2007年09月04日

◆伊藤律の帰国事件

                         渡部亮次郎

伊藤律(りつ)とは日本共産党初期の大物。戦後、マッカーサーに睨まれて地下に潜ったまま行方不明となった。ところが実は中国に密入国で渡り暮していたが1980年9月3日に突然帰国して世間を驚かせた。彼にとって「帰国」は事件だったのである。

ところが頼りにしているフリー百科「ウィキペディア」では伊藤律に関しては何方も手を下していない。三省堂の「コンサイス人名辞典 日本編」第1刷(1976年3月20日発行)により生まれは1913(大正2)年、岐阜県出身とわかったが、今のところ没年月日は不明である。

一高中退とあるのは、在学中、共産党運動に参加し放校処分となったため。1933年検挙され、出獄後、39年、満鉄東京支社調査部に入る。

この間、小林陽之助らの「人民戦線グループ」に参加し、40年には満鉄共産党事件で検挙。41{昭和16)年再び検挙され、ゾルゲ事件発覚のきっかけとなった。

事件の発覚は、日本の特別高等警察(特高)資料などをもとにまとめたアメリカ陸軍省の「ゾルゲ事件の真相」(1949年に公表)によれば、共産党再建容疑で取り調べ中の伊藤律の自供により、1941年9月、元アメリカ共産党員の北林トモが検挙されたことにはじまる。

伊藤自身は、死後の93年に出版された回想録で、自分は陰謀の被害者で、後の議長野坂参三こそがゾルゲの諜報網を「売った」と主張している。野坂も100歳で死ぬ直前、スパイ容疑で除名された。

ゾルゲ事件 ゾルゲじけん 1941年(昭和16)10月におきたリヒャルト・ゾルゲらの諜報(ちょうほう)活動と尾崎秀実らの反戦活動に対する検挙事件。

41年9月〜42年6月にゾルゲや尾崎ら35名がスパイ容疑で逮捕され、18名が治安維持法、国防保安法、軍機保護法の各法違反などで起訴された。逮捕者の中には、機密情報提供の容疑者として近衛文麿首相のブレーンだった犬養健(たける)や西園寺公一(きんかず)らもふくまれていた。

検挙は極秘にされ、事件が「国際諜報団事件」として司法省から公表されたのは1942年5月だった。

43年の裁判の結果、ゾルゲと尾崎は死刑判決、2名が無期懲役のほか全員が有罪判決をうけた。

西園寺は執行猶予、犬養は上告審で無罪となった。44年にゾルゲと尾崎は上告が棄却され、同年11月7日(ロシアの革命記念日)に死刑が執行された。ブーケリッチや宮城ら5人は獄死した。

伊藤律は、敗戦後、日本農民組合結成に参加しながら日本共産党再建に従事。徳田球一の下で政治局員、書記局員を歴任、農民部長として極左的な農業綱領を作成した。

1950年、コミンフォルム批判後、徳田と行動を共にし、地下活動に入るが宮本顕治に追われ、55年、スパイ活動を理由に除名された。コンサイス人名辞典はここまでで「その後、消息不明。」で切れている。

後に明らかになるが伊藤は早くに建国間もない中華人民共和国に密航、中国共産党に幽閉されていたらしい。それなのに1950(昭和25)年9月27日付け朝日新聞夕刊に人々は驚愕した。

東京本社発行の夕刊社会面7段で扱った日本共産党の「伊藤律単独会見記」が載ったからである。GHQや警察の追及をかわしている日本共産党の幹部に朝日新聞記者が単独インタビューしたというのである。

これが真っ赤な嘘。記事を書いた長岡宏記者(30=当時)は「伊藤律氏との会見記事は、私の仕組んだ全くの狂言でした」 と弁明。「戦後生まれ変わった朝日新聞の輝かしいねつ造の扉を開いた金字塔」
とは「頂門の一針」798号(07・05・11日)で私が朝日新聞を得意技は捏造?と揶揄した文章である。


伊藤律氏はレッド・パ−ジ(1949-50年に行われた共産党員の公職追放)で地下に潜行中だったが、その記事の見出しは「姿を現した伊藤律氏 本社記者宝塚山中で問答」

「徳田氏は知らない 月光の下 やつれた顔」となっていた。この記事は、3日後の9月30日付け夕刊で「ねつ造記事と判明した」として、陳謝と全文取り消しの社告で抹消され、縮刷版のこの日の社会面の中央は白紙になっている。『朝日新聞社史』昭和戦後編125ページに「伊藤律架空会見記」の項がある。

さて、
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/index.htm

による「事件史探求 伊藤律・帰国事件」によると昭和55年9月3日午後1時45分、日本共産党No.2(昭和20年代前半当時)で潜伏先の中国で死亡したと思われていた伊藤律(当時67歳)が中国民航の臨時便で帰国した。

羽田空港は300人以上の報道陣が詰め掛けて騒然となった。伊藤律は報道陣のフラッシュの中を濃紺のスーツを着て車椅子に乗って現れた。伊藤律は昭和26年9月に忽然と姿を消した日本共産党の大物政治局員で実に30年振りの日本帰国となった。

これに先立つ昭和24年2月10日、米国陸軍省はウイロビー報告で「ゾルゲ事件」の全容を明らかにした。これによって、日本共産党は伊藤律が「党を裏切った密告者」であると断じた。

日本共産党は昭和28年9月、伊藤律をスパイとして処分し除名した。さらに昭和30年には六全共で除名が確認された。公安当局も伊藤律は昭和45年6月に中国で死亡したと判断し捜査を打ち切った。公安は辻褄あわせをして嘘をいうのだ。

当の伊藤律は昭和26年9月に日本を脱出し中国で生きていた。が、帰国後の伊藤律は脱出の経緯、ゾルゲ事件での裏切り行為の真偽、帰国までの活動その他の事実を一切語らぬまま死んだ。
参考:マイクロソフト『エンカルタ総合大百科』2007・08・31
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