2022年09月27日

わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン


わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
               頂門の一針 6272号
□■■□──────────────────────────□■■□
       
        

   2022(令和4年)年 9月27日(火)



       円安と物価高から庶民を救う策:高橋洋一
  
         歴史を貫く筋金は愛惜の念:伊勢雅臣

      保守たたきに利用する朝日と毎日:飯山陽

       NYにキッシンジャーを訪ねた:宮崎正弘 
                 

                 重 要 情 報
                 身 辺 雑 記

         購読(無料)申し込み御希望の方は
        下記のホームページで手続きして下さい
         頂門の一針(まぐまぐ)
━━━━━━━━━━━━━━━
円安と物価高から庶民を救う策
━━━━━━━━━━━━━━━
          高橋洋一

【日本の解き方】円安と物価高から庶民を救う策、利益を享受する政府の
資金使え 対策なければ再びデフレ転落も 


8月の消費者物価指数は、生鮮食品を除く総合指数が前年同月比2・8%
の上昇、総合指数は3・0%上昇となった。一方、生鮮食品とエネルギー
を除く総合指数は1・6%上昇にとどまっている。

生鮮食品を除く指数2・8%は、消費増税の影響を除くと1991年9月
(2・8%)以来、30年11カ月ぶりの水準だ。資源高や円安が、エネ
ルギー関連や食料品の価格に響いているのが要因だ。

総合3・0%は91年11月以来だ。ただし、現状8〜9%台の米欧に比
べれば低いし、インフレ率の基調を示す生鮮食品とエネルギーを除く指数
の1・6%も欧米と比べるとかなり低い。

エネルギー関連、資材関連などの値上がりは世界情勢を受けたものなの
で、日本に限らず世界各国共通の要因だ。しかし、海外依存度の高い日本
のインフレ率が低いのは、本コラムで何度も書いたが、日本ではマクロ的
な需要不足(GDPギャップ)があるからだ。

今後の見通しはどうか。補正予算をどう打ち、GDPギャップをどう埋め
るかによる。

こういう話をすると、物価高は困るので、GDPギャップを埋めないほう
がいいという誤った議論も出てくる。しかし、海外のコストプッシュが要
因なので、誰かが負担せざるを得ない。今は円安であり、その利益を享受
している人もいるので、そこから財源を捻出するのが理にかなっている。

利益享受者についていえば、外国為替資金特別会計(外為特会)で外債投
資をしている政府が真っ先に挙がる。その為替差益から財源を捻出するの
が第1候補だろう。外為特会の為替差益はかなりあるので、GDPギャッ
プを埋めるために活用すべきだ。そもそも政府が儲かっていて、円安で庶
民が困るというのは許されない。

そうした対策が行われると、インフレ率は数%にまでなるかもしれない
が、一般国民の負担は少ない。それでも、一次産品の価格は既にピークア
ウトしており、来年以降はインフレ率は収まっていく確率が高い。

もし適切な対策がないと、インフレ率は今より多少上がりつつも、価格転
嫁が十分にできずに、コストプッシュによる打撃は企業にくる。その場
合、雇用への影響も避けられない。

日本経済研究センターによる民間エコノミストの予測平均では、消費者物
価指数(除く生鮮食品)上昇率は、前年同期比で2022年7〜9月期が
2・49%、10〜12月期が2・64%、23年1〜3月期が2%台、
4〜6月期に1%台になるとみている。

これらの予測の前提は明らかではないが、おそらくGDPギャップを埋め
る対策を前提としていないのだろう。そして来年にかけて世界経済は減速
が強まる可能性が高いことを織り込んでいると思われる。

いずれしても、適切な対策を打たないと、目先のインフレは回避できて
も、その後再びデフレになりかねない。適切な対策を打てば、一時的にイ
ンフレ率は高まるが、その後の順調な経済回復で、デフレ脱却の絶好の
チャンスにもなる。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
  松本市 久保田 康文 

夕刊フジ令和4年9月25日号採録
606B7760A1444D5988C7758F89017FFF.jpg
添付ファイル:
606B7760A1444D5988C7758F89017FFF.jpg 20.5 KB      

