分かるだろう
特に幕末維新後、どの世代も子孫に立派な日本を引き継ごうと努めてくれ
た。今はわれわれの番だ。中国や北朝鮮など専制主義の差し迫った脅威か
ら目をそらしてはご先祖さまに申し訳ない。戦う前に抑止力で侵略を防ぐ
時代になった。防衛力の抜本強化と同盟国との協力で平和を守りたい。そ
れができるかどうかの分水嶺(れい)にわれわれは立っている。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文
産経新聞採録
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暴走プーチンが握る世界の命運
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島田久仁彦
核による“人類の自殺”まで秒読み段階。
2021年に核兵器の法的禁止を謳う「核兵器禁止条約」が発効するも、プー
チン大統領の核使用をちらつかせる威嚇等もあって、核軍縮の流れが大き
く停滞しています。このまま世界は核軍拡の方向に傾いてしまうのでしょ
うか。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コ
ミュニケーション術』』では元国連紛争調停官の島田さんが、現在国際社
会が直面しているさまざまな危機を詳説。さらにロシアの核兵器が今後の
核軍縮・核廃絶の動きを大きく左右するとしてその根拠を解説するととも
に、ウクライナ戦争の即時停戦の重要性を説いています。
核兵器は過去の遺産か?それとも現在進行形の未来に向けた脅威か?
8月1日には国連本部(ニューヨーク)でNPT再検討会議が開幕し、8月6日
には広島で、8月9日には長崎で原爆投下から77年目の式典が開催された
「核兵器ウィーク」となりました。
それらすべての会議や式典で岸田総理は演説を行いましたが、その中で
【77年前の原爆投下の悲劇と記憶を忘れてはならない】という過去から現
在、そして未来に向けてのメッセージと【核なき世界の実現に向けた決
意】が述べられました。
同時に【現在進行形で継続しているロシアによるウクライナ侵攻(ウクラ
イナでの戦争)において、常にロシアによる核兵器使用の脅威が存在して
いることへの“懸念”と“非難”】が強調されました。
今年の2月24日以降、ロシアのプーチン大統領が再三、核兵器の使用を厭
わないといった趣旨の発言を行い、世界は核軍縮から核軍拡へと進むので
はないかという脅威が、再度、私たちの意識に上ってきました。
グティエレス国連事務総長は広島の式典で「第2次世界大戦後、20世紀の
間、国際社会は核軍縮、そして究極的に核廃絶に向けた機運を高めてきた
が、ロシアによる核兵器使用の可能性の強調は、21世紀に入って再度、核
軍拡が進みかねない禁断の扉を開けてしまう可能性がある」と強い懸念を
表明しました。
私も昨年4月以降、へいわ創造機構ひろしま(HOPe)のプリンシパル・
ディレクターとして「核なき世界の実現」に尽力し、「核兵器が存在する
未来は決して持続可能な社会ではない」と訴えかけ、ユースを含む様々な
ステークホルダーと共に未来に向けたトレンドづくりに携わっています
が、【どのようにして核なき世界を実現するか】という具体的な道程につ
いては、まだ明確に描けずにいます。
その中でも【核保有国を核なき世界の実現に向けて巻き込むにはどうすれ
ばいいか?】【新たに核保有国となったインド、イスラエル、北朝鮮、パ
キスタンなどを同じく巻き込むためにはどのような要素が必要か】【核廃
絶の問題を、持続可能な未来づくりという観点とどう結びつけ、橋渡しを
すべきか】といった問いにまだ答えを見つけられずにいます。
そのような時に、現状の国際社会では【核なき世界の実現】に向けた機運
に冷や水を浴びせかけそうな状態が起きています。
1つ目は【ウクライナでの戦争を機に鮮明になった国連安全保障理事会常
任理国(間での不可逆的な分断】です。
現在、ニューヨークの国連本部で開催中のNPT再検討会議でも、米英仏陣
営の論調は、自らが保有する核兵器の削減や軍縮に言及しないにもかかわ
らず、核兵器使用をちらつかせるロシアと核軍拡を進める中国への非難一
色ですが、中国とロシアは【自国の国家安全保障上の権利と義務という観
点から、米英仏などからの脅威に対するために核兵器は“まだ”必要】との
主張を繰り返し、会議そのものの話し合いを妨害しているようにも見えます。
そして今週に入って、ロシアはアメリカと延長で合意した新START(新戦
略兵器削減条約)で定められた“相互査察”を一方的に停止する旨、アメリ
カに通告し、今後、ロシアの真の核戦力の姿がベールに包まれて把握しづ
らくなるという不穏な事態を招いています。
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経済統計を公表しなくなった理由
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北野幸伯
★ロシア政府が経済統計を公表しなくなった理由
ウクライナでは、相変わらず戦争がつづいています。
約6か月経って、ロシア軍は、東部ルガンスク州、ドネツ
ク州、南部ザポリージャ州、ヘルソン州を支配しています。しかし、ドネ
ツク州、ザポリージャ州は、全部支配できているわけではありません。
ヘルソン州に関しては、ウクライナ軍が奪還作戦を行って
います。ロシア軍、ウクライナ軍とも、まだ「自分たちは勝てる!」と考
えているため、なかなか停戦交渉は進展しません。ところで、ウクライナ
に侵攻したロシア経済の現状はどうなのでしょうか?
