2022年09月24日

わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン

わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
               頂門の一針 6269号
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   2022(令和4年)年 9月24日(土)


  
         死人に口なしでいいのか:阿比留瑠比

        日米戦争を仕掛けた陸軍長官:伊勢雅臣

         歴史観の違いを理解しよう:三橋貴明 

       『借金の罠』こんどはザンビア:宮崎正弘 
                 

                 重 要 情 報
                 身 辺 雑 記

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死人に口なしでいいのか
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   【阿比留瑠比の極言御免】 


安倍晋三元首相がテロリストの凶弾に倒れてしばらくたち「死人に口な
し」という言葉がよく頭をよぎるようになった。安倍氏がもう反論するこ
とはないことをいいことに、本人に面と向かって言えなかっただろうこと
を、堂々と口にしだした人を見るのは、気が滅入るものである。

 時事通信によると、自民党の村上誠一郎元行政改革担当相は20日、安倍
氏の国葬に出ない考えを表明し、安倍氏の政権運営を批判した上で「国賊
だ」と断じた。

 死者に鞭打つ良識を疑う言葉だが、これを報じた記事に立憲民主党の逢
坂誠二代表代行がツイッターで「良く言った」とコメントするのだから、
何をかいわんやである。今ほど、日本の政界や言論空間を恥ずかしいと感
じたことはない。

[拉致巡り矛盾]

 かと思うと、安倍氏が生前、最も心血を注いだテーマである拉致問題に
関しても、安倍氏が存命していたらこんな証言が出ただろうかと耳を疑う
話が飛び交っている。

 共同通信は小泉純一郎元首相による北朝鮮初訪問から20年となった9月
17日、「福田氏、拉致の政府内対立を否定 『安倍氏反対しなかった』」
という当時の福田康夫官房長官(後に首相)のインタビュー記事を配信し
た。それによると福田氏は、平成14年10月15日に帰国した拉致被害者5人
を北朝鮮に戻すかどうかを巡る政府内でのやりとりについて、こう述べて
いる。

 「一時帰国の是非で政権内の意見が割れたと報じられたが、5人を北朝
鮮に戻すなと私に訴えた官邸幹部は、安倍氏を含め、誰もいなかった」

 だが、福田氏は24年9月の産経新聞のインタビューでは、5人の日本滞
在期限の2週間の最後のころの状況について、このように語っていた。

「急に帰すべきではないという論が、ぱーっと出てきた。それで、もう今
日決めるかみたいな話になったときに、僕ははっきり安倍官房副長官に
言った。『それは帰さない方がいいかもしれないけれども、家族たちの同
意を得ているのですか。話したんですか』と」

 福田氏は安倍氏に「それは帰さない方がいいかもしれないけれど」と
言ったということは、安倍氏が帰さないよう主張していたということにな
る。今回の共同通信に対する言葉と矛盾してはいないか。また、福田氏は
その上で「家族を北朝鮮に残した5人の意向を考えずに、一時的な思いに
任せて日本に縛る付けるなど人道的にあり得ない¥と疑問を持ち、安倍氏
に5人の意思確認を指示し、その結果に基づいて5人の永住帰国を決めた
と述べている。

[反対主張はふれず]

 とはいえ、安倍氏はそれ以前の段階で、地村保志さんら帰国者が「日本
に残りたい」と言っていることを知っていた。拉致被害者「救う会」の西
岡力会長は14年10月18日の時点でその意思を伝えられ、安倍氏と中山恭子
内閣官房参与(当時)には連絡していた。北朝鮮にいる家族に累が及ばな
いよう公開しなかっただけだった。

 この間の政府内での議論に関しては、北朝鮮との交渉窓口だった外務省
の田中均アジア大洋州局長(同)も今月、NHKのインタビューで「北朝
鮮との約束どおり、いったんは向こうに戻すかという判断は、政治判断だ
と思っていました」と語り、拉致問題解決に尽力したと強調している。だ
が、NHKでは田中氏が5人を北朝鮮に戻すよう主張していたことに は
全く言及していない。泉下の安倍氏は、どんな思いでいるだろうか。