            
━━━━━━━━━━━━━━━
 歴史を貫く筋金は愛惜の念
━━━━━━━━━━━━━━━
          伊勢雅臣


〜 占部賢志『文士 小林秀雄』から
■1.「どうしても質問したいことがあって、お待ちしておりました」

「先生、非礼であることは承知の上ですが、どうしても質問したいことが
あって、お待ちしておりました」

 昭和48(1973)年11月8日夜、所は宮崎県延岡市。まだ学生だった占部
賢志氏は、小林秀雄の講演を聴いた後、宿泊先のホテルで待ち抱えていま
した。何でも延岡名物の鮎を肴に一杯やっているとの由。待つこと1時間
半。玄関前に数台の車が横付けされ、降りてきた名士たちの中に、小林秀
雄がいました。

「よし、今しかない」と、占部青年は蛮勇を奮い起こして小林秀雄の前に
立ち、こう切り出したのでした。

 小林は平然と「いいえ、構いませんよ。何でしょうか」と応じてくれま
した。占部青年はこう質問します。

__________
先生は、歴史を知るとは自己を知ることだと仰っていますね。この意味が
どうしてもわからないのです。どうして自己を知ることになるんでしょう
か。[占部、p100]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「歴史についてねえ、それは大変難しいことです・・・」と呟いた後は、
速射砲にように語り始めました。この「凡そ三十分に及ぶ深更の『個人授
業』」での「教示は今も息づいている」と占部氏は語ります。その後の氏
の50年に及ぶ小林秀雄とともに歩んだ学問から、341ページの大著『文
士 小林秀雄』が生まれたのでした。

■2.「歴史を考えるとは君のおっかさんのことを考えることだ」

 小林秀雄はこう語りました。
__________
「あのね、君のこの身体は誰が生んでくれたものですか。君のおっかさん
だろ」―そう言いながら小林は筆者の両腕を取る。「はい、そうです」と
応じるのが精一杯だった。

「じゃあ、この君を生んでくれたおっかさんのことを考えてみたまえ。
おっかさんのすべては君の身体の内に流れているんだぞ。そうだろう。そ
うすると、君がおっかさんを大切にすることは、君自身を大切にすること
になるじゃないか」と切々と語りかける。

 さらには此方にぐっと歩み寄って言葉を継いだ。「君のこの肩にはおっ
かさんのすべてのものがかかっているんだ。つまり歴史を考えるとは君の
おっかさんのことを考えることだ。

もっと昔のことを考えてみたまえ。千年前のことだって同じだ。君のこの
肩には日本の千年の歴史の重みがかかっているんだよ」そう言いながら幾
度もこの若造の肩を叩かれる。そして、しみじみとした声で噛んで含める
ように諭された。

 いいかい、君の身体には祖先の血が流れているんだよ。それが歴史とい
うものなんだ。そこをよくよく考えなくちゃいけない。誰でも宿命をもっ
てこの世に生まれてくるんです。そのことを自覚しなければだめだ。そし
て、生きて来た責任を果たさなければならな いんだよ。[占部、p100]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「歴史を考えるとは君のおっかさんのことを考えることだ」「君のこの肩
には日本の千年の歴史の重みがかかっているんだよ」ここに小林秀雄の歴
史観の核心があります。


■3.「恩が返せなかったんだよ、ぼくは」

 母親の例は、一般的な比喩ではなく、小林秀雄にとっては切実な経験
だったようです。小林の母・精子は夫に死なれた上に肺患の身となってし
まいました。小林は翻訳や家庭教師のアルバイトをし、家財道具を売り払
いながらも、家族を支えました。しかし、ある女性と同棲するために、家
を出てしまったこともありました。

 母の死から20年ほども経った対談で、小林はこう言っています。「ぼく
はこのごろ、おふくろのことばかり考えている。恩が返せなかったんだ
よ、ぼくは。それを思うんだよ」[占部、p219]

 占部氏は小林が明治43(1910)年、尋常小学校2年の時の、「おやのお
ん」と題した作文を引用しています。母がつくってくれた着物、学校に通
えるのは父母の恩と感謝を述べた後で、こう結ばれています。

