2022年08月21日

わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン

わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
               頂門の一針 6236号
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   2022(令和4年)年 8月21日(日)



   呆れた居直り・・立民・石垣のり子議員:花田紀凱

              世界の米国不信:高野孟

        「無差別テロリストの精神」:室谷克実
        
        北戴河会議が終了したようだ:宮崎正弘 
                 

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呆れた居直り・・立民・石垣のり子議員
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【花田紀凱 天下の暴論プラス】
 

 だから立憲民主党はダメなのだ。

 誠実さのカケラもない。

 安倍晋三元総理暗殺事件をキッカケに朝日新聞や毎日新聞、テレビそれ
に週刊誌までもが、いっせいに統一教会(世界平和統一家庭連合)叩きに
狂奔している。

 この際、統一教会を叩くためなら、どんなことを書いても許されるとい
う風潮だ。

 これに乗って、誤報をタレ流ししながら、てんとして恥じないどころ
か、居直っているのが、立憲民主党の石垣のり子参院議員だ。

 事の発端は7月20日。

 石垣議員は自らのツイッターで、自民、国民民主、日本維新の会3党の
幹部へのインタビューを掲載した『世界日報』の記事を引用「改憲3党統
一教会の機関紙に揃い踏み」と書いた。

 これに対し、翌21日、世界日報は「弊誌は統一教会の機関紙ではありま
せん」と抗議文を送り、投稿削除を求めた

 この場合、石垣議員がまずやるべきは『世界日報』が旧統一教会の機関
紙かどうかを自らチェックすることだろう

 ところが、石垣議員はこの抗議文をツイッターにそのまま掲載。

 「このような脅しに屈し、私が発言を撤回することはありません」

 「舐めてもらってはこまります」

などとツイート。

 「抗議」を「脅し」というのも失礼な話だが、そういうからには十分な
根拠があるかと思えば「世界日報を統一教会の機関紙と扱う学術書や辞書
類は複数存在します」

 他が書いているから、では何の根拠にもならないことすら、お分かりで
はないらしい。自分で調べたらどうか。

 これに対し、『世界日報』側は2014年10月の予算委員会で、当時の
民主党、小川淳也議員(現立憲民主党政調会長)が、「『世界日報』は統
一教会の機関紙」を発言、抗議を受け、「事実誤認があった」と謝罪、訂
正したことを例にあげて、再抗議。

 これに対して、石垣議員は、「統一教会がなんといおうと、私は発言を
撤回しません」

 「統一教会と同じ土俵で話をするつもりもありません」

 まるで駄々っ子だ。

 「舐めている」のは石垣議員、あんただろう。

 国会議員だから、今、いっせいに批難を浴びている統一教会だから、何
を言っても許されると思いあがっているのではないか。

 こんなことは立憲民主党の幹部たちが本人に注意すべきだと思うが、蓮
舫参院議員など、逆に拡散している始末

 思い出すのは同じ立憲民主党の森ゆう子議員(今回参院選で落選)が国
会質問で原英史氏(政策工房代表取締役)を誹謗中傷した件だ。

 国家戦略特区WG委員だった原氏が特区提案した福岡の学校法人から約
200万円を受領したと誤解を与えるような、実にいやらしいミスリード記
事を毎日新聞が報道。

 森氏は、毎日の記事をそのまま真に受けて、国会で「国家公務員だった
ら、斡旋利得、収賄で刑罰を受ける」と発言。

 この件で原氏は毎日新聞と森氏を別々に訴えて係争中。ブログで森氏と
同様のことを書いた立憲民主党の篠原孝議員を訴え、勝訴が確定している
(220万円の損害賠償)

 森氏は国会内での発言は「免責特権」の対象であるのをいいことに責任
を逃れ、口をつぐんだままだ。

 自党議員のこういう無責任な言動を黙認している立憲民主党に国民が愛
想をつかすのも当然だ。

 最後に余談。

 石垣議員、昨年、女性週刊誌に自らの不倫を書き立てられた時も居直っ
ていた。お相手はかの著述家・菅野完氏。

(月刊『Hanada』編集長)

出典:夕刊フジ2022年(令和4年)8月18日(17日発行)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
  松本市 久保田 康文 

夕刊フジ令和4年8月18日付採録

            
━━━━━━━
世界の米国不信
━━━━━━━
    高野孟


サウジ皇太子がバイデン大統領に放った一言が示す、

ウクライナ戦争は、まもなく半年になろうとする今も終わりが見えませ
ん。この戦争の原因の一つが、冷戦後にも「NATO東方拡大」を進め、それ
まで同様の「排除の論理」を振り回した米国にあるとするのは、ジャーナ
リストの高野孟さんです。今回のメルマガ 高野孟のTHE JOURNAL 』で
は、米国の世界観、時代観の錯誤を指摘。サウジアラビアを訪問したバイ
デン大統領がムハンマド皇太子に浴びせられたとされる痛烈な一言や、南
北アメリカ大陸においても米国の振る舞いが各国から批判され、米国不信
が高まっている現状を紹介しています。