「制裁は、あまり効いてない」という報道を、見かけたこ
とがあるでしょう。実際、ロシアの友人、知人に確認すると「目に見える
影響は、インフレだけ」といわれます。
「インフレ」はどの程度なのでしょうか経済発展省によると、7月1日時点
で、前年同期比16.19%だそうです。
日本人には驚きの数字ですが、インフレ慣れしたロシア人
にとって、「致命的打撃」とはいえません。では、本当に「制裁は効いて
いない」のでしょうか?これについて私は、2月から同じことをいいつづ
けてきました。「制裁の影響は、長期で見なければならない」ということ
です。
なぜ?
2014年3月、ロシアがウクライナからクリミアを奪いまし
た。そして、日欧米は制裁に踏み切った。この時もロシア国民は、本気で
「制裁は効かない!」と考えていました。
根拠は、「ロシアは、食糧を自給することができ、エネル
ギー大国であるから」です。つまり、「自給自足できる体制だ」というの
です。ところが、時が経つにつれ、実はめちゃくちゃ制裁が効いていたこ
とが明らかになってきました。もう皆さん忘れていると思いますが、
プーチンの1期目2期目、つまり2000年から2008年まで、
ロシアのGDPは、年平均7%の高成長をつづけていたので
す。ロシア経済は絶好調で、ロシア政府高官は07年ぐらいになると、
「ルーブルを世界通貨にする!」などと豪語するようになっていました。
ところが、2014年3月のクリミア併合以降はどうでしょう
か?2014年から2020年までのGDP成長率は、年平均0.38%です。つまり、
「制裁はバリバリ効いていた」のです。
今回の制裁は、クリミア併合後の制裁より、とても厳しい
ものです。私は、「地獄の制裁」と呼んでいます。だから、ロシア経済へ
の長期的影響は避けられないのです。
先日のメルマガで、一つの例を挙げました。ロシアの自動車生産が、ウク
ライナ侵攻前と比べ、【96%減少】したという話です。詳細はこちら
https://www.mag2.com/p/news/544857
これ、どうでしょう?自動車生産が、ウクライナ侵攻後96%減少した。そ
れでも、「経済制裁の影響はない」といえるでしょうか?
▼ロシア政府が経済統計を公表しなくなった!