__________
おんをかへすのには、お父さんやおかさんのいひつけをよく、き いてお
やにしんぱいをかけないやうにして、学校ではせんせいのおしへをまもる
のです。それでおんはかいせるのです。[占部、p213]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 終戦の翌年、母親が亡くなった直後、小林は酔って水道橋のプラット
フォームから、はるか下の空き地に転落した。幸い、黒い石炭殻の上に落
ちたので、かすり傷一つなかった。

__________
 私は、黒い石炭殻の上で、外燈で光つてゐる硝子を見てゐて、母親が助
けてくれた事がはつきりした。・・・私は、その時、母親が助けてくれ
た、と考へたのでもなければ、そんな気がしたのでもない。たゞ、その事
がはつきりしたのである。[占部、p205]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■4.歴史を貫く筋金は「子供に死なれた母親の愛惜の念」

 小林の母親への思いの深さを知ると、占部氏の肩を叩きながら「君のこ
の肩にはおっかさんのすべてのものがかかっているんだ」と語った言葉に
込められた思いが伝わってきます。同時に、『文学と歴史』の中で、歴史
を「子供に死なれた母親の愛惜の念」から説いた小林秀雄の歴史観がより
深く迫ってきます。

__________
 歴史を貫く筋金は、僕等の愛惜の念といふものであつて、決して因果の
鎖といふ様なものではないと思ひます。・・・

 母親にとって、歴史事実とは、子供の死といふ出来事が、幾時、何処
で、どういふ原因で、どんな条件の下に起つたかといふ、単にそれだけの
ものではあるまい。かけ代へのない命が、取返しがつかず失はれて了った
といふ感情がこれに伴はなければ、歴史事実としての意味を生じますまい。

・・・母親の愛情が、何も彼もの元なのだ、死んだ子供を、今もなほ愛し
てゐるからこそ、子供が死んだといふ事実が在るのだ、と言へませう。
[占部、p15]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■5.「反省とか清算とかいふ名の下に、自分の過去を他人事の様に語る
風潮」

 ここで小林が批判している「因果の鎖」とは、当時、流行していたマル
クス主義の唯物史観のことです。上述の死んだ子供の例で言えば、それは
「子供の死といふ出来事が、幾時、何処で、どういふ原因で、どんな条件
の下に起つたか」を調べる医者の立場でしょう。

 医者にとって、その「死んだ子」は多くの医学的研究対象の一人であっ
て、自分にとっては何ら特別な関係はありません。そういう無数の研究対
象を観て、こういう病に罹った子を助けるには、こう処置したら良い、と
いう医学的発見を目指します。

 そういう研究アプローチをマルクス主義では「科学的」と胸を張りま
す。近代的な「社会科学」も同様のアプローチです。

 戦前から多くの青年や学者を魅了していたマルクス主義は、敗戦後は大
手を振るって学界、言論界を闊歩するようになりました。そして、悲惨な
戦争を起こした「反省」がさかんに叫ばれます。そんな中で、小林の有名
な「放言」が出ます。

__________
 僕は、終戦間もなく、或る座談会で、僕は馬鹿だから反省なんぞしな
い、利巧な奴は勝手にたんと反省すればいゝだらう、と放言した。今でも
同じ放言をする用意はある。事態は一向変らぬからである。
 反省とか清算とかいふ名の下に、自分の過去を他人事の様に語る風潮
は、いよいよ盛んだからである。そんなおしやべりは、本当の反省とは関
係がない。過去の玩弄である。これは敗戦そのものより悪い。個人の生命
が持続してゐる様に、文化といふ有機体の発展にも不連続といふものはな
い。[占部、p106]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「利巧な奴は勝手にたんと反省すればいゝだらう」という口調には、祖国
の敗戦に哀惜の念も持たずに、「自分の過去を他人事の様に語る風潮」に
対する怒りが籠もっています。歴史を「科学的」という名の下に、「過去
を愚弄する」「利巧な奴」に耐えられなかったのでしょう。占部氏はこう
断言します。

__________
・・・小林は、自然と歴史を明確に峻別する。唯物史観の誤謬はその混同
にあると見て、けっして幻惑されはしなかつた。[占部、p15]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■6.「悲しみが深まれば深まるほど、子供の顔は明らかに見えて来る」