世界が納得しない「民主主義vs権威主義」の時代観/「排除の論理」の振
り回しに誰もがうんざり
米国のバイデン政権は、明らかに戦略論的知性を喪失していて、ウクライ
ナの戦争を煽るだけ煽ってロシアのプーチン大統領を全世界的な極悪人に
仕立て上げる宣伝戦には半ば成功したとはいえ、その戦争そのものをどう
やって収めるかの展望を描けずにいる。

ウクライナには、米国からミサイルはじめ武器・弾薬を湯水の如く供給し
てもらう以外に継戦能力を維持する道はなく、そのため同国のゼレンス
キー大統領は「もっと武器を」と叫び続けているものの、流石の米国にも
予算に限界があり、永久に戦争を続けさせるわけにはいかない。

こんなことになってしまう根本原因は、現今の世界が「民主主義vs権威主
義」という原理的な対決軸で動いているとする、完全に誤った世界認識、
時代観──そう捉えることで「自由主義vs共産主義」の戦いという冷戦時代
の図式が亡霊のように蘇り、米国が前者の盟主として君臨し得た懐かしい
過去が戻ってくると思う幻覚──にある。

さらに、それが誤解であり幻覚であるとすると、それをそのまま東アジア
に横滑りさせて、台湾危機を煽ってそれに雄々しく立ち向かう米日筆頭の
インド太平洋のクアッド軍事同盟を形成しようとするバイデンと岸田文雄
首相の努力方向も、また虚しいものとなる。

そこまで遡って論じないと、米国のこの戦略論的な大混乱を克服すること
はできないだろう。

NATOは冷戦の遺物
本誌がこれまでも繰り返し主張してきたように、NATOは冷戦の遺物であ
り、本来は、相手方のワルシャワ条約機構(WPO)をゴルバチョフ=旧ソ
連大統領が1991年に潔く解散したのに対応して解散すべきものであった。
そうならなかったのは、当時のブッシュ父米大統領が冷戦終結の世界史的
意味をまるで理解せず「米国は冷戦という名の第3次世界大戦に勝利し“唯
一超大国”となった」という錯覚の下、NATOを存続させ、それを梃子とし
て引き続き欧州・ユーラシア大陸への関与を維持しようと欲したからである。

当時、独仏を中心とする西欧には、1975年にヘルシンキで始まった「全欧
安保・協力会議(CSCE)」にNATO諸国はじめ西欧の中立国、旧東欧、旧ソ
連まで参加していることを活用して、これを全欧の新しい地域安全保障の
中心的な枠組みとし、それを過渡的にバックアップするものとしては独仏
中心の「欧州共同防衛軍」を編成してNATO軍に置き換えるという構想が芽
生えていた。なお、CSCEは1995年に常設機構となり「全欧安保・協力機構
(OSCE)」となったものの、依然としてNATOに不当に頭を押さえつけられ
ていることに変わりはない。


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「無差別テロリストの精神」
━━━━━━━━━━━━━
        室谷克実


【新・悪韓論】なぜ日本のマスコミは伝えなかった 韓国・尹大統領が
「無差別テロリストの精神」を称賛 日本人2人が死亡した上海爆弾テロ
事件 

日本のマスコミは、なぜ伝えなかったのだろうか。韓国の尹錫悦(ユ
ン・ソンニョル)大統領が、光復節(8月15日)の記念演説の冒頭で述
べたことを―。尹大統領は、1932年の上海爆弾テロ事件の実行犯であ
る「尹奉吉(ユン・ボンギル)の独立精神」を称賛したのだ。

このテロ事件では、日本人2人が死亡し、5人が重傷を負っている。

尹大統領は「光復節」の演説で、「尹奉吉(写真)の独立精神」を称賛し
た=15日、ソウル(共同

尹大統領は「光復節」の演説で、「尹奉吉(写真)の独立精神」を称賛
した=15日、ソウル(共同

尹大統領は、独立運動を「自由を求める精神に基づく」と規定して、
「(独立運動は)韓国で現在も進行中」と述べた。そのうえで、「日本は
ともに力を合わせて進むべき隣人です」と。

こうした論理の組み立てを知れば、光復節演説に共感する日本人はほとん
どいないだろう。

尹大統領は2021年6月、大統領選挙出馬を宣言する場所として、ソウ
ル市内にある尹奉吉記念館を選んだ。父親(=元延世大学教授)は尹奉吉
奉祝会の役員を務めた。

同姓・同族の英雄なら、無批判に信奉する韓国人はとても多い。しかし、
尹大統領と尹奉吉は同じ「尹」姓でも、本貫(=伝説上の発祥地)が違
う。別の家系だ。尹錫悦父子の「尹奉吉への入れ込み」は異様であり、そ
の理由は謎だ。