(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
  松本市 久保田 康文 

産経新聞令和4年9月22日号採録
      

            
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日米戦争を仕掛けた陸軍長官
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          伊勢雅臣


ヘンリー・スティムソンの非人間性

しかしルーズベルトが三選を果した
1940年12月から、ルーズベルト政権は表向き
は参戦はしないというふりをしながら、急速
に臨戦体制を整えて行ったことは既述した。
バンディは(『ヘンリー・スティムソン回顧録』
で)こう書いている。

「最終的にアメリカが戦わねばならないという考えを、スチムソンが初め
て『日記』に記したのは、大統領選挙が終った後の年(1940年)の瀬のこ
とであった。12月16日ノックス(海軍長官)、マーシャル将軍(陸軍参謀
総長)、スターク提督(海軍作戦部長)との会合を終えた後、彼は「日
記』に次のように記した。「我々の間で基本的な合意がなされた。それ自
体とても励みとなることである。目下の危機的状況は、わが国が最終的に
戦争に巻き込まれることなしに収束しえない点で四人の意見は一致した』
(『日記』1940年12月16日)。次の一年間、こう
した考えをスチムソンはより強固に持ち続けた」

スチムソンは日米戦争のちょうど1年前、アメリカの参戦の不可避をノッ
クス、マーシャル、スタークという米国陸海軍の最高首脳たちと確認し
合ったのである。無論それがルーズベルトの本心であることは言うまでも
ない。こうしてルーズベルト政権の第二次世界大戦への参戦は、秘密裡に
定められたのである。あとはいかにして策謀をめぐらし戦争に持ちこむか
だけが問題であった。

12月7日、真珠湾攻撃が起こされた日のスチムソンの心の内をバンディは
こう書いている。「12月7日、……パールハーバー攻撃において最も注視す
べきこは、・・・・・・躊躇しつつ無為に過ごしたそれまでの数カ月がこ
の一撃で終りを迎えたという単純な事実であることを確信していた。アメ
リカの不決断をこれほどまでに見事に終らせる一撃はなかったであろう。
「日本が我々を攻撃したというニュースを聞いたとき、最初に浮かんだ思
いは、これで優柔不断のときは終り、この危機でアメリカ国民は団結する
だろうという安堵の気持ちだった。大惨事を伝えるニュースだったにもか
かわらず、この思いが私を支配し続け
たのだった』言日記』1941年12月7日)」

真珠湾で二千数百名の米軍将兵をアメリカ政府が見殺
しにした罪の意識は、ルーズベルトにもスチムソンにもそしてマーシャ
ル、ノックス、スタークにもかけらもなかったのである。自国の兵士を平
然と犠牲にした上で、その責任を現地の陸海軍指揮官(キンメルとショー
ト)になすりつけたのが、ルーズベルトやスチムソンら最高首脳であった
のである。自国の兵士を見殺しにしながら「安堵」できるというのが、ス
チムソンという最低の人間性いな非人間性を持つ悪辣無比の男だったので
ある。
 

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歴史観の違いを理解しよう
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           三橋貴明


財務省は、冗談でも何でもなく「防衛税導入」を狙っています。具体的に
は、防衛費増額分を「つなぎ国債」とし、
法律で「税金で償還」と定めるあるいは、復興増税のように、所得税上乗
せ分で長期に「税金で償還」するかのいずれかです。


この期に及んで、緊縮財政を転換しようとしない財務省。
そして、財務省に支配された岸田内閣。一体全体、なぜ、こうなるので
しょうか。世界は刻一刻と変わっていっているにもかかわらず、なぜ、日
本は変わらないのか。緊縮財政の転換すらできないのか。


実は、この謎を解くカギが、大石久和先生の「紛争死史観v.s.災害死史
観」にあるのです。「経世史論」の特別コンテンツとして、三橋は大石先
生と二つの史観について、
じっくりと対談しました。
https://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/