 小林は「子に死なれた母親」の喩えを、『ドストエフスキイの生活』の
序「歴史について」でも使って、こう書いています。
__________
悲しみが深まれば深まるほど、子供の顔は明らかに見えて来る、恐らく生
きてゐた時よりも明らかに。[占部、p97]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 占部氏はこの部分に関して、こう述べます。
__________
我々は取り返しがつかない人生を生きる。しかし一方で、思い出すとい
う、これ又天与の能力をも授けられているというのである。子供の顔が生
きていた時よりも明瞭に甦るという、そういう人間に備わっている蘇生
力。小林はこれを後生大事にしながら仕事を続けた人である。[占部、p98]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 なぜ、思い出の中では、子供の顔は「生きてゐた時よりも明らかに」見
えてくるのでしょうか? 小林はこう説明します。
__________
 思ひ出となれば、みんな美しく見えるとよく言ふが、その意味をみんな
が間違ヘてゐる。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に
余計な思ひをさせないだけなのである。[占部、p20]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 母親が死んだ子について思い出すのは、たとえば初めて歩き出した時の
嬉しそうな顔とか、大切にしていたおもちゃが壊れて泣いた顔でしょう。
その時の身長が何センチだったか、とか、その日の朝食に何を食べたか、
などではありません。母親の愛惜の念が、無数の記憶の中から、かけがえ
のないものだけを選び出すのです。そういう思い出ができるのは、人間だ
けです。
__________
 過去の方で僕等に余計な思ひをさせないだけなのである。思ひ出が、僕
等を一種の動物である事から救ふのだ。記憶するだけではいけないのだら
う。思ひ出さなくてはいけないのだらう。多くの歴史家が一種の動物に止
まるのは、頭を記憶で一杯にしてゐるので、心を虚しくして思ひ出す事が
出来ないからではあるまいか。[占部、p20]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 愛惜の念をもって思い出すことで、子供の顔は明らかに見えてきます。
そのように、歴史を思い出さなければならないのです。

■7.「鏡の中に自分自身が映るのです」

 ここまで来ると、占部青年が小林秀雄に問いかけた「歴史を知るとは自
己を知ることだ」という意味が明らかになってきます。

 子供に死なれた母親にとって、子供の思い出は自分自身の人生のかけが
えのない一部なのです。その思い出を辿ることで、その子を愛し、その死
を愛惜する自己を知るのです。

__________
・・・昔から僕らは歴史を鏡と言ったのです。鏡の中に自分自身が映るの
です。読んで自己が発見できないやうな歴史は駄目なのです。・・・

歴史といふ言葉が一番はやってゐるくせに、今一番忘れられてゐるのは鏡
としての歴史です。『増鏡』とか『今鏡』とか、昔は歴史のことを鏡と言
つたのです。音の人がどういふ精神で歴史を書いてゐたか、さういふ人の
心持を今の人が忘れてしまつたことがいけないことなのです。[占部、p158]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 歴史の中に生きた先人の思いに共感し、その成功を喜び、その失敗に涙
する。そして成否いずれにせよ、その努力に感謝する。その喜び、涙、感
謝を通じて、我々はそうした事を大事に思っている自分自身を発見するの
です。

 そのような経験は個人的体験ではありません。「平家物語」や「忠臣
蔵」、近くは「日本人の5人に1人が観た」映画『明治天皇と日露大戦
争』などの観客が共有した体験でしょう。これらの物語を鏡として日本人
は自己を発見してきたのです。そして、歴史物語への共感が、国民を結び
つけてきました。

 数学者・岡潔は小林秀雄が敬意を払ってやまない人物であり、岡との対
談集『人間の建設』は今も多くの読者を持つ書物です。特に「なつかし
い」という情緒の大切さを訴えた岡の次のような一節を占部氏は引用され
ています。
__________
 ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つという強い心のつ
ながりによって、たがいに結ばれているくには、しあわせだと思いません
か。(『春宵十話』)[占部、p278]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 小林秀雄が説くように、歴史への愛惜を通じてこそ「ともになつかしむ
ことのできる共通のいにしえを持つ」ことができます。そして、そのよう
な「心のつながりによって、たがいに結ばれているくには、しあわせ」です。