安重根(アン・ジュングン)は、伊藤博文1人を狙った。尹奉吉は天長節
(天皇誕生日)の祝典の演壇にいた多数の民間人も死傷させた。まさしく
「無差別爆弾テロ」の実行犯だ。

安重根は一応、『東洋平和論』なる外国勢力の分析と対処を考えた論文を
残した(これも思い違いした箇所が多いが)。しかし、尹奉吉には著作も
ないし、今日に語り継がれるような名言もない。

そうした人物の「精神」とは何なのか。「日帝に無差別爆弾テロをした」
ことだけではないか。

その「精神」を、検事出身の大統領が公式の演説で称揚するとは、理解し
がたい。日本のマスコミが、その発言を伝えなかったことも理解できない。

もしかしたら、尹大統領は「新たな尹史観」の定立化を目指しているのか
もしれない。

前任の文在寅(ムン・ジェイン)氏は、産業化勢力(財閥)を「名前を変
えた親日派」と規定し、「新たな主流」が彼らにとって代わるのは「歴史
の正統性」だとする韓国型唯物史観≠展開した。

これに対して、尹大統領は記念演説で、「自由民主主義の土台である経済
成長と産業化を成し遂げる」勢力を、「現在も進行中の独立運動」の一翼
に位置付けた。文在寅史観に対する明確なアンチテーゼの提出だ。

そうしたこともあろう。さらには慰安婦問題に何らの言及がなかったこと
に、韓国の左翼陣営は「尹非難」の姿勢を強めている。

尹氏が「もはや慰安婦問題は語る価値がない」との信念をもって、あえて
言及せず、粛々と15年慰安婦合意の復活を進めるのなら、それは日本と
して歓迎すべきことだ。

しかし、そうではなさそうだ。

別の発言を見れば、尹錫悦グループは依然として「歴史問題の解決の前提
は、日本の謝罪」とする立場を崩していないからだ。

もう一つの歴史問題である徴用は、現金化実行の日限が刻々と迫ってい
る。韓国最高裁が政府の意見を聞き入れて控訴棄却の日取りを伸ばすとし
ても、時間的には切迫している。

尹大統領が光復節の演説で、この問題にまったく触れなかったのはなぜ
か。訪韓した米下院議長と会談しなかったのと同様に、「勇気があるか、
ないか」の問題だろう。

「正義感あふれる優秀な検事」だった人物が、「暗愚の政治家」の烙印
(らくいん)を押される日は近いのかもしれない。 (ジャーナリスト・
室谷克実)



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
  松本市 久保田 康文 

夕刊フジ令和4年8月18日付採録
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添付ファイル:
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北戴河会議が終了したようだ
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和四年(2022)8月17日(水曜日)弐
          通巻第7433号  
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(休刊のお知らせ)明日(8月18日)から22日まで小誌は休刊です。
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北戴河会議が終了したようだ
共青団、勢力を盛り返したのか? 最高幹部等の結論は?
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 中国共産党最高幹部とOBらが集まる北戴河会議が16日までに終了し た
ようである。
 というのも、8月16日、中国のシリコンバレーといわれる深センに李 克
強首相が現れたからだ。
 トウ小平の南巡講話(92年春節)も、広東省の深センで行われた。李
克強は、これを意識して、会議後初の訪問地を選んだ筈である。

 深センで李克強首相は党幹部や企業幹部を集め、「中国の技術ハブは、
低迷する経済を安定させる上で大きな責任を負う」と呼びかけた。

 この訪問は、経済の冷え込みが懸念される環境にあって、南部工業地帯
の現地視察をなし、一方で李は広東の幹部らと面談した。またオンライン
で江蘇省、浙江省、山東省、河南省、四川省の幹部と話し合い、「政府の
政策を最大限に活用し、経済を安定させ、雇用を確保するために市場の原
動力を堅持する」と発破をかけたという。

 ところが、上海と福建省の幹部はオンライン会議には出席しなかった。
つまり習近平の影響がつよい地区の党委員会は李克強には非協力という態
度を示したことになる

 李首相は深センの「ギャラクシー ・インダストリアル・ グループ」も
訪問し、起業家グループに会った。「広東省は中国の輸出の鍵。深センは
半導体製造とデジタル化のハブだ」と李はくり返した。こうした一連の行
動に何を読み取るべきか。
     □☆□☆み□☆☆□や☆□☆□ざ☆□☆□き
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リズ・チェイニー、共和党予備選で敗北
  党内トランプ批判の急先鋒、無名の新人に敗れる
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 11月の連邦議会下院議員選挙で四期目を目指したリズ・チェイニーが8
月16日に開催されたワイオミング州の共和党指名大会で、トランプ前大統
領が推薦した無名の新人候補に敗れ去った。
全米メディアは、このリズ敗北が一面トップニュースだ。

