2007年08月19日

◆パチンコのままの安倍


                       渡部亮次郎

私が外務大臣秘書官を辞して浪人の頃だったから昭和58(1983)年の秋ごろのことだったように思う。東京都下の立川市で大々的な決起集会が開かれた。

ある政治記者が自民党安倍晋太郎派で立川を中心とする地盤から衆院議員に出馬する、ついては立川市で決起集会をぶち上げてムードの盛り上げを図ろうという事になった。

隣の国立市で燻っていたから、会場を覗きに行った。安倍派幹部に混じって今の安倍さんもヘリコプターでやって来た。聞けば親父安倍晋太郎外務大臣の秘書官だという。

数年前まで座っていた私の椅子に今は座っているのだという。なるほど、晋太郎と岸信介の娘洋子の間に出来た次男だという。長身の晋太郎と鼻だけは低くなかった岸の顔を足して2で割ったような顔。

連れて行ってくれた友人の話によると、晋三氏は幼少の頃から頭は父や祖父に全く似なかった。家庭教師をつけて貰って、せめて慶応義塾を狙ったが果たせず、吉祥寺郊外にある三菱系の私立学園成蹊の小学校に入った。

アーチェリーをやったとか言っているが、要するに吉祥寺駅前のパチンコ屋に入り浸り。とうとう大学まで成蹊を抜け出せなくて終わったという意地悪な解説だった。

ところが「解説」は意地悪ではなかった。真実だった。しかも、あれから二十数年、安倍晋三は進歩していない。だからやはり参院選挙に大敗してレームダックになるという予測の道を滑り落ちている。

「ご紹介戴きました安倍晋三です。外務大臣安倍晋太郎の代理で参りました。五十嵐君は時事通信社の安倍番です。ある日、親父のところに来て、代議士に立候補したいので、応援して欲しい、といいました。そこで安倍派として五十嵐君を応援する事に致しました。皆さんよろしくお願いいたします」。
あぁ、これで五十嵐君は落選確実になった、と私は確信した。


五十嵐さんの力が無ければ親父は先(総理大臣)に進めません。そこで親父は膝を八重に屈して五十嵐さんに代議士になって俺の側近に居ってくれと頼んだのです。五十嵐さん無くして安倍晋太郎のあすが無いのです。この通りです、皆さん、何とかお願いしますというのが総決起集会の挨拶であるべきだからである。

五十嵐さんは落選し、今では民主党。安倍さんの敵だ。

私の主宰するメールマガジン「頂門の一針」の常連寄稿者平井修一氏は、断じている。

<熟慮した結果の靖国15日不参拝だろうが、参謀はいないようだ。

甲子園の監督は「勝っても負けても、後から振り返れば、球児たちにとっては、かけがえのない大きな経験。ひと夏を越えて、ひとまわりも、ふたまわりも大きくなってほしいと思います」とも語るが、国民は安倍総理に「大きくなってほしい」と願うだけ無駄と思い始めたのではないか。

KYD(空気の読めない鈍感の人)の総理にはどこ吹く風だろうから、言っても詮無いことか>。

周囲に人がいない。人を寄せ付ける磁力が無いからだ。それなのに磁力の強かった小泉流の改革をやろうとするから、「こりゃ、駄目だ」パチンコ流転のまんまだ、となる。

組閣に際して森の言う事をきいて中川幹事長を作り、小泉の言う事を聞いて塩崎官房長官を造った。しかもこの2人が参院選挙の命鳥となったことに未だに気付いてない。

中川は自分の地位保全のために自民党と安倍のパイプを遮断した。塩崎は自分が威張るために総理補佐官のすべてを殺した。それを知らない。御坊ちゃんもいい加減にしろ。

人(味方及び敵)の見方が平面的で、結果的に誤謬を犯す。世の中の展開や国会の先行きについて予見力が全く無い。平板的過ぎる。持って生まれた「人の良さ」が裏面に出て愚直さが国民から「馬鹿に」されている。衆院選で更に惨敗する事必至だ。2007・08・18
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