 その「しあわせ」を日本のすべての子供たちに味わって貰いたい。その
ためにこそ歴史教育再生が必要だと思うのです。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
保守たたきに利用する朝日と毎日 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
イスラム思想研究者・飯山陽 


【新聞に喝!】安倍氏銃撃事件を

朝日新聞や毎日新聞は保守思想を蛇蝎(だかつ)の如(ごと)く嫌う。
彼らは「保守は悪」という印象操作に日々余念がない。目下のところ、彼
らがそのために利用しつくしてやろうとしがみついているのが、7月8日
の安倍晋三元総理銃撃事件だ。


朝日は8月30日付朝刊の「耕論」で、「保守層のアイコン(偶像)」で
ある安倍元総理の「美しい国、日本」という言葉は「空っぽな主張」であ
り、「モリカケ桜」に見るように「在任中の安倍さんは好き放題」だった
とそしる文筆家、鈴木涼美氏の感想を掲載した。伊藤昌亮成蹊大学教授は
安倍氏を殺害した山上徹也容疑者について、「安倍氏という強者の『アイ
コン』の下に集うネット右派になりきれなかった」、「孤独」な「弱者」
だと同情し、彼のような弱者を「発見」し「連帯」するかが課題だと提唱
する。

朝日が9月5日付朝刊に掲載した岡野八代同志社大学大学院教授の主張
によると、事件の背景には自民党が推進した「子育ての責任は家族が負
う」という家族観があるらしい「山上容疑者は、家族の外に支援を求める
ことができず、孤立を深めた」と臆測し、悪いのは国や政治だと述べる。

毎日ではサンデー毎日の山田道子元編集長が8月30日のウェブ記事
で、「ジェンダー平等やジェンダーフリーは、旧統一教会にとっては社会
における男女のあり方、家庭のあり方を根本から変えてしまう危険な思
想」であり、自民党は「その団体と広く関係を持つ」から「(各国の男女
格差を測る指数)ジェンダーギャップ116位」は当然だと非難した。彼
女には、「伝統的な価値観が、皮肉にも銃撃事件とつながっていると思え
てならない」そうだ。


事件の真相はまだ明らかでないにもかかわらず、朝日や毎日は日々、「有
識者」の感想や気持ちや臆測や思いを掲載し、悪いのは保守思想や伝統的
価値観、それを政策として推進する自民党だと繰り返す。そして山上容疑
者はその犠牲者だと擁護、同情する一方、保守の象徴だった安倍氏が殺さ
れたのは自業自得だと示唆する。自民党を支配しているのは旧統一教会
だ、と陰謀論まがいの風説を広めることもいとわない。

しかし、安倍氏を殺害したのは保守思想や伝統的価値観ではない。山上
容疑者という人間だ。朝日や毎日はそれをすり替え、保守や伝統をおとし
めるために利用する。彼らの主張には、安倍氏という、銃によって突如命
を奪われた一人の人間に対する哀悼や憐憫(れんびん)は一片も見いだせ
ない。

【プロフィル】飯山陽
いいやま・あかり 昭和51年、東京都生まれ。イスラム思想研究者。上
智大文学部卒、東大大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。著書に
『中東問題再考』など。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
  松本市 久保田 康文 

産経新聞令和4年9月25日号採録
           

━━━━━━━━━━━━━━
NYにキッシンジャーを訪ねた
━━━━━━━━━━━━━━
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☆◇◆◇◆☆◇◆◇◆☆◇◆☆◇◆◇☆◆◇◆☆◇◆◇☆◇◆◇
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和四年(2022)9月21日(水曜日)
        通巻第7470号 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
王毅外相がNYにキッシンジャーを訪ねた
 米国のチャイナロビーの総本山は何を中国に語ったか?
******************************

9月19日、ニューヨークのヘンリー・キッシンジャー元国務長官事務所を
中国外相の王毅が笑顔で訪問した。
キッシンジャー・オフィスは米国のチャイナロビーの総本山だ。

王毅はキッシンジャー生誕100周年を祝し、「米中関係の確立と発展に歴
史的な貢献をした、中国人民の古くからの良き友人」と持ち上げ、氏が中
国に常に友好的であり、中米関係に貢献してくれた業績を高く評価した。