 リズは元副大統領ディック・チェイニーの娘。共和党にありながらトラ
ンプ弾劾を主張し、党内主流派から嫌われていた。予備選で敗れるとは、
いかにトランプの人気が根強いかを物語る。

父親のチェイニーはブッシュ・ジュニア政権の重鎮で、殆どの外交はチェ
イニーが主導し「最強の副大統領」といわれた。もともとは政治志向の法
律家で、ニクソン政権で法律顧問、フォード政権では大統領首席補佐官、
そして下院議員六期を経て、レーガン政権で国防長官。95年から2000年の
ブッシュ政権誕生まではハリバートン社の重役を務めた。

副大統領八年、引退後も政界に強い影響力を持ち、「ディープステートの
黒幕」とも「ネオコンの闇将軍」とも言われたが、過大評価だろう。

 アラスカ州ではトランプ支持のサラ・ペーリンが共和党予備選で下院議
員候補に当選の勢い、指名獲得が射程に入ったという。ペーリンは熱心な
ティパーティ運動活動家としてもしられる。
ペーリンは元アラスカ州知事で、2016年には熱烈にトランプを支援した。
2008年の大統領選挙ではマケイン共和党候補の副大統領候補となった。

 2024年の大統領選で「副大統領」候補に有力視されているのはニッ
キー・ヘイリー元国連大使(元サウス・カロライナ州知事)である。
 2022年の中間選挙結果次第だが、FBIのトランプ別邸捜索にもかかわ
らず、トランプ人気はまったく衰えを見せていない。
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☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆   書評 しょひょう 
BOOKREVIEW 
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乙巳の変はクーデターだが、背後の首謀者は誰だったのか?乱の本当の狙
いは違うところにあったのではないか?
   ♪
遠山美都男『新版 大化改新──乙巳の変の謎を解く』(中公新書)
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 大化の改新を歴史教科書は必ず扱い、横暴を極めた蘇我一族を葬りさ
り、律令制度のあたらしい政治に向かうバネとなった改革だったと乙巳の
変を肯定的に捉えている
 主役は中大兄皇子と中臣鎌足、学問的なバックボーンが南淵請安だった
とする学説も多い。これは蘇我氏を悪役とした日本書紀と藤原家家伝によ
り、イメージが固定してしまったからだ。
とくに乙巳の変の現場の挿絵は蘇我入鹿の首が飛び、簾のなかにいた皇極
天皇は驚き、陪席していた古人大兄皇子はさっと自宅へ逃げて門を閉ざし
た。この絵画は江戸時代になってから、住吉如慶と具慶の合作で談山神社
所蔵の「多武峰縁起絵巻」。後世の後智恵で描かれている。
実際の暗殺現場は、特定されていない。
これまでの通説に対して、ふつふつと疑問がわいてくる。
 第一に殺害現場は本当に大極殿だったのか? 第二に三国(高句麗、新
羅、百済)からの外交使節がならんでいた儀式の最中だったというのも怪
しい。いや、外交儀礼はあったのか。
第三に息子の入鹿が討たれたのに、すぐ近くの甘樫丘の要塞のような豪邸
にいた蘇我蝦夷はなぜ迅速に反撃しなかったのか? 軍勢は中大兄皇子側
より多かった筈だ。
 第四は中大兄皇子側の軍事作戦立案は中臣鎌足ひとりだけだったのか。
すぐに甘樫の丘から飛鳥側を挟んで対岸に位置する飛鳥寺に本陣を構え、
蝦夷側に使いして投降を呼びかけた。この意表を突く戦略は誰が立案した
のか。なぜ中大兄皇子の本陣は飛鳥寺だったのか?
 第五に皇位を継承した軽皇子(孝徳天皇)はいかなる役目を果たしたの
か? なぜ中大兄皇子は皇位をすぐに継承できなかったのか? のちに天
武天皇となる大海大兄皇子は、このとき何処で何をしていたのか?