三橋の疑問は、日本は災害死史観が理由で、「リスク評価ができないので
はないか?(全てをオールオアナッシングで考えてしまうため)」「戦争
を災害として認識してしまうのではないか?」

「来たるべき災厄に対する「備え」をしないのではないか?」「攻撃に対
し「嵐はいずれ過ぎ去る」と首をすくめ、反撃しないのではないか?」
「環境変化に応じた「転換」ができないのではないか?」


「言葉の定義を明確化し、問題解決を図れないのではないか?」というも
のでした。色々と、思い当たることが有りません?自然災害は、残酷で
す。しかも、大震災の場合、被害が半端ない。さらには、どれだけ懸命に
備えても、
死者が出るのは避けられない。

無論、防災という考え方は大事ですが、究極的に大規模自然災害から、
我々は逃れることができない。だから、備えない。備えないから、変わら
ない。何しろ、変わってもムダだから。自然災害が起きるか否かは、事前
には分からないため、リスクを確率で評価することもしない。


全ては、「起きるの? 起きないの?」という二元論で考えてしまう。紛
争をほとんど経験したことがない日本では、「言葉」の抽象性が高まり、
世界に類がない素晴らしい文化を築き上げることに成功しました。


とはいえ、抽象性が高い言葉では、「紛争」の際の「命令」ができない。
曖昧な「命令」では、下手をすると全滅します。今、紛争、戦争の危機が
目前に迫り、我々の災害死史観「リスクを考慮した防衛」を妨げている。
災害死史観により、亡国に至ろうとしている。
           


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『借金の罠』こんどはザンビア 
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和四年(2022)9月18日(日曜日)
        通巻第7467号 
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『借金の罠』こんどはザンビア(旧北ローデシア)に焦点
 嘗て5万人の中国人労働者がやってきて鉄道を建設した
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 内陸国家の典型はザンビア。世界に有名なのはヴィクトリア瀑布。産業
としては銅鉱山。英国植民地時代は北ローデシアで、農業が栄えた。南
ローデシアは現在のジンバブエだ。
 中国が這入り込んできたのは毛沢東時代で、タンザニアへ抜けるタンザ
ン鉄道の敷設には嘗て5万人の中国人労働者がやってきて工事にあたり、
百数十の犠牲がでた。

 「鉄魂公園」を造成し、そこは墓地を兼ねる。中国から来賓があると、
この公園で記念式を行うのが通例で、現在はヒチレマ大統領だが、パンダ
大統領時代(2008−11)からザンビアは中国にのめり込む。名前が共通
だったから?公園入り口の大きな石碑は中国語で「鉄魂」と大書されている。

 面積は日本の二倍もあるが人口は1800万。電力は水力でまかない、輸出
の殆どが銅、北部はカバーベルトと呼ばれ、首都ルサカは海抜1200メート
ルの高原都市である。銅は一時期、ザンビアの輸出の90%を占め、中国企
業が労働者を過酷な条件で酷使し、給与不払いもあったため反中暴動が起
きたこともあった。中国は交渉の際に必ずタンザン鉄道を持ち出し、その
「鉄魂」を強調する。げんに22年5月31日に習近平とヒチレマ大統領は電
話会談を行ったが、「全天候型の友好関係だ。中国は『タンザン鉄道精
神』(鉄魂)でのぞむ」等と習近平は発言している。

 「中国の「借金の罠」が言われるようになった。2020年ザンビアはアフ
リカではじめて債務不履行に陥り、IMFと救済交渉を開始した。対外債
務170億ドルのうち、60億ドルが中国からの借金と判明した。先頃、
IMFは14億ドルの緊急融資を行い、さらに残高のうち84億ドル分に関し
て「救済プログラム」の交渉を始めた。
最大のネックが中国で、契約内容や融資条件を公開しないのだ。
      □☆み□☆☆□や☆□☆□ざ☆□☆□き☆   
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BOOKREVIEW  
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西側の民主主義は「選挙の時だけ投票して、あとは無関心」「共同富裕」
の響きは美しい。実態は企業から富を強制的に吸い上げる