キッシンジャーを政治宣伝に利用し、メディアの印象を換えようとする情
報作戦の一環だが、米紙は殆どがこの王毅・キッシンジャー会談を無視し
ている。
デジタル版を覗いても、どこにも記事がないのだ。大きく報じているのは
華字紙ならびに中国政府系の英悟新聞だけ、ちなみに台湾の新聞もみた
が、一行も報道はない。

 王毅は「今年はニクソン元大統領の中国訪問と上海コミュニケ50周年で
あり、中国と米国はこのような有益な経験をちゃんと総括すべきとして、
最近の米国外交が中国に敵対的姿勢をそれとなく批判した。

バイデン大統領は、米国が中国との新たな冷戦を求めないと表明している
が、中国に対して誤認識があり、王毅外相は、「バイデン政権が中国を主
要なライバル、長期的な挑戦であると主張していることは問題だ」と述べた。

 また王毅は、台湾問題を「適切に管理することが最優先事項」と位置づ
け、「そうしなければ、米中関係に破壊的な影響を与えることになる」と
の恐喝的台詞も忘れなかった。
 「『台湾独立』が横行すればするほど、台湾の平和的解決の可能性は低
くなることに留意する必要がある」ともつけたした。

華字紙によれば、キッシンジャーは「米中は対立ではなく対話を継続し、
『平和共存』という二国間関係を構築するべきだ」と述べたというが、お
そらく中国に対して強い警告を発しているに違いない。そうした不都合な
部分を割愛し、米国にはまだ強い中国の見方がいるぞと国内向け宣伝臭が
強い報道ぶりだったのである。
      □☆み□☆☆□や☆□☆□ざ☆□☆□き   
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●樋泉克夫のコラム ●樋泉克夫のコラム 
+++++++++++++++++++++++++++++
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
樋泉克夫のコラム 
【知道中国 2425回】    
 ──習近平少年の読書遍歴・・・「あの世代」を育てた書籍(習91)

         ▽
 『哲学闘争与階級闘争』は、楊を次のように批判する。
(1)52年に「この上ない悪臭を撒き散らす『総合経済基礎論』をでっち
上げ、社会主義経済と資本主経済の『二を合わせて一とする』ことを宣揚
した」。
(2)58年に「下心をもって大胆にも『矛盾の同一性を利用する』と称
し、我が党を『対立面の闘争を説くのみで、対立面の統一を語ろうとしな
い』と当てこすり攻撃した」。
(3)「劉少奇のための『階級闘争消滅論』に哲学的根拠を与える一方、
毛主席の偉大な著作の『人民内部の矛盾を正しく処理する問題について』
に直接対抗しようとした」。

──このように楊に対する批判を整理してみたが、なぜ楊は激しく批判され
なければならなかったのか。その「罪状」の論拠は曖昧であり、たんなる
言い掛かりに過ぎないようにも思える。

 毛沢東の考えを、楊は「主観能動性を強調するものでしかない」とニベ
もなく退けた。マルクス主義とは関係なく、「主観的能動性」に支えられ
た毛沢東思想は、とどのつまり「人民よ、やる気になればなんでもでき
る」との掛け声に過ぎない、ということだろう。

 この毛沢東思想のカラクリを暴いてしまったことが、どうやら楊が負う
べき最大の「罪」だったようだ。

 次は香港の中国系出版社兼書店の三聯書店が出版した『沿着毛主席革命
路線勝利前進』である。どうやら当時の中国を代表する3大公式メディア
──『人民日報』『紅旗』『解放軍報」──が71年元旦に発表した長文(冗
長?)な共同社説を、香港の左派に周知徹底させるために編まれたと思わ
れる。

 「偉大なる70年代の最初の1年が過ぎた。わが国各民族は社会主義革命
と社会主義建設が高まる潮流の中、そして全世界人民によるアメリカ帝国
主義と社会帝国主義に反対する闘争の高まる潮流の中に在って、戦闘的な
1971年を迎えた」と、冒頭から異常なまでの高揚感に溢れている。

 続いて「新しい1年が始まるに当たり、我われは毛主席のプロレタリア
階級革命路線の勝利を熱烈に歓迎し、我らが偉大なる領袖毛主席の万寿無
疆を衷心より祝うものである」と文革最盛期に常用された“常套句”を置い
た後、いよいよ本題に移る。