 著者の遠山氏はこうした疑問点を整理し、まず暗殺場は殿中ではなく、
門を閉鎖した中庭あたり、外交使節は難波周辺に滞在していたが新羅使は
来ていなかった事実を述べる。
遠山説によれば、黒幕は軽皇子である。
蘇我蝦夷は情報を誰よりも早く掌握できる立場にありながら迅速な対応が
取れなかったのは、入鹿との連絡が円滑に取れていなかったからだと評者
(宮崎)は推定するが、すぐに反撃できないのは自軍の豪族等の動揺が激
しいこともあった。
真ん前の飛鳥寺に古人大兄皇子が赴き、仏門に帰依すると武器を捨てたこ
とを見たからだ。つまり蝦夷は古人を次期皇位継承の最有力とみて、大い
に工作してきたのだから総てが無になった失望が大きかったのだ。後智恵
で皇位が継げたのは軽皇子だから、彼が首謀者という論理展開になる。

戦後の歴史教育はでたらめな史観の横溢、神話否定、こうなると資料のな
い古代史は「一人一党」の世界となって、奇想天外な騎馬民族説がでたか
と思えば、太安万侶は不比等だったとかいう梅原猛のチンドン屋、左翼の
本山は網野善彦、永原慶二あたりか。
 近年、錯綜した歴史解釈もしだいに落ち着きを取り戻し、さすがに戦前
の皇国史観的な天皇絶対を唱える論客はまれとなって論理的推測の論考が
増えてきた。
 本書は、そうした流れの一冊で、客観的に精密に大化の改新の実像にせ
まる。当時の豪族間の力関係などの問題を提議している点も、有益な観点
が多い。
 たしかに乙巳の変はクーデターだが、背後の首謀者は中大兄皇子と中臣
鎌足を操った人がいたかもしれない。
また本当の乱の狙いは政治の刷新ではなく、違うところにあったのだと著
者は力説する。 
 横暴にふるまった蘇我入鹿を討ち、蘇我蝦夷を自殺に追い込んだ結果、
何が鋭角的に変わったか? 
皇極天皇はその場で退位を決め(史上初めての譲位)、本命だった皇統後
継は蘇我系の古人大兄皇子でなく、軽皇子(孝徳)へ遷った。つまり古人
大兄の皇位継承を阻止することが、乙巳の変の最大の眼目であり、皇極天
皇を自然なかたちで退位していただき軽皇子が皇位を継ぐ(実際にその通
りになった)。
 乙巳の変で蘇我宗家は全滅した。
ところが石川麻呂など蘇我別家は生き残り次期政権でも大幹部となった。
蘇我分家はその後の壬申の乱で大友皇子側に付いたため滅亡への道を歩む。
時系列で整理すると、622年(推古天皇30年)に聖徳太子が死亡し、 蘇我
氏の権勢はますます横暴となった。六年後に推古天皇は後継指名せず に
崩御された。有力後継者は聖徳太子の息子=山背大兄皇子と田村皇子
だった。蘇我氏は山背大兄皇子の最強の支援者だった境部魔理勢を滅ぼ
し、力づくで田村皇子(舒明天皇)を即位させた。
641年(舒明天皇13年)舒明天皇が崩御され、皇后だった皇極が即位 し、
蘇我氏は古人大兄皇子を次期皇統後継にするため、いよいよ山背大兄 皇
子が邪魔になる。蘇我入鹿は斑鳩を攻め、ついに山背を自殺へ追い込んだ。
これで古人大兄皇子の次期後継は固まった。こうした横暴きわまる蘇我一
族を許しがたいと決意したのが中大兄皇子と 中臣鎌足だった。密議が進
んだ。
「入鹿とかねてより不和の噂のある蘇我倉山田石川麻呂が謀議に引き込ま
れた。鎌足の建言により、まず中大兄が麻呂の娘を娶り、両者の間に姻戚
関係が結ばれた後、謀議の全容が麻呂に打ち明けられたのである。麻呂は
一党への加担に同意した。さらに鎌足の推挙によって弐名の刺客、佐伯子
麻呂と葛城推犬飼網田が選抜された」を遠山氏は解説を続ける。蘇我蝦夷
の周辺にあった漢東直らは、さっと立場を変え中大兄皇子側に 投降する
か、逃亡した

戦略的見地からみた場合、もっと愚劣な行動をとったのが古人大兄皇子だ
ろう。直ちに蝦夷の要塞に駆けつければ、クーデターを不首尾に終わらせ
ることが可能だった。とっさに、そうした判断ができないばかりか、古人
大兄皇子は、飛鳥寺というクーデター側の本陣へ駆けつけ、自ら髪を下ろ
し、武器を捨て仏門に入った(後日、殺されるが)。学僧の南淵請安は乙
巳の変とは無関係だった。
乙巳の変へと至る前段は聖徳太子の皇子、山背大兄皇子を蘇我が滅亡に追
いやった悲劇で、これは乙巳の変の一年半前のことだった。
この惨劇を契機として中大兄皇子側の計画は入念に練られ、時間をかけて
仲間を増やしていく。謀議の中心は中臣鎌足(後の藤原鎌足。このころは
鎌子と名乗った)。
 鎌足は中大兄皇子と蹴鞠の場で偶会し、意気投合したことになってい
る。密議の場所は南淵塾のあった談山神社だとされたが、これも嘘くさ
い。というのも評者は桜井駅から談山神社へ歩いてみたことがあるのだ
が、緩い山道で、かなりの時間がかかり、頻繁に密議を行った場所とは思
えないからである。