もう一つ、「ロシア経済は相当ヤバイのだろうな」と感じ
たできごとがあります。それは、ロシア政府が、「経済統計を公表しなく
なったこと」です。4月14日付のLENTA.RUは、ロシアエネルギー省が、原
油生産と輸出量の統計公表を止めたことを報じています。
↓
https://lenta.ru/news/2022/04/14/sekret/?ysclid=l6sxnrfbnu207965133
4月19日付のRBCによると、ロシア中央銀行は、対外債務データの公表をス
トップしました。↓
https://quote.rbc.ru/news/short_article/625ed75c9a79473e58d2de38?ysclid=l6sy1owloa17394997
4月21日のRBCは、ロシア税関が、輸出入統計の公表を止めることを報じて
いました。↓
https://www.rbc.ru/economics/21/04/2022/6261ab2b9a7947b9f8975965?ysclid=l6sx6ntfy951135471
5月12日付RBCによると、ロシア連邦航空輸送局が、航空輸送に関する情報
公開を停止しました。↓
https://www.rbc.ru/business/12/05/2022/627c464c9a7947cd6b10db12?ysclid=l6sy6jx8fm619386567
6月14日のRBCは、ロシア財務省が、支出の詳細を公開しなくなったことを
報じています。↓
https://www.rbc.ru/economics/14/06/2022/62a8921b9a7947d68c240d3e?ysclid=l6swyvwkmc112169087
問題は、「なぜロシア政府は、経済統計の情報を公開しな
くなったのか?」です。もしプーチンがいうように、「制裁の影響はほと
んどない」のであれば、逆にどんどん情報を公開し、そのことを数字で証
明するでしょう。しかし、ロシア政府は逆に、経済情報に関するデータを
公開しなくなっている。
つまり、「公開すると、ロシア経済の苦しい実態が国際社
会にバレてしまうので公開できない」ということなのでしょう。こんなと
ころからも、「制裁は効いていない」というのが、「ただの強がり」であ
ることがわかるのです。
私は、ロシアがウクライナに侵攻する前から、
「侵攻すれば、ロシアの戦略的敗北は不可避だ」と書きつづけてきまし
た。意味は、「ロシアはウクライナとの戦闘に勝つかもしれないし、負け
るかもしれない。たとえ戦闘に勝っても、地獄の制裁はつづいていく。そ
れで、ロシア経済は壊滅的打撃を受ける。それを戦略的敗北とよぶ」とい
うことです。
結局、事態は予想通りの結末にむかっているようです。
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古森義久氏に学ぶ人生哲学
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“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」81/通算513 2022/8/16/火】小生が「古森義久」と
いう特派員の存在を知ったのは「目撃者 近藤紘一全軌跡 1971〜1986よ
り」(遺稿集、1991年初版の文庫本)を読んだときだったと思う。近藤氏
は「産経新聞」(当時はサンケイ)の、古森氏は「毎日新聞」の特派員
だった。「目撃者」の編集にあたったのは沢木耕太郎氏で、沢木、近藤の
両氏は1979/昭和54年の「第10回 大宅壮一ノンフィクション賞」同時受賞
した縁から、家族を交えた付き合いをしていたようだ。
沢木氏は「目撃者」の編者として編集後記にこう書いている。「(近藤
氏の遺した)膨大な原稿の中からどれを選ぶかという作業を進める中で、
近藤紘一氏の友人である古森義久氏には極めて大きな力添えをしていただ
いた、云々」
1991年当時、小生は40歳の働き盛り、子供3人がピーピー言っていた頃
で、カミサンはヒーヒーしながら家事と仕事をこなしていた。小生は毎日
が締め切りで焦りまくっていたが、それでも忙中閑あり、と言うかスケベ
心も盛んで、よくもまあ多動児みたいに動きまくっていたものだと可笑し
くなる。ウサギ歳のせいか、アリスに出てくる「ああ忙しい!」のウサギ
みたいだ・・ウサギは繁殖力旺盛のよう
現役時代は新聞を読んでも政治・外交・経済など自分の仕事(海外旅行
産業)に影響するものしか読まないし、趣味の読書も「売らんかな」の
ハードカバーの新刊本はまず読まないで、何年何十年も読み継がれ、夏彦
翁のような先輩が勧める古典≒ロングセラー本を読むようにしていたか
ら、世事全般には疎かったろうと思う。平日にTVを見る時間はほとんどな
かったが働き盛りはそういうものだろう。