 「偉大なる領袖毛主席が1970年5月20日に発表した『全世界人民は団結
し、アメリカ帝国主義とその一切の走狗を打ち破れ』との荘厳なる声明に
おいて、『新たなる世界大戦の危機は依然として存在している。各国人民
は一切の備えを為すべきである。ただし目下の世界の主要な傾向は革命で
ある』と指摘されているが、国際情勢の推移は毛主席のこの科学的論断を
実証している」と受けた後、各国人民の戦いぶりを紹介する。

 その戦いの先頭に中国が立つことを高らかに宣言し、最後を「偉大で光
栄に充ち正確な中国共産党万歳! 我らが偉大な領袖毛主席万歳、万々
歳!」と結んでいる。
 ここで、ゴチックで強調されている次の部分に興味を持った。
「毛主席は『わが国人民は一個の遠大なる計画を持つべきだ。何十年かの
うちにわが国は経済と科学文化の面における落後した情況を努力して改変
し、すみやかに世界の先進水準に到達させなければならない』と教え説か
れた」。

 かくて冗長な論文は「偉大で光栄に充ち正確な中国共産党万歳!」の定
型句で〆となる。
「我らが偉大な領袖」が中国は「経済と科学文化の面」で世界水準から
「落後した情況」と認めてから、半世紀余が過ぎた。習近平を頂点とする
「偉大で光栄に充ち正確な中国共産党」に導かれる現在の中国は、少なく
とも経済規模と軍事の面に関しては「世界の先進水準」を超えた・・・
ならば「我らが偉大な領袖」と習近平を較べ、エライのはどっち。
       □☆●□☆●□☆●☆□☆●□☆●□ 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ☆⌒☆⌒☆ ☆⌒☆⌒☆⌒☆ ☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆ 
  読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読
者之声
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1)9月27日の三島由紀夫研究会「公開講座」は芥川賞作家の
楊逸女史をお迎えして、「作家魂に触れる旅の瞬間」の演題でおこなわれ
ます。
趣旨は(1)ローマの美術館で聖セバスチャンを見て、三島由紀夫の美学
を考える。
(2)ポーランドのグダニスクからドイツのベルリン、ドュッセルドルフ
そしてリューベックまで、旅でギュンター・グラス(ノーベル文学賞作
家)の人生を辿って考えたこと等です。

とき    9月27日(火曜日)午後六時
ところ   市ヶ谷「アルカディア市ヶ谷」会議室
講師    楊逸(作家、日本大学教授)
演題   「作家魂に触れる旅の瞬間」 
参加費   お一人2000円(会員と学生は1000円)
●どなたでも予約不要で御参加いただけます。
       (三島由紀夫研究会事務局)
   ♪
(読者の声2)北朝鮮から日本人を奪還する「工夫・提案」を(SSA生)
様が昨日述べておられましたので、「私にも、できるわ」と追従いたしま
す。明治の頃、誰も頼まないのに、60もの「新憲法試案」が民間の平民ど
もから政府に提出された、そうです。
 できるだけ早期に、安く、簡単に、犠牲を少なく、現状の軍事状況で、
岸田総理でも出来る、という条件で考えると、
1。北朝鮮、特に金正恩氏が迷惑する事をする。日本国内にいる工作員、
支持者、政治家、企業家、官僚、パチンコ天下り警察幹部、などを合法的
に逮捕、拘束し、自殺、病死などの結果を生み出し、物的、資金、技術、
など全ての輸出・援助を止める。
2。NHK,朝日などを呼びつけて、反北朝鮮の「真相はかうだ」的な嘘、誇
張、真実を混ぜた継続的な番組を国内、国外に流す。これには、米英豪印
などの保守系の団体、報道などの協力も求める。
3。北朝鮮からの「民間漁船」が日本海で頻繁に公然と海洋資源を盗んで
いるが、「見て見ないフリ」政策をやめ、「以後、発見次第、撃沈する」
と通達し、直ちに2、3の漁船を沈没させる。
4。NHK、朝日などの協力を得て、彼らの得意な「偽のニュース」を作
る。たとえば、数名の外国人が「かなりの量の細菌を東京都市民の水源に
注入」し、死者23名、重病者123名、犯人は自供。病院で苦しむ患者は全
員役者、医師も偽(つまり武漢菌報道の再利用)。
5。ついに、岸田総理もとうとう、国民の声を聞き、報道の圧力に負けて
「当たり前で最大・最後の」手段をとる、と自衛隊員を皇居の前に集め
て、宣言。実は、業を煮やした陛下が、前日に総理を呼びつけて、強く
「激励」した。
この辺りで、痩せて青くなった金氏は、日本人全員、遺骨などを送り返す。
 この成功例にあやかって、同様な政策を支那、露に対しても始める。両
国は、馬鹿な日本もやっと俺たちの真似をしやがった、と嘆くが、日本は
世界の追い風を受けて正義の味方、男を上げる。