また帰国後の南淵請安が拠点としていたのは、石舞台のかなり南の集落
で、談山から更に南方向である。ということは密談、謀議の過程はかなり
の部分がフィクションだろうならば討たれた蘇我氏とはいかなる存在だっ
たのか?
 「あくまで世襲王権に依存・寄生する存在として誕生した。王権の身内
的存在として、いわば王権の補完的な要素として、王権内部に組み込まれ
て存在することが蘇我氏の特質であり、その最大の存在意義であった(54p)
 王権の簒奪ではなく、内部に寄生して王権を事実上左右できる立場をえ
るのが蘇我の野心であり、後年、類似パターンを繰り返すのが藤原不比等
以後の四兄弟と藤原仲麻呂ということになる。まさに「歴史は繰り返す」
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(休刊のお知らせ)明日(8月18日)から22日まで小誌は休刊です。
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム  
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  ♪
樋泉克夫のコラム 
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【知道中国 2408回】     --
習近平少年の読書遍歴・・・「あの世代」を育てた書籍(習74)
  ▽
前回書名を示した文革版砲兵工廠ともいえる上海人民出版社の出版物は、
どれもが毛沢東思想の正しさを徹底して、繰り返して子供の柔らかな脳ミ
ソに刷り込もうとする「紙の爆弾」そのもの。
内容は全てが似たり寄ったりで毛沢東思想に基づく勧善懲悪物語だから、
全部を紹介するまでもないだろう。そこで適当に2、3冊を択んでみること
にする。

 先ずは『英雄機智的紅小兵』である。建新小学校6年生の仲良し少年4
人組の茅、唐、李、謝クンは、今日も革命大批判工作についての相談を終
えるや家路に。校門に向かって歩いていると、誰もいないはずの校庭で何
やら怪しげな物音がする。そこで茅クンは「すぐさま、『断固として、如
何なる時も階級闘争を忘れるな』との偉大なる領袖・毛主席の教えを思い
出す」見事なまでの条件反射。

 遠くを見ると、怪しげな人影が。「あッ、兪一平!」。兪は「教師の間
に潜り込んだ反革命分子であり、人民が断固として許すわけにはいかない
犯罪を重ねてきた」。つまり文革で批判された元教師である。だから尊敬
の念は消え、呼び方にも侮蔑と憤怒の思いが込められる。「兪一平のヤ
ロー、川の畔で・・・何か落としたな」。茅、唐、李の3少年は兪を追い
かけ、残る謝クンは貧宣隊と先生に報告するために走った。

 3人が後を追うと、兪は小屋の中に潜り込み戸をしっかりと閉め、中で
寝たふり。ドンドンと戸を叩きながら、「開けろ。死んだフリをしてもム
ダだぞ」。すると「兪一平はゴロッと体を動かし、またも死んだフリを装
う」のであった。
 怒りに燃えた3人は何としても小屋の中へ入ろうと「革命的」に智慧を
絞る。先ず茅クンが壁をよじ登って高いところの窓から入り内側から戸を
開けて2人を招き入れた

 「耄碌ヤローの兪一平は目を開け小屋の隅にうずくまり、弱々しく『何
をする』『どうするんだ』。すると茅クンの眼からは階級の敵に向けた怒
りの視線が迸り、兪一平を詰問する。『おいッ、川で何をしていたん
だ』」。3人が交代で問い詰めても口を開かない。そこで茅クンがリード
役となって「正直に白状しろ。抵抗は無駄だ」「飽くまで抵抗するなら、
残された道は死だけだゾ」と問い詰める。

 3人の子供が元教師を激しく糾弾する姿を「3人と数は少ないが、彼ら
の叫び声は天をも揺るがし、一言一言がまるで原子爆弾のように階級の敵
の心臓を抉る」と表現する。それにしても小学6年生が元教師に向かって
「死」を突きつけるとは、空恐ろしい時代だ。

 「陰険で狡猾な階級の敵は顔を引きつらせ、一転して凶相となり
『オッ、オレをどうしようッてんだ』」。すると「反動派の勢いに断固と
して呑みこまれてはならない」との毛沢東の教えを思い出した茅クンは一
字一字ハッキリと、「お前の悪行を天下に暴露してやる」。斧を手に少年
に襲い掛かろうとした刹那、背後から「兪一平、斧を捨てろ」と大喝が。
貧宣隊の胡隊長が民兵や革命的な教師や生徒を引き連れて駆けつけてきた
のである。

