2007年08月20日
◆巴里だより “フランスパン事件”
岩本宏紀(在仏)
フランスのパンはうまい。一番安いのがバゲットという60センチくらいの細長いタイプ。日本ではフランスパンと呼ばれている。
塩味が適度に効いていて、空腹のときには何もつけずにちぎっては食べちぎっては食べているうちに、ひとりで一本を平らげることもある。
先日そんな調子で食べていたら、歯にかたいものが当たった。米に小石が混ざることは珍しくないが、パンでは経験したことがなかった。
指でつまみ出すとパンの白身に包まれた黒っぽい物体だ。オーブンの破片か、それとも歯の詰め物か。上の歯、下の歯を舌で丹念に調べたがどこにも穴はあいていない。ならば異物混入だ。
だがもう半分も食べてしまっている。べつに腹が立ったわけではないが、ここはやはりパン屋にこの事実を伝えようと決めた。
フランスのことだから平謝りということはあり得ないだろうが、新しいバゲット一本とショートケーキ一個くらいはサービスしてくれるかな、
まったく謝らなかったら口論しても無駄、すぐに帰ろう、その代わり二度とここでは買ってやるものかと強い覚悟を決めた。
ひとりいたお客が出るのを待って、食べかけのバゲット半分とティッシュペーパーに包んだパンまみれの黒い物体を大将に見せた。
「パンのなかにこれが入っていました。こんなことは初めてですよ」
と言うと
「わたしにとっても、こんなことは初めてですね」と動揺した様子もない。そのとき次のお客が入ってきた。これが好奇心のかたまりのマダムでぼくの肩越しにのぞき込み、
「どうしたの? 何、これ?」と興味津々。パン屋の体面を気遣っていたぼくだが、大将には謝るけはいがないので考えを変えた。
「この黒い硬いものがバゲットにはいっていたんですよ」
と言ってやった。そして喧嘩は売らずに店を出た。
それから2,3時間後、右上の歯に穴があいている感じがする。慎重に舌でさぐると詰め物がとれているではないか。
さて困った。この始末をどうつけるか。一週間後、思い切ってパン屋に行った。大将はレジにいた。いつものようにバゲットを買った。そして
「先週の土曜日のことを憶えていますか?」
「ウィ。」
「あれはぼくの歯の詰め物でしたよ。すみませんでしたね」
と言うと
「あとでよく見たら、それだってことはわたしにも判りましたよ」
と、一週間前と同じくまったく動揺なし。
これで一件落着。ちょっと照れくさいがこれからもまた、うまいバゲットがここで買える。それにしてもバゲットには要注意だ。詰め物を引っ張りだしたあとに自分が入り込み、2,3時間も居座るとは。(完)
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