━━━━━━━
重 要 情 報
━━━━━━━

◎芥川の『秋』に想ふ 北村維康

テーマ:ブログ

 秋である。ついこの間、炎天下で熱中症になりかけたことが、嘘みたい
だ。草の葉の間では虫たちがすだき、神社では彼岸花が花盛りだ。


 さて、ミスター・ドーナツで、コーヒーを飲みながら、ふと思った。芥
川龍之介の『秋』は、姑の嫁いびりの話である。しかし、これでもか、こ
れでもかと嫁をいびってゐると、ある日突然、その嫁が死んでしまふ。一
人残された姑は、寝ながら、「お前はなんで死んじまったんだよう」と泣
くのである。良く、「可愛さ余って憎さ百倍」と言ふが、世に多い虐待の
話なども、本当は愛情の裏返しなのかもしれない。そしてそれはまた、自
己嫌悪が現れたものとも、取れるのである。


 さて、今世の中は、安倍元首相の国葬反対で狂奔してゐるやうだ。しか
しちょっと待って欲しい。過去に於て国葬で弔はれた人々は、畳の上で大
往生した人であり、今回のやうに、ライフル銃で狙撃され(山上何某は単
なる狂言回しか?)暗殺されたといふのは、非業の死である。大多数の国
民が敬愛してゐた、元の大宰相が、国民の面前でこれ見よがしに殺され
た。せめて国葬で御見送りしたいと言ふのは、国民の総意に近い。ここで
思ひ出すのは、悪鬼のやうな形相で、「お前は人間ぢゃない、叩き斬って
やる」と嘯いた、山口何某である。しかしその大学教授でさへも、『秋』
の主人公のやうに、本当は安倍氏を愛してゐたのではないか?誠に、「可
愛さ余って憎さ百倍」の、心理学的好材料が、ここにはあるのである。


 この国葬狂騒曲が終った後の、空白の期間を、これらのピエロたちは、
どのやうに過ごすのだらうか。否、国民の精神を倒錯させた元凶である、
日本弱体化憲法を根こそぎゴミ箱に捨てなければ、この狂騒曲はまたどこ
かで再燃するかもしれない。



◎世界平和の祈り北村維康
テーマ:ブログ

神の無限の愛、我に流れ入り給ひて、我に於て愛の霊光燦然として輝き給ふ。

その光愈々輝きを増して全地上を蔽ひ、総ての人類の心に、愛と平和と
秩序と、

中心帰一の真理を満たし給ふのである。



 



━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━
27日の東京湾岸は晴。

渡部亮次郎わたなべりょうじろう86歳。

元NHK政治部記者。当時「文芸春秋」に「赤坂太郎」で
政治評論を書いた。1字10円だった。

仙台、盛岡局勤務の後、東京の政治部へ。河野一郎を
担当。河野先生は酒 を一滴も飲めなかった。毎夜、赤坂の料亭に立ち
寄っていたが、お膳を前にお茶を飲んでいたとは。呑み助の私には想像も
できない。
外務大臣秘書官。その後、社団法人の理事長を18年間。
現在は年金生活者。メルマガ「頂門の一針」主宰者。
 
秋田県生まれ1936年1月13日。どこといって故障個所は無いから100位まで
は生きるだろう。このメルマガの届かなくなった日が私の死亡日です。

兄は81で、姉は91で死んだ。遺伝の話をすれば、 父親は60代に死んだが
母親は98まで生きた。

渡部 亮次郎

--
渡部 亮次郎



この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。