少年らは隊長に報告する。その時、息を切らせて走ってきた謝クンの手
から証拠の品が隊長に渡された。
 彼が川から拾い上げた包の中には、「国民党の蒋介石一味が兪一平に与
えた何枚かの委任状のくたばり損ないの名前が刻まれた短剣が1本。
なんと兪一平は長い間これらの悪事の証拠を隠し持ち蒋介石の天下が戻っ
てくることを妄想していた」そうだ。
              ◎◎◎◎◎
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)16日放映分のフロントJAPANは下記サイトでご覧いただ け
ます。
https://www.youtube.com/watch?v=q1KJuTvLdtU
 生放送から24時間で2・3万回ヒットしております。
なお、宮崎正弘先生の次回フロントJAPANの出演は8月31日午前11時の予定
です。ホストは上島嘉郎(元『政論』編集長)です。(日本文化 チャン
ネル桜)


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重 要 情 報
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◎国際人とどのような人物を指して言うのか:前田正晶

実は、8月19日の「頂門の一針」にあった伊勢雅臣氏の「国際派日本人」
について述べておられたのに刺激されて、伊勢氏のご指摘とは離れた話題
になると思うが、「国際人とは」を考えてみた。それと言うのも、私が在
職中に何人かの商社のアメリカ駐在員の方々が身内の人たちに向かって私
を指して、「この方は国際人だから」と紹介されたことがあったからだ。

その頃には「国際人」の定義等を全く知らなかったし、まして自分が国際
人だなどとは考えたこともなかったので、褒めていただけだと言うよりも
寧ろ小恥ずかしい思いをした経験があった。そう感じた訳は、私は国際派
も何も17年間日本の会社で培った紙パルプ業界の経験と知識がどれほど活
かせるかと、家族を養うためにアメリカの会社に転進したに過ぎなかった
のだし、国際人になろうなどは梅雨ほどにも目指していなかった。ヨー
ロッパの国などは1990年まで覗いたこともなく、80年代には年に2〜3度ア
メリカに出張してくるだけの経験しかなかったので、国際化されていたと
は思っても見なかったから。

そこで、今回は初めて「国際人」の定義とはどのような人を言うのかと検
索してみた。すると、Gooには「ベストアンサー」があったので、その冒
頭だけを引用すると「世界に目を向ける事が出来る人・可能な人とは、自
国の文化や習慣や言語にも造詣(学問芸術技術衣食風俗などに深く通じて
いること)が深い人だと思います。英語の音楽が好きだから欧米の音楽に
は詳しいですなんていうのは少しも国際人ではありませんね。」とあった。

「なるほど。これならば少しは自分にも当て嵌まるてんもあるか」と感じ
た。だが、私の場合には一寸違う点があると思っている。それは、これま
でに何度も述べたことで「アメリカの会社の一員として懸命に仕事をして
きた」との記述なのである。そう言う意味は「単に外国に駐在したとか、
外国の大学等に留学して勉強してマスターなりドクターを取られた方々と
はかなり異なる海外での経験をしていると」という意味での表現なのだから。

だが、残念ながら、何人かの方に「一員の意味が解らない」と言われてし
まった。重ねて言うが、アメリカ人の一員になろうとは勤めていたが、国
際人になろうなどという大それた考えはなかった。

これは確かに尤もな指摘であると感じたと同時に、言葉足らずだったかと
反省した点もあった。言いたかった事は「何とかして彼らに同調して、彼
らの思想・信条・哲学・思考体系に従って彼らの文化を弁えて仕事をし
て、彼らとはアメリカ人とは彼らの一人として、彼らの流儀に従って、彼
らの家庭にも入って家族たちとも親しく付き合ってきた」なのである。こ
うすることで彼らの文化(仕来り)にもより深く触れることが出来たのだ。

即ち、「彼らを外側から観察しているのではなく、彼らの内側に入って彼
らの日常生活というか生き方を経験し、飽くまでも彼らの一人として彼ら
を理解し、彼らの価値観を知り、我々との相違点を見出して、彼らに合わ
せられる限りは合わせて来たのだ。だが、ここで非常に重要な要素だと言
いたいことは『絶対に日本人としての矜持を失うようなことはしない』過
ごし方をしてきた点」なのである。即ち、彼らとの違いを皮膚感覚で経験
し、自分が何者であるかを自覚していたのだった。

そういう経験をしてきたので、「違い」を語ることが出来るようになって
きたのだ。長くアメリカに駐在しておられる方々に「これがアメリカの会
社の在り方であり、システムなのです」と語ると「全く知らなかった。外
から見ているのとは非常に違っている。これからはそういう視点に立って
付き合おう」と言われた事も何度かあった。要するに「外国人として見聞
きするアメリカと、内側に入って見るアメリカとは違うのだ」なのであ
る。しかし、内側から見たことが「国際人」の必要条件ではないとも思う
のだが。