だから「古森義久」という名前を気に掛けるようになったのは、小生が
リタイアして2003年頃から産経新聞を読み始めてからだと思う。2005年の
1年間は月刊誌の「正論」「WiLL」「諸君!」なども購読していた。古森
氏が月刊誌に寄稿するようになったのは2005年頃からのようで、氏は1941
年生まれだから当時は65歳前後、定年退職で、とりあえず締め切りに追わ
れっぱなしで、他社の記者との「抜いた、抜かれた」の競争もある地獄の
記者家業から解放されたことによるのだろう。
WIKIによると古森氏の職歴は――
<1983/昭和58年:「毎日新聞」東京本社政治部編集委員、1987/昭和
62:外信部副部長、同年「産経新聞」に移籍、ロンドン支局長、1989/平
成元年:ワシントン支局長、1990/平成2〜1998年:ウイルソン・センター
フェロー、1993/平成5年:「ロンドン・ワシントンからの6年間にわたる
国際報道」により、日本記者クラブ賞受賞、1994/平成6年:ワシントン駐
在編集特別委員兼論説委員
1995/平成7年:『大学病院で母はなぜ死んだか』(中央公論連載)によ
り第1回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞受賞、1998/平成10
年:9月より中国総局長(31年ぶりに産経新聞北京支局再開)
2001/平成13年:ワシントン駐在編集特別委員・論説委員、2005/平成17
年:杏林大学客員教授、2011/平成23年: 国際教養大学客員教授(兼任 現
職)、2013/平成25年:産経新聞ワシントン駐在客員特派員>(以上)
英(欧州)米(アメリカ) 中(アジア)という、世界的なホットスポッ
ト、最前線で激動のナマを40年近くも報道しまくったというのは「凄
い!」という他ない。2005年に定年退職しても「できる人材」は引っ張り
だこだし、かつ柔道家でもあるので頭脳明晰+気力体力の文武両道、あと
最低10年は現役でディープな報道を期待できるに違いない。
古森先生の「中国への日米の対応の違い」Japan In-depth 2022/8/10も
大いに勉強になった。以下抜粋する。
<7月末に東京からワシントンに戻った。ワシントンは私の本来の報道
活動の拠点である。このところコロナウイルスの世界的な大感染のために
日本で過ごす時間が増していたから、久しぶりのワシントンだった。
そのワシントン復帰のタイミングはニュースを追う人間にとっては幸運
だった。アメリカ連邦議会のナンシー・ペロシ下院議長が台湾を訪問し、
その訪問に反発した中国が大規模な軍事演習という形で抗議を表明し、さ
らにアメリカ政府がその軍事行動を非難して、と、米中関係が一挙に緊迫
を増したからだった。
米中関係のこうした緊迫はもちろん日本にも直接の大波をぶつけること
になる。日本も中国の乱暴な軍事行動にはアメリカとともに批判の姿勢を
明確にするわけだ。日本はアメリカの同盟国なのだからその立ち位置はそ
う変わるはずはない。
しかしそれでもなお日本とアメリカとでは中国に対する姿勢や態度が異
なる。その相違は今のような危機の状態でこそ、より明白となる。いや、
そもそも中国に対する日本とアメリカとの基本的な姿勢の違いだともいえ
よう。
今回、東京からワシントンに戻って感じたのはとくに日米両国間での中
国論議の重点の違いだった。いま日米両国とも中国の威迫的な言動に反発
を高めてはいるが、対中関係の核心の議論では、日本では「軍事」という
要素の追及があまりに薄い。つまり中国との関係における軍事という特殊
な局面に対するアメリカと日本のアプローチは大きく異なる、ということ
なのだ。
日本では中国との関係を考え、中国の言動を論じる際に軍事という要素
が大きな課題にはならない、のである。大きな課題にはしない課題にする
ことを避ける、ともいえよう
一方、アメリカでは中国への対処の究極の重点を軍事という局面におく
よう。中国が軍事力をどう使うか、そして米中両国の戦争となればどうな
るか、という具体論にまですぐ発展していくのだ。
この点を私自身のワシントンでの8月冒頭前後のほんの数日間の体験か
ら報告しよう。
「習近平氏が中央軍事委員会の主席としてその委員会の副主席の人民解
放軍代表に『明日から台湾攻略作戦を始めれば、目的を達成できるか』と
もし問えば、『達成できるが、その結果、わが海軍力の半分を失うかも知
れない』と答えるだろう」
アメリカの歴代政権で対中政策に関与してきたボニー・グレイザー氏が
8月3日の米中経済安保調査委員会の議会公聴会でずばりと軍事を衝くこん
な言葉をさらりと述べた。グレイザー氏は中国の軍事や戦略を長年、研究
してきた著名な女性学者である。
グレイザー氏は「中国の政策の挑戦」と題する公聴会で証人として発言
したのだった。この公聴会ではペロシ下院議長の台湾訪問を踏まえての議