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濱本良一『富国中国の源流と未来を考える』(霞山アカデミー新書)
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 現代史の目撃者、読売新聞中国総局長から国際教養大学教授というチャ
イナウォッチャーのベテランが中国の現在、過去、未来をコンパクトに概
括する。いきなり経済の衰退、右肩下がりに至った過程をこう述べる。
 「過去三十年あまり続いた高度経済成長は、習の総書記就任を待ってい
たかのように終熄し、成長は緩やかな右肩下がりの下降線を描き始めた。
国民受けを狙った習は、汚職摘発キャンペーンを政敵の排除と自らの基盤
固めのために利用し、最初の任期五年で一気に力を蓄えた」
 二期目に憲法79条の規制の排除に成功し、着実に三期目を既成事実化
させた。
 ここで本書は共産党結成時の時代へ遡り、創設者の陳独秀がなぜ党史か
ら消されかけ、コミンテルンまるがかえの時代から毛沢東の独裁が成立す
るまでの歴史を追う。
 興味深いのは1959年から1964年まで七年間の『人民日報』一面
が写真入りで紹介され(62p〜63p)、刮目に値する。即ち七年間に
亘って一面を飾ったのは毛沢東と劉少奇の大きな並列写真だったのであ
る。二人の雁首が並んでいたが国民的人気がどちらにあったかは言うまで
もない
 その後、毛沢東路線は180度展開した。主役は三度も失脚したが、ダ
ルマのように蘇ったトウ小平だった。
 とはいえトウも「革命第一世代の宿痾ともいえる共産党至上主義の桎梏
から抜け出ることはなかった」。パラダイムはあくまで狭い。独裁的なパ
ルタイの存続にこだわり市場の自由化や民主化などという趙紫陽のような
柔軟な発想はなかった。トウのライバル陳雲が言った「鳥かご経済」に、
皮肉にも路線は戻り、しかも習近平はトウ路線を否定し、毛沢東時代に幻
想的な郷愁を抱くというアナクロ神経の持ち主なのだ。
 そのことを端的に示唆するのが馬雲やテンセントへの締め付けである。
飛躍し続けてきた経済の新分野や新興財閥となって若者に夢をあたえてき
た経済新世代を反時代的政策によって萎縮させ、自ら中国経済を不況へ追
いやったのである。
 「共同富裕の響きは美しいが巨額の利益を生み出しているITトップ企
業から富を強制的に吸い上げようとするもので、市場の原理とは相容れな
いルール破りである。民間企業から巨額の罰金や寄付を強要することで、
企業家は萎縮し、資産の海外移転・流失も加速化している」(152p)
 一帯一路が借金の罠という評価が世界中で認識されるにいたり、またロ
シアから撤退した欧米企業の隙間を中国が埋めるなどといっても容易なこ
とではないだろう、と著者は予測する。
 中国は結果的にソ連崩壊の導火線となったゴルバチョフのペレストロイ
カもグラスノスチも絶対に認めないばかりか西側の民主主義なるものは
「選挙の時だけ投票して、あとは無関心という状態は民主ではない」と考
えている。
 したがって2027年に中国がアメリカをぬいて世界一になるという多
くのシミュレーションは画餅に終わるのではないか。
        (なお本書現在アマゾン在庫切れです)
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●樋泉克夫のコラム ●樋泉克夫のコラム ●樋泉克夫の 
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樋泉克夫のコラム 
【知道中国 2423回】                 
──習近平少年の読書遍歴・・・「あの世代」を育てた書籍(習89)
  ▽
 いわば毛沢東との対立で林彪が敗北する一方、毛沢東が画策していたニ
クソン訪中への道筋が付けられていった──中国の内政と対外関係における
劇的な路線転換を、中国メディアはどのような形で“忖度・糊塗”し、どの
ように出版物に反映させていったのか。