だが、物事を外から見るのと内側から見るのでは大違いなのは当然で、私
は内側に入っていたからこそ、外部からは見えないアメリカをジックリと
経験したからこそ、その実態と我が国との相違点を纏めて語れるように
なったというだけのことではないのだろうか。このように相違点というか
文化の違いを認識して語れることは、国際人でも何でもないことではない
かと思うのだ。

私は何も国際人になりたいとか、なろうと目指していた訳ではなく、彼ら
の世界に入った以上、彼らの規範に従って考えて、それに合わせて行動し
てきただけのこと。その私がアメリカを語れば、当然外からしか見ること
が出来なかった方の理解というか解釈とは異なったアメリカという世界
と、その国の会社となるのは当たり前ではないか。それだからと言って、
私が国際人であるとは思っていない。私は言うなれば、ジャーナリスト的
ではないアメリカ通だと自覚しているが、如何なものだろう。

私が語る「アメリカとは」や「アメリカの会社とは」や「アメリカの文化
とは」と「それと我が国の文化との相違点」に余り賛同者が出てこないの
も、仕方がないことだと思う。それは、一般の方々は「アメリカを私のよ
うに内側に入って経験することは先ずないだろう」と思っているし、まし
てや、マスメデイアが発信する情報や、権威ある方々の著作や、公になっ
ている統計資料から判断されるアメリカが、内側で経験した者が語るアメ
リカとは異なっているのは当然だろうと思う。

結論的に言えば「私はある程度までは国際人である」というだけのことで
はないだろうか。敢えて言えば「どれだけの国々を内側に立ち入ってまで
見てきたか、文化の相違点まで自分で経験して理解し認識できていたか、
それらの国々の言語で思うままに自分が表現したいことを伝えられる次元
に達していたか」が、「国際人とは何か」の主たる基準になるのではない
だろうか。

後難を恐れずに言えば「駐在や留学の経験から見える外国は、一時の過客
として観察できた外国ではないのかな」と考えている。ではあっても、こ
ういう方々は私とは異なる型の立派な国際人であり、私のような内側人と
は異なる経験をしておられたのだと思って尊敬して、機会がある度にご意
見を伺ってきた。


◎国際派日本人の情報ファイル:伊勢雅臣



米国の原則: 中国との戦争を防ぐ方法は「想定される戦争への準備をし
て、勝利できる能力を保持する」


「中国の政策の挑戦」と題する公聴会はペロシ下院議長の台湾訪問を踏ま
えての議論が熱を高めた。私も朝から夕方まで傍聴したが、主題はやはり
軍事だった。同委員会のランディ・シュライバー議長(元国防次官補)の
「台湾問題は、中国が加工した『激怒』の背後でどんな軍事戦略を立てて
いるかが最大焦点だ」という総括がその集大成だった

翌4日に民間の大手研究機関のヘリテージ財団が開いた「台湾の将来」と
題する討論会もまず軍事だった。基調報告者のジャック・キーン退役陸軍
大将が「今回の中国の台湾包囲の大軍事演習は中国が年来の台湾上陸作戦
から海空での台湾封鎖へと基本戦略を変え始めた兆候だ」と指摘した。

歴代大統領の軍事顧問をも務めた同将軍は「米国軍部は一貫して中国が台
湾を攻撃した場合の戦争計画を保持してきた」と明言した。その米中戦争
の模擬演習である戦争ゲームに何度も参加してきた、とも述べた。

軍当局は常に戦争遂行の計画を保持するという基本姿勢である。日本にと
り想像を超える悪夢のような米中戦争という事態も実際にありうるとする
構えなのだ。基盤にはトランプ前政権が2018年の国家防衛戦略で最も
直(ちょく)截(せつ)に表現したような中国との戦争を防ぐ最善の方法
は「想定される戦争への準備をして、勝利できる能力を保持する」という
抑止の原則がある。


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身 辺 雑 記
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21日の東京湾岸は曇りのち雨。

渡部亮次郎わたなべりょうじろう86歳。

元NHK政治部記者。当時「文芸春秋」に「赤坂太郎」で
政治評論を書いた。1字10円だった。

仙台、盛岡局勤務の後、東京の政治部へ。河野一郎を
担当。河野先生は酒 を一滴も飲めなかった。毎夜、赤坂の料亭に立ち
寄っていたが、お膳を前にお茶を飲んでいたとは。呑み助の私には想像も
できない。
外務大臣秘書官。その後、社団法人の理事長を18年間。
現在は年金生活者。メルマガ「頂門の一針」主宰者。
 
秋田県生まれ1936年1月13日。どこといって故障個所は無いから100位まで
は生きるだろう。このメルマガの届かなくなった日が私の死亡日です。

兄は81で、姉は91で死んだ。遺伝の話をすれば、 父親は60代に死んだが
母親は98まで生きた。

渡部 亮次郎

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渡部 亮次郎
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