論が熱を高めた。私も朝から夕方まで傍聴したが主題はやはり軍事となっ
たのである。
同委員会のランディ・シュライバー議長(元国防次官補)の「台湾問題
は中国が加工した『激怒』の背後でどんな軍事戦略を立てているかが最大
焦点だ」という総括がその集大成だった。
日本では中国について官でも民でも、軍事の動向について、ここまで直
接的に議論することは絶対といってほどない。
翌8月4日に民間のヘリテージ財団が開いた「台湾の将来」と題する討論
会もまず軍事だった。私もこの討論会に出かけて、じっくりとその展開を
追った。
基調報告者のジャック・キーン陸軍大将が「今回の中国の台湾包囲の大
軍事演習は中国が年来の台湾上陸作戦から海空での台湾封鎖へと基本戦略
を変え始めた兆候だ」と指摘した。
歴代大統領の軍事顧問をも務めたキーン大将は「アメリカ軍部は一貫し
て中国が台湾を攻撃した場合の対中国戦争計画を保持してきた」と明言し
た。彼自身がその米中戦争の模擬演習である戦争ゲームに何度も参加して
きた、とも述べた。
実際に私も長いワシントン駐在の間に国防総省や国防大学での米中戦争
のシミュレーション(模擬演習)について頻繁に聞かされてきた。数十人
の専門家に米中双方の軍事関連当事者の役割を与え、数日間をかけ戦争遂
行をさせ、その結果を検証する作業である。
米中関係を考えるうえでの最初の入り口、あるいは最大の要素は軍事で
あることを示す一例なのだ。中国は軍事力を使う意図がどこまであるの
か。その中国の軍事力はアメリカの軍事力と衝突した場合どうなるのかこ
うした領域での思考が米中関係における軍事の要素という意味なのだ
アメリカが最終的に中国との戦争に踏み切るか否かは大統領レベルの政
治決定だとはいえ、アメリカ軍当局は常にその戦争遂行の計画を保持する
という基本姿勢である。日本にとって想像を超える悪夢のような米中戦争
という事態も実際にありうるとする構えだ。
この基盤にはトランプ前政権が2018年の国家防衛戦略で最も直截に表現
したような中国との戦争を防ぐ最善の方法は「想定される戦争への準備を
して、勝利できる能力を保持する」という抑止の原則がある。
この点、日本では中国の軍事力について、そもそも国会でもまずまった
く言及しない。まして中国軍が日本の自衛隊と衝突した場合にどうなる
か、などという議論はタブーのように避けられる。これこそが中国に対し
てのアメリカと日本との姿勢の決定的な違いなのだ。
アメリカ側の民間研究機関でも「米中戦えば」の具体的な研究は多い。
ついこの7月下旬、ワシントンの大手研究所の「AEI(アメリカン・エン
タープライズ・インスティテュート)」も「中国との長期戦争に備える」
という長大な報告書を発表した。2016年にランド研究所が出した「中国と
の戦争」という調査報告も大きな話題を呼んだ。
米中両国の対立にはこうした軍事衝突への危険が現実の可能性としてか
らむのである。この現実はこと中国への対応では、軍事という要素があた
かも存在しないかのごとく、軍事忌避を通してきた日本もついに認識せざ
るをえないだろう。ワシントンではまずそんなことを痛感させられたの
だった>(以上)
「抜粋する」つもりだったが、目からウロコが落ちまくってカットする
ところがない、いやはや、時代の今、世界の現状、日本の課題を実に上手
く伝えている。一流の国際ジャーナリスト・・・小生は少しでもそれに近
づきたいと思うが、勉強していけば“何となくアジテーター”になれるかも
しれない。
歴史を振り返れば、人も国家も文化文明も常に前進、挑戦し続けないと
オシマイになる。安逸に安住して酒池肉林を謳歌した国家は亡びた。西郷
南洲曰く「戦の一字を忘れるな」。独楽(コマ)みたいに止まったら終わ
りだ。中露朝撃ちてし止まん、多動老人でいくべし。
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重 要 情 報
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◎また野球の話題からー「読みが当たるかな」と思って見ていた2試合:前
田正晶
昨16日は結果を読もうとする私にとっては、面白い展開になった野球が昼
間と夜にあった。それは、甲子園の野球の第4試合だった大阪桐蔭と東京
の二松学舎の試合と、夜間のスワローズ対タイガースとベイスターズ対
ジャイアンツの試合だった。
高校野球:
先ずは甲子園の方だが、これは「手に汗握らない」と予想した通りの展開
で、大阪桐蔭の圧勝だった。何故関心があったかと言えば、春と夏の連覇
を狙っているとアナウンサーが騒ぎ立てている大阪桐蔭は前の試合で19対
0と打ちまくって大勝していたので、この試合では調子が落ちるのだろう
が、東京の代表がとこまで抵抗できるのか、何点取られるのかに興味が
あったのだった。