 林彪は、なぜ一夜にして「親密な戦友」から毛沢東の地位を奪うことを
狙った大反逆者・犯罪者になってしまったのか。昨日まで国を挙げて打倒
を目指していたアメリカ帝国主義の頭目であるニクソン米大統領を、なぜ
毛沢東は受け入れるのか──大多数の国民が素朴に抱くと思われるこのよう
な疑問に、どのように応じようとしたのか。いや率直に表現するなら国民
に向かって“論理的で合理的で革命的”なゴマカシを見せつけるのか。

 だが「批林批孔」を掲げ、孔子批判(=周恩来批判)とセットになった
林彪批判が本格化したのは73年秋前後からで、林彪・葉群夫妻の焼死体
(?)がモンゴルの草原で発見された71年9月からは2年ほどの後のこと。
この時間差はいったい、なにを意味するのか。やはり「林彪事件」は毛沢
東らにとっても想定外の突発事であったと思われる。

 その証拠の一端と考えられるのが71年7月に出版された『紀念中国共産
党五十周年 1921−1971』(人民出版社)である。執筆者は当時の最高理
論権威である『人民日報』『紅旗』『解放軍報』の2紙1誌編輯部、と言う
ことは共産党の公式見解に当たるわけだ。

 巻頭には、天安門楼上と思われる場所に立つ「偉大な領袖毛主席と彼の
親密な戦友林彪副主席」の“英姿”が掲げられている。向かって右側に立つ
のが左手で左上方を指差す毛沢東で、左側に寄り添う林彪は毛沢東バッチ
を胸に『毛主席語録』を右手にする。だが、この時期、すでに2人の関係
は口も聞かず、互いが顔を背けるような緊張状態になっていたと考えられ
るから、であればこそ並び立つ2人の姿が空々しくも痛々しい限りではある。

 『紀念中国共産党五十周年 1921−1971』は、次のように切り出した。
 ──「我が党の名称と我々が掲げるマルクス・レーニン主義の世界観は、
我が党の基本綱領が資本主義と一切の搾取階級を徹底して粉砕するもので
あることを明確に指し示している。プロレタリア独裁を以ってブルジョワ
独裁に変え、社会主義に拠って資本主義に勝利する。共産主義を実現する
ことこそが、党の最終目的だ。(建国以来の)28年間の英雄的な闘いは最
終目標に向かっての万里の長征の第一歩でしかなく、プロレタリアによる
政権の奪取は革命の収束を意味するものではなく第二歩を踏み出したに過
ぎない」──

 以下、論旨を追ってみたい。
 社会主義革命は資本主義との闘争を埋葬し全国労働人民の歓呼に迎えら
れたが、その一方で次々と悪辣な反党策動に巻き込まれる。たとえば、
「彭徳懐、高崗、鐃漱石らは反党連盟を結成し党中央の分裂を画策し、プ
ロレタリ独裁の転覆を狙った。だが彼らの陰謀は党中央の時宜を得た適切
な処理によって粉砕された」。
 
とは言え、敵は簡単には引き下がらない。波状攻撃が続き、最大の難敵で
あり「一貫して社会主義改造に反対してきた」劉少奇が遂に正体を顕わ
し、党との最終決戦の火蓋が切って落とされた。この闘争が文革である。

 劉少奇は「早くも1949年には彼は党中央に背き〔中略〕至るところで
『搾取に意義あり』と鼓吹している。50年代初めには『新民主主義秩序を
強固に』のスローガンを掲げてみたが、内実は資本主義勢力を『強固に』
して発展させようという代物であり、社会主義革命を推進しようというの
ではない。毛主席はこのスローガンを的確に批判し、ブルジョワ階級の綱
領だと告発した」。

 毛沢東は一連の「輝かしい著作」で、劉少奇一派の掲げる「農業の機械
化を実現させて後に合作社化を」「富農を育てよ」という考えの間違いを
徹底批判した、と説く。
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  読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読
者之声
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(読者の声1)「皇統(父系男系)を守る会国民連合の会」が、第8回の
講演会を、下記のとおり開催いたします。当会顧問のお一人 百地章先生
が「女性天皇では皇統は立ち枯れ崩壊、日本は滅びる!」と獅子吼し、会
長 葛城奈海さんと呼掛け人sayaさんが「朗読と唄」でコラボいたします。 
                記
日 時 : 令和4年9月17日(土)12時30分(開場) 13時00
分(開演)〜
会 場 : 文京シビックセンター 26階 (スカイホール) (アクセス
等 詳細は別添)
(なお、講演会後に、講師等を交えた懇親会も、予定しております。)

会 費 : 演会 1,000円 (なお、大学・大学院生は500円、高
校生以下は無料)
懇親会4,000円 (ウイルス感染再拡大により、中止に
なる場合もあります。)
お申し込み  小川揚司 090-4397-0908 ogawa1123@kdr.biglobe.ne.jp
その他(防疫のご協力のお願い)各位マスクのご着用と検温に、ご協力を
お願いいたします。

  ♪
(読者の声2)三日ほどかかりましたが、宮崎正弘先生の新刊『ウクライ
ナ危機後に、中国とロシアは破局を迎える』(宝島社)を拝読しました。
 ウクライナ報道が「欧米メディアの複写機」という比喩は絶妙と思いま
した。日本のメディアが報じない裏情報が満載で、それでいて全体像が鮮
やかにつかめます。日本人は心情的判官贔屓ですからゼレンスキー大統領
が正しいと誤断していることもよく分かりました。

  ♪
(読者の声3)先日の番組で宮崎正弘さんが「ウクライナのマフィアがえ
げつない。ウクライナ美女をチェコの買収組織に斡旋している」云々とあ
りました。嘗て中国マフィアと組んで、EU諸国へ中国人を密輸出してい
たのもウクライナマフィアです。先生の新刊(『ウクライナ危機後に、中
国とロシアは破局を迎える』、宝島社)によれば、欧米が供与したハイテ
ク武器がマフィアを経由して外国の過激派にわたる懸念がつよいと指摘さ
れています。そんな話も貴著を読んではじめて知りました。いやはや日本
のメディアが表面のことしか報じていない実態がよく了解できました。
(DD生、岐阜)


(宮崎正弘のコメント)欧州の殆どの国ではオランダの「飾り窓のおん
な」が代表するように売春は合法です。チェコも合法です。とくにウクラ
イナのシングルマザーで難民となった女性達が、避難先での生活苦から、
かなりの数がチェコの売春宿へ送り込まれ、それが相場を下げたとプロか
ら抗議の声もでているとか。武器の密売はスティンガーミサイルがブラッ
クのHPなどに国際相場より安くオークションで売られているようです

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重 要 情 報
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◎ 編集長ピックアップ=小川記代子

 将棋棋士にこれまで女性はいません。初めての女性棋士を目指し、里見
香奈女流五冠が編入試験に挑んでいます。22日、第2局が指され、里見
さんは岡部怜央四段に惜しくも敗れました。
▼里見女流五冠が連敗 将棋プロ編入試験第2局

 編入試験は5人の棋士と対局し、3局勝てば合格です。里見さんは第1
局も敗れているので、残り3局を全勝する必要があります。棋士と女流棋
士は別制度で、棋士は養成機関「奨励会」で勝ち残らないとなれません。
しかし、奨励会に所属していなくても一定の条件で棋士への編入試験を受
けられます。里見さんはこの制度で挑戦しています。
▼里見香奈女流四冠が挑む編入試験、アマや女流に門戸

 女性の棋士がいない理由はいろいろ考えられますが、一つには、子供の
ころから将棋をやる女子が少ない点が挙げられます。
▼女性棋士なぜいない 里見香奈女流五冠挑戦で注目

 私自身、子供のころに将棋に親しんだ経験がありません。同年代の男性
に聞くと「詳しくない」という人でさえ、駒の並べ方は知っていました。

 里見さんは以前、奨励会で男性棋士とともに棋士に挑戦していました。
4年前、26歳の年齢制限で退会。女流棋戦では圧倒的な力で安定した地
位を築いていたため、「もう棋士に挑戦しないだろう」という声もありま
した。

 しかし、里見さんは挑戦を宣言しました。会見で「後悔しないため」と
語る姿は強く、カッコよく映りました。
▼棋士試験受験の里見女流四冠が会見「後悔しないため」

 これまでも、これからも、編入試験の対局相手はいずれも手ごわく、2
連敗でもう後がありません。試験は厳しい道程になるでしょう。
▼勝率9割の試験官に善戦 編入試験で里見女流五冠

 女性だから女性に肩入れしているわけではありません。困難を承知で挑
戦する姿に、ただただエールを送りたい思いです。



◎最も大切なものは、『結果責任』

テーマ:ブログ=北村維康

私は、生まれてからこの方、ずっとアメリカを観てきた。そしてアメリカ
に関して、一つの意見を持つやうになった。その意見とは、アメリカは国
王を持つべきである、と言ふことだ。アメリカは、西の方に新大陸が発見
されたから頂いてそこに住まうと考へた「何?原住民?平気平気」

そしてアメリカは、根が単純(ナイーヴ)だから、用意周到のシナ人のお
涙頂戴に、ころりとやられる。また唯物的共産主義にもころりとやられ
た。その共産主義は、近衛文麿をそそのかして、日本の敗戦革命をやらせ
ようとした。しかし日本は敗戦はしたが、革命は起きなかった。なぜか。
天皇陛下がおはしましたからである。スターリンの危惧は当った。「日本
で共産革命を起させるには、天皇が邪魔だ。だから天皇を抹殺せよ」と、
コミンテルンに指令を飛ばした。それはまだ生きてゐて、代々木の日本共
産党本部にとりついてゐる。

アメリカのロウザヴェルト(綴りは、Franklin Delano Roosevelt)は、
日本が嫌いだった。こんな国、潰してしまへと呪った。マッカーサーは、
こいつは狂人だと思った。しかし逆らへないから、日本が自滅するやうな
9条を押し付けた。それは「日本人は黙って殺されてろ」といふ意味だ
と、くつざわ亮治氏が言ってゐる。こんな有様だから、今の日本は四面楚
歌だ。しかし大日本帝国は、無敵の天皇陛下を戴くから、強いのだ。一方
のアメリカは、余りにも人徳がないから、いずれ衰退没落するだらう。世
界の警察官になるのはアメリカではなく、日本の使命なのだ。↓

(539) ロシアのウクライナ侵攻を見て、台湾有事・日本有事になった時に
アメリカは助けてくれると思います?そこまで言って委員会でのお話 -
YouTube
URL: https://www.youtube.com/watch?v=bio3L2OopVM

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身 辺 雑 記
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24日の東京湾岸は雨。

渡部亮次郎わたなべりょうじろう86歳。

元NHK政治部記者。当時「文芸春秋」に「赤坂太郎」で
政治評論を書いた。1字10円だった。

仙台、盛岡局勤務の後、東京の政治部へ。河野一郎を
担当。河野先生は酒 を一滴も飲めなかった。毎夜、赤坂の料亭に立ち
寄っていたが、お膳を前にお茶を飲んでいたとは。呑み助の私には想像も
できない。
外務大臣秘書官。その後、社団法人の理事長を18年間。
現在は年金生活者。メルマガ「頂門の一針」主宰者。
 
秋田県生まれ1936年1月13日。どこといって故障個所は無いから100位まで
は生きるだろう。このメルマガの届かなくなった日が私の死亡日です。

兄は81で、姉は91で死んだ。遺伝の話をすれば、 父親は60代に死んだが
母親は98まで生きた。

渡部 亮次郎

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渡部 亮次郎
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