結果的には二松学舎はヒットこそ打てたが、とうとう1点も取れずに順当
に負けたとは言え、その出来る限りのことをやっていた直向きさは褒めて
上げて良いと思った。大阪桐蔭は矢張りジンクスの通りに近い状態で、
ヒットを9本しか打てずに終わった。大阪桐蔭の強さばかりが目立った試
合だった。だが、果たして噂通りに春夏の連覇が出来るのか否かは「下駄
を履くまで解るまい」と思う、何分にもトーナメント方式の大会なのだから。
NPB:
2試合ともBSで、NHKでは宮本慎也の解説でスワローズの方で、TBSは槇原
博巳の解説でベイスターズの方の担当だったこの二つの試合で私の興味を
惹いた点は9回の「果たしてスワローズとベイスターズの逃げ切りがなる
かどうか」という点だった。それに、この試合は両方とも同じ時間帯に
一寸ハラハラさせられる展開になったので早寝を忘れて忙しくチャンネル
を動かして懸命になって見ていた。
と言うのも、スワローズは7連敗の後の2連勝がかかっている、何とか天敵
の青柳を引っ込めさせた安全圏であるかの4点差でも不安が残っていた。
TBSでは2位に上がってきたベイスターズは、5位から3位に上がってきた
ジャイアンツを押し切れるかという僅か2点のリードだったのだ。私はス
ワローズが9回にマクガフではなく田口を出してきたので「大丈夫かな」
と思わせてくれたし、ベイスターズではまた山崎康晃が何時もの危なっか
しい逃げ切り方をするのではないかと心配だったのだ。
どっちもどっちで、田口は必死で追いすがるタイガースに2点も取られて
「あわや逆転?」と思わせる走者を残して、マクガフを使わざるを得ない
ようにしてしまった。ベイスターズはと見れば、ここでも「イヤだな」と
思わせる吉川尚輝の前に四球を与え「もしかして吉川がホームランを打て
ば同点で延長か」と、ジャイアンツ嫌いをハラハラさせてくれていた。
その「ハラハラ」からNHKに切り替えると、マクガフが何とか逃げ切って
いた。山崎も最近原監督が重用し始めた重信を外野フライで食い止めて逃
げ切っていた。この間に何回リモコンを使ってチャンネルを切り替えてい
たか解らないほど面白かったのが、これらの9回の展開だった。気になっ
たことは、スワローズの投手陣が手薄なことと、ジャイアンツでは復帰し
てきた菅野はもはや真っ直ぐは通用しない「外すだけの投法」の投手に
なってしまっていたことだった。
明るい材料はと見れば、タイガースの佐藤輝明がどうやら長いトンネルの
先に灯りが見えてきたようなスゥイングをしていることと、スワローズの
本山や丸山という補欠的な存在が何とか使えるようになってきたこと辺り
かと思う。タイガースは中野、近本、大山を欠けば、流石の青柳でも勝て
ないので大変だと見ている。でも、十分に楽しむことが出来た2試合の9回
の攻防だった。結果としては「勝った方が強いのだ」と思う。
◎公示前の候補者氏名張り出しは選挙違反・駄目なものは駄目!北村維康
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今日の『沖縄の声』は、なかなか見応へがあった。いままでは行政も、
違反を見て見ぬふりをしてゐるのか、候補者はお構ひなしに突き進んでゐ
るやうに見えたが、そもそも選挙とは「法律上の」土俵で、正々堂々と戦
ふものである。違反者にはビシビシと違反である旨通告して、是正をさせ
ることは選挙の常道である。その意味でも、爽やかな選挙結果に期待した
い。↓
(466) 【沖縄の声】天王山の沖縄県知事選まであと一か月!各候補者の
訴えは?/知事選挙を前にすでに違法行為だらけの沖縄/ブライダル支援事
業に異議あり![桜R4/8/11] - YouTube
URL: https://www.youtube.com/watch?v=r58Qn3Priaw
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身 辺 雑 記
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18日の東京湾岸は曇りのち雨。
渡部亮次郎わたなべりょうじろう86歳。
元NHK政治部記者。当時「文芸春秋」に「赤坂太郎」で
政治評論を書いた。1字10円だった。
仙台、盛岡局勤務の後、東京の政治部へ。河野一郎を
担当。河野先生は酒 を一滴も飲めなかった。毎夜、赤坂の料亭に立ち
寄っていたが、お膳を前にお茶を飲んでいたとは。呑み助の私には想像も
できない。
外務大臣秘書官。その後、社団法人の理事長を18年間。
現在は年金生活者。メルマガ「頂門の一針」主宰者。
秋田県生まれ1936年1月13日。どこといって故障個所は無いから100位まで
は生きるだろう。このメルマガの届かなくなった日が私の死亡日です。
兄は81で、姉は91で死んだ。遺伝の話をすれば、 父親は60代に死んだが
母親は98まで生きた。
渡部 